近くの恋
3
「どうしたの!?荒川(あらかわ)君!」
カラリと保健室のドアを開けるとそこには保健医はおらず、代わりに居たのは保健委員長の奥田(おくだ)君だった。鼻血をぽたぽた零す俺を見て目を剥いている。
「お、奥田君…」
まさか今しがた考えていた人物がいるとは思わなくて、思わず肩が跳ねる。
「荒川君、とりあえず座って…!」
促されるままに椅子に座ると、奥田君はテキパキと処置をしてくれる。消毒用液を染み込ませたガーゼで俺の顔についた血を優しく拭ってくれて。
「血も止まってるみたいだし、大事になってなくて良かった」
処置が終わると、奥田君はにっこりと笑って優しい言葉をかけてくれた。俺は奥田君のこういう優しいとこが好きだったんだ。
「ありがとう、奥田君」
「どういたしまして。俺こそ、荒川君の役に立てて良かった」
なんて爽やかなんだ、奥田君。
「そうだ、これ」
奥田君はおもむろに着ているブレザーを脱ぎ、俺に差し出して。
「服にも血が付いちゃってるから、よかったらこれ着てよ」
「え…?」
差し出されるブレザーに俺は戸惑う。すごくありがたいけど、でも。
「そんなの悪いから…」
「いいから、気にしないで」
「でも。恋人はいい気がしないでしょう?付き合いたてなんだし…」
「え…?」
奥田君は驚いているようだ。何を驚いているんだろう。もしかして大きなお世話だったのかも。
「あ、いや、ごめん。大きなお世話だったかな」
「いや、違くて…。俺、恋人なんか居ないから」
え…?恋人がいないって…。でも噂では。
「あの噂なら、嘘だから!告白されたのは本当だけど、俺きっぱり断ったし!」
「へ…?」
「付き合ってなんかないよ!俺…、他に好きな人いるから」
そうなんだ。付き合ってないのか。でもまあ、他に好きな人がいるんだったら、俺の失恋の事実は変わらないんだけど。
「そ、そうなの…」
俺はそう返すのが精いっぱいで。しかしその言葉の後には、妙な沈黙が訪れた。二人っきりの室内が変な空気が流れ出す。
「俺…」
奥田君が何かを言おうと口を開きかけたその時。
ガラリと保健室のドアが開いた。
「凪、大丈夫か?」
姿を見せたのは。美形の生徒会長様の心。心はじっとこちらを見る。この部屋の変な空気に気がつかない心ではない。心の視線が俺と奥田君の二人を何度か行き来した後。
「ワリ。邪魔した」
それだけ言い残して、保健室に足を踏み入れることなく踵を返した。
違う。誤解だ。きっと心の奴、誤解した。俺と奥田君の間に何かあったと。
そんな心の後を追うべく俺は慌てて立ち上がる。
「ありがとう、奥田君」
お礼を言ってから部屋を出ようとした。しかし。
「待って、荒川君!」
奥田君に呼びとめられて振り向くと、奥田君はいつもに柔和な顔とは打って変わって真剣な表情を浮かべていて。
「俺、俺…!荒川君が好きなんだ!」
奥田君の声は妙に大きく部屋に響いた。
「!?」
「ずっと君の事が好きだった…!」
ヒュっと息を飲む。あまりにも突然の事で、吃驚する以外に何も出来ない。
「俺と、付き合って欲しい。もちろんすぐに返事をしろなんて言わない。でも、考えておいてくれないかな」
俺も好きだった。
そう言えば、俺と奥田君は晴れて恋人になるのだろう。星の数ほど恋をしてきた俺に、初めてその恋が実るのだ。そう。これはチャンスだ。チャンスなのに。
「う、うん。わかった、ちょっと時間もらうね」
俺は言えなかった。それは恥ずかしいからとか照れくさいからとかそういう気持じゃない。俺の脳裏には別の人の顔が浮かんだからだった。
「ホント、ありがと奥田君」
もう一度お礼を言ってから部屋を出て走り出す。
俺、好きな人に告白されたはずなのに。何でなの。あんまりドキドキしてない。今俺の頭を占めるのは、奥田君に告白された高揚じゃない。心に誤解されたかもしれないという不安だ。
「心!」
見なれた背中を見つけて大きな声で名前を呼ぶ。立ち止まりこちらを振り返る心。心が振り返った時のその顔は、いつもと同じように優しくて。
「お前走って大丈夫なのかよ」
心が苦笑する。何一つ、いつもと変わらない態度で。もしかして別に誤解なんてしてないのかな。
「大丈夫」
「敦にボールぶつけられたんだって?」
くすくすと笑う心。その優しげな顔を見て、俺の胸はドキリと高鳴る。
「なんで知ってるの?」
「敦から電話かかってきたから。鼻血ブー子が保健室行ったって」
それで心が保健室に来たのか。それにしても敦の奴、心にまで変なこと言って!
「大したことなくて良かったよ。それにしてもお前…」
心がまじまじと俺を上から下まで眺めてから。
「殺人事件みてー」
ふはっと噴き出して笑った。結局奥田君のブレザーを借りずに来たので俺の服は結構血まみれ。
でも心の笑顔がなんか嬉しくて、俺もつられて笑う。
「凪」
「んー?」
「よかったじゃん」
「顔面アタックして鼻血出して良かったわけないじゃん」
「そっちじゃなくて。保健委員長」
「!」
いきなり出たその言葉に、不安が的中していたことを知る。やっぱり心の奴。
「告白の声、廊下に響いてたよ」
くしゃり、と。心の大きな手が俺の頭を一撫でする。
「おめでと」
心は綺麗に笑って、俺に背を向けて歩き出した。
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