春のかたみ
二
「そんなことより。彼女をこの場に呼んだのは、話を聞いてから結論を出すという総意からではなかったのですか」
斎藤さんの冷静な一言に、一同が水を打ったかのように一瞬言葉をなくす。
その様子に、土方さんと山南さんが呆れて溜息を漏らしていた。
「そ、そうだった!」
しまった!とでもいうような新八さんの言葉。部外者の私ですら思わず苦笑したくなった。
これで意外と政治とか学問にはちゃんと精通しているのだから、人というのはわからない。
「――おい」
感情のない声で、土方さんが私を呼んだ。
こちらに向けられたその紫瞳は、まるで路傍の石でも見ているかのようで。
私は今まで、これ程までに徹底的に無温の視線を浴びたことがない。
悪意を持って見られている訳では決してない。だからといって慈悲をかけるつもりなど毛頭ないことは、はっきりと感じられた。
私は居住まいを正して彼に向かう。
これから尋問が始まることはわかりきっていた。
■ ■ ■
「名は」
「姓名です」
「昨晩はどうしてあんな場所にいた」
「夕刻京の町に入ったものの、別段行く宛ても無かったので道を歩いていたら、浪人二人に絡まれただけですよ」
「……行く宛てがねぇだと?」
「ええ。ついでに言えば帰るところもありませんね。私、放浪者みたいなものですし」
「親類縁者は」
「この国にはいません」
「なら、これからどうするつもりだ」
「『これから』というのが皆さんが私を解放してくれることを前提とするならば、別に、何も。無一文によすが無しのこの身、この先どう生き延びるのかを考えなくてはいけませんね」
「……昨晩のことはどこまで覚えている」
「臓腑に良くないのであまり思い出したくないんですけどね。……目の前で血に狂った幽鬼、もう一つの【新撰組】隊士の首が飛ぶところまで、ですかね」
「「「「「「「「「!!!」」」」」」」」」
「今、なんつった……」
間を置かずに畳み掛けられてきた問いが途切れた。ここまでぽんぽんと続いていた問答だが、さすがに最後の言葉には皆一様に驚きを隠せなかったようだ。
私は決して口を滑らせた訳ではない。
狙って言ったのだから、ある程度は驚いてもらわなくては困る。
でも、……正直言って皆さんの殺気が痛いです。
背中に嫌な汗が浮かび始める。指先に力を込める。
けれど表情には、怖れも怯えも昇らせない。
これは私にとって初めての、生死を懸かけた一世一代の大勝負。
私には彼等にとって自身を利用価値のあるものだと認識させる必要がある。
それが出来ないということは、彼等に見放されることと同義。それは私が『殺される』ということだ。
「【新撰組】、と言ったつもりですが。シンニョウではなく手偏の方のね」
顔を上げる。前を向く。
生き残る為に、死地へ踏み込む。
「変若水という薬を口にし、血に狂う存在と成り果てた羅刹。彼等は日の下を歩めず、首を落とすか心臓を破壊されなければ死ぬことも出来ない」
紫色を反射させる瞳は、その奥に潜ませるものを読み取らせない。しかし鋭い視線は確実にこちらの真意を刔り出そうとしていた。
「……何者だ、あんた」
土方さんが鬼の形相で刀の柄に手をかけている。他の皆も同様の姿勢で私を睨み付ける。
昨夜と同じ、発狂しそうなまでの恐怖がすぐそこまで忍び寄る。
その感覚は私を追い立てるようにひたひたと足の先から浸蝕し、心臓へ向けて這い上ろうとしていた。
その感覚を必死に押さえつけ、私は気丈に振舞うことに注力を続ける。
「私は私です。私以外の何物にも属さない」
上眼瞼挙筋を。眼輪筋を。笑筋を。口角挙筋を。大頬骨筋を。
各種表情筋を連動させて笑みを作る。
日常を円滑化させる為に無意識に作っていた、「笑顔」という表情。今となってはどの筋肉を動かしていたのか。思い出すだけで精一杯だった。
「まあ有体に言ってしまえば天涯孤独なんで、心配しなくても間者とかじゃないから安心して下さいね。ただし、残念ながら皆様お探しの蘭方医と面識がある訳でははありません」
「なら、何故そこまで知っている」
厳しい声音で土方さんの詰問は続く。皆も同様に厳しい表情は崩さない。
何というか、この『妙なこと言ったら叩っ切る!』みたいな雰囲気のままで言うのは、正直不安が残る。
恐らくこのまま続ければ、血の気が多そうな新八さんとか沖田さんこと。
(絶っっっ対、切りかかってくるって!)
「おい、もったいぶってねえでさっさと吐け。理由如何じゃこの場で始末するぜ」
思ってるそばから新八さんが鯉口を切る。
(ちょっと!短気は損気だってば新八さん!)
早急に安全策を講じる必要性を感じた。
緊張感の高さを緩め、現実性を欠く状況下の説明が可能な空気を作らねば。
「なら、先に一つだけ約束してくれませんか?私が何を言っても、『信じられるかーっ!』ってだけでこの場で斬り捨てないって。皆さんが信じるか信じないは別にして、ね」
「それってさぁ。今から君が、僕達が『信じられるかー!』って、怒って斬りかかりたくなるようなことを言うつもりだってことだよね」
沖田さんが面白そうに口の端を歪めていた。
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