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ふしぎな能面─3
局内で見かければ、目が合った。
数メートル向こうを歩んでいく鈴花がちょっと口を尖らせるしぐさをしても、悪戯っぽく眉を上げてゆく。
──今日も能面だと思われてるんだろうか。
平子がさりげなく思うこと。
あの日から少しだけ柔らかくなった気がする鈴花の接し方。
つい目で追ってしまえば、隣からの視線に気付いた。
どうしたのかと目を合わせれば、有馬は緩やかに見つめていた。
「食事にでも誘ったらどうだ」
「有馬さん?」
平子が驚いたのは含みを持った言い方をされたからだ。
「インジェクション討伐戦についてなら、明日にも打ち合わせをする予定ですが」
「視線が追うくらいなら対面して食事でもすればいい」
──確かに視線は追ってしまっていただろうか。
平子はただそう思うだけ。
何故かはわからない、ただ少し気になっただけだと。
その昼、食堂で鈴花を見かけたもので、声を掛けた。
「船津二等。よろしければご一緒に」
「平子二等も今からごはんなのね。別にいいけど」
そんな口ぶりでも、やはり大分柔らかくなった鈴花の表情。
平子は定食のトレーを鈴花の向かいに置き、座った。
「有馬君は? 外に出たの?」
「ええ、他の特等と食事に向かうと」
「ふーん」
鈴花はサバミソ定食をぱくぱくと食っていく。
──そういえば、有馬さんには最初から普通の対応どころか、ほんの少し──
ほのかな心をかもし出すような、この人は。
平子がたんたんと思いつつ、ポテトサラダを食った。
「何よおいしくないわけ。いつもよりぼーっと能面してるわよ」
はっとさせられても表情の変化の乏しい自分。
平子は思いつつも、「うまいです」と答えた。
「有馬さんに、船津二等を食事に誘ってみたらどうかと言われました」
鈴花がぴたりと箸を止めたが。──
「……もしかして、これがその食事って訳? 食堂で」
「いえ、改めて誘おうかと」
鈴花は味噌汁を飲もうとして、一度やめた。
「ふうん……有馬君も何でまた……」
「視線が追うくらいなら食事にでも誘ってみてはどうかと、そんな提案をされました」
鈴花がちらっと、どきりとした事に気づいたのか否か。
平子の顔つきは変わりなし。
「視線って何よ……私に興味でもあんの? それともまたスカートにご飯粒でもついてたとか?」
「いえ、今は味噌汁が零れてしまいそうになってますが」
「あっ! ぶなっ! もう!」
鈴花は味噌汁片手に平子に意識を奪われていたことに気付いた。
そして今、慌てて置き直した。
「はあ……っそれで何よ、視線が追うとかって」
「──今日も能面だと思われてるのか、少しは気を許してくれたのか、気になりました。近頃の船津二等の対応から」
「……っ別に、大して絡んでもいないじゃない」
「すれ違った時の僅かな表情からそう思いました」
「……っまあ、この間送ってもらった時から、ちょっとはね。敢えて優しくしたいとか思ってるわけじゃあないわよ」
「少しは気を許してもらえたんですね」
「……っもう、何よさっきから淡々と……っどっちでもよさそうな能面のクセに」
「表情はそうかもしれませんが、近しくなれたなら嬉しいと思っています。俺は。──」
「な……」
かぁあっと頬が染まるなんてらしくない、馬鹿みたい、相手は手に負え無そうな不思議なお面なのよ。──
鈴花が言い聞かせて、味噌汁をついにすすった。
「何なのよ、その気があるみたいな言い方しちゃって……」
「スカートに飯粒がついていたり、人間味のあるところに惹かれたのかもしれません」
「かもしれない!? 曖昧な言い方ね!」
「最初に印象に残ったのは、喰種討伐の際に、船津二等が返り血を浴びて佇んでる姿だった」
鈴花がふいに、見つめた。──
「そんなの、誰だって……戦ったなら」
「けれど、どこか現実味が無かったかと。映画でも観ている様な光景で──貴方は痛がりもしなかった」
「負傷して痛いと騒ぐより後始末するべきじゃないの」
「承知しています。ただ、その頃から気にはしていたんです自分は。実際の船津二等は人間味のある方でしたが」
「何ソレ、ギャップ萌え?」
「そう取ってもらっても構いません」
平子は食事を進めてゆく。
鈴花がちらちら見ていた。
「今度はごはん粒、つけないわよ。食事に行ってもね」
「じゃあ誘ってもいいですか」
──やっぱり苦手な、手に負え無そうな能面。
「意外とぐいぐい来るのね……まあ、いいわ、誘われても。今晩ね、それ以外は却下」
照れくさそうなそぶりだったけれど、
「生憎今晩は捜査があります」
びきっとこめかみを痙攣させた。
「用事のない時にすぐにってことなんだけど!」
「じゃあ却下されずに済んだ様なので、後日お誘いします。もしも今晩、遅くなってもいいのならそうしますが」
──こいつ。
鈴花が恨めしそうに見ていた、敵わないと感じて。
「わかったわよ! 今晩でいいわ、待ってるから──」
「了解です」
「全く、色気もそっけもない誘い方を……まあ、いいけどね」
「そうですか」
「そうよ! あーもう、早く食べちゃわないと、時間なくなっちゃう」
「慌てるとまた、」
「ご飯粒はつけません!」
ぱくぱく食べていく様を平子は見守るようにしていた。
”能面”に僅かに表れた表情に鈴花が一瞬、目を奪われた。


二十一時ほどだった。
案外早く方が付いて平子がほうっとしたなら有馬に報告書を提出して、待ち合わせしている店へと向かった。
──夕食に行くか?
有馬にそう訊かれ、
──いえ、船津二等が待っていますから。
そう答えたなら有馬が瞳を緩めた。
──船津は割りと行き急ぐ部分がある様に感じる。
そう言われ、平子が思い浮かべたのは、いつかのあの日、半身朱に塗れて喰種の屍の中に立っていた女の姿だった。
夕陽を浴びて佇む様に目を奪われたのは、映画の様だったからだろうか。
緋色の蜃気楼にゆらめく生き様の様な。──
──なのに、待っていてくれるとはありがたいものだな。
悪戯っぽく言っても、平子はすっと頷いた。
そして、とある店に到着すれば鈴花は既に一杯やっていた。
「あ、お疲れ。平子二等も呑む?」
「ええ、ひとつ。今来たばかりでしょうか、船津二等は」
ジャケットを掛けつつ、カウンター席にて隣に座った。
「そうよ、自宅で支度はしてたからね。さっきメールもらって家出たら、私の方が早めに着いちゃってさ。ハラ減ってたから、お先にゴメンね」
「いえ、お待たせしました」
平子の飲み物が登場し、鈴花がジョッキを合わせてきた。
「お疲れ、かんぱい」
「はい」
すっとジョッキを掲げて、すんなり呑む様を鈴花が見ていた。
「ふふ、酔っ払ってきたらテンション高くなったりして?」
「さほど変わらないかと──」
「ツマンネ!」
「すみません。──船津二等は何か食い物を頼みましたか」
「ううん、まだよ。あんたはどうする? カルパッチョとかおいしそうよね」
「好きに頼んでください。今晩は俺が誘ったので」
「あらそ? でもワリカンじゃないと遠慮しちゃうからそーして」
「じゃあ次回、お願いします。今晩限りにはしたくないので」
鈴花がビールをちょっと噴出しそうになった。
「……っなんか、どきっとするわね、そういう言い方──ごはんにお酒ってだけなのに」
「それ以外も期待していいんでしょうか」
今度こそ鈴花がむせそうになり、慌てていた。
「それ以外ってなによ!」
「送っていきます。この間は無理やりでしたが、今晩は進んで送られてくれるといいかと」
──こいつ。
鈴花が恨めしそうにしていた。
「もう、ビックリしたじゃないの……なんか、ヘンな想像しちゃったわ、あっ、おかわりください」
店員に頼んだ。
「変な想像、ですか」
「うるさいわね、それ以外、じゃなくって”それ以上”ってニュアンスで受け止めちゃったのよ、もう」
ぶつくさ言って、カルパッチョも頼んだ。
「それ以上、ですか」
「そうよ、変に意識して、男性として見ちゃったらどーすんの。はあ……っそれより、あんた焼き鳥だけでいいの?」
「では焼きおにぎりと、浅漬けと、”それ以上”でお願いします」
「か……」
鈴花が顔面を熱くして、思わず目を逸らした。
平子というと、何も支障ない様に店員に注文している。
むろん、おにぎりと浅漬けを。
「”それ以上”は船津二等に頼んでもいいんですか」
じっと見つめる顔つきは大胆不敵に変わらない。
鈴花がぐいっと、ビールを飲んだ。
「……っやっぱりふしぎなお面は私の手に負えないわ!」
「そんなに嫌ですか、俺は」
「なによぐいぐい来るわね! あんまり嫌だったら今晩だって来てないわよ!」
「ならよかったです。嫌われたくはないもので」
「……っ嫌いじゃあないわよ、あっ、カルパッチョもうきたっ」
そこからは飲み食いをして、捜査の話も交えながら。
「もうすぐね、インジェクション討伐戦──」
いいだけ飲み食いして、店を出てからだった。
鈴花が夜に呟いたのは。
「連中に囚われた人達は立ち直れるかしら」
「恐らくは──」
「やっと尻尾を掴んだものね、逃がさないわ」
「勿論です」
夜の町並を過ぎてやがて住宅街へ。
平子がいつかも送っていった、鈴花の部屋までの道程。
「有馬さんは船津二等のことを、行き急ぐきらいがあると言っていました」
「有馬君が?」
平子が頷いた。
「俺は──無事で居てくれればいいと思いました」
鈴花が首を傾げた。
平子が珍しく、そわっとしたそぶりを見せたからだ。
本当に、珍しく──。
「……大丈夫よ、全員で帰還するわ」
「じゃあその後、また食事に誘われてください」
「いいわよ? 今日もけっこう楽しかったしね──」
「”それ以上”はありませんでしたが」
鈴花がどきりとして思い出した。
食事だけではなく、それ以上。
変に意識したらどうしてくれると。──
「……っなによ、それ以上だなんて──私に気でもあるつもり」
「はい、そのつもりです」
今度こそ鈴花はどきりとして、呼吸は速まりそうで抑えようとする。
「……っこんな時まで、能面なのね」
「そうでもありません、緊張しています」
「っなのに言う事ははっきり言うのよね、あんたは──つい翻弄されるのに、嫌いじゃあないわ」
鈴花が、船津二等が──
こんなに優しげな視線をくれたことがあっただろうか。
平子の手は、鈴花の腕から引き寄せようとして、彼はかろうじて留めた。
「なによ、どうしたの?」
間近で、微笑む鈴花が見上げた。
「……いえ、つい、引き寄せてしまいそうになっただけです」
「それだけ? それ以上は?」
立ち止まってしまって、鈴花が爪先立つほどに見上げてくる。
挑発とはとても言えない、懇願する様に見えたのは己の願いか。
能面がはっきりと崩れそうになったのは、鈴花の唇が頬をかすめたからだ。
「嫌いじゃないわ、って──言ったでしょ」
鼓動は不自然なほど高鳴る、腕を回せばすぐにでも抱き締められる距離。
鈴花がすっと離れた。
「次回、楽しみにしてるわ。──食事と、それ以上」
「今は駄目ですか」
鈴花がどきりとさせられた。
「……っ鉄はまだあったまった程度なの!」
「じゃあ打てるくらい熱くなったらお願いします」
「もう、あんたってほんと、口説く時まで能面……」
「嫌いですか」
「うるさいわね! 嫌いじゃあないわよ!」
思わず小突けば、打ち解けた空気が星の下にあった。
共に繰り出す討伐戦は二日後であった。


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