[携帯モード] [URL送信]


この好機に──唐沢 大人ヒロイン
今晩誘ったのは、たまたま出先からの帰りの時間が合いそうだったから。
そして何より帰りしま、ふいに沈んだ瞳を垣間見たからだった。
夜も更けて、グラスの氷は時折からりと揺れる。
飲み干せば、鈴花もほろっと酔って来た様子。
それを唐沢が目にしていた。──
「やけに進みますね。何かありましたか──」
バーテンダーにおかわり、だの言っている鈴花がちらり、唐沢を目に、額を抱えた。
「ああ……唐沢さん、いつ気付いたんです?」
「気付いたから誘ったんですよ、何か鬱憤でもあったら晴らすのも一興だとね」
小粋な言い分に鈴花は参っていいのやら。
「その興を冷めさせるような愚痴が始まってしまうかも──」
苦笑していた、静かな店内の、カウンターの一角で。
「唐沢さんも聞きたくないだろうに。──やけ酒に付き合ってくれるのですか」
バーテンダーから酒を受け取った鈴花はやはり、酔いが回ってきている。
それもそうだ、最初の店では肴も出たものの、鈴花自身はあまり食べずに飲んでばかりいた。
そして二軒目の今。
唐沢は煙草の煙をくゆらせていた。
「晴らすのも一興だとさっきも言いましたよ。貴方の身体が酒についてこれない様であれば、止めさせてもらうかもしれないが」
「心配ご無用ですよ──ちょっとね、男にふられた程度で」
微笑みきれない哀しさがほのめいた。
「ふられたとは──その何方かも、船津さんを袖にするとはね」
鈴花が思わず唐沢を恨めしげに見やった。
「袖にされて惜しい女だと誰しもが思う女な訳が……っもし、そうだったら、ふられてなんか……っ」
そして、ぐっと酒を呷った。
「……っごめんなさい、唐沢さん、つい、荒げてしまって……今日の今日だったもので……ごめんなさい……」
けれど唐沢はからりとしたそぶりでバーテンダーにもう一つ飲み物を頼んだ。
「ああ、謝罪は結構。愚痴なら聞きますから、吐き出してしまえばいい」
そんな風に言われたら──
時折共に仕事をする人、同僚というよりは取引先。
一度、共に昼食をとった程度、今日は誘われて鈴花は半ば安堵の念もあり、誘いに乗った。
自分の立場やら何もかもどうあれ、唐沢という人は無粋な真似はしないという信頼があった。
だからこそ今、そんな風に言われてぷつりと切れた糸があった。
酔いも半分信頼半分、それに個人的な苦痛を被せて吐き出してしまっていいの──
どこかで自制しながらも、唐沢の目は受けてめて、さらりと流してくれそうな、そんな信頼感があった。
「年下の彼氏と喧嘩というか、年甲斐もなく──嫉妬を。ああ、元ですが今は」
嫉妬からの喧嘩でおじゃん。
フラれてしまってこの有様。
「年甲斐のある方が嫉妬するだろう、もしくは」
「確かに、さすれば年下の彼氏に比べて私は最もな嫉妬をふりかざしたのでしょう」
──大学のコンパとか何なの、何でその夜連絡が取れなかったのよ。
──やっぱり可愛げのある同年代の子の方がいいんでしょう。
──何よこのライン。見たくもないのに目に入っちゃったじゃないの。
──やっぱり私なんかよりその子の方がいいのね。
──どうせ、嫁にもらう気もないくせに。
様々な言葉を浴びせてしまったことを鈴花はぼつりぼつりと吐いてゆく。
──グラスはまた空いた。
「……っおかわりを」
マスターはグラスを受け取ったが、ちょっと心配顔。
唐沢は当然気付きながら、鈴花の愚痴を穏やかに聞きいれながら佇んでいた。
敢えて、案じる言葉はかけなかった。
男に関しては既にふられてしまったらしい。
酒に関しては、こんな時くらい身を浸したいこともあろうかと。──
そして、
「……すみません、呑んじゃってます……」
「いやいや構いませんよ。今晩は私が誘いましたから。最後まで付き合いますよ」
「面倒をお掛けするわけには……いえ、既に掛けていますね、愚痴を」
「いくらでも聞きますよ」
「唐沢さん、お優しい……聖人か」
「いえいえとてもそうはなれず」
そう、なれない。
実は好機が巡ってきたなど打算的な考えを持ってしまってはとても。
そして鈴花はどんどん酔ってゆく。
「……っ大体ねえ! 妬いてんじゃねーよ年上のくせにとかなんなんですかね……っおまえはしっかりしてるから、構わなくてもだいたい大丈夫だろうとかね……っコンパくれー許せってガキの飲み会じゃねーかよとかね……っじゃあなんで今度いつ? 的なライン入ってくんですか……ったまたまテーブルにあったスマホ光ってたまたま目に入っちゃっただけなのに、うわ、コイツ盗み見キモッとかなんなんですか……っ見たくもなかったんですよこっちはね……っなんでそこで年上なのに余裕ないね? とかっ自分を棚にあげあげで……っああ、適齢期だから焦ってんの? でもなあ、俺いますぐケコーンとか考えられないとか……っちょっとそーいうの重いんだよねとかなんなんだあ……っ誰がいつケコーンしたいとかチラつかせたってゆーんれすかあ……っ! あげくのはてに、ん、やっぱ重いわー年上なのに嫉妬とか重いわーそういうの求めて付き合ったわけじゃねーしぃいい? 別れよ? とかなんあんですか……っ」
マスターとカウンターの店員さんのお顔も少しづつぽかんとしてしまい、
この小さなバーカウンター、ゆったりとした空間、ゆったりと飲むお客様。──
当然、鈴花の訴えが耳に入ってしまう。
唐沢は知りつつ、止めはせず、ゆるりと聞いていた。
「バリバリ働いてる女はやっぱりなんでも一人でできそーだし、俺がいなくてもだいじょぶだよね? とかね……っ
どうせ忙しくってなかなか会えないでしょとかね……っ大人だって、少女だって、防衛に関わる女は三門市にいっぱい居るんですよ……っ
そうじゃなくたって、ほんとは誰かに頼りたくても何かできることないかって、あの日からがんばってる女だっていっぱい居るんですよ……っ
それを強くて可愛げないとかね……っ三門市の女を舐めんなー!!」
大概酔っている。
訴えの矛先はあちらへこちらへ、ついに叫ぶ有様。
唐沢はくすりと笑うのみだったが、店側としてはこのゆったりしたスペースを守りたいもので、お声を掛けようとしたが、
「え……?」
鈴花がきょろっとした。
二、三、沸いた拍手にだ。
幾人かのお客、それも主に女性のお客が酔っ払い演説に手を叩いたのだった。
「そうよね、三門市の女は皆強いわよ」
とか、
「そんな年下くん、こっちからふってやればよかったのよ」
とか、
「男って勝手に決め付けるよねー結婚したいくらい好きなのわかってるよ? とかさあ」
などなど。──
女性客からのお声に鈴花がちらっと照れて、ぺこりとしていた。
「申し訳ない……つい力んでしまって」
「発散できた様子で」
唐沢がそう声を掛けた。
鈴花が気恥ずかしそうに落ち着いたなら、零れたのは溜め息だ。──
「ふう……っすみません、勝手にすっきりしてしまい……」
「なら、付き合った甲斐もあるかと」
穏やかに酒を呑むのは隣で佇む人。
鈴花がつい、じっと見つめてしまった。
「唐沢さんは男性ですが、ドン引きしないんですか……? さっきみたいな愚痴を聞いて……」
「ああ、私は女性を軽視してはいないもので」
鈴花が目を細めた。
「そういえば、そんな方でした。むしろ、男とか女とか関係ないのかも」
「有能な人材ならば、という意味でしょう、それは。だが今晩はプライベートなもので、貴方が私の利益にならずともお誘いしてましたよ」
小さく──
どきりとしたのは気のせいなのか、それとも──
鈴花が明後日の方向を見やりつつ、酒を呷った。
「……っありがとうございます、発散させてくださって」
発散しても、傷ついた心は変わりない。
そこに残るのは痛みと、切ない気持ち。
「はあ……っ唐沢さんはこういうこと、ないのでしょうね。女性には困らなそうで」
「そうでもありませんよ。金や取引は正直でも女性はそうはいかない。交換条件を出して容易く手に入る筈もない」
鈴花が眉を上げた。
「……っ唐沢さんほどの男性なら交換条件なんか出さなくてもすぐ手に入れられそう。ぶっちゃけ有能なイケメンですよ……はぁっ、羨ましい……私が唐沢さんだったら、好きな人には自信満々で迫っちゃうかも、それが厭味にならないくらいの唐沢さんですし」
ふふっと笑って──ほわりと酔ってはいる。
その手に手を重ねられて、鈴花がはっとした。
「自信満々でこのまま朝寝してくれと迫っても許されるとでも?」
「唐沢、さ……あの」
「好きな人にはこうするんだろう? 船津さんが俺だったら」
強く握られている訳ではないのに、鈴花は身動きひとつ取れない。
「そ、そうですね……唐沢さんくらいの人が、ふられるなんて想像できなくって……あの」
この緋色の照明の中で、時折聞こえる声、音がどこか遠い。
「ではその想像通りにして頂きたいのですが」
呑み込まれて惹き付けられてしまいそうで、鈴花は──
「唐沢さん、からかって、いるのでは……」
その瞬間、きつく手を握られて、冗談ではないのだと鈴花が痛感した。
「……っ唐沢さんは、素敵な人ですけど、私、今日ふられたばっかりで……」
「じゃあ俺にとっては好機かと」
「唐沢さん……っ!?」
「船津さんが思うよりもずっと打算的で利己的ですよ俺は。ふられたばかりで傷心だと言うならば、今晩だけでもと言って慰めますし」
──ああ、付け入るとも言いますか、と。
「……っ今晩だけでもって……そんな」
するすると惹き付けられてしまいそうで、鈴花は自分の頬をはたきたいほど。
「今晩だけでは済まないように明日からもちゃんと迫りますよ。既成事実を餌にする気はないが、使えるものなら幾らでも使わせてもらう」
煙草の煙が揺らめき、消えてゆく。
「あの……今晩どうなるのです、ふられたばかりで傷心ですが……あの、唐沢さんがもしや、私なんぞに……」
唐沢はさらりと店主に会計を求めた。
「惹かれていたんですよ。本当は誰かに頼りたくとも何かできることはないかと、あの日から尽力している女性に」
「知ら、ずに……」
傷ついた心を引き寄せてしまう人に、鈴花は戸惑う。
「俺でよければどうぞ寄りかかってください。少しは頼りになれるかもしれない」
「唐沢さんなら、信頼できる方ですが……ええ!? もう、頭がこんがらがって……酔って……」
「酔っ払ってしまったのならお連れしますよ。もう会計も済ませましたし」
「あっ、いつのまに……っあの、唐沢さん……っ」
唐沢は席を立ってしまい、鈴花は続くしかない。
手は握られたままなのだ。
「唐沢さん……っごちそうさまでし……っあの、どこへ……っ」
「貴方を口説き落とせるところですよ。二人きりがいい」
鈴花は戸惑って、けれど手を引く温度に抗えない。
──まさか、唐沢さんと、そんな、まさか、今夜。
寄りかかってしまってもいいというの。──
「まだ浮かびますか、彼の顔が」
「えっ……」
その表情が物語っていた。
今は貴方のことで頭はいっぱいで、と。
「じゃあこのまま」
タクシーが停まり、二人は乗り込んだ。
唐沢が指示した通りにタクシーは進んでゆく。
手は握られたままに。
「……っ唐沢さん、私……いいんですか? 別れたその夜にもう別の人と……そんな女で」
「言っただろう、こちらにとっては好機だとね。今晩はただの慰めになったとしても引き続き努力しますよ、手に入れる為にね」
そんなに迫られたら、つい、寄りかかりたくなるじゃない。──
鈴花がきゅっと手を握り返したなら夜はまだ早い。
タクシーが停車したなら、驚いたけれど。
「……唐沢さん……? え? もしかして……」
そこには鈴花の肩にもたれて、こくりと眠ってしまったお人が居た。
「唐沢さん……寝ちゃったー!!?」


「唐沢さん……っしっかり……! なさって……」
こくりこくりと、どうにか足を引き摺りつつ、かろうじて鈴花にもたれつつ、うつらうつら。
急遽変更した行き先は鈴花の部屋。
そこに鈴花がどうにか、唐沢を引き込む形になった。
「……すまない、実は……酒には弱……」
「あっ! 目を覚ましました!? 待って、このまま、ベッドに……眠っちゃっていいですから……っ」
唐沢をどさりと寝せたなら鈴花は肩で息をして、水などを用意した。
多少目を覚ましたかの唐沢はまたすやりと眠ってしまう。
毛布を掛けてやり、鈴花は着替えにかかった。
「あ、胃薬とかも飲むかな……」
用意して、息をついた。──
「そうだ、ジャケットも掛けて……ネクタイも緩めてあげて……ええと、おかゆでも作っておこっかな……」
ぱたぱたと動けば、目に入ったのは”モトカレ”がいつか使った箸、洗面台にはハブラシ、奴の為にいつか買ってきたタオル。
「はぁ……っ」
溜め息をついて捨てたなら、少し虚しい。
もう会うこともない。──
「唐沢さん具合悪くないかな……」
様子を見に行けば、先程の虚しさがほわりと溶けた気がした。
「唐沢さんが実はお酒に弱かったなんて……」
あれだけどきどきさせられたというのに、口説き落とす前に眠ってしまった人。
「器用なだけじゃないのかな、唐沢さん」
すやすや眠る様を見ればくすりと微笑んだ。
唐沢が眠ってしまわなければきっと、身を任せてしまっていた。
今日ふられたばかりなのに──。
そう思えば自分は薄情だったのかと感じて鈴花は苦笑した。
「唐沢さんだったらいいと思ったのにな……」
けれど眠ってしまった人。
見守っているうちに鈴花はベッドのへりに突っ伏して眠ってしまった。


目覚めて唐沢は驚いて、自分の有様に一瞬で落胆して、そしてまた驚かせられた。
「あっ、おはようございます……っ朝食できてますよ、食べられますか唐沢さん」
「……っおはようございます。昨夜はご迷惑をお掛けした様で」
「ああ、洗面台あっちですよ、タオルも新しいの出しておきましたから」
「……面目ない」
唐沢は不思議にも思う。
鈴花が何故か、微笑ましく見るからだ。
「昨夜は呑みすぎた様だ。張り切って口説いてしまって」
「よかった、ちゃんと記憶あるんですね」
「タクシーに乗ってからの記憶が曖昧で──あげくの果てに何もせず眠ってしまうとは」
「私が襲えばよかったですか?」
唐沢がむせそうになった。
「船津さん、何を──」
「せっかくその気になったのに、眠ってしまったから」
ぽかんとさせられた。
「それは申し訳ない。今度は酒は控えます」
「今度ですか?」
「できればすぐにでも」
「じゃあ今晩ここで夕食をご一緒に」
にこりと笑った鈴花があたたまったおじやを差し出した。
「是非お邪魔しますよ。鉄は熱いうちにと言いますから」
「朝食もあたたかいうちにどうぞ。一晩一緒に過ごして決めましたから」
「朝食のメニューをですか」
「はい、それと……心変わりの早い自分に呆れましたが、それだけ唐沢さんに惹かれたのでいいかなと」
「じゃあ今晩は口説かなくとも展開が早くなりそうですね」
──ああ、このおじや懐かしい味がしますね、と一口。
「そうですね……唐沢さんの寝顔、ちょっと幼くて、可愛かったので」
──あ、その漬物実家から送られてきた赤かぶさんです、と一言。
「それが褒め言葉なら、喜んでもいいのかと──大の男が可愛いと言われても」
──料理上手なんですね、今晩の夕食も楽しみにさせて頂きたい、と、ゆるりと。
「褒め言葉ですよ、ぎゅーって抱きつきたくなりました」
「じゃあ眠ってしまって正解だったみたいですね。今晩は寝ない様にしますが」
鈴花がはにかんだなら、その夜はやっぱり眠らせてもらえなかったとか。


前へ次へ
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!