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春のかたみ

 

文久四年一月。夕暮時。

朱色に色付いてゆく京の街。
排気ガスも大気汚染もない、澄んだ冬の空気。不純物の少ない大気を透過した陽光は、どこまでも鮮やかに世界を染め上げていた。

そんな中、私は厨と広間の間を繰り返し往復していた。膳の上の味噌汁が零れないように慎重な足取りで廊下を進む。

まさかこんなところで職場でのお茶汲み経験が役に立つ日が来ようとは、夢にも思わなかった。
『人生どこでどう転ぶかわからない』とはよく言ったものである。……いや本当に。

ちなみに今晩の献立のメインは焼き魚。この時代、肉を口にする習慣が基本的にないので、魚は重要なタンパク源だ。

今日の炊事当番は一君と平助君なので、とりあえず今晩の夕餉は安心して味わえそうだ。

「……これでよし、っと。じゃあ私は千鶴ちゃん達を呼んできますから、新八さん、つまみ食いせずに待っててくださいね」

くるりと背後を振り返る。私が新八さんの方を見たのと、あからさまに肩をぎくりと揺らした彼が視線を逸らすのは、ほぼ同時だった。

(……今、明らかにつまみ食いしようとしてたな、この人)

「こ、この俺様がつまみ食いなんて意地汚い真似するわけねぇだろうが!」

(一体幾つだよ、あんた)

子供のような新八さんの反応に、取りあえず心の中で突っ込みを入れておく。しかし新八さんは私の視線に含まれた呆れをしっかりと感じ取ったようだ。

『待っててやるからさっさと行って来い』とだけ言うと、彼は不貞腐れた様に完全に体ごと横に向けてしまった。

「じゃ、すぐ戻ってきますから、ちゃんと待っててくださいね、新八さん」

■ ■ ■

広間から出ると、ちょうど一君が厨から戻ってきたところだった。そちらも一段落着いたのだろう。

「一君、私千鶴ちゃんを呼んでくるね」

私はそう言い置いて一人で部屋に向かうつもりだった。

「……俺も一緒に行こう」

「え?別に千鶴ちゃんを呼んでくるぐらいなら、私一人でも……」

しかし私の疑問を最後まで聞かずに、一君が神妙な面持ちで首を横に振った。

「今の時間、雪村の監視についているのは総司だ。あんたが一人で行けばまた諍いになるだけだろう」

(くっ……反論できない!)

確かに、屯所に千鶴ちゃんが来てからというもの、私は総司君と口論ばかりしていた。

今までの私は、自分が『斬る』だの『殺す』だのと言われても、それを受け流してきた。
別にそれは今も変わっていないのだが。

私には総司君がその言葉を千鶴ちゃんの反応を面白がるために口にしているように見える。
千鶴ちゃんが彼の心無い言葉に俯く度、私は総司君と反発を繰り返していたのだった。

その上彼は時折、千鶴ちゃん越しに私を挑発することがある。

私に言いたいことがあるのなら、私に直接言えばいい。
それなのに何故か彼は千鶴ちゃんを巻き込む。巻き込んで、彼女を不用意に傷つける。

それが許せなかった。

だがそれはただ『許せない』だけであって、私は総司君自身が嫌いなわけでは決してないのだけれど。

「……別に総司君が不謹慎な発言を控えてくれれば、私だってあんなに突っかかったりしないんだよ?」

私が一君に返した言葉は、どこか言い訳のような響きを含んでいた。

だからといって私は別に悪い事をしているつもりなどない。一君はもとより、誰にも弁明する気はないんだけれど。

「俺は別に『あんたが悪い』とは言っていない。ただ、夕飯の時間が遅くなっては迷惑だからな」

一君は言いたいことを言い終えると、さっさと私を置いて私達の部屋に向かって行ってしまう。
取り残された私はひらひらと揺れる彼の白い襟巻きを追いかけるように、彼の後に着いて行った。

■ ■ ■

「……いつまで、こんな生活が生活が続くのかな」

不意に、零れ落ちるようにしてぽつりと呟かれた言葉。

特別に強い感情がこめられている様には聞こえなかった。しかしそれが返って千鶴ちゃんの心の内から自然と沸いて出た言葉のように思えた。

千鶴ちゃんは部屋の丸窓を開けて、静かに夕日に染まる中庭を眺めていた。
その表情は感情が抜け落ちてしまったかのように、どこか虚ろにも見える。

丸窓のすぐ傍には総司君が腰を降ろしていた。しかし二人が会話している様子はない。

位置的には敢えて視線を下に向けなければ、千鶴ちゃんの視界には彼の姿は入らない。
もしかしたら、千鶴ちゃんは総司君の存在に気付いていないのかもしれない。

前を歩いていた一君が部屋から少し手前で足を止めたので、私も足を止める。遠目に見る限りだが、どうやら千鶴ちゃんは少し落ち込んでいるようだった。

ぽつり、またぽつりと千鶴ちゃんは心の内から零れ落ちる言葉を口にする。

それは敢えて口に出すことで、自分ではどうしようもない感情に整理をつけているようにも、自分自身に言い聞かせているようにも見えた。

総司君も、そこに口を挟んで邪魔をすることはなかったし、一君がここで足を止めたのも、そんな彼女を邪魔しないようにと気を遣ったのかも知れない。……しかし。


「……きっと、根は良い人たちなんだよね」


「君さ、だまされやすい性格とか言われない?」

「!!?」

千鶴ちゃんの呟きに我慢出来なかったのだろう。ついに彼女の独り言に口を挟んだ口を総司君は、やっぱりいつもの総司君だった。

私は一君の半歩後ろに立っているためにその表情は伺えなかったが、彼も確かに溜息をついたのがわかった。

ま、一君のことだから、総司君と千鶴ちゃん、両方に対して溜息を吐いたんだろうけど。

千鶴ちゃんの方はどうやら監視されていること自体すっかり失念していたようだ。

独り言を全て聞かれていたことに気付き、あわあわと口をぱくぱくさせている。その表情からして、どうやら声にならない悲鳴を上げているようだ。

……不覚にも総司君が千鶴ちゃんをからかいたくなる感覚が少しだけわかったような気がする。

(そーいう反応がいちいちかわいいんだよなぁ、千鶴ちゃん。私には逆立ちしても真似できないわー)

だからといって私は総司君と違って千鶴ちゃんをいじめたりはしないけれど。
私は愛らしいものは思いっきり愛でる主義だし。


 

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