春のかたみ
三
■ ■ ■
私に絡んできた男は今やただの肉塊と成り果てていた。
最早人の形はおろか、生物であった頃の原形の面影もない。辛うじてこびりつく赤色と淡黄から覗いた骨の白さが、かつて何らかの形態を成していたことを物語っていた。
その惨状を作り上げた白髪の男がゆっくりと顔を上げる。
血色の瞳と視線が合った。その向こう側には理性はおろか、知性の片鱗すら見えない。最早知能そのものが失われているのか。
男の顔には語りかけるような笑みが浮かぶ。
まるで『よくいい子で待っていたね』とでも言うように。
血と淡黄の脂肪でギトギトになった刀の切っ先をこちらに向く。男が一歩踏み出した時。
男から、首が消えた。
首の切断面から噴水のように血飛沫が上がる。
ごとん、と重い音がした。足元に視線を落とせば、白い頭が赤い川の上を血に塗れながらゴロゴロとこちらに転がってきていた。
頭を失ったことを漸く思い出したように、ゆっくりと傾いでいく躯。その向こうに一人の男が立っていた。
血飛沫に霞む姿は白髪の男達と同じ、浅葱の羽織。
終わらない恐怖についに私の精神が限界を迎えたか。それとも、あの狂った男達が戻ってきたのか。
私の意識は黒く塗り潰される。
気絶したのか。それとも、私も目の前の男のように首を撥ねられてしまったのだろうか。
ただ、痛みを感じることは無かった。
■ ■ ■
「あーあ、土方さん、この娘気ィ失っちまったぜ」
赤銅の髪に槍を携えた長身の男が、女を血溜まりに倒れぬように支えた。琥珀の瞳が案じるように注がれている。
声をかけられたのは、刀を一振りして血切りをする黒髪の男だった。
表情を変えずに土方は答える。
「……この状況で平然と立ってられたら、そっちの方が驚きだろうが」
赤髪の後方からまだ幼さの残る顔立ちをした青年がやってくる。赤髪が抱え直した女をまじまじと見ながら土方に質問を投げた。
「で。どーすんの、この娘。何か色々とばっちり見ちゃったんだろー?」
そして一同が敢えて口に出さず、心中に留めていた思いを言葉にしてしまう。
「でもさ、巻き込まれたっぽい女の子を殺しちゃうのって、何か後味悪いよなー」
「平助!」
赤髪の男が青年の名を呼んで嗜める。しかし内心は近いところに在るのか、その表情はどこか躊躇いを含んでいた。
「…………」
土方は答えない。眉間に皺を寄せ、無表情ながらどこか苦悶を滲ませる。
「おーいこっちの方は終わったぜー。後は監察方にでも任せてさっさと帰ろうぜ……って。どうしたんだ?」
逞しい体つきの男が凄惨な場にそぐわぬ明るい声を上げて合流した。
赤髪の男に抱えられた振袖姿の女を見咎めると、怪訝な表情を浮かべる。
「おいおい左之。どうしたんだこの女。一体全体どういう状況だよ」
「一々うるせぇんだよ新八。……どうやらあいつらが切り殺した浪士に襲われてたみてえだ」
「あ?じゃあこいつは『あいつら』を見ちまった、つうことじゃねえか」
新八が苦虫を噛み潰したような顔で左之助が抱える女を覗き込む。
「みたいだね。オレらが一歩遅けりゃ仏さんの仲間入りしてたんじゃないの?どう見ても巻き込まれただけだし、殺しちゃうのは可哀相だとは思うけどさぁ」
言葉の後に平助は『でも仕方が無い』といった色を漂わせた。
四人の間に短い沈黙が流れる。
ようやく固く口を閉ざしていた土方が決定を下した。
「――屯所まで連れて行け」
「「「土方さん!?」」」
それだけ言うと土方は踵を返し、もと来た道を戻って行ってしまった。
自分達の予想を覆す答えに、三人はその背中を呆然と見送ることしか出来ない。
気を失った振袖姿の女が目を覚ます気配はなかった。
現実から意識を逃避させ、左之助の腕にただその身を静かに預けていた。
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