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うどんに涙──4
鈴花の家まで買い物袋を下げて歩む二人が居た。
外灯がちらちらと照っている最中を。──
「もう……牛島くん、結局全部買っちゃうし……申し訳なくて……」
「うどんも冷凍食品も馳走になるなら当然だが?」
鈴花はほとほと頬をかいても、牛島の気持ちが嬉しくて噛み締めた。
──俺の迷惑加減すら紛らわしになるかもしれないだろう。そんなにも寂しい顔をするならば。
──だから、今晩は邪魔をする。
そう言った牛島の気持ちが。──

「私の部屋に牛島くんが来るとか、びっくりだよ……ほんとに」
やがて”部屋”の前にたどり着き、鈴花が牛島を中へ促した。
「どうぞ……よかったら……」
「ああ、邪魔する」
「うどん、おいしくできるといいけど……めんつゆしかなくって」
せめてお腹いっぱい食べていってもらわねばとても申し訳が立たない。
牛島の行動を止められずここまでなってしまったけれど──
部屋に入れたなら余計に気遣わせそうな気もする。
まるで家庭の匂いなどしない部屋に。──
「まだ、ダンボール片付けてなくって……」
「やはり、一人か」
早速気付かれて、
「うん、ひとりだね」
「部屋を見ればあからさまに分かる」
鈴花は視線を下げた。
「牛島くん、座って……今、おかず、あたためるから……」
「俺は今晩の夕飯をここで頂く事にしたと連絡を入れておく」
「……ん」
二人手洗いをしたり、やがて湯が沸いて、電子レンジがおかずをあたためてゆく音が響く。
「なんか……牛島くんが私の部屋にいるとかすごいかも」
「いつも部活で一緒だろう」
「でも、プライベートというか……」
「そういえばそうだな。だが、部活が俺の大部分を占めている」
「うん」
その大部分の中に当然居るマネージャーという存在。
牛島は改めて思う。
「あ……そうだ、うどんと冷凍食品じゃ多いかもって話だったけど、牛島くんはひとたま半くらいいけるかなって……」
「ああ、頂く」
「……ん。あ、そうだ、冷凍うどんは確か、茹でなくても、レンジでもイケる筈……あ、めんつゆも温まったよ、葱もなにもなくてごめんね……」
「お前流でいい」
そう言われて、そこに憚りなどないものだから余計に本心だとわからせる。
そんな牛島に気を楽にされた気がする。そう思いながら、鈴花がうどんと温めた冷凍食品を差し出した。
「どうぞ……」
「礼をしなければな」
「……っ牛島くん、なに言っ……スーパーでも牛島くんがお会計しちゃって、お礼しなきゃいけないのは私の方で……っ」
「食え」
鈴花がどこかぽかんとした。
「温かいうどんと温めた冷凍食品だ。温かいうちに食った方が美味いだろう」
鈴花は何故か、もう、牛島の一言一言に思わせられる。
思い悩みをうだうだ思い悩むより、こうしてあたたかいうどんをすする今なのかな、と。
二人いただきます、と手を合わせた。
「……冷凍のうどん、初めて食べたよ」
「そうなのか?」
「うん、でもおいしい……この何日か、引っ越してから……何にもやる気起きなくって、冷凍食品でいいやとか思っちゃってたけど……おかずもおいしい」
「貯蓄をしたいと言っていたな」
「……ん、それは本当。でも、やる気なくって、炊飯器もまだ出してなかったのも本当で……おかずも、本当は……ありあわせのものでも、手作りした方が安いのかも……おいしいのかも……目玉焼きとかでも……でも、どうでもよくて……それも本当で……」
牛島が、冷凍食品である小さなメンチカツを箸に挟んだ。
「どうでもよさげな顔をしていないが」
「……ん、どうでもいいから冷凍食品でいいやって思ってたのに、今日はおいしくて……牛島くんが気に掛けてくれたからだよ」
「そうか」
鈴花がただ頷いた。
「一人じゃないなあって思えたよ、ありがとう」
そう言って。
しんとしてうどんをすすり、簡素な狭いアパートの一室で二人が食事を口に運んでいた。
牛島が周囲を見渡せば引越して数日だろうに開けていないダンボールがままある。
それに、やはりこの手狭なワンルームに家族と住んでいるとはやはり、とても思えない。──
「嘘をついたのは、気遣わせない為か」
鈴花はそう、嘘をついていた。
両親が、その帰宅が遅いと。

──両親は遅いのか。
──そうだね。

そんな会話を交わしたことが蘇り、今、悲しげな苦笑を零した。
「ごめん……私生活のことは……部活には関係ないし、誰も気にしないって思ってた……。間違いだったんだね」
「そうだな、俺も、朝方様子のおかしいお前を発見していなければ、気付かなかったのだろう。感謝するべき存在が当然傍らに居るのだと思っていた」
鈴花がその言葉を言葉にできぬほど噛み締め、
しんとして二人きり、ゆっくりと食事していた。
「馳走になった」
「ううん……私こそ。少し、元気出たよ……」
「やはり気力なかったと認めたな」
「……ん」
部屋に入れたなら気付かれるとは鈴花も存分にわかっていた。
気遣いをくれた牛島に今、本当のことを言わなければと。──
あからさまに一人暮らしだとわかるこの部屋の中で。
「ごちそうさまでした」
鈴花も、箸を置いた。
「本当はね、牛島くんが言ってた通り、寂しかったの。一人になっちゃったから」

──俺の迷惑加減すら紛らわしになるかもしれないだろう、そんなにも寂しい顔をするならば。
そう、牛島はそう言っていた。

「両親に何かあったならば……ならば当分部活に出てこれなかっただろう」
「うん、あのひとたちはむしろ幸せ」
「むしろ? お前は──」
「──私は追い出されちゃった、家から」
「お前が?」
鈴花が苦笑した。
「私が邪魔なんだって。あたらしいおかあさんは。私、おじいさんもおばあさんもいないし、ひとりっこだったし」
──だった。
ということは、”あたらしい母”には、連れ子がいるのだろうと牛島にもわかる。
「それが言えなかった事情か」
「そうだね」
精一杯の苦笑は涙を必死に堪えていた。
「早朝に走り込みをしていた俺と行き会った際、帰りたくないと言ったのは何故だ? その日の夕方引っ越したということは、早朝に出会った時はまだ、実家に住んでいたのだろう? 現に俺は送っていったが」
「……引っ越したくなかったから……帰ったら、一人暮らしのこの部屋に引越ししなきゃいけない現実待ってたから……だから帰りたくなかったなんて矛盾してるね……家から出ていきたくないのに、現実逃避したくて、帰りたくなかった──。結局こうして引越ししたけど……」
今度こそ、涙が伝ったろうか。──
うどんのスープの残りにぽたり、落ちた。
「”あたらしいおかあさん”にどんなに疎まれても……出ていきたくなかった……。お父さんが、あたらしいお母さんを優先したって、私は要らないんだって、認めたくなかった……っ」
ぽたり、ぽたり。──
牛島は小さく、息をついた。
疑問が解消されただけでなく、我慢していたのだろう鈴花がやっと泣いて。
「俺の父親は空の向こうに行ってしまった」
鈴花がはっとした。
「え……」
「両親は離婚して、父は今海外に居る」
「そ、うなんだ……でも、びっくりした……空の向こうって、もしかしてって……思っちゃって……」
「ああ、海の向こうと言うべきだったか」
冷蔵庫には牛島が選べと言ったデザートがある。
鈴花のぶんと、牛島のぶんが。
「居なくなられてしまう事と……いや違う、置いていかれる事か。それと、追いやられる事と、どちらが辛いのかなどわからない、結局は傍に居ないのだから」
「……そうだね、いない……」
「けれどお前はそれ以上に辛いのだろう、自分の存在を否定されたと思っているのか」

──生活費も、学費も払ってあげるだけましじゃないの。
そんな言葉も、
──鈴花ごめんなあ。落ち着いたら呼び戻すから。
そんな曖昧さも、振り払う力などなかった。
そんなものは根こそぎ奪われて、膝を突くしかなかった。
手を伸ばして無理やり掴んだとしても、父の大きな手のひらにはもう、温もりはないのだと知らしめられて。──

「……っそうだね、思っちゃうよ……」
またぽつり、涙が落ちた。
「人それぞれという言い様もあるが、それにしても不思議なものだな、俺ならばお前を一人にはしない」
「……っ牛島く」
鈴花はどきりとして、
「尽力しているマネージャーを追いやってどうする」
そうっと噛み締めた。──
「……牛島くん、らしい……なんか、もう、今日はこんな……わたし、泣いちゃって……」
まさか牛島くんと冷凍うどんを食べたとは。
こうして気遣ってくれる人が、居るとは。
「安心したら気が抜け……」
「泣けばいい、今は俺しかいない」
あたためてめんつゆに投入しただけのうどん。
牛島のおかげで寂しくなく食べられたなら、かくりと頭を揺らしたなら、うな垂れて、残ったスープに涙が不規則に落ちてゆく。
器を避ける気力もないのは悲しいからではない。
気が抜けてしまって──。
「……っなんか、バカみたい……一人にしないって言ってくれる人が居るのに……思いっきり、落ち込んじゃって、た……
炊飯器も出してないくらい、落ちてた……」
うな垂れているのは苦しいからではない。
今は思い切り泣いてしまえ、顔を上げることができたなら、目の前には、
「まずは米を買うところからか」
みっともない泣き顔すら受け止めて、まっすぐ見つめてくれる人が居るとわかったからだ。
鈴花が涙ながらに微笑んだ。
「そうだね、なんか元気出たし……今度はちゃんと手作りできるように……しようかなって」
「うどんも手打ちになるのか?」
涙が和らいだ。──
「めっちゃこねようかな……牛島くんのおかげで気が抜けたっていうか……前向きになれたというか……
それに、一人でもあったかいごはん、食べたいし」
「誰でも一人の時間は必要だろう。お前はその時間が少々多いだけだ。それにただでさえ勉学に部活にと忙しない。
更に自炊ともなれば寂しがる暇もない」

──牛島くんなりの慰め方なのかな。
鈴花はそう思うもそれも違うとわかる。
慰めではなく、ただの事実。それに気付かせてくれるから励みになるのだと。──
けれどそれは、その言葉には、心が宿っているのだと。

「ユースの合宿では自分で洗濯などをしなくてはならなくてな──。いかに誰かに世話になってきたか、ありがたみが身に沁みた。
それらを普段から自分でするべき境遇に陥ったと思うのではなく、自立する機会が早まっただけだと考えればどうだ」
──そう、鈴花はその言の葉に励まされて。
「所詮忙しさでは、失ったものは埋まらないが、失ったものをどんな形であれ欲するのならば、その時には自立している己でありたいと俺は思う」
鈴花が失ったもの、それは愛情。家族、優しかった父。
でも、死んだわけじゃあるまいに。──
そう思えば、嘆いてばかりいられない。
「しっかりしろってこと、だよね……」
「そうとも言うのか。俺はお前に何かしてやりたいと思ったが、埋められるほどではないのだろう」
うどんをすすった後のめんつゆ。うすまったそれに涙がまた落ちた。
「ううん、牛島くんが来てくれて……冷凍うどんも美味しく食べれたよ」
やがて二人でデザートに口をつけた夜。
牛島が帰る際には、幾分かすっきりした鈴花の笑顔が見送っていた。


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