翌朝の教室で早速鈴花に声を掛けたのは伊佐敷だった。
「よお船津、見てみろこれ!」
「純、早速だなあ」
亮介も隣に居て。
「えっ……? あっ! 私が作った部屋着!」
そう、それを着ている亮介の画像を見せられたのだ。
「小湊くん、似合ってる……嬉しいな」
「ありがと」
「コイツ昨夜早速着て歩いて自慢してやがったからな!」
「そ、そうなんだ……?」
「純、そういうの言わない」
「いいだろが! デキてんだろがとっくに!」
「付き合ってはいないね」
「う、ん……」
「まどろっこしーんだよ! あーちくしょう! 手作りかよ!」
「うん……喜んで欲しくて」
「付き合っちまえ!」
純さんはじゃあな、と言い残してちょっと悔しげに席へ向かった。
気遣ったのだろうとわかっている亮介がくすりとした。
「そうそう。サイズぴったりだったんだけど」
「写真見た感じもそうだね……! あ、でも余裕持って作ったよ。だって部屋着だし……っ」
「俺に触ったこともないのに、随分ぴったりだったね」
「な、ならよかった……」
照れてる? なんて聞きたい、亮介は──。今、身体を少し鈴花に傾けた。
「”触ったこともないのに”って、もっかい言ってもいい?」
甘い爪あとを残された鈴花が弾かれたように反応した。
「……っ言ってるしもう!」
「だってなんか照れてておもしろいじゃん」
「ええー!?」
「嘘、かわいいし」
他の誰にも聞こえない程度にこそりと──。
けれど他の誰が見てもどきりとするほど耳元に。
「小湊くん、何、言っ……」
「あーあ、きざな言い方して照れてんの結局こっちなんだけど」
笑顔のようでまた違う。
そんな横顔を鈴花が見つめていた。──
手が届きそうで触れない。
心は行き届いても互いを思う心は重みが違う、執着が違う、言葉の約束なんてない。
亮介は少なからずそう思っていたし、されど何があろうとあの笑顔が裏切ることはないと確信していた。
例え、自分の隣に居なくてもだ。
「いい加減何かお礼しないとなあ。──何がいい?」
「照れてる小湊くん見れただけで満足。──」
鈴花が小気味よく笑ったのは屋外の渡り廊下だった。
授業と授業の合間、そこでダベったりしている生徒も多い。
「そういう事言うんだ?」
「だってそう思ったし……かわいいって言ってくれたし」
また照れた笑顔はぱあっと明るくなった。
「伊佐敷君が言ってたよね、自慢したとかすごく嬉しい! あ、でも小湊くんはこれみよがしにするタイプじゃないよね! だから余計嬉しいっていうか……がん
ばってよかったー。あっ! 春市くんと色違いペアとかいいかも……!」
「普段から殆どお揃いなのに? 制服もユニフォームも」
「あっ!」
「部屋着まで揃いとか個性なさすぎ」
「そっかー」
亮介はふうっと息をついた。せっかくの二人の時間なんだけど一応、と。
「まさか本気で春市に作ってやる気じゃないよな」
「そ、そりゃ友達ってワケでもないのにいきなり手作りとか渡せないかー。でもリクエストがあれば……! 春市君かわいいし!」
「本当に作っちゃいそうだからイラッとするんだよね。俺は船津さんと違って心狭いのかも。あいつだったらいい筈なのに」
優越感はさすがにないけど──春市のほのかな憧れを思えば。
機微を感じ取り、鈴花がじっと見つめていた。
「いい兄貴とかわいい弟だもんね」
「そっちだっていい姉貴とかわいい妹だろ。俺は妹には会ったことないけど」
「そのうちどっかでお目見えしたりして」
「その時は何て紹介するわけ。友達?」
「──それ以上に特別って言ったとおり、そのまま……特別な人だよって」
なのに恋をしているという言葉はくれない、だから重みは違う、執着が違うと亮介は思う。
片恋とはまた違うアンバランスさが歯がゆくて、こんな時天秤をひっくり返したくなる。
なのに、
「ねえ、友達以上の特別なやつって俺以外に居る?」
「いないよ」
その即答と笑顔に今は満足してしまう。
どちらにしろ鈴花が部屋着を作ってくれた男は俺だけだし、なんて思って口元を緩めた。
「あ、それから部屋着さ、純に言われたんだよね。随分シャレてんなって」
「マジで! 純くんって伊佐敷君だよね!? う、嬉しい……! あーそうだ! 私の妹がお洋服着てる姿も見て見て! 私の手作りの一品を着てる姿を〜!」
「出た、妹自慢」
「遠慮なく自慢したい! この画像見て見て!」
「自慢される方の身にもなってみなよ──っていつか、言った気がするなあ」
「そうだね」
──自慢はしないけどね、船津さんみたいに。
──あはは私はするよしちゃう〜。
──される方の身にもなってみなよ。
──く……! 小湊くん意外と意地悪な!
──意外とって言われるのが意外だね。
──だって私には優しいじゃん。
いつかのそんな件を二人、思い出した。
「あの時優しいって言われて驚いたよ。コイツ何見てんだって──思った。普段言われないしね。ま、理由は妹自慢とかゆっくり聞いてくれるしってことだったけど」
「……っそうだね」
渡り廊下に居た誰かが風でスカートが、と一瞬騒いで、笑っていた。
鈴花の髪がひゅるりとなびいている様を、亮介が見ていた。
「今は自慢されたいって自分から思える。知りたいからね、船津さんのこともっとさ」
亮介がふいに気づいた鈴花のまじまじとした視線。
「……じっと見すぎじゃん」
「最近わかってきたことが一つあって」
「何だろ」
「小湊くんが顔には出さずに実は照れてる瞬間!」
笑顔が小憎くて、亮介が思わず、鈴花を教室に促した。
どちらにしろもう授業だから。──
鈴花が黙り込んだ亮介の横顔を窺っていた。
「小湊くん……っあの、嫌だった?」
鈴花がそう言った瞬間だった。
腕から引き寄せられて、肩がぶつかりそうになった。
「小湊く……っ」
「今は妹自慢させない。──されてもごめん、頭入んないから」
引き寄せても痛くしない。
痛くないのに彼らしくないほどに不器用な引き寄せ方だから余計に、鈴花は胸底を捕らえられて放してはもらえない。
「……ん」
小さく頷くことが精一杯で、思うままに彼の手をきゅっとした。
その瞬間に強引なほど掴まれて、この手ひとつで心まで鷲づかみにされた感覚に陥った。
予鈴が鳴る、彼は顔を見てくれない、けれど微かに視線を流して、たまらないように唇を小さくきゅっとする。
そんな照れたそぶりを目にしたなら恋の天秤は鈴花側にも傾いて、教室間際まで手を離さなかった。
寮で自主練を終えたなら着替えたのは最近よく着ているこの部屋着。
「まーた船津の手作り服かよ」
「気に入ってるからね」
亮介のすんなりした様に伊佐敷は思わず「けっ」と零した。
「洗濯して乾いたらすぐ着てんじゃねーのか」
「そういう事だね、畳むヒマないよ」
伊佐敷はじっと見つめた。──
羨みたいけれどそれよりこの亮介が女に対して割りとあからさまなところもあると最近気づき始めて。
「つうか惚れちまうもんだよな」
──野球のことばかりなのに。
「どーにもなんねぇか?」
──お前でもそーいうことあんだな。
伊佐敷のちょっとにっとした顔に亮介はやんわりと返した。
そんな不思議? と。──
「フシギっつーかぶっちゃけよっぽど船津に惚れてんだと思ってよ。そーじゃなきゃ二日に一回は同じ服着っか!」
「いいんだよ。洗いすぎてボタンでも取れたらまた船津さんにつけてもらうしね」
「オイ、まだ船津さんって呼んでんのかよ……俺ですら船津だぞ!」
「キャラだよね」
「笑ってんじゃねー笑い事じゃねーシャレた部屋着羨ましいじゃねーか!」
「ありがと」
なんか純、気にしてくれてるなあ、けっこう、なんて亮介は余裕そうに見えて、瞼の裏にはあの明け透けな笑顔を浮かべていた。──
ゆるりと。
「付き合ってもいねーんだろが。ぶっちゃけヤりたくなんねーのかよ?」
「さあね」
「おい!」
「そっちに体力注ぎ込めないって」
「そりゃそーだけどよ」
「付き合ってもいないっていうのが大前提だけどね」
「やっぱヤりてーんじゃねえか!」
亮介は軽やかに笑う。──
「俺がそんなこと言われるとか思わなかったね──哲とかもそんな感じかもしれないけど。
そんなこと言われるくらい、この部屋着リピートしちゃってるしね」
亮介がほのかに嬉しさをかもしだすなんて、春市か三年生くらいしか気づかないのかもしれない、そんな瞬間がそこにある。
船津鈴花も気づくんだろう、きっと。
そう思えば伊佐敷がやっぱり早く付き合っちまえと言ったのだった。