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欠落──10 辻君語りではない回です
感じるのは背中と、胸板と、腕の感触と──絡む指。
互いの表情は見えぬまま。
犬飼は今、小さく滲ませた感情など閉じ込めるように、どうか見せないように──
きゅうっとしてくる鈴花の指を辿るようにほどいた。
そして、鈴花の背を軽くぽん、とした。
「さ、出よう。おれの疑似体験も鈴花さんのミッションもおれ達の関わりも今日の一日デートもこれで終了。──あ、帰り、送ってくよなふつう。う〜ん、でも犬飼くん割りともう満足っていうか、送ってかなくていいかな? ほんとだったら送ってけってね。でも、ホテル出て、お疲れでした〜で終了。後は勝手に帰ってねってやつで。その方が最低なおれらしいかな」
犬飼がすんなりと立ち上がり、鈴花は促されても、すぐに立ち上がれない。
翻弄されて戸惑うような、雲の上を歩むような、おぼつかなさを露にしていた。
ただ、絡んでいた指の感触が失われて、それは寂しさなのだろうか否か、わからない。
確かなのは──
「無理して、笑わないで」
それは以前、一度、言ったこと。
今はもっとそう思ったから。
犬飼はいい加減、きょとんとして見せる他ない。
「いやいやいやいや何そのお人好し? というか、おれが解放してあげるっていうプランだったろ今日。まだホテルの中に二人きりだよ? 何でもいいけど何かアクション起こして心変わりさせたらどうしようとか不安ないのかな? 何か言いたいんだったらせめてホテルの外に出てから言うとか。約束破られてもいいのかなあ鈴花さんは」
「無理して、笑わないで」
犬飼はいい加減額を抱えそうになってそして、
「なんか鈴花さんいつになく強気の表情? どうしちゃったのかな、もう解放してあげるのにさ。勝手な上から目線だけど許して欲しいなあ」
笑った。
なのに、鈴花がただまっすぐ見つめるなんて、戸惑わせる。
その戸惑いはわざとらしさに変換される。
「あんまり言うこと聞いてくれないと、意地悪モードオンしちゃうだろ──そろそろ帰りたいんだけどってことで、さあ立って」
「無理して笑わないで」
今までさんざん脅かされてきて、どうしてここまでまっすぐ見つめられるのか。
無理して笑わないで、だなんて。どこまでもこちらの心配か──。
犬飼の胸中で言葉になったなら、ポーズは引っぺがされてしまうなんて。
「……っはは、なんだそれ。だったらなんだよ」
「無理して笑わないでって言ってるでしょ!」
犬飼が目を剥いたなら、鈴花に強引に手を引かれて、一瞬気取られた男の体はなんなく、引き寄せられた。
手が、腕をぎゅうっとして、
「犬飼くんのこと、大嫌いだったけど……っ意地悪する犬飼くんは大嫌いだけど……! 無理して笑ってる犬飼くんはもっと嫌い……っだよ」
涙がこぼれた。
犬飼がどこか、ぼうっと見つめていた。──
「……どうでもいいから、そういうの──離そうか」
せっかく居なくなってあげるって約束してたのに。
「今、鈴花さんが泣いてても全然そそらないし」
それどころじゃない、なんでこっちを気遣うみたいなことを言うんだ、この人。
「やっぱりもういいよ、鈴花さん」
だからこれで予定通り終わらせないと、せめて最後くらい優しい格好をつけたいのに。
「……どうでもよくなんかない」
「なんでさ」
いい加減格好をつけられないだろ──。
あれやこれや、切羽詰ってそう思う視界のすぐ傍に、涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
手のひらで受け止めたならいつもの様に渇きを潤してくれるのだろう、そんな涙が──。
「なんでか、だなんて……犬飼くんがちゃんと、優しいところあるからって、わかったからだよ……今日」
「はは、だからどうしたんだろうねえ。今までのことはチャラにしないよ、おれの勝手で、はい、チャラにしない」
ゆらり、
「勝手……?」
鈴花がゆらりと呟いた。──
「鈴花さん……?」
犬飼が気圧される程に。
ならば、
「私だって勝手にするの……! もうおこった……!」

──ちょっと待って、鈴花さん?
──いやいやいやいやちょっと、ちょっと、鈴花さん、いざとなったら、マジで、おいおい、ほんとに。──

犬飼が鮮やかな不器用さに見舞われて、まさかベッドに押し倒されたとは。
「うぁ……っわ……鈴花さん、さすがに澄晴くんもびっく……」
「そんな口ぶりで自分の優位を保とうとしたって、煙にまこうとしたって、ごまかそうとしたって、無駄なことくらいわかんないの!?」

──いやいやいやさすがに──もう、これって。

犬飼が目を見開いて見つめる先には、髪の先を垂らして、涙もぼろっと垂らして、眉を寄せて、のしかかる”鈴花さん”──
そう、鈴花が犬飼を押し倒して、馬乗りになっているとは。
しかも、襟首を掴み上げそうな勢いだとは。

「送ってかないくらいで最低ってなにそれ!? 今までのことチャラにしないって、それ、そのこと自体は最低じゃないから! だってそれって、今まで私にした意地悪、ちゃんと意地悪したって、自分で受け止めてるってことでしょ!? ぜんぜん最低じゃないから! そんなこともわかんないの!? まだ二人きりだしせめてホテルの外に出てから言いたいこと言ったら? とか何それ!? 今日は泣かせないって約束してくれた犬飼くんを”心変わりさせたらどうしよう”とか、”意地悪されるかも” なんて不安!? そんなのもうないから! 約束破られてもいいのかな? とか何それ!? 脅しにもなってない……! さっき、あんなに、手が震えてたくせに……! あんなに、私のこと、こわれもの扱うみたいに抱き締めてたくせに……! ぜんぜん最低じゃないじゃない……! 今日だって、私、実は楽しかったよ……っあんなに犬飼くんのこと、嫌だったのに、けっこう楽しかったよ……! まさかこんなに楽しいと思わなかったよ……! それって犬飼くんが私をもてはやしてくれたからじゃないよ……! 意地悪しなかったからじゃないよ……! 素のところ、たまに見えたからだよ……! 私、あんなに、びくついてたのに……っまさかこんなに……っこんな私を犬飼くんが甘いねちょろいね頭弱いねって言うの、わかるよ……! 今日は意地悪しない日だから、きっとそう思うことがいっぱいあっても、言わなかった瞬間とかあるのとか、わかるよ……っけど、私言われてもいいよ、犬飼くんが無理して笑うより、そっちの方がよっぽどましだよ! でも私、そんなすごいおひとよしでもないよ! 犬飼くんの手が、震えてた、から……っちゃんと感情とか、かけら見えたから……っだから、伝わるって、思った、だけだよ……っだから引きとめ、ちゃっただけだよ……! これからまた意地悪したっていいよ……っ犬飼くんが無理して笑うより、そっちのがましだよ! どうせ私、もう知ってるんだから……! 犬飼くんがせつなそうに笑うとことか、見ちゃったから……っそんな犬飼くんは怖くなんかないんだから……っただ、無理して笑わないで、って……」

犬飼に降ってくるのはぼろぼろの涙と、苦しそうな呼吸音。
見えるのは今までのどんな時よりも泣きじゃくっている鈴花と、苦しげに上下する胸。
好きな女が自分の上に跨っているなんて、おいしい場面な筈なのに、やっぱり何もできないとは。

「まだ怒ってる?」
ひとこと、つむいだ。
「……っえ!? もう、いろいろ、ばくはつしちゃ、」
好きになったのは、こんな時にでもはっとして、途端にあたふたした人。
けれど、跨ったまま、どきはしなかった。
「……っこわく、ないんだからね……!」
心根たくましくそう言うくせに、どこか可愛らしいなんて──犬飼はやっと、口元をほころばせた。
鈴花が当然のように気付いた。
犬飼の表情は僅かに緩んだのに首が、頬が、滴にまみれていることに。
それは鈴花が零した涙なのに、彼が泣いているように見えて、はっとさせた。
「……っごめ、私が濡らしちゃった、から……」
「はい、待った。ティッシュでも取るつもり? おれの上からどかなくていいって。だって鈴花さんの涙、こぼれてくるし──」
泣き止んだと思っていても、瞼に、目尻に残っていた滴がぽつり、垂れて犬飼は寝そべりながら、手のひらで受け止めた。

「きれい、あったかい、好きだよ」

そんな優しい伝え方をするから、鈴花の涙腺をまた揺さぶった。
「……っもう、前みたいには泣かないんだから、私。……だって、こわくない」
「もう意地悪する気も失せてるよとっくにね──無理して笑うなって言い当てられた時からこりゃヤバイなーて」
どこかのんびりとしていて、犬飼は腰を少しだけ、にじり上げた。
鈴花のそこに、あたるように。
「……っ」
気付いた鈴花がはっとした。
「あのさ、鈴花さんに触りたいんだけども、ガチで触れないんだよね。──なのに反応だけは一人前だ。どうしたらいい?」
「っ……ごめ、跨っちゃて……」
「頬を拭ってあげたり、これみよがしに髪を撫でちゃったりとかしたいんだけど、はあーあ、押し倒されたまま、マジでできないとはね。
あんなに壁ドンしたりつんつんしたりしてたのになあ」
鈴花の視線が照れたようにさまよって、上からどこうか、けれど、と逡巡して、けれどまた犬飼くんに翻弄されるばかりじゃないと気を引き締め、ちょっときりっとしてみせて、けれど恥ずかしげで──。
犬飼は思わず、らしくない感傷を露にしそうになって、なのにその痛みは心地よかった。
夕陽は一日の終わりを告げるから寂しい筈なのにきれいで、あたたかくて──そんな感傷を覚えたなら、朝の日和が欲しくなるなんて。
朝日はもう、昇らない筈だったのに。
「鈴花さんが上に乗ってくれているというのに、予告どおり何もできないおれを笑って、どうぞ」

犬飼は手を伸ばしたくても、触れない。
「きっとラブホつきあってくれるお人好しのバカだって信じてた。おれはそれで満足、やっぱ鈴花さんはおれの好きになった人だ。
泣かせるより満足。ありがとう。さよなら」
瞬間、恋した君のあたたかな色味がくすむなんて、犬飼を泣きたいくらいにさせる、このお人好しと。──

「こんな感じで言葉だけはカッコつけて去っちゃうつもりだったんだけど、できなくなったのは鈴花さんのせいかな」

それでも、跨ったままで、
「……っそれでもいいよ」
そう言ってくれるなんて呆れたお人好し、と。
「本当は無理して笑ってた俺のせいだよ」
「もうしないで」
「いいの?」

犬飼が目をまんまるくするほどに──
あたたかな夕陽の君は、 朝日を待ちわびるように言った。
「もう私に絡まないっていう約束は私が一方的に破ることにしたから。──」
いや、一緒に日の出を見ましょうと、
「もし犬飼くんが約束を守ろうとしたって、私の方から話しかけにいくんだから。もう怖くないもの──」
そう言った。
犬飼はベッドにずどん、押し倒されたまま、ありのまま。
意地悪をして泣かせてた彼女は今は腰の上に跨ったまま。
ただちょっと、いけない感触があるから、太腿の方に照れ交じりにずらしながら、それでもどかない。
「そりゃ怖くないだろうね、今も反応だけは立派なのに、緊張して触れもしない俺じゃあ」
「私の方から触るから」
「あーちょっとおいおい、緊張通り越したスイッチ入っちゃったらどうすんの」
「犬飼くん、もう私に意地悪しないもの──本当にそう思ってるから」
手に手を重ねただけ──。

あれだけ意地悪い執着を見せた自分をこうも昇華するとは、なんなんだろうこの人は。
そう思う犬飼が母親に見守られる子供のように目を閉じた。
今までの自分の行いに溜め息をついて、ダメ出しでもしたいのに、ふと目を開けば、鈴花のほわりとした視線があたたかい。
「あーもう、ラブホのフリータイム延長してもいい? 一緒に居ておくれよ、ください、もう、お手上げだ」

額を抱える犬飼が参ったと言うなんて、鈴花にとっては青天の霹靂どころか、
「いいに決まってるよ」
そう言わせた。
「だって今日、デートだもの」
すとんと犬飼の横に体を横たわらせて、緩やかに見つめれば、
「そういえばそうだったね」
あの犬飼澄晴がどこか泣き出しそうな顔をするなんて、そんな霹靂もあたたかな夕空に見守られていた。


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