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春のかたみ

 

■ ■ ■

「お――?」

とある部屋の前を私が通り過ぎた直後。不意にそんな声が私のすぐ後ろで聞こえた。

そして私の横を小さな器と味噌汁の椀が追い越して行く。それらは放物線を描きつつ、回転しながら飛んでいった。

そして、椀から飛び出した味噌汁の落下点に運の悪い男が一人。

「熱っ!?味噌汁、熱っ!?」

「……大丈夫ですか?新八さん。あと、ナイスキャッチ」

私の前には味噌汁の椀と、おひたしの器を両手に持った新八さんがいた。

「ないす……?なんだそりゃ」

「いえ、気にしないでください。それよりも、その服すぐに脱がないでくださいね。もし火傷していたら、冷やす前に無理に剥がすと悪化しますよ」

「!!!」

背後から息を呑む気配がしたので、私は後方を振り返る。

そこには左之助さんに支えられた千鶴ちゃんがいた。自分のしでかした事態に気付き、青い顔をしている。

「危ないところだったな、千鶴。驚かせちまったか」

「い、いえ、その……!」

左之助さんの腕はしっかりと千鶴ちゃんの腰に回されていて、私は無意識の内に脳裏に浮かんだ言葉を呟いていた。

「……左之助さんのセクハラ」

「おまえ、何か勘違いしてねえか」

千鶴ちゃんから手を離した左之助さんは少し困ったような顔をして言った。
『セクハラ』の言葉の意味は知らなくても、私の白けた視線から大体のニュアンスを感じ取ったようである。

「いえ?気のせいじゃないですか」

「……おひたしとお味噌汁がない!?」

どうやら千鶴ちゃんはまだ良く状況が把握できていないようだ。膳の上の朝餉の状態に気付いて大声を上げた。

彼女に説明をしようと、私は新八さんの方に視線を遣る。

「千鶴ちゃん、おひたしとお味噌汁なら……」

「おひたしならこのとおり無事だぜ」

味噌汁の方は駄目だったけどな。
そう言って新八さんは笑った。彼の顔を見て、千鶴ちゃんの顔からさらに血の気が引く。

必死に謝る千鶴ちゃんに新八さんは気にするな、と優しく諭した。
そこへ左之助さんが説教をするなと割って入る。

そして千鶴ちゃんと左之助さんは、お互いにお互いを庇い合い始めた。

「…………」

ふむ。このままだと埒があかない。
取り合えずは事態を収拾することにしよう。このままだと朝餉が遅くなってしまうし。

「えっと、じゃあ今回は誰も責任のない事故だった、ということで。以後皆で気をつけましょう。千鶴ちゃん、その膳は私の席に運んでおいて。私が食べるから。で、左之助さん。こっちの膳を広間に運んでもらえませんか?」

一息でそれぞれに指示を飛ばす。
それまで三人の様子を黙って見ていた私が急に喋り出したため、皆一瞬呆気に取られたようだ。

「……いいぜ。俺にも責任はあるしな」

「え?そんな、名ちゃん!?」

左之助さんの了承を聞くと同時に、私は自分の持っていた膳を左之助さんに渡す。
そして千鶴ちゃんの背を押し、強引に広間へと送り出した。

二人が広間に向かったのを確認し、懐から手ぬぐいを取り出す。簡単に床を拭いてから、私は新八さんへと向き直った。

「さ、新八さん、井戸へ行きましょう。火傷している、いないに関わらず、一度は冷やした方が良いです。かぶったお味噌汁も洗い流さなきゃですしね」

「お?おう。そうだな」

新八さんは呆気に取られた表情で私を見下ろしていた。
睡魔が天敵である私が言うのも何だが、朝の時間は貴重だ。ぼんやりしている暇等ない。

私は新八さんの腕を取った。

「な、名!?」

「はーい、さっさと行きますよ。ぽやっとしてて朝餉に遅れても、私のおかずは分けてあげませんからねー」

慌てる新八さんを無視しつつ、私達は井戸へ向かった。

■ ■ ■

簡単な手当ての後、新八さんは着替えのために自室へ戻った。

味噌汁を零した廊下の掃除を終えた私は広間へ向かう。

その途中、偶然にも彼と鉢合わせてしまった。

「……おはようございます、姓君」

優しげな微笑み。穏やかな声。
しかしその内側に隠された感情は、簡単には読み取らせてくれない。

正直、気まずい。

「おはよう、ございます。山南さん」

「……?どうしました、浮かない顔ですね。この腕のことが、そんなに気になりますか?」

「…………」

図星だった。私は俯くことで何とか彼の左腕から目を逸らす。

穏やかな笑みを絶やすことのない彼は、そんな私を見て、少しだけ困ったような顔をした。

「朝食の時間までまだありますし。少し、話でもしましょうか」

■ ■ ■

人目の少ない縁側まで来ると、山南さんは足を止めた。これ以上広間から離れたら、朝餉に間に合わなくなってしまうからだろう。

私は縁側に腰をかけた。
山南さんが口を開く前に、今まで言えずにいた言葉を告げようと意を決する。

喉の粘膜が乾いてひりついた。それでも私は口を開く。

「山南さん。その左腕のことですが、私……」

「謝罪の言葉なら、必要ありませんよ」

「……え?」

私の言葉は山南さんによって遮られ、伝えたかった言葉は声になる前に霧散した。

私は反論する。

「でも!私が大坂で山南さんが怪我をすることになる、ってちゃんと伝えていたら、」

「『いたら』何です?……確かに私が大坂出張を取りやめれば、こんな怪我を負うこともなかったでしょう。ですが、あの状況に土方君一人で当たっていれば、恐らく彼は死んでいましたよ」

いつの間にか山南さんの顔からは笑みが消えていた。

確かに私自身、それを考えなかった訳ではない。それでも私には、彼に謝らなければいけない理由がある。

 


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