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うどんに涙──12
今日は買出しに行く日ではなかったけど、特売日ということで、鈴花がスーパーに寄った帰り道。

──ふふっ、味はそれなりだったよ。ぜんぜんうどんの形なしてなかったけど。
──そのうち、頼む。
──練習しておくね。

そんなやり取りを思い出し、足取りは軽かった。

──今日も送って行きたいが。
──牛島くん、そんな毎日だと……私が甘えそうになるから。
──それは鈴花にとって嫌なことなのか。
──だって、あまり寄りかかりたくないんだ──昨日も私、こんな私なんかが……って言っちゃったでしょ? 牛島くんのおかげで大分自信取り戻したけど、まだ完全には……だから、
──いや、わかった。俺が居なければ立っていられないということになりたくないのだろう。
──ん。
──だが、仲間や友人に連絡をするのに理由も必要ないだろう。他愛ないことでもいい、メールなどをもらえたら俺は嬉しい。──特別に思っているのだから、更に当然だ。

先ほどはそんなやり取りもあった。
鈴花は自然と笑顔になって、心はやんわりと華やぐ。

──私も牛島くんのこと、特別だと思ってるもの──。
そう、特別なの、とっくに特別なの。牛島くん──。そう、伝えたいと願った。


近頃はスーパーの店員さんにも顔を覚えられてきてる気がする、と思いつつ鈴花は僅かな食材を籠に入れてゆく。
うどん用に薄力粉と……そういえばお好みも作れるかな、これで……そっか、だしをとって……。
などなど、ぽつぽつ考えながら、大分手馴れてきかかも? なんて自分を褒めてあげてもいいかと思えば微笑んだ。
これしかできないと嘆くより、このくらいできるようになったと前向きで居る方が、きっと牛島も喜んでくれるのではないかと思えて、彼の顔を思い出せば、
鈴花はそれだけで嬉しい。
自分の気持ちを認めはじめて、もう、とうに確かなものになっていた。──
「うわっ……こんなにするんだ……」
ちょっと高い鰹節を目にぐっと堪え、棚に戻し、明日の弁当やら、部活のことやら、様々と頭に浮かぶ。

──帰ったら、次の相手の映像も見て……。牛島くんの取材は来週で……。大平君は大学のコーチと話があるって言ってたし……。

考えながら、さあ、レジに行こうとした時だった。

「あら」
その声にばっと振り向けば、そこには幼子を抱いた女性が一人。
「あ……お、かあさ、ん……」
そう、鈴花の母親だった。
知らずどこかに行ってしまった産みの母ではなく、自分を追いやった原因となった現在の母であった。
──なんでこの時間に!?
専業主婦でもあるし、父は夜勤などもない職業だから、今頃は団欒という時間だろうに──鈴花はつい、そう思ってしまう。
「ママ、アイスー」
「はいはい、じゃあね」
はいはい、とは幼子に向けられた言葉。連れ子である。
じゃあね、とは鈴花に向けられた言葉──冷たくて。

──じゃあね、って、たったそれだけ。
鈴花は冷えた視線に晒されながら、
「それ、じゃあ……」
と一言つむぐのが精一杯だった。
心の底から苦い感情が渦巻いて、居た堪れない。
その視線は腕に抱かれている幼子──血の繋がらない弟がアイスをねだる無邪気さを目の当たりにして、優しさを帯びた。

──アイス買いにきたのかな。あの子の為に。あの子だなんて言いたくないな、弟だもの──。
──もし一緒に住んでたら、お姉ちゃんとか呼ばれてたのかな。──

そう、優しさを帯びようと、眼はうるむ。
去ってゆく親子の背がどんどん遠くなる。
二人は今から父のもとに、追いやられた自分は一人取り残されて──。
そう思えば、僅かな食材しか入っていない籠がやけに重たく感じて鈴花は目を伏せた。



部屋に着いてすぐだった。
「あっ……お父さん……?」
そう、父からの電話があった。
鈴花が出れば、
──おまえ、あまり俺の奥さんに悪い顔をするな。
すぐさまそう言われた。──
”鈴花の母さん”ではなく、”俺の奥さん”と表したそれがまた鈴花を傷つけるとは気づかないのだろうか。
ともかく、鈴花は戸惑うばかりだ。
「え!? 私、そんな……どういうこと!?」
──あからさまに睨んだそうじゃないか?
鈴花は携帯を握り締めて訴えた。 
「そんなこと、な……睨んでなんか……っ」
──やっぱりおまえと共に暮らさずによかったとまで言われたぞ。自分を恥じる気持ちはないのか?
怒りを含みながらも整然としている声だから、余計に鈴花の胸を締め付けた。
まるで、部下に言い聞かせるようなそれが。──
「おとうさん……? え、どういう……それって……わ、私、睨んでなんか……いな、どうして偶然会っちゃったのって……思ったけど……」
──もう少し大人になれ。
その一言が鈴花の訳を消沈させ、肩を落とさせた。──
この電話すら切られたなら、かろうじて繋がっている家族関係すらこと切れてしまいそうで、鈴花は謝るしかなかった。
「ご……ごめんなさい……でも私、睨んでなんか……そんな」
──もういい。
その一言は、かろうじて繋ぎとめている愛情すら遮断した。いや、拒絶した。──そう、拒絶されたと、鈴花にそう、知らしめた。
「……っお父さ」
震えた声は部下に言い聞かせるかのそれに冷たく阻まれた。
──落ち着いたら呼び戻そうと思っていたが、無理だろう。おまえが帰ってきたらうまくいっている家庭が崩れる。卒業するまでだけは面倒を見てやるからそのつもりでいろよ。
「はい……」
頷くしかなかった。


部活のジャージを着たまま、ぼうっと思う心に浮かぶ風景は懐かしいもの。
かつての優しかった父、あたたかなもの。
しかられることもそれはあった、褒められれば嬉しかった、無邪気に肩車をねだったこともあった。
なのに目の端からは涙がこぼれて、拭う気力もない。
動かなくては、夕食を作らなくては──思うのに、体が動けない。

──今日は何をつくり、こんな手料理も覚えたのだと言って、前向きにしているおまえを見ていると、力をもらえる。
そんな牛島の言葉を大切に思い出すのに、動けない。

──例えばお前と同等の働きを見せる者が居たからと言って、お前を不要だとは誰も思わない。己を卑下するのはやめろ。
そう言われた。その言葉が胸を打ち鳴らすのに、動けない。

──一人でもあたたかいものを食いたいと言った船津をもっと安心させてやりたい、一人ではないと言ってやりたい。

「そうだよ……一人じゃないし……」

牛島からもらった言葉に突き動かされても、のそりと立ち上がることしかできない。

──鈴花を特別に思っているということをだ。

嬉しさくれた言葉を耳の奥でかき鳴らすのに、だからこそ余計に苦しい。
そう思ってくれている人が居るのに、打ちのめされている自分がふがいなくて。──

「牛島くん……」

鈴花がぼんやりと携帯を手にとって、ぼうっと見つめた。
けれど、

──今日も送って行きたいが。
──牛島くん、そんな毎日だと……私が甘えそうになるから。
──いや、わかった。俺が居なければ立っていられないということになりたくないのだろう。

その言葉に頷いたくせに、今、助けを求めようとしている?
そんな自分に気づいて、鈴花は携帯を放った。
どうしようもなく涙が零れる。
「だいじょうぶ……だいじょうぶ」
言い聞かせても、再び突いた膝を抱えることしかできないなんて。
せっかく特売日で買ってきた食材すら放ったまま。

──仲間や友人に連絡をするのに理由も必要ないだろう。他愛ないことでもいい、メールなどをもらえたら俺は嬉しい。

そう言われたことを思い出して、携帯を手に取ろうとしてやめた。
泣いて、すがりついて、心配させてどうする──。
携帯が、鳴った。メールだ。
それは同じクラスの友人からで、他愛ない話題だった。
「そうだよね、友達だって居るのに、一人じゃない……」
言い聞かせても寂しいなんて思いたくもない。
鈴花の事情を知っている友人だったが、鈴花は心配させたくない。泣いていることなどひた隠して文字の返信をして、
「洗濯しなきゃ……」
けれど食欲はなく、風呂に入っている最中に再び携帯が鳴っていた。


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