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春のかたみ

 
男達の身体から漂うアルコール臭。完全な酔っ払いだった。

「島原や祇園の芸妓にゃ見えねぇし?良いとこの嬢さんにしちゃ共も連れてねぇときた。これで怪しくねぇっつう方が無理があらぁなぁ?」

だったらどうした。それがお前達に何か関係あるとでもいうのか。

「……危急の用があったので外に出ていただけです。もう帰る所ですから放してくれませんか」

出来ることなら、なるべく荒立てずに事を収めたかった。早く立ち去るためにも苛立ちを抑え、淡泊な応対を返す。
しかし、それは徒となった。皮肉にも媚びを売らぬ態度が、男達の反感を買う形となる。

きっと歩き疲れていたのだろう。現況に混乱もしていた。

だからだ。相手が左脇に日本刀を提げていることに気付かなかったのは。

「ああん?随分と生意気な口の利き方だなぁ?折角こっちが気ぃ効かせて声かけてやったっつうのによぉ!」

ちゃきり。

男がわざとらしく鍔鳴りの音をさせ、私を脅す。

「……っ!」

私の顔に緊張が走る。気を良くした男は楽しそうに哄った。

「こんな時間にめかし込んで一人で夜歩きたぁ、よっぽど男を咥えこみたい阿婆擦れに違いねえさ!」

「――――っ!」

私は反射的に己の肩を掴んでいた手を叩き落としていた。
涙が滲みそうになるのを堪えて、男達を思いっきり睨み付ける。

好き好んでこんな時間にこんな姿で一人歩きしているわけじゃない。
私が今、一人でどれ程途方に暮れているかも知らないくせに。
こんな男達に痴女扱いされる覚えはない。

そんな思いが脳内を渦巻く。無関係な男達だと理解はしていても、感情を抑えることが出来なかった。

「っだぁ!?その目は!!」

逆切れした男達が抜刀する。月明かりに照らされた刀身が狂喜するように白い輝きを放った。

今が江戸時代であるのなら。侍に楯突いた市民は斬捨て御免が当たり前ということか。

浮遊感にも似た、臓腑が浮き上がるような不快感。

大声を上げて叫びたいのに、声帯が強張って言うことを聞かない。口を開けようとしているのか、食い縛ろうとしているのか。
身体が脳からの指令に反抗する。相反する複数の行動を同時に取ろうとしている為に、結果として身動きが取れなくなっていた。

瞼でさえ。――動かない。
目を閉じることも叶わないのか。

これが、『死の恐怖』。

「ぅげふぁっ」

私の思考が停止した瞬間、何故か突然男の腹に刀が生えていた。奇妙な声が嫌に耳についた。

ごぽりと音を立てて口腔から吐き出されたのは血液だった。
男の腹の中へと刀が戻っていく。口腔から血糊と形容しがたい音が断続的に洩れていた。そして操り人形の糸が切れたように、橋の上に崩折れる。

目の前に立っていた男が倒れたこと、そしてそれに気付いたもう一人が背後を振り返ったことで私の視界が開ける。

ようやく状況を一部理解した。

男の腹に刀が生えたのでもなければ、当然戻っていった訳でもない。

ただ、背後から刀で刺し貫かれただけ。
そして刀を抜かれ、支えを失ったから倒れたのだ。

――ならば男は、刀を抜かれなければそのまま立ち続けていたのだろうか?

そんなこと後に考え、腹を貫かれたまま放置された場合を想像して気持ち悪くなったのは、ここでは全くの余談だが。

開けた視界の先に映る、異様な光景。

明らかに老化によるものではなさそうな白髪に、兎が如き赤眼。残忍な狂喜に奮える、浅葱の羽織姿の男達が立っていた。

片手に握られた抜身の刀からはとろとろと赤い液体が滴り落ち、切っ先の下で小さな水溜りを作る。

助かった――などとは、どう間違えたところで到底思えない。

白髪の男たちの目は正気の沙汰ではなかった。裂けた様に笑う口許には隠しようも無い狂喜が溢れ、滴っている。

今の殺人は悪漢に絡まれた自分を助けるための行為ではない。

殺したくて殺したくて。殺したくて、堪らない。

そして今、その欲望を実行に移し得た愉悦に浸っている。

私にはそうとしか見えなかった。

そんな狂った殺意を感じ取ったのだろう。私に絡んできた男の片割れが踵を返して逃げ出した。後方へと脱兎の如く駆け出す。

それが狩りの始まりの合図となった。

逃げた獲物を反射的に追いかける野生の肉食動物のように、獲物を欲した男達が嬌声を上げながら追い詰めてゆく。

これは、一体なんの悪夢だろう。

私の横を駆け抜けて行った男達が空気の対流を産む。私の元へと運ばれてきた生臭い血臭。

何処かで嗅いだことのある臭いだと思った。

(――ああ、澱んだ潮の匂いだ)

脳内にまるで恐怖を感じている部分とは別の区画が存在するかのように、そんなことを考える。
それは頭の中ににもう一人自分が存在しているかのような感覚。

――気持ち悪い。

獲物を仕留めた男はゆらりと倒れた男に近づくと、その胴を刀で滅多刺しにし始めた。
幼子の嬌声を思わせる狂った笑い声が、刀が肉に刺さる音ともに私の耳に届く。

橋の緩やかな傾斜が男の血を赤い川へと変える。血河は私の足元を血溜りへと変え、さらに後方へと流れていった。

暫くして、どこか遠くで悲鳴と嬌声が上がった。

私は霞がかった頭で先程逃げた男も殺された事を理解した。

逃げなきゃ逃げきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。

脳内で鳴り響く強い警鐘。

早鐘のような鼓動が聴覚を支配していた。現実の音が遠退いた世界は、目の前の光景をまるで映像のような錯覚させる。

それでも私の足はよたよたと千鳥足を踏むばかり。一、二歩後ろへ退るのが精一杯だった。

 


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