春のかたみ
三
二人が下準備をしてくれている間に、混ぜご飯を作る。焼き魚の骨を除いてを解したものを櫃に入れていた時、今度は玄関から物音が響いてきた。
(あの二人、普段浪士達相手に大捕物やってるくせに、子猫相手に何をしてるのさ……)
一度ならず二度までもとなると、さすがにあちらを放って置く訳にもいくまい。こちらはこちらで何とかなりそうだし、二人には悪いがこの場を離れることにした。
「ごめんなさい、新八さん、左之助さん。なんだかあっちの方も大変みたいだから様子を見てきますね」
「お、おい名!?」
動揺する二人に口を挟む隙を与えず、調理に関する指示を飛ばす。静止する声を潜り抜け、厨の入り口へ移動。
「左之助さん、新八さんがサボらないようにちゃんと見張っててくださいねー!」
少々無責任かとも思いつつ、厨を飛び出す。
とりあえずは玄関へ向かうが、状況によっては広間へ向かった方が良いかもしれない。
はっきり言ってこの事態をごまかすのもそろそろ限界に来ている。
私は廊下を駆けながらも、深い溜息を吐いた。
■ ■ ■
玄関に到着する。
玄関先に植わっていた木の幹近くに枝が落ちていた。これは明らかに猫が登って折れるような枝ではない。
「一体何してるんだよあの二人……」
追いかけられた猫が木にでも登ったか?
それを追いかけて木に登りでもしたということだろう。
刀ではこんな太い生木を切ることは出来ない。断面を見てもこれは『伐られた』ものとは違う。
「だからって登るか?普通……」
呆然と玄関先の木を見上げながら、私は呟いた。
辺りを見回してみてももう玄関周辺には猫はいないようだ。
私は八木邸の女中さんを呼び、隊士へ後片付けをしてもらえるよう言伝を頼む。
ちなみに頼む時は必ず一番組と二番組の隊士に頼むように言って置いた。少々理不尽だが、上司のミスは部下に任取ってもらおう。
一君や総司君の姿も見えなかったので、私は一度広間へ向かうことにした。
■ ■ ■
「失礼しま……」
「――千鶴、待てよ!余計なこと言うなって!」
私の声は平助君の叫びによって掻き消されてしまった。
どうやら千鶴ちゃんは土方さんと山南さんからの詰問に耐え切れなかったようだ。
「口を噤むのは君の方ですよ、藤堂君」
平助君の抵抗は山南さんによって阻止される。
山南さんとしては重要な会議を邪魔されてご機嫌斜めのようだ。明らかに眉間に皺がよっていて、顔が怖い。笑顔の仮面が完全に剥がれている。
「お取り込み中申し訳ありませんが、ご報告でーす」
私は二人が打ち明けてしまう前に土方さん達の注意をこちらに向けさせる。
白状してしまうよりも前に私が報告してしまえば、形としては二人が隠していたと事実をごまかすことが出来るだろう。
「現在屯所内に子猫が一匹潜伏中です。沖田・斎藤の両組長が現在捕獲に向け追跡中です。対象は八木家子息が連れてきたと見られ、手荒な事は出来ません。結果として屯所内各所にて被害が多発。……被害報告、聞きますか?」
事実を知った土方さんの肩がひくひくと怒りに震える。
口を開いた彼の声は低く、まるで地獄の底の鬼を思わせる程だった。
「……聞かせてもらおうじゃねぇか」
「聞いても私に怒らないでくださいよ?」
ある意味本物の鬼よりも鬼らしい。私は念のためとはいえ、釘を刺さずにいられなかった。
「では被害報告其の一。屯所に入り込んだ猫はまず昼餉の準備中だった厨に侵入。釜、鍋、皿の粗方をひっくり返して逃走。八割方完成していた昼餉を台無しにし、再調理となりました。」
「……」
「被害報告其の二。沖田・斉藤の両組長が追跡中、中庭にて物干し竿に飛び乗ったと思われる猫が、本日の洗濯物を全て地面に落下させました。現在井上組長が汚れた洗濯物の洗濯を行っている最中です」
竿が折れたことには触れない。微々たる被害まで逐一言う必要もないだろう。
「…………」
土方さんは言葉を発しない。山南さんは既に温くなっているだろう茶を啜っていた。
「被害報告其の三。八木邸玄関前にて、樹上の猫の捕獲作戦を決行した模様。玄関先の木の枝が幹近くから折られ、落下しておりました。私が発見した時には両組長の姿はなかったので、現在も追跡を続行しているんでしょう」
私が被害報告を終えると、広間には沈黙が訪れた。
近藤さんは困った表情で頬を掻いていたし、山南さんは眉間に皺を寄せて頭の痛そうな表情をしている。
そして土方さんはといえば、皆の予想に反して怒り狂うようなことはしなかった。ただただ呆れるばかりといった様子で溜息を吐き出す。
「【泣く子も黙る新選組】の幹部達も、相手が猫に変われば勝手も違うのでしょう。あまり皆を怒らないであげてくださいね、土方さん」
苦笑しつつ土方さんに声をかける。
口調は荒っぽくても、神経の細やかな人だ。気苦労も溜まる一方なんだろう。
「……大方、ここの二人は俺達から騒ぎを隠すための目隠し役、って所か?違うか、名」
土方さんがじろりと平助君と千鶴ちゃんを睨む。その言葉に二人はぎくりと肩を揺らした。
(一々素直な反応しなければ、この二人もそんなに怒られたりしないんだろうけどなぁ)
しかしそれはそれで二人の良いところだと思うので、私の口から改めろとは言わないけれども。
「まぁまぁ。この二人だって重要な会議をしている様子の御三方に、余分な心労をかけまいとした故の行動ですから。……で。どうします?」
ここまで騒ぎが大きくなってしまった以上、処理権限は組長位より上に上げた方が良い。そう判断したからここに来たのだ。
「……ふむ。全員で探した方が早く解決するのではないか?」
「何言ってんだ近藤さん。そこまですることねえだろ」
どうやら土方さんとしては新選組トップの自分達が出る程の騒ぎではないと考えいるらしい。
重要な議案を抱えていて、この会議を中断したくないのかもしれない。
しかし彼の本音は少し違うようだった。
「事情を知らねえ隊士どもに顔向けできねえだろ」
鬼と呼ばれる彼にも、色々と体面というものを気にするらしい。いや、鬼と呼ばれている自分を知っているからこそ気になるのかもしれないが。
「事情を知っている隊士にも、呆れられると思いますがね」
山南さんが一瞬場がひやりとするような冷めた声音で皮肉を口にした。正直、彼は猫のことなどどうでもいいようだった。
土方さんに向けられた言葉も、捕まえたければ捕まえろ、というものである。
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