第1話
 目映い陽の光が薄い雲を突き抜けて、空地をぎらぎらと照らす。
 幾ら元気が有り余っている園児達でも、梅雨明けの暑さには堪え兼ねるらしく、彼等は外で遊ぼうとしない。広い教室の中、白い画用紙に一生懸命クレヨンを擦り付けている。
「一光君、それ兎さん?」
 その内の1人――黒崎一光がふと顔を上げた。彼の大きな目に、この教室を担当する若い女性保育士が映る。
「ううん、おとうさんだよ」
 一光はにこりと笑ってそう答えた。
「そうなの?」
 保育士は一光の手元の画用紙を見つめ、首を傾げる。
 くるんとカールした口、黒く塗り潰された逆三角の鼻、頭上の縦長い耳。それらはどう見ても、人間の顔を表す部品では無い。
 橙色の頭部と楕円の茶色い目だけが、一光の父親をよく表していた。初めて会ったとき、鮮やかな髪と明るい瞳に、釘付けにされたことをよく覚えている。
 一光はその色を持っていない。けれど、顔立ちは父親と瓜二つである。以前、母親が、「私から言わせれば、息子は夫の縮小コピーですわ」と、楽しそうに言っていた。一光の艶やかな黒髪と群青の瞳は、彼女の遺伝だ。
「……あ、そういえば」
 追懐している内に、つい昨日の出来事まで思い出された。
 突然体調を崩した園児の母親と連絡が取れず、仕方無く、園児の家まで車を走らせていた。その途中、一光の父親とそっくりな青年が歩いているのを見掛けたのだ。しかし彼は、黒髪だった。
「ねえ、一光君ってお兄さんいる?」
「いないよ。なんで?」
「いや……昨日、一光君のお父さんによく似た人を見掛けたんだけど、黒い髪だったから一光君のお兄さんかなって……」
 どうやら、昨日の青年と一光は無関係のようだ。期待が外れて、少し残念な気持ちになる。
「そっくりだったのになあ……」
「……せんせい、……それ、ほんとう?」
 一光が、突然強張った顔をして問うてきた。
「うん、ほんとよ」
「……そっか……」
「……一光君? どうしたの?」
 何かを考え込むような、真剣な一光の目。
 気になって声を掛けてみるも、返事は貰えなかった。

 赤く燃える太陽が、半分顔を隠した。涼しい風が、漸く外で遊びだした園児達の頬を撫でる。
「こんにちは、先生」
 賑やかな園庭を、園内の物寂しげな廊下で見守っていたときだ。一光の父親が現れて、早足で近寄ってきた。
「あ、黒崎さん! こんにちは」
 夕方は、言ってみればお迎えの時間で、園児達が段々と減っていく頃だ。
 一光のお迎えは、大抵母親が担当している。病院の研修生である父親は、数少ない休日を利用して月に何度かやって来る。今日はその日だったようだ。
「一光君、喜びますね。久し振りにお父さんに来てもらえて」
「あ、いや……」
「今日、お父さんの絵を描いてたんですよ」
「……そう、ですか」
 俯き、目を逸らす。顔を隠したいらしいが、残念なことにほんのり赤く染まった頬は見え見えだ。
 子持ちといえど、未だ20代で、自分と殆ど変わらない歳だ。その所為か、照れている表情は高校生ぐらいに見えてしまう。制服を身に纏えば、現役と間違えられても可笑しくないだろう。
(ん? ……制服……)
 何気無い単語が、今朝思い出したことをもう1度彷彿とさせる。
 昨日、車の窓越しから見えた、黒髪の青年。彼は、制服を着ていた……ような気がする。青がかった白のシャツとズボン。顔の方にばかり目がいっていたので、うろ覚えだけれど――
「ジャイアントルネードーッ!!」
「うおあぁあっ!?」
 つい先程まで園庭のブランコに揺られていた一光が、視界に飛び込んできた。叫び、宙を舞ったかと思うと、父親の顔に容赦無い蹴りを入れる。
 ドシャア、という派手な音と共に、父親は床に伏した。
「……とおもわせておいて、じつはバイオレンスクリュー」
 父親の背中にどかんと跨り、一光は低く呟く。
「い……一光君、何てことしてるの……」
「先生、これが喜んでる様に見えますか……」
「……」
 呻きにも似た父親の問い掛けに何も言えなくなってしまう。
「……どろぼうなんか……きたってうれしくないよ」
 代わりに一光が答えた。
 蹴られ、背に乗られ、その上訳も分からず泥棒呼ばわりされた父親は、怒りにわなわなと震え出した。
「一光、泥棒ってどういうことだよ、俺は何にも盗んでねえぞ? なあ?」
「うそつきはどろぼうのはじまりだって……、おかあさんがいってた」
「あ、え? ……一光?」
 何故か、一光が悲しそうな声を出す。父親は気に掛かって、そろりと見上げた。
 ぽたっ、と1滴の雫が、頬に落ちた。
「……おとうさんの、うそつき」


あきゅろす。
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