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春のかたみ

 
文久三年、冬。
私は何故か京都にいる。

いや、京都にいること自体はそれ程不思議なことでもないだろう。では一体何が問題かといえば、それは「文久三年の京都」にいるということだ。

「何ていうか、もうどこから突っ込めばよいのやら……」

渇いた笑みを浮かべながら呟く。

恐らく季節は現代と変わりない。十一月頃なのだと思う。
夜半の為にかなり寒いが、身が切れるという程でもない。

体感温度を和らげている要因としては、着衣が挙げられるだろう。
今私が身に纏っているのは、重い上に動き難い振袖だった。

これだけは意地でも汚すまいと挙動に細心の注意を払う。
装具一式を合わせれば百万近い額はする品物達。たとえ非常事態であろうが、一度汚してしまえば取り返しが着かない。

……こういうケチ臭いところがつくづく庶民なんだなあと、自分自身に溜息を吐いた。

年明けに成人式を迎える私のために、わざわざ京都から反物を取り寄せて仕立てた振袖。半年以上待って、漸く近頃完成した。

その振袖に、今日初めて袖を通した。
仕立ての合わせのためではない。披露目として、完成した着物を身に纏う。

生地は黒を基調として、腰から上部へと向け濃紺に変わる。全体に闇夜に輝く星のように銀糸が織り込まれていた。
袖や裾からは青や紫の繊細な模様をまとった蝶が大胆に舞い、その軌跡には天の川のような流線。ぼんやりと浮かび上がり舞い散る藤花。黒と濃朱の帯にも金色の蝶がひっそりとたゆたっている。

自分で選んだ生地ではあるが、出来上がった振袖は溜息が出る程に美しい出来だった。


――はてさて。事の起こりは一体なんだったのだろう。

夕暮れ時。一日中慣れない上に重たい振袖を着ていたためか。私は居間で一人うたた寝をしていた。

帯が潰れてしまったら困るなぁ、などと考えていたところまでは覚えている。しかしふと気が付くと、朱紫に染まる京の都に一人立っていた。

往来で呆然と振袖姿で一人で突っ立っていたことで、奇異の視線を集めていることに気付く。私は逃げるようにしてその場を離れた。

当てどなく歩き続ける。

冬の足音が近付く寒さ。頬に当たる風がぴりぴりと痛い。にも関わらず、背に嫌な汗が伝う。

往来を歩くのは和装の者達だけ。
時代劇以外では見ることのなかった月代頭や日本髪。コンクリートで舗装されていない道、木造の町屋。

一瞬中学の修学旅行で行った映画村を思い出した。が、ここは明らかに違う。人が住み、息づく気配、活気がある。

映画村に流れていた空疎な空気。あそこにあるのは紛い物でしかない。
ここにはあの隠し切れない違和感を感じ取ることが出来なかった。

■ ■ ■

混乱したまま歩き続けるうちに、立て札が目に入った。そこに記されていた情報から今が文久三年であるらしいことと、ここが京都であることを知る。

知ったところで事態は全く好転しやしないが。寧ろ留めを刺された気分である。

私は自宅で転寝していたのではなかったか。

何故京都に。
というか何故に文久三年。
タイムスリップとかマジであるのかよ。

……と。そんなことを思考して、冒頭の呟きに戻るのである。

■ ■ ■

歩き始めてどれ程の時間が経っただろうか。
日はとっぷりと暮れ、寒空には煌々と月が昇り始めている。

当然人通りも疎ら、というより最早や無い。時折道の端をそそくさと歩く人を見かける程度だ。

足袋を履いてはいるが、私の足は下駄での長歩き慣れていない。

足にじくじくとした痛みと、重石のようにのしかかる疲労。痛覚という実感。
それらが、現状が夢であればというささやかな希望を打ち払っていく。夢オチという能性を否定されて心中を不安が覆う。

目的地がある訳ではなく。

(歩き続けたところで京都在住じゃない私には帰る家がないし)

頼る人もない。

(今が文久三年だというのなら、私の両親どころか祖父母ですら生まれてない訳か……)

私は苛立ちのままに心中で叫んだ。

(一体私にどうしろってゆーんだーーーっっっ!!)

■ ■ ■

既に月は中天に差し掛かっていた。私は鴨川らしき川に架かる橋を渡る。

(疲れたし、いっそのこと橋桁辺りで野宿でもするか……?)

対岸から二人連れの男が歩いて来ていたが、当然知り合いな訳も無いのでそのまま擦れ違う。

……筈だった。

「っ!?」

突如右肩に負荷がかかり、反動で体が反転する。目前に男が立っているのを視界に捉え、己が肩を掴まれている現況を理解した。

「おいおい、女がこんな刻限に一人でであるいてるたぁどういうこった?しかもこんな上等なモン着込んでよぉ。怪しいなぁ、怪しいよなぁ、おい?」

にたにたと纏わり付くような不快感を煽る笑みを貼り付け、男がもう一方へと問いかける。
問われた男も似たような顔付きで、品定めでもするような、舐めるような目付きで私を眺めていた。

 


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あきゅろす。
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