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総長と会長

俺は今非常に困っている。
なぜならあの疑惑の一件以来、寮長の距離が近いのだ。そしてさらに困ったことに、俺はそれが嫌だと思うどころか、むしろ心臓がどきどきと興奮してどうしようもない気持ちになってしまうのが目下最大の悩みである。

「楓、ネクタイ曲がってる」

寮長は、俺の首元に手を伸ばしてきてネクタイの位置を調整した。寮長の綺麗な手が俺の顎や首に少しだけ当たって、しかも目の前に寮長の超イケメン顔のどアップ。俺の顔にはじわじわと熱が集まってくる。しかも寮長ってばなんかすごいいい匂いするし。

「ありがと、寮長」

お礼を言うと寮長はフッと微笑んでからぽん、と返事の代わりに俺の頭を撫でた。こういう所がイケメン過ぎてダメだ。俺の心臓に負担掛けまくりなのだ。
あの日の真実はまだ解明されていない。確かにあの日以来、寮長との物理的距離はすごく近くなった。世間一般で言う恋人の距離、というやつなのだろう。俺達の部屋には寝室は一つしかなく、ベッドもキングサイズのものが一つしかない。俺がここに引っ越して来てからその一つのベッドに一緒に寝ているわけだが、それまでは適度な距離を取って眠っていたのに、あの一件からぴったりとくっついて寝るようになった。朝起きた時も寝る前も、寮長の吐息がかかる距離で俺の心臓は大忙し。ソファに座ってテレビを見るときだって隙間なく座る。まるで恋人同士みたいに。
しかし、恋人のような行為は一切しない。例えば手をつないだり肩を抱いたりなんてすることはないし、キスなんて以ての外だ。あわやキスしてしまうんじゃないかという距離まで近づくのに、それが触れ合うことは決してない。どっちかわからない状況に困惑しているのに、キスしそうでしない距離を俺はもどかしく思っている。思いきり矛盾している気持ちを、俺は持て余していた。

「あっ、」

昼休みの食堂。いつもの四人で食卓を囲んでいた時。卓の真ん中にある醤油を取ろうとしたら、誰かの手とぶつかった。その手は見覚えのある綺麗な手で、元を辿るとやはり予想通りそれは寮長の手で。意図せず触れ合ってしまった手を思わず引っ込める。ちなみに寮長は引っ込めてなんかいないけれど。

「え、何々。その反応!今どき少女漫画でもそんなベタな反応しないんじゃね!?」

人の噂や恋愛事情に人一倍興味のある翔が、目を輝かせて聞いてくる。めちゃめちゃ期待に満ちている目だ。

「な、何が?別に、ちょっとびっくりしただけだし」

流石に恥ずかしくて、視線は明後日にやりながら言い訳してみる。皆がどんな表情をしているのかは解らない。

「何かあったの、玲?」

悠の冷静な声。

「なんで?」
「楓、変だし」
「楓はびっくりしただけって言ってんじゃん?」

しかし寮長は気にした様子もなく答える。俺は皆の顔も見れないまま、もそもそと食事を続けた。

「そういやさー」

なんとなく沈黙が続く中、その空気を割ったのは悠。

「玲、最近下おりてこねーじゃん?どったの?」

下?下ってなんだろう。そこで俺はようやく顔を上げると、正面に座る翔と目があって。

「下ってのは、学園の外のこと。ここ山だしね。んで俺らが溜まり場にしてるバーがあんだけど、学園抜けて結構行ってんだよね」

にこっと。俺が疑問に思っているのに気が付いてくれたのだろう。

「女共が玲様玲様ってうっせーのよ。そろそろ顔出せっての」

ひゅ、っと心臓が縮こまる思いがした。
そか。寮長はこの学園の抱きたい抱かれたいランキングなんかに入んなくても、外にはいくらでも慕ってくれる女の子がいるんだ。ずっとこの学園にいる俺はどうしても視界が狭くなってしまうのだけれど、寮長やみんなの世界は広くて。ちょっと距離が近くなっただけで浮かれてた俺が馬鹿みたいだ。
仕方ない。だって俺男だし。別に背だって低くないし、女みたいに可愛いって顔でもない。わざわざそんな男を寮長が相手にする必要もないだろう。そりゃ以前までの話ではあるけど、生徒会長に選ばれるくらいだ。その人気投票では票が集まった。しかし俺に集まったのは抱かれたいランキングの方だ。そんな俺が寮長を抱けるかと言われたら、それこそとんでもない話だと思う。だって俺は生まれてこの方セックスなんてしたことないし。

「ごちそうさま。ごめん俺、世界史の資料もらいに職員室行かなきゃだから、先行くわ。前のクラスでは貰ってなくて」

皆の顔を見ないように席を立つ。見てしまえば、なぜかこみ上げてくる涙がこぼれそうだったから。食堂を出てから、走り出す。心がむしゃくしゃして、なんとかして振り払いたかったから。もちろん向かう先は職員室なんかじゃない。職員室なんかに元々用はない。どこに行こうか。なるべく人の居ない所。

「っ、」

人のいる場所を避けて避けて辿り着いたのは、F組校舎の屋上だ。不良って屋上好きなイメージなのに誰もいないんだ、なんてどうでもいいことを考えても、また思考は元に戻っていく。元々、寮長はF組に来たばかりの俺に優しくしてくれて、一緒の部屋に住まわしてくれて。俺の恩人だった。疾しい気持ちなんて全くなかった。それなのに。

「何で覚えてないの。俺の馬鹿野郎…」

その場にしゃがみ込み、呟いた声は誰にも聞かれることなく消えた。そう、あの日。酒を飲み過ぎて眠ってしまったあの日。何故記憶がなくなるほど、そして何も気がつかないほどに酒を飲んで眠ってしまったのだろう。あの日の事さえ覚えていれば、こんな気持ちにならずに済んだかもしれないのに。セックスしてないって確証を持てたら、寮長に対してこんな変な気持ちにならず、仲の良い友達でいられたのだろうか。でももしセックスしてたら…?考えてぶんぶん首を振る。俺ってホント馬鹿。もし本当に抱かれていたのなら、寮長との貴重な初体験の記憶がないなんて勿体ない、などと思ってしまう自分はもはや重症なのだろう。

「楓」

ギイッと、屋上の重い扉が開く音がして、直後に聞こえたのは、俺の大好きな寮長の声だった。

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