週末の練習試合では、やはり近隣の住人やOBなどの応援も多い。
学業は休みなれど、誰かをお目当てに私服で来る女子なども居た。
見慣れた光景の中、ふいに亮介の目に飛び込んできたのは鈴花だった。
「がんばれー!! うわ〜!!」
全身で飛び跳ねる勢い、いっぱいの笑顔。
やっぱりこういうところだよね、なんて思って亮介は軽く笑みを返した。
「ん?」
ふと首を傾げたのは、鈴花がしゃがみこみ、応援をする人波で見えなかった足元から何かすくいあげた様に見えたからだ。
そしてすぐに疑問は解消した。
「がんばれー!! 妹も応援にきたよー!!」
そんな声が聞こえて、哲さんなども振り返った。
「あの女子の妹か。随分年が離れているようだな」
「五歳だってさ」
軽くグローブかざしてさあ、試合だ。──
ゲーム中では沢村のよく通る声に鈴花が盛り上がったり、代打の春市を目に飛び跳ねたり。──
詳しくはないとわからぬ野球のなりゆきを解説するかの如く喋っている応援の方々の話に頷いていたり。
「ずっと抱えてて大変そうだし、こっちで観戦しな」
「大丈夫です! でもありがとうございます!」
「でも……子供、じゃないよね……」
「妹ですよ」
誰かの気遣いに有難く笑顔を返したり。
「小湊くん! いけー!!」
「お、亮介の応援か」
「みんなを応援してますよ!」
観戦している年上の方々と話したり。──
けれど、と鈴花は思う。
小湊くんが居なければ、こうして休日に練習試合を応援に来ることもなかったのだろうと。──
そう思えば余計、グラウンドに居る彼は眩しく見えた。
試合が終わったなら、観戦していた方々はぞろぞろと帰ってゆく。
鈴花が見渡せば投手陣など特にクールダウンに励んでいる様子だった。──
「あっ……亮介くんー!」
ミーティング後、亮介が近づいて鈴花がいつものように手をぶんぶん振り回した──。
亮介はふいに──伊佐敷に軽く小突かれたことも自分で気づかないほどで、伊佐敷が驚いていた。
──亮介くん、と呼ばれたのは初めてだった。
──こんなにも鼓動が高鳴るなんて信じられないほどだった。
鈴花とその妹に帽子を脱いで近づいたけれど時間などない。
「妹来てくれたんだね」
「うん! 今日は初めてのバス体験をして、来たんだよねー」
鈴花の様子はまっぴら変わりない。
けれど亮介は胸中がどうともできない甘い息苦しさ覚えて、それはゲーム後の息切れとはまた別のもの。
──亮介でもいいのに、そしたら鈴花って呼べる?
そう思えば手を伸ばしたくなる。
「ん? どしたの? こみなとおにーちゃんかっこよくて緊張してるの?」
「んう……」
鈴花の妹が鈴花の足にぴたり、しがみついて亮介から目を逸らしたのだ。
さっきまでははしゃいで見てたのに──。
「近くで見たらきんちょうしちゃった?」
鈴花と亮介が幼さを窺った。
「ん、嫌われたのかな、いきなり」
「そんな……っ」
「こ、こわいよう」
「ええー!? 」
「ちかくでみたら、いじわるしてくるあいつにそっくりなんだもん!」
「似てるだけで違うひとだよ! みためできめちゃだめなんだよ?」
姉に言い聞かせられても幼さは口を尖らせ、姉の足にしがみつく。
亮介がふいに屈んで──鈴花の妹に目線を合わせた。
「はじめまして。こみなとりょうすけだよ」
返事はすぐには無くて、鈴花が促した。
「ほら、ごあいさつ!」
「ごさい……」
「歳じゃなくって!」
「は、はじめまして……」
けれど亮介の笑顔から顔をそむけてしまう。
「ごめんね小湊くんー!」
「その意地悪してくるやつ。そいつ、そんなにいじわるなの?」
「なんか、妹のおもちゃいちいち取ったり、からかったりするんだってさ、いっつも……」
亮介は「そっか」とくすり。
さっきの”亮介くん”はやっぱりたまたまだったのかな、と思えば頬をかきたい。
そして鈴花の妹ににこり。
「俺も鈴花ねえさんのこと好きだけど、そんなに”いぢわる”はしないかなあ」
そこで鈴花の妹がぴくりと反応した。
亮介の言葉にちょっと安堵して、何より、意地悪そうだと思ってしまった笑顔がゆったりこちらを見守っていて──
「小湊くんは優しいよ……私には。妹にも!」
──そんなお姉ちゃんのまっさらな声にも引っ張り上げられた。幼さながらに。
「おねーちゃんのことすきなの……?」
「うん、すきだよ」
「じゃあ、こみなとおにーちゃんのことすき!」
「ありがと」
亮介は朗らか過ぎて、楽しい。
幼さだけではなく、どこか単純とも言える明るさが姉そっくりで──。
「あ、そろそろ……小湊くん、練習再開! だね!」
「うん、じゃあね」
「ほら、ごあさつは?」
「おにーちゃんばいばーい」
どうやら怖がられて終らずによかったね、と亮介は納得して、姉妹に笑みを返した。
そういえば、少し裁縫の甘い──なんて言ったら申し訳ないけれど、姉手作りの”おようふく”。それを着ている妹の姿は一度、写真で見たことがあった。
今日も着ていたから、
「あ、そうだその服、似合ってるよ」
と言ったなら、姉妹揃っての飛び跳ねる笑顔が返ってきた。
吹き抜けの小さなスペースには自販機やテーブルがあり、そこで昼食をとっている生徒も多い。
今は昼休みの残り僅か、二人は壁に背を預けて立っていたけれど。──
「よかったああ……! もし妹が勝手に小湊くんのこと嫌ったらどうしようかと……」
「俺はちょっと泣きそうだったけどね」
「ごめんー!!」
「うそ。泣きはしないけど、ショックだったね」
昨日の顛末を話しつつ、くすりと笑いながら、そう言っていた。
わざわざ意を決して誘うこともない。
ちょっと時間いい? だなんて誘えば快く頷く、頷かれると互いに解る。
けれどその一瞬でお互いの気持ちを確認できる気がして、心は躍る。
こうして二人で居れば余計にだ。
「ごめんね……っ」
「でも、好きって言ってもらえたし」
姉を好きな人ならいいひとだ、と変換したらしき可愛らしさに感謝して、亮介がくすりと笑った。
「でも、ハラハラしたよー。あの意地悪っこに小湊くんがちょっと似てるからってさ!」
二人でと言っても、ジュースやデザート片手にダベっている誰かもこのスペースにはそこそこに居る。
けれど、軽やかなざわめきがある空間に、鈴花と亮介は二人きり。
「でも可愛いじゃん。その意地悪男児もきっと好きなんだろ、妹のこと」
「たぶんね……公園でも、もう絡むのなんの……」
「じゃあ、やっぱりその意地悪男児、俺に似てるかもね。俺はそんな意地悪じゃあないけど」
「……っちょくちょく意地悪な時あるじゃん! でも……優しいんだよね、すっごく、小湊くんは……」
猪突猛進笑顔がこうして趣を表すようになってどれくらい経つ?
亮介はふと思い、実はそんな日日はたってないかな、と思う。
けれど何ヶ月もこうしていると錯覚するほど鈴花との時間を濃く感じるし、本当は引き寄せてしまいたから、長年片恋している錯覚に陥る。
「じゃあ、優しい俺にお礼させないとね。──部屋着のお礼。しつこいけど、考えた?」
「ううん……ほんと、もらってくれただけで、気に入ってくれただけで嬉しかったんだよー。それに、一日少しでもこんな時間あるだけで十分嬉しいから」
──自惚れさせるなあ、って言ったらどんなリアクションするんだろ。
なんて亮介は心中言ちて、満足感を覚えた。
なのに、手に入れたい人は隣に居る。
今は居るだけだ、それでいいのかと思えば心の天秤は揺れる。
「こっちばっかり何かもらってんだけど──。部屋着もそうだし、いつか会いたいと思ってた妹にも会えたしね。──一日五分でも、一緒に居てくれてるし。
それに更に、俺はまだお願いがあるっていう。厚かましいね」
「え? 何?」
──何その心の底から興味津々な顔。
なんて思えば亮介はやっぱり心躍って、少し苦笑したいのは、自分の天秤の方が重いとわかるからだ。
「貰った部屋着のボタン、取れそうなんだよね。自分でやってもいいんだけど」
「そんなのいくらでもやるよー! やるやる! 持ってきてくれれば!」
「実はもう用意してるよ、教室に持ってきてるから」
「おっけー!」
「それと、もっと図々しいお願いがあってさ。──こっから先は俺の独り言だと思ってくれてもいいけど」
「え!? 聞くよ!? 思わないよ!?」
単純明快にまっすぐ見つめてくる──こられると、亮介は思う。
心奥を多大に表すことのない自分と真逆の人に惹かれた自分は、意外にも実はぶつかってこられる事が好きなのかもしれないと。
受け止める心地よさのようなものを感じていた。
なのに、実質はこちらが手を伸ばして引き寄せたいのだから恋というものはどうにもならない、と。
「気持ちはあっても、部活優先だから──船津さんに構えないから、付き合ってくれなんて言いたいのになかなか言えない。なのに、他のヤツとどうにかなってほしくない。すごいよね、自分本位で」
「小湊く……」
その声に、目を合わせた。
「それと、まだあるんだよね。欲しがりで悪いけど」
「……っそんな」
「昨日みたいに亮介って呼んでくれたらいいね」
鈴花がはっとして──練習試合の後、”亮介くん”と声を掛けたことを思い出した。
「あっ……あれは、OBの人とかが亮介って呼んでたからつい……っ出ちゃったんだよね……」
「あーやっぱり?」
ちょっと残念なのに予想があたった方が嬉しいなんて、亮介は自分でちょっとおかしい。
「亮介、くんて、ってまだ、呼べない、かな……あーどきどきする!」
「そんなに?」
「ん……他のやつと……どうにかなって欲しくないなんて、小湊くん、ずるいよ」
「そんなに?」
「そんなこと言われたら、また好きになっちゃうから。──」
亮介の笑みが消えた。
吹き抜けの小さなこのスペース──入り込んでくる日差しがやけに眩しい。
「けっこう、抑えてるんだ。──ちゃんと好きって、認めたらいけないって。放課後デートしてる誰かを羨むようになりたくないの。こっちだけ向いてよねとか言いそうで怖いよ」
鈴花は意を決してそう言ったのに。
「……っそうなんだ?」
「なんで笑って!?」
そう、亮介はふふっと笑う。
「ちなみに何で怖いワケ」
「ええ!? だって、たまには部活ばっかじゃなくて相手してよ! とかぶちまけちゃったら、なんて不安が……っうざがられたくないじゃん!」
「……っそれだけ?」
「そうだけど……何がおかしいの!?」
鈴花の顔はもはや真っ赤だ。
「だって、それって、相当俺のこと好きってことじゃん」
真っ赤だ。──
「放課後デートしてる誰かを羨ましがるとか何それ? そんなの思うヒマあったら練習でも試合でも見にくれば? 納得させるしね」
「うん、……そうだね、そう言われれば……納得しちゃう。小湊くん、野球好きなこと、見てればわかるよ……かっこいいし……」
「相手してってぶちまけるとか、大歓迎なんだけど」
そう、実は意外にもぶつかってこられる事が好きなのかもしれないと思ったように。
受け止める心地よさのようなものを感じているように。
──それはおまえだからなんだと、もっと解らせたい。
「そんなことくらいでウザいなら手作りの服なんか二日に一回は着ないって」
「ずっと、そ、そんなにリピして……」
「最近名物がられてるね、寮で」
嬉しい──と思うばかりの自分はどうしたい?
自問自答したい鈴花に穏やかな笑みが見えた。
「ってワケでボタンもちょっと緩んできたんだよね」
「ん、直すよ。もとはといえば、私の裁縫が甘かったからだし……」
「それも大歓迎だね、ちょくちょく直してもらえるっていう」
本当に小気味よくて、やっぱり──。
「小湊くんはやっぱ、優しいよ」
「そ? そういえばそれ、ホント意外なんだよね。船津さんにだからかなあ」
「もしも本当にもっとこっち向いて、相手して、デートもして、ってぶちまけても、今みたいに納得させてくれそっていうか……受け止めてくれそうで……っ好きだよ」
揺らぐ天秤が平衡を保った。
けれど恋しているからやっぱり簡単なことで揺らぐ。
揺らいでも「落ち着きなよ、大丈夫だから」って言ってくれる安心感がここにある。
そう、まだまだ安心感。
「優しいだってさ、ほんと、言われたことない。──俺はもらってばっかりだね」
「そんなことないよ……っ」
「ほんと、もらってばっかりだ。好きだって言ってもらったし、部屋着のお礼だって何かしたいのにさ」
「その気持ちだけでほんとに……」
「じゃあお礼、選んでいいい?」
「えっ……」
「嫌だったらいいけど」
「イヤじゃないよ……! けど何も……」
「はい、嫌じゃない。それでいい?」
「うん……」
さあ、教室に行かなくては──。
──楽しみにしててよ。
鈴花が笑顔を返した。