天童を振り切るように教室を出て、いつもの窓際に辿り着き、ちらっと窓を開けた。
ぼうっと眺めた。──
「元気ねーのなーんで?」
「……っついてきてたのかよ!」
びくりとしても、怒鳴ってしまっても、ヤツはどこかのんびりと隣に居る。──
この昼休み、いつものように。
「嫌われんのより避けられんのもっとイヤな〜俺」
ふいっと窓の向こうを見つめる、その横顔を鈴花が見つめていた。──
もの静かで、笑ってなどいない。天童覚というこいつはこんな顔もするのだと知った。
「鈴花ちゃんにたーった二日会えなくて我慢の限界っつったじゃん?」
「な……っ会いたくなんか、なんでそんな私に……っ」
──天童とどこかの女子が話しているのを見かけて──何か、傷ついていたように見えたんだよなあ。
──気のせいかもしれないけれど。
そんな獅音の言葉を信じてもいいのだとわかるほど、鈴花は切羽詰った顔をしていた。
ならもう、やっぱり我慢しなくていいみたいだと、天童は目じりを下げた。
行ってしまおうとした鈴花の手首をぱっと掴んだ。
振り払うことも出来ずに戸惑って、瞳が揺れる。なのに何かを求めるように見つめる。──から、我慢など。
「ッハイハーイ! サトリくん、限界突破でリミット技出していい!? いい!? イイっしょ!」
廊下ですれ違っていく誰かが元気よすぎだろ、とか思いつつゆく。──
「は、あ……?」
鈴花は片手を掴まれたまま、見上げるしかない。
「そ、そ、この技、両手繋がないと出せないってヤツ?」
そう、もう片方の手も今、繋がれた。──必然的に向き合った。
「……っ両手、って、」
でも逃げない、振り解かない、見上げるばかりだった。
「けど、繋いだだけでヤバッ! 心臓ヤバイ!」
「なっ……だ、だいじょうぶ、かよ……っバカ! 離せ……っおまえなんかどーせ私なんか……っ他の子と……っ」
「窓際のきれいな君しか目に入ってない俺を避けたりすんな」
その感情がダイレクトに胸を打つから、また見上げたなら瞳が潤みそうで、鈴花は息を呑んだ。
心に鍵をかけて柔らかいところを見せない、そんな虚勢や自衛、拒否や排斥、それらを模ることももうできない。
それもその筈だった。そんな鍵などこの窓際でブッ壊されていたのだから。
実は、自分で溶かしたのだと思い知るにはまだまだ先だ。──
「告られたけどお断りしましたよん、だーって俺、鈴花がいーんだよネ〜。どーしょーもなっ! これ、どーしょーもなっ!」
「……っわかったから、手、離せ……」
そう言うことが精一杯だなんて、それが口惜しいなんて、天童が微笑んだのは自分がこの包まれた両手をぎゅっとしてしまったからだなんて、気づくのも。
「ハイィイ! イヤデース!!」
とか言ってばっと離した天童に「何で離すの」と言いたくなった理由を思い知るのも、もうちょっと先だ。
天童はその長い両腕を広げ、まあヤツらしく勢いよく鈴花にブッ飛ばされる構えに入った。
なんということもない、ぎゅううと抱きしめようとしたというか、抱きしめたのである。
「あっ、ぁあ、な、なにし……っ」
腕の中で驚いている鈴花の耳がほんの少し赤い──。
と確認して腕を離すとは、獅音あたりに呆れられるかも、なんて思いつつ、嬉しいものだからそのまま天高くブチのめされた。──
「ァアアアーッ!!」
KOだ。
「っざけんな!! 次の休み時間また同じことすんなよ!」
スカートの裾が翻り、地べたというか廊下で満足中の天童は更に満足しそうになったが、惜しくもそこまでは見えなかった。
でも何より満足な言葉を頂けたもので、自分のヒロインに感謝してしまう。
「これがホントのケガの巧妙?」
「多分ちげえ!」
「アッ! 英太くん見守っててくれたんだ〜?」
「おう、ハッテンしすぎじゃねえの」
「わかる〜? 鈴花ってばいつも一生懸命リアクションしてくれっからやっぱカワイイ!」
「俺はやっぱりあの女子が少々気の毒だわ引き続きよ」
けれど天童はからりとした笑顔だった。
教室に入る手前の鈴花がちらりと振りかえって、目が合えばまんざらでもない風に口を尖らせていて、らしい照れ方だと。
──次の休み時間また同じことすんなよ!
ですって。──
つまり、次の休み時間も会う気満々なんですってあの子!!
なんて天童が喜んだり、また吹っ飛ばされたり、喜んだり、日々は変わらない。
二人が変わったとすれば、鈴花の笑顔が時折見えるようになったこと、そして、天童が吹っ飛ばされること自体少なくなったことだ。
学園生活で近頃の変化といえば。──
「鈴花ちゃんのクラスナニナニ?」
「あ? フツーにカフェとかやるっての。私は接客なんてムリだから何もかも裏方な」
「えーホールオネガイ! 指名すっから!」
「キャバじゃねえってのざけんな」
こんなさりげない会話をさりげなく出来ている近頃──。
穏やかさや安寧というものはありがたいものなのに、もっと求めるのが天童だ。目をつけられた女はたまったもんじゃない。──
「確かに鈴花ってば、嬢ってより、嬢を守ってやるチーフマネとかのが合ってるかもネ? 黒服とか〜!」
「まあな、だろうよ。黒服が似合うかどうかは別としてな」
「お、素直ちゃん!」
「うっせー! オメーみてーな輩からキャストを守るだ? 上等だ!」
「ギャーヘルスミー!!」
今日も窓際は忙しない一瞬がこぼれた。
「俺は鈴花嬢を指名しますよん。永久指名ってな〜」
「……っさみーこと言ってんじゃねーぞ!!」
「冷たいジト目ヤメてプリーズ!」
いつもならブッ飛ばされるシーンだったけれど、鈴花は近頃──ふん、とそっぽを向いても穏やかな横顔を見せるようになった。
天童が満足げに見つめると、たまに目を合わせ、可愛げなくまたそっぽを向く。
なのに照れている趣だとわかるから、天童はもっと欲しい。──
「俺ってば部活三昧で準備あんま手伝えねーから、当日けっこー活躍しなきゃなんだよネ〜」
「ん? ああ……文化祭の最中はさすがにスパルタバレー部も休みかよ?」
「でも、朝練と夕方からの練習はつーじょー通りッ!!」
「はは、祭りの最中は授業ねえってだけであんま変わらないけどいいんじゃね? おまえら全国区だもんな。キバれよ」
口ぶりはそんなでも、微笑みすら見れるようになって、天童は心浮かれる。──しみじみと。
「クァア……ッ鈴花ちゃんのおかげでスゲー必殺技出せそうな俺ッ!」
「必殺技だ?」
「キマッたら、ごほーびに鈴花ちゃんからのチューとか!」
「ざけ……っんなオラァアア!!」
今日もやはりKOされた。
「懲りないものだな」
「わ、若利君、通りすがってくれてヘルプミー……」
「助けなど必要なさそうに見えるが」
天童がにまっとして、勢いよく立ち上がった。
「ま、な〜多大に照れちゃう鈴花ちゃんの愛の鉄拳ですよん」
「鉄拳というほど強くも見えないが」
「っしょ?」
その笑みは幼い少年のようだったから、牛島は言った。
「懲りないのは天童ではなく、あの女子の方もか」
──どうでもよければ相手にすらしないだろう、と。
学園祭では賑わいの中、グラウンドですらライブやら、体育館ではコンテストやら、中庭にすら模擬店などが並んでいた。
「船津さんお疲れー今日の当番終わりね」
「あんがと、回ってくっから」
鈴花はクラスのカフェでの裏方の──パンケーキにトッピングするとかの仕事を終えて、さあ歩みだした。──
「そういや天童のやつ……なんかコンテストに出るから体育館こいとか言ってたな……もうちょっとしたらか……
ダチもまだ接客中だしどーすっかな……」
友人もバンドのライブがあるとかでそちらの準備にも余念がない。
「カフェやってますよろしくー」
「あーはい」
ビラをもらって立ち止まった一瞬があった。
「つか一人? 友達も居ないワケ? 暇っしょ。ウチのクラス寄っていってよ」
「あ?」
「うわ、こわ、せっかく声かけてやったのに……」
「悪いな、暇じゃねえわ」
その声にばっと振り向けばそこには見知っている男子が数人。──
「そうだね、これから天童見に行くんだろうし」
そう、瀬見と獅音だった。
特に獅音──”大平君”には、以前動揺しているツラを見られて心配されてしまったし──と、鈴花は恥ずかしい。
鈴花というと、未だに素直になりきれてないのか、動揺なんかしてない、なんて己に言い聞かせたり、天童と天童に告白したという女子の姿を思い出して──胸がざわついて、それをどうにか見せないように努めたり。
「あ、あいつがしつこく誘うから……っ」
「でも行くのだろう? その手に持っているパンフレットだが、コンテストのところにマーカーが引いてあるのが見えたのだが」
「ま、まあな……つか、牛島君に大平君に、瀬見君だったか……? 三人も行くのか?」
そう、牛島も居たのだ。
「天童が張り切って誘うしな、しかたねえからアイツの雄叫び聴いてやっか」
「そんなに叫ぶものなのか」
「マイクは使うんじゃないかな」
あっという間に背の高い男子三名どころかあの牛島とも共にしている鈴花に無粋な客引きの彼も引きつつ、そそくさと行ってしまった。
が、三人はまるで意に介さない。
「鈴花だったか? 早めに行っていい場所取ってやろうぜ、天童うるせーしよ」
「最前列というやつか」
一緒に、いつの間に──。
瞬く間の流れに鈴花が遠慮がちに言った。
「あの……」
三人が振り返った。
「悪いな、一緒にとか……邪魔してよ」
「邪魔ではないが?」
「つうか俺らとだったら天童も喚かねーだろ」
「でも、どっちにしろ嫉妬しそうだね」
「嫉妬される要因などないが?」
「わかってても”鈴花ちゃん”だろ天童のヤツ」
そう、解っているように、にこやかで──。
仲間か、と鈴花の心で言葉になった。
「あ、あのよ……」
ん? と、三人が鈴花に目を向けた。
「サンキュ、さっきも……せっかくこれから、天童見に行くってのに、ちょい、キレそうで……あの、ありがとう……」
主に瀬見が目を真ん丸くした。
獅音は微笑ましいばかりだ。──
「やっぱり天童が嫉妬するかもなあ」
「いや、その必要はないだろう。天童を見たいと言うのなら」
「鈴花がデレたって天童に自慢してやっか」
「ちょ、瀬見くん!?」
「つうか友達とかどーしたよ?」
「あっ……コンテストの後、ライブだって……」
「バンドか……! っし! そっちも見てくか!」
鈴花は思う、これが天童の仲間なんだと。
いいやつばかりだと。