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贖罪─ヴィザ
爆発音がする、何かが瓦礫に変わっていく音がする。
戦火の渦の真っ只中から脱け出せばその音も遠い。
その音の渦がだんだんと遠くなってゆくのは距離が開いたせいだけじゃない、最早聴覚も鈍ってきたのだろうか。
この今際に──
それとも、もう聞きたくないからか?
そう感ずれば血反吐を垂らす唇は僅かに自嘲を浮かべた。
戦いたくないと願って、されどいつか剣を取ったのは私自身なのだから。
雪が、降っているようだ。
少しづつ、この森の奥深くの開けた場所へと近づく。
何もない、小さな空間。
そこに好んでわざわざやってくる誰かも居ない。
ただ、一度だけ訪れたことがあった。
あれは私が剣を取る前だった。
何もない、ただ雪が真っ白に降り積もって純白の景色を作り出していて──目を奪われたいつかの日。
ずっと忘れようとしていた純白の景色を最期に見たいと思ったのはどうしてなのだろう。
「は……あ、あ……」
声が掠れる。
このまま踏みしめてゆけば、私はきっとこの雪景色をこの血で汚してしまう。
分かっているのに、足はひた動く。
「う……っ」
視界が霞む前に、どうか──最期に。
ぼたん雪が目の前を通り過ぎてゆく。
降りしきる。
「あ、ああ……」
辿り着いたそこは一面の銀色、真白、純白の──何者にも汚されていない、小さな雪景色。
血を、滴らせて汚してしまって、君には申し訳ない。
ただ、ここで眠らせておくれ──どうか。
一度ここに来たきりだ。
いつか剣を取った私は純白の君にはもう似合わないと思い、ずっとずうっと君には会いたくなかったのに、申し訳ない。
「あ……あ、」
涙があたたかいということも私はいつか忘れていた。
踏みしめて、血を垂らし、君を汚しても、大丈夫だろうと勝手ながら思わせておくれ。
雪は次々と降り注いで、この穢れに覆いかぶさってしまうから。
「……っ」
もう声も出ない。
そういえば、トリガーはいつの間にか手から滑り落ちていたらしい。
がくりと膝を突けば血反吐がまた飛び出た。
そのままうつぶせに倒れてしまいそうだったけれど、振り絞って、どうにか仰向けに横たわった。
この雪ぼたん降ってくる様を君と一緒に見たまま死にたくて。
背中がひんやりと心地よい。──
このまま雪に埋もれて、春が来たら解凍されて朽ち果て、やがて土に還って、ここで純白の一部にならせておくれ。
人をたくさん殺めた私にはもはや無理だとしても、そう願わせておくれと、この白銀の世界に申し上げる。
「──随分と安らかに」
視界は霞む。
降って来る雪の中に翁の姿が見えた。
──ヴィザ翁、さま。
声に出す力もなく、白い淡雪の中に白い髪。
そうっと私を窺う翁。
「綺麗ですな。この景色の中は。──冷たいのにあたたかい」
私は微笑むことができているだろうか。
もう声も出せない。
──ヴィザ翁さまは私をお見送りにいらしたのでしょうか。
そう心の中で問いかけた。
「さきほど敵勢力は全て捕らえられ、此度の戦は終結致しました」
──そうですか。それはようございました。
目で、伝えた。
霞む目で──。
「もう、剣を取ることもなくなりますな。人を殺めることもない」
──ええ、このまま凍るだけです。
「反対に、誰かを護ることももうできなくなってしまった」
──ああヴィザさま。その通り。けれどどうかこのままゆかせていただきたい。
「どうかお許しください」
──ヴィザ翁さま? どうしてその様に──。
疑問と共に意識は途切れた。
冷たい背中があたたかくなったと感じたのは目覚めてから。
「ここ、は……」
身体は動かないけれど、ともかく私はまだ”うつしよ”というものに存在するらしい。
死後の世界にしては、ここはあまりにも穏やかな空間だった。
暖炉で火が弾ける微かな音、懐かしい木の香り漂う室内、ほのかな紅茶の香り。──
何より、身体中が重苦しく、痛む。
「あ……」
声が出た、やはり死んでいないらしい。
「ヴィザ翁……さま……」
その姿が見えて悟った。
どうやら助けられ、一命をとりとめたらしきことに。
信じられはしない。──
「やっとお目覚めになられた。お待ち申し上げていた」
「あ……ど、うして……」
あなたの様な方がわざわざ私などを。
あのまま死なせてくれたなら、私はもう戦わずにいられたのに。
「お許しください」
そうだ──あの今際にヴィザ翁さまはそう言っていた。
「どうして……」
「これは只の私の我侭です。あなたを死なせたくはなかった」
「ど、して……」
「私が勝手に、あなたを救いたくあっただけです。あなたが最期にあの雪景色に罪と共に埋まろうとした風に、私も今際まであなたを傍に置いておきたかったのです」
「ヴィザ翁さま、が……私など……」
それも大きな疑問。
けれどずきりとした。
罪と共に──そう、今まで人を殺めてきた罪ごと、私はあの純白の中に埋もれたかったのだ。
自分勝手にあの白を汚しながら、それを悔いつつ共に逝きたかったのだ。
ヴィザ翁さまは──
「あなたは既に殉職したこととなっております。全てのしがらみを脱ぎ捨てたあなたに私の残りの生を共に生きていただいきたく」
「私が……ヴィザ翁さまの、お傍に……? 私など……どうして、私、など……」
寝台の上からかろうじて申し上げれば、ヴィザ翁さまは、そっと近づき、手を取ってくださった。
お優しい人──それは知っていた。
知らなかったのは、私などを手元に置こうとする翁のお心。
「あなたがいつも死に急いでいたからでしょうか。国を護る為ではない、民を護る為に戦っていた。されど相手方の死を弔っていた。非常に苦しそうでした」
「気づいて……おられたので……」
見られていたのはいつからだろう。
会話という会話もさほどした事はない。
国宝使いともなれば遠すぎるとしか思わなかったというのに。
「ええ、気づきながらどうすることもできず。ただ、年甲斐もなく惹かれていた」
心に──ほのかに熱い血が巡った気がした。
翁の心に揺り動かされたのだろうか。
既に死んだ気でいたいからだろうか、やけに生を実感させる。
忘れかけていた感情が芽吹く。──
「年甲斐もなく、など……」
「勝手ながら救わせていただいた。願うならば、ただ一人の鈴花として傍に置かせていただきたい。誰も知りはしない、貴方様が未だ存命であられることなど──」
どこかの女は思うのだろうか、それは男の執着だと。
私は思うのだろうか、これからはこの翁のお傍で、人を殺めずにただ居られるのだと。
「もっと早くに言ってくだされば……ヴィザ翁さま」
「それは仕方ない。貴方がいざという時まで私はあなたを縛り付けることをためらっておりました」
「そう、ですか……」
今はわかる、私は微笑んでいるらしいと。
最期を迎えたと思ったなら、優しく掬いあげられた命。
この翁の望むように緩やかにお傍に居てもいいのだろうか。
もう戦わなくとも。
「まるで、私はヴィザさまのふところに逃げたようで……まだ戦わなくてはならない人はたくさんいるのに……」
「では私が無理に拘束しているということでいかがですかな」
今度こそ微笑んでいると、はっきりと自分でわかった。
こんな私にこんな展開、約束された緩やかな日々。
まだ戦ってゆかなくてはならない仲間達への裏切り、罪悪感にやがて苛まれても翁は解放してはくれなかった。
ほんの少し残酷で何から何まで優しい人。
いつか忘れた罪悪感も毎年冬になり、あの雪景色を見れば思い出される。
いつか死んだら二人で一緒に雪の中で眠りましょうと翁は言った。
「春でしたらどうなさいますか」
「土に溶けてゆく合間に、あっという間に雪の季節になりますな」
そう言って、心を和らげてくれる翁と、雪の中でいつか。


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