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春のかたみ




文久三年、十二月。早朝。

昨晩よりも量を増した雪は京全体に雪化粧を施していった。雪雲が通り過ぎた後の空は穏やかに青く晴れ渡っている。

どさどさっという鈍い落下音が屋外から耳に届く。
深海の底をたゆたうようにまどろんでいた意識が徐々に浮上し、現実世界に引き戻される。どうやら知らない内に眠り込んでしまっていたようだ。

私は背を預けていた壁から体を離した。肩と床につけていた部分の骨が軋み、筋肉に痛みを感じる。体に無理のないよう、ゆっくりとした動作で立ち上がる。

丸窓の障子を開ければ、昨日よりもしっかりと積もった雪が陽光を反射していた。白い光が寝起きの目を灼く。

庭をぼんやりと眺めていて、井戸の前にだけ雪がこんもりと盛られていることに気付く。私を覚醒させた落下音の正体は恐らくはあれだ。

「ま、毎朝のように誰かに文句を言われながら起こされるよりかは、早く起きれて良かったかなー」

「ん、ぅ……」

背後でもぞもぞと身じろぎする気配。どうやら千鶴ちゃんが目を覚ましたらしい。

「っ!!――――っっ!」

一瞬で昨夜の出来事がフラッシュバックしたのか、目を覚ました彼女は声にならない悲鳴を上げた。後ろ手に縛り上げられているのにも関わらず、無理に体を起こそうとする。

「落ち着いて、無理に体を動かせばどこか痛めるかもしれない」

私は急いで彼女に近付き、無理に体を動かさないように落ち着かせる。
彼女の身体は一晩の間、身動きが取れないよう無理な姿勢で縛り上げられていた。縄を解かないままに身体に強い負荷をかければ、どこか筋でも痛めかねない。

意外にも私の制止に千鶴ちゃんは抵抗することもなく、大人しく言うことを聞いてくれた。

それが私の心配した声音を感じ取ってくれた故か、ただ恐怖心から動けなかっただけかは、わからなかったけれど。

「突然こんな目にあって混乱してるよね。でもごめんね、私じゃ貴女の縄を解いてあげられないんだ。私も、ここに軟禁されている身だから」

「……」

猿轡を噛まされている千鶴ちゃんは、当然返答することが出来ない。
彼女はただ私の顔をじっと見つめていた。私の言葉が信じられるかどうか悩んでいるようだった。

「もうすぐここへ貴女の話を聞くために人が呼びに来る。そうしたらきっと腕の縄以外は解いてもらえると思うよ」

「……」

彼女から返答がないのは変わらない。
私は誰か人が来る前に伝えておこうと思ったことを言ってしまうことにした。

大きな声では言えないことなので自然、声は小さくなる。

「……千鶴ちゃん。ここの人達は今、昨夜のことで貴女を始末してしまうかどうかを悩んでるの。皆、必要と在れば人を殺す事を厭わない。でもね、諦めないで。絶対に弱気にだけはなっちゃ駄目」

千鶴ちゃんは初対面のはずの私に名前を呼ばれたことに驚いた表情を見せる。
しかし次いでその耳に入った『始末』という言葉が彼女の体を恐怖で震わせた。

その様子がいたたまれなくて、私は彼女の頭をそっと撫でた。
千鶴ちゃんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

その気丈にも涙滴を零すまいとする様すらいじましく思える。

(ごめんね、千鶴ちゃん……)

私はそんな千鶴ちゃんの存在を利用して、自分を生かそうとしている。どうしようもない罪悪感が私の心を苛む。

数瞬の逡巡の後、私は一つの決意を胸に刻んだ。

これから先、彼女に身に危険が迫ることのないよう、私が全力で彼女を守ろう。

それが彼女の存在を理由に生き残る、私に出来る唯一の償いであり、自分の心を救う唯一の方法でもあった。

■ ■ ■

「目が覚めたかい?」

そう言って部屋に入ってきたのは六番組組長の井上さんだった。

私は内心、少しだけだけほっとした。
彼は新選組の中でも穏やかな性格をしているし、新選組の中でも貴重な相手に威圧感を感じさせない存在の内の一人だったからだ。

井上さんは千鶴ちゃんを気遣う言葉をかけながら、固く結ばれた縄を解いていく。口を覆っていた猿轡も外された。

「……あの、ここはどこですか。貴方達は一体……」

「ああ、失礼。私は井上源三郎。ここは新選組の屯所だ」

「新選組!?」

井上さんの返答に千鶴ちゃんが驚きの声を上げた。

巷に『人斬り集団』と悪名高い新選組。彼女が声を上げるのも無理はないんだろう。

「そんなに驚かなくていい。あぁ、でも後ろの彼女はここの人間じゃないね。そうだな……強いて言うなら君と一緒だよ」

千鶴ちゃんが驚きの表情でこちらを振り返った。何だか色々と言いたそうな顔をしている。

「……女性の方、だったんですね」

「え?うん。もしかして男に見えたかな?」

確かに私と同じく男装している千鶴ちゃんからしてみれば、もしかしたら大きな問題なのかもしれないが。
しかし他にももっと気にすべき点は一杯あると思うんだけれど。

「私は姓名,だよ。今は……うーん、保護観察処分中、って所かな」

私は苦笑しながら言う。

そこに申し訳なさそうに井上さんが言葉を挟んできた。

「悪いけど、君達二人の話を聞きたいって人達が待っているから。ちょっと、来てくれるかな」

 


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