夢 心の鍵──2 またしても昼食後であったが、鈴花が校舎脇のベンチに腰掛けて一息ついていた。 屋外である。 昼食後といえば、廊下の窓からのほほんとテニスコートなどを眺めるのが日課だったが、近頃やめた。 その行動をとあるゲス野郎に把握されたからである。 木漏れ日が心地よく、束の間の平穏を味わっていた。 「バブー」 奇妙な声が聞えてぴくりとすると、ささやかな木漏れ日に紛れたゲス野郎がこちらを覗き込んでいて、びくりとさせられた。 ──クソ、見つかった。 ささやかな休息は無惨に砕け散ったのだ。 「鈴花ちゃ〜ん、バブ〜」 「あ? バブ? 風呂にでも入りてえのか」 逃げてもいいが、それも癪だ。 「今日の俺、赤ちゃんでバブゥ〜」 「は?」 バブバブ言いながら、鈴花に近づいてきた。 「欲しいバブ〜」 「あ? 天童にやるもんなんか何一つないぞ」 そう、天童、またおまえか。── 鈴花が辟易としていれば、天童は何故か照れた。 「え〜? あのさ? 俺ってホラ、バブ〜てホラ、赤ちゃんだヨ? よしよしして欲しいバブー」 鈴花の表情が感情を失いかけた。 「いいこいいこ〜てか……抱っこ的なやつプリーズ〜!!」 赤子のふりをして抱っこをねだったのは身長187センチの男である。 彼は今、鈴花の胸目掛けて飛び掛かった。 そして無言の鉄拳制裁により、天高く打ち上げられた。 「死ね!!」 そんな辛辣な言葉を浴びながら、やがて地べたで転がっていた。 部活が始まる前、部室では天童が「今日の俺、マイナス200点〜」だの言っていた。 「あーあ、かよわい赤ちゃんのフリして迫ったケド、ダメだったし〜」 天童の作戦はこうであった。 赤子に扮して鈴花の警戒心を解く。 ↓ 思う存分よしよししてもらう。 ↓ 抱っこしてもらう。 計画は失敗に終わったのだ。 「赤ちゃんの顔だけ天童ってなんかこええな」 「隼人酷でえ!! カワイイじゃんか!」 瀬見が溜め息をついた。 「ガキのフリして母性本能でも刺激したかったのか? そーいうのはおまえ、工を見習えよ」 「んア? つとむ?」 工が「どうしたんですか?」と、らんらんとした顔つきで訊いた。 そう、らんらんと──。 ──素直でまっすぐ。 ──単純で暑苦しい。 ──ピュアで懸命さ丸出し。 天童は思う、どれも自分にはないものだ──と。 けれども。 「ハァア!? 俺だって鈴花ちゃんを思う気持ちはイッツピュアフル!」 「ピュアさの欠片でもあるヤツが赤ん坊に擬態して突撃だ?」 「ぐっ……ストレートに突撃したつーの!」 「物理的にだろ」 「しかも辿りつく前にシャットアウトされたんだろ」 「ぬう……!」 同輩からの言葉に天童は歯を噛み締めた。── 「工ゥウ! ピュア勝負するナリ!」 「えっ!? ハ、ハイ!」 天童と工が相対する格好で、その周囲を部員達が囲んでいた。 瀬見がじゃあ行くぞ、と軽く咳払いした。 「じゃあ、まずは好きな女子に話しかけるシチュエーションな。工、やってみろ」 工がぐっと気合いを入れた。 「あ、あの……! いい天気ですね……!」 皆が見守っていた。 「天気て! じゃ、俺な〜」 天童が目の前に鈴花がいるところをほわんと思い浮かべた。 「鈴花ちゃんオハヨ〜! 朝から俺に会えるとか嬉しいっしょ?」 「どっから湧いてくんだその自信はよ」 瀬見があきれ気味に言った。 そして、ジャッジである牛島に首を振った。 「じゃ、若利頼むわ」 「天童だな」 「えええええー!? まさかの天童かよ!?」 牛島がこくりと頷いた。 「その女子が天童に会えて嬉しいのかはわからないが、まずは”おはよう”という挨拶。そこが好印象だろう」 挨拶は大切である。 「ぐっ……! 負けました……!」 「工めげんな!」 山形が励ましてやり、次のシチュエーションを提案した。 「じゃ次、もうめんどくせーからいきなり告白な」 「ハイハイハイ! 俺から〜」 天童がすうっと深呼吸して、そして、いざ、格好良く告白する場面を演じた。 「鈴花ちゃんて俺のコト好きだよネ〜俺も好きだって知ってた?」 「なんかムカつくな」 「隼人ヒドイ!!」 「じゃ、工いけ」 「は、はい! あの……っ好きです! 俺の人生を懸けて大切にします!」 拍手が起こった。 「いいストレートだった」 牛島が文句なしと言った。 「よしよし、工、大勝利だね」 「獅音ちょお! つか、一回戦俺勝ったのに! 一勝一敗のハズなのに! サヨナラノータッチエース決められてズタボロ!」 天童が騒ぎに騒ぎ、ぐぐっと歯噛みした。── 「明日には鈴花ちゃんモノにしてっから!!」 ズビシと宣言した。── 翌日であった。 「鈴花ちゃんオッハヨ〜いい天気だネ?」 まずは挨拶を欠かさず、工を見習い、天気の話題から攻めていこうという算段だ。 鈴花がまたおまえか、と言いたげに、けれど”うん”と頷いた瞬間だった。 「俺! 鈴花ちゃんダイスキだからチューしたい!!」 がばりと抱き締めようとした天童に対し、鈴花は右足を後方へ、僅かに重心を下げ、拳を握り締めた。 「ウァアアア拳でキスヤメぇええ──!!」 転がった天童は数分後、回収された。 「おい、モノにするとか言ってやがっただろが」 「おかしい! ストレートに告ってんのにおかしい!」 「その理論がおかしいだろ」 「はは、ストレートをお見舞いされたのか」 獅音が笑っていた。 「ハァ……ッ! ちゃんと挨拶もしたのに! いー天気だネっつったのに! チューくらいさせてくれたっていーじゃんか!!」 「うん、なかなかいけない思考回路だね」 獅音も苦笑いだ。 瀬見がいい加減諦めろと言った。 「拳でキスされたんだろ、よかったじゃねえか」 「んん? そ−いやご褒美……!! 鈴花ちゃん……!」 あ、これ病気だわ、と誰もが思う中、天童は全く平気なツラで言った。 「ん〜次は五歳児くれーの設定でチャレンジすっかな〜」 「赤ん坊とどう違うんだよ、いや、ちげえけども」 「あのさ? 鈴花ちゃんがよーちえんのセンセーで、俺が”せんせー将来ケッコンして〜”ってやつやりたい! で、イイコイイコされたい! ぎゅーされたい!」 翌日、天童は心が傷だらけなまま部室にやってきたらしい。 前へ次へ [戻る] |