春のかたみ
一
「お二人とも、くれぐれも気を付けて行ってきて下さいね」
新選組屯所・幹部隊士居住区・八木邸前門。
今日は土方さんと山南さんが大坂に向けて出立する。
一応仮隊士という扱いの私だが、幹部の許可なく八木邸を出る事が出来ないため、門の外には出られない。見送りが出来るのも敷居の内側までだ。
「わざわざの見送り、ありがとうございます。ですが姓君にそう言われると、何故かこの先の旅程がとてつもなく不安に感じられてきますね」
山南さんはにこやかに言うが、彼の言葉は私にとっては常に冷や汗ものだ。
しかし私はそれを表情に出したりはしない。
自分で言うのも何だが、私の表情筋はこのひと月ちょっとの間で大分進化を遂げたと思う。
山南さんはいつもこんな調子だし、総司君は邪気の塊だし、土方さんは無意味に恐い。
この三人を相手取っていれば、表情筋だけでなく度胸ももれなく鍛えられようというものだ。筋肉痛にならなかったのが返って不思議な程。
「大坂はここ京都と違って、本来は新撰組の力の及ばぬ地ですから。新撰組の中でも重役であるお二人の身を心配するのは当たり前じゃないですか」
当たり障りのない言葉で山南さんの言葉をかわす。といっても、これは形式上のやり取りであって、言質を取らせないためだけのもの。
山南さんも土方さんも、そんなことは既に十分承知していた。
二人は少しだけ表情を引き締めると、神妙に頷く。
「お前なんかに言われるまでもねぇよ。……そんなことより、俺達がいない間に妙な真似はすんじゃねぇぞ」
「君自身についてもそうですが、雪村君のこともよろしくお願いしますね。彼女の心情の機微ついては、同性の君が一番理解できそうですから」
私の意図はどうやら二人に伝わったらしい。これで二人とも出張中不慮の事態に気を付けてくれるだろう。
出来ることなら山南さんには無事に京まで帰ってきてほしいと思う。
「……無事のお戻り、心よりお待ち申しております」
深く腰を折り、二人の出立を見送る。そして彼らは京の町を発ったのだった。
■ ■ ■
(これで良かったのかな……)
早朝の寒さは身を切るような痛みを肌に与える。
それでも私は二人を見送った位置から動く事なく、思索に耽っていた。
私が彼等にかけた言葉には、何か意味があったのだろうか。
恐らく『大阪で何か危険なことが起こる』事については彼らにも伝わった。
だが、それだけだ。
『呉服屋に踏み入る時には気をつけろ』とでも言った方が良かったのだろうか?
それとも、山南さんに左腕を動かせなくなるような傷を負うことになるから、大阪には行くな、と。
そう言えば良かったのだろうか。
(私に、一体何が出来た?私は、彼らのために全力で動いたの?)
――――いや、私は逃げたんだ。
一緒に行ったところで何も出来ない。彼ら自身に気をつけてもらうしかない。
そう結論付けて、そのくせ彼等自身には状況に対処出来る程の情報は与えなかった。
(私は一体何を、どうしたかったんだろう)
彼等の背が見えなくなってからもしばらくの合間、そこに立ち尽くしていた。
■ ■ ■
その背が見えなくなって大分経った頃、背後から思いがけず声がかかった。
「おい、名じゃねぇか。こんなとこで何やってんだ?お前一人じゃ外に出れねぇんだろ?」
「……新八さん、左之助さん」
私が後ろを振り返ると、浅葱色の羽織を着た二人がいた。声を掛けてきたのは新八さんだ。
二人の後方には彼等の組に属する隊士達が続く。
「珍しいな、お前がこんな朝っぱらから起きてるなんてな」
左之助さんがさっくりと失礼なことを言ってきた。
確かにいつもの私は『眠い』『寒い』と言って部屋から中々出ようとしないので、そこには反論の余地もない。
私はただ、『あはは』と笑ってごまかした。
「今から午前の巡察ですか。お勤めご苦労様です」
軽く会釈をしてから、彼等の通行の邪魔にならないように隅に寄る。
しかし何故か左之助さんは動作と視線だけで隊士達に先に行くように促し、自らはその場から動こうとしなかった。
指示に従った十番組の隊士達はぞろぞろと私の横を通り過ぎていく。
彼の行動の理由がわからなくて、私は左之助さんを見つめた。
「おまえもついてくるか?」
「……へ?」
左之助さんが少し腰を折るようにして私に視線を合わせて言った。彼の赤い髪が揺れて、琥珀色の瞳が私の顔色を伺っている。
あまりに意外な言葉過ぎて、不覚にもマヌケな声を出してしまった。
「あ?なに言ってんだ、左之?」
彼が立ち止まったのを見て、同じく立ち止まっていた新八さんが眉根を寄せてそう言った。彼の氷色の目が怪訝そうに左之助さんの本心を探っている。
私としても新八さんの言葉には激しく同意したい。
今から巡察に行くのであろう彼等についていったところで、私なぞ役に立つどころか足手まといになるのが関の山だろう。
彼の真意を理解できずに小首を傾げていると、槍を握る大きくて無骨な手が私の頭に乗せられた。
そのままぽんぽんと頭を撫でられる。
(いやこの場合は叩かれ、か?)
私の頭は返って混乱していく。
刀も持てない私がついて行っても役に立たないのに。
外に出られないから隊服も持ってないし。
というか第一私の存在は隊内では公には秘密だったんじゃなかったっけ?
門から出た隊士さん達も私に何も言わなかったのは八木邸の人間だと勘違いしたからだと思う。
それに私土方さんに誰の許可なく外に出るなって言われてるんだけどな。
混乱した頭に次々と言葉が浮かんでは消えていく。しかしはた、とある事に気付いた。
(でもそれなら幹部の左之助さんが許可すれば外に出てもいいって事になるんじゃ……)
私の混乱が表情から見て取れたのか、左之助さんが笑った。
「おまえって肝が据わってんのに、妙なところで躊躇うんだな」
……別に肝なんて据わってないんですが。
死にたくないから敢えてそういう風に見えるように振舞っているだけであって……。内心は常にビクビクしているんですけど。
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