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春のかたみ

 
「実力差が有り過ぎるからね。僕は脇差でいいや」

いつも以上に深い笑みを湛えた総司君が脇差を抜いた。磨きげられた刀身には濡れたような輝きが宿っている。

私もこの日のために貸し与えられた日本刀を抜いた。
しかしそれは新撰組の武器庫にあった、ただの本差用の大刀。それでも私にとっては掌に食い込むように重く感じられた。

刀とは人を殺すためだけに鍛え上げられた道具。それを初めて人に向けるために握った。
呼吸を圧迫するような、妙な高揚感を感じる。あまり心地良い感覚ではない。

私はそれを中段に構えて総司君と向かい合った。深呼吸をして彼を正面に見据える。

殺すわけではない。だが、どうすれば彼を殺せるのかを考える。

『刀を握る』ということ。
それは命を奪い合う世界に足を踏み入れるということだ。

覚悟はしてきたつもりだ。それが今、試されようとしている。

この程度の勝負で躊躇うようなら、私はこの先も誰かに刀を振るうことなど出来ないだろう。

しかし、それでは望むものは手に入らない。

耳の奥で潮騒が鳴っている。
これはきっと身体の内に流れる血の海の音なのだろう。
澱んだ潮の香りを微かに感じた気がしたのは、あの冬の日の血の惨劇を思い出したから。

あの日、私の脳が拒絶した流血の世界。今日、私は一線を越えてその世界の住人になろうとしていた。

■ ■ ■

『手加減してあげるから、いつでもかかっておいで』

そんな軽い言葉で始まった真剣勝負。
意識的に呼吸を整えてから、私は総司君の間合いに踏み込んだ。

一合目は剣先で軽くいなされる。
二合目は避けられ、三合目は弾かれた。
四合目にして漸く切り結ぶが、三秒程睨み合った後、私は一度後ろに退いた。

元来力の有る方ではないし、男女の差も、体格差もある。鍔迫り合いになったところでこちらに勝ち目は無い。
間合いを取って再度踏み込むタイミングを探る。
しかし剣技において天才の名を欲しいまましているに彼には、自然に立っているだけのように見えて隙が無い。そんなところがいかにも総司君らしいと思う。

「ふうん。名ちゃん、思ってたより筋がいいんじゃない?これなら……遊べそうだね」

「っ!!」

こちらが逡巡している間に一瞬で間合いを詰められた。低い位置から私を見上げるようにしての、下段から鋭く切り上げる剣筋。
彼の瞳には鬼火のように妖しい幻光が宿っていた。

左首筋にちり、っと静電気のような嫌悪感が走る。全身の毛がぞわりと逆立った。

私はとっさに右後方へ飛ぶ。逃げ遅れた髪の一房が身代わりとなってぱらぱらと宙に散った。
これが本差であったなら、確実に首が落ちていただろう。

こちらに息つく暇も与えず、続けて総司君は切り上げを返す刀で、袈裟斬りを繰り出して来た。
それを左半身を退かせてギリギリで躱す。相手の太刀筋の後を追いかけるように、私は横薙ぎに切り込んだ。

本来ならまだ動作の途中で、回避行動には移れないはず。しかしその一撃も後方へ飛んで回避されてしまう。

その反射神経とそれを可能にしてしまえるだけの身体能力。実際に目の当たりにしたことで思い知らされる。
隔絶された位階の差。凡人には例え一生かかってたとしても辿り着くことの叶わぬ境地。彼等はそこに居る。

それでも着地時に完全に肩膝を曲げてしまったために、総司君はかなり低い姿勢になっていた。
その姿勢からでは一動作で次撃を放つことが出来ない。

私はそこへ上方からの突きを放つ……はずだった。

「ぅぐっ!」

鳩尾に衝撃。身体が後方に吹っ飛ぶ。後ろへ身体が倒れそうになるのを片足を大きく下げることで、何とか踏み止まった。

どうやら刀の柄で思いっ切り鳩尾を突かれたらしい。距離が開いたことで体は完全に互いの間合いから脱してしまっていた。

「……は、これだから左利き相手ってやりにくいんだよね。一君も意地が悪いなぁ、手っ取り早く実戦に出せるように教えたんでしょ、今の」

総司君が嗤う。返答する一君の溜息混じりの声には呆れが含まれていた。

「人聞きの悪いことを言うな、総司。今のは油断していたおまえが悪い」

私は敢えて左利きであることを矯正していない。故に相手からしてみれば、普段受けるものと太刀筋が逆になる。
それは右利きの相手をする私にとっても同じことだが、私は常に右利きの人間が相手。それが通常だ。
しかし相手にとっては違う。
『右差』の相手をしたことなど、普通ない。

特に相手の横薙ぎの動作の後を狙って放つ横薙ぎの一閃は、防御が難しいそうだ。
自分が放った剣筋の後をなぞるようにあびせられる同方向への一太刀。それは上手く嵌まれば今のように刀を返しての防御が難しくなる。
しかも半身が完全に相手から逸れて背を向けてしまうために、避けることも難しい。回避に成功しても直ぐに次手を打てず、隙が生まれやすい。

……これが私が一君から教わった戦術だった。

剣術の基本の型は平助君が師だったが、実戦については一君に教わることが多かった。
相手は実際に右利きの人間が大半だから、実技練習には付き合ってくれたのは平助君。けれど、戦術を叩き込んでくれたのは一君だった。

「さっすがオレの弟子だな名!総司相手にこれだけやれりゃあ、一般の隊士達とも互角にやり合えんじゃねぇの?」

平助君の言葉に、少しだけ嬉しくなる。


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あきゅろす。
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