幸福な食卓
┗幸様へ
「おばあちゃーん!」
 玄関から桃の声が聞こえた。祖母は慌てて外へ出た。
「桃! どうしたんだい?」
「卵焼きの作り方、教えて下さい!」
 桃は、深々と頭を下げた。
「……は?」
 祖母は目を丸くして、新米主婦を見つめた。

「おい、松本。あいつ見なかったか?」
「あいつって、誰ですか?」
 冬獅郎は、顔を引きつらせた。
「だから……あいつだ」
「名前を言ってくれないと分かりませんねー」
――残業させてやろうか。
 勝ち誇った様な笑みを浮かべている部下を睨み付けてから、冬獅郎は外方を向いた。
「……桃を、見なかったか」
「キャー! 隊長、桃って言った! 桃って言った!」
「てめーが言わせたんだろうが! 本気で残業にさせるぞ!」
「ヒャアー!」
 乱菊はわざとらしく悲鳴を上げる。
 この様なやり取りが始まったのは、1週間前。桃の姓が、雛森から日番谷に変わった日だ。
 仕事場ではずっと「雛森」だった為、いざ「桃」に変えるとなると、照れ臭い。
「……そう言えば、今日は1度も見てませんね」
「おとなしくしてろって言ったんだが……急に居なくなりやがった」
 現世曰く「出来ちゃった結婚」なので、桃の腹の中には、既に命が宿っている。妊婦に、無理をさせることは出来ない。

「ふ、ふぁ……っくしゅん!」
「おや。風邪かねえ」
「ううん……」
「じゃあ、誰かに噂されてるんじゃないかい?」
「……」
 桃は、窓に視線を向けた。
 きっと、窓に映る白道門を見ているのだろう。その奥の瀞霊廷に居る、夫の事を考えながら。
 祖母は湯飲みを2つ持ってきて、桃の隣に座った。
「お茶、此処に置いとくよ」
「うん。有難う」
「ところで、桃」
「ん?」
「お前……卵焼き、作れないのかい?」
 祖母の問いに、桃は困った様な顔をした。
「そりゃあ、作れるよ! 作れるんだけど……お婆ちゃんの卵焼きの味にならないの」
「……婆ちゃんの、味?」
「そう!」
 桃は人差し指をびしっと祖母に向けた。
「皆には美味しいって言ってもらえたけど、私はどうも気に入らないんだよね」
「……そうかい」
 祖母は立ち上がり、桃の肩を掴んだ。
「だったら今から教えてあげるよ。婆ちゃんの卵焼き」
「あ、……有難う!」
「だから、1つお願いしてもいいかい?」
「……お願い?」
 キョトンとする桃に、祖母はニッコリと笑った。

 夕刻が過ぎ、外が肌寒くなってきた。
 結局、十番隊舎に桃は現れず、彼女の行方は分からないままだ。
 乱菊はそっと筆を置き、上司を見上げる。
「桃、来ませんでしたね。隊長」
「ああ」
「本当に、何処行っちゃったんでしょうね」
「冷えてきたしな、家に帰ってるとは思うが」
 ……とは言っているものの、冬獅郎は不安で堪らなかった。
「探してあげたらどうです?」
「仕事を手伝わせておいて、よく言えるぜ」
「うっ! ……すみません」
「まあ、何時ものことだしな」
「ううっ!」
 グサグサと突き刺さる言葉に、乱菊は呻き声を上げる。
「……鬼だ」
「あ? 何だと?」
 乱菊をいじめて楽しそうにしていたのに、急に不機嫌そうな顔をする冬獅郎。
「……ぷぷー!」
「てっめ、何が可笑しいんだ! ぶっとばすぞコラ!」
「キャーッ、か弱い乙女にそんなこと言わないで下さい!」
「か弱い乙女だと? そんなの何処にも居ねーよ!」
「此処に居るじゃないですか!」
 自信満々な顔で、自分を指差す乱菊。
 冬獅郎の霊圧が上昇し、執務室の温度が下降する。
「たたた……たい、ちょ―――」
ガタッ
 突然、外から物音がした。
「えっ? 何の音?」
 乱菊はさり気なく話を逸らし、襖を開けた。
 そこには、柱にもたれかかる桃の姿が。身体が震えていて、荒い呼吸をしている。
「桃! えっ、何、あんた大丈夫!?」
 桃は青ざめた顔を乱菊に向け、首を縦に振った。
 そして今度は、驚いて声も出せずにいる冬獅郎に、力なく笑った。
「……今、お婆ちゃんの所から、帰って――」
「雛森!」
 床に頭を打ちそうになった桃を、冬獅郎が辛うじて受け止めた。
「……松本、四番隊に行ってくる」
「はい!」
 冬獅郎は瞬歩を使い、執務室を後にした。

「また……『雛森』に戻っちゃいましたね」
 乱菊はクルリと向きを変え、呆れた様に笑った。
「……それに、不機嫌なときの顔は昔と全然変わってないですね。隊長……」
『あ? 何だと?』
「……ギャハハハハ!!」
 先程の冬獅郎の顔を思い出してしまい、乱菊は机をバンバン叩いた。

「……ごめんなさい。何も言わずに出掛けちゃって……」
「……謝んなくて良いから、もっと自分の身体を大事にしろ」
 冬獅郎は桃の手を、そっと握った。
 桃は微笑んで、握り返す。
「えへへえ」
「……何だよ気持ちわりーな」
「なっ! 日番谷君だって今ニヤけてたじゃ――、痛っ!」
 桃はでこピンを食らった。額を押さえ、ベッドから身体を起こす。
「何するの!」
「『日番谷君』じゃねーよ。名前だ」
「……で、でも! さっき私のこと、名字で呼んだじゃない!」
「……」
 何も反論出来なかった。
「私のことも名前で呼んでよ」
「……桃」
「……シロちゃん」
 膨れっ面が、笑顔に変わった。
「桃」
「……シロちゃん」
「……桃」
「シロちゃん」
「……桃」
「……シロちゃん」
「……っ」
「あははは……」
 2人は笑いだした。
 出会ってから200年近くは経っていて、お互い、もう立派な大人だというのに。名前で相手を呼ぶだけ、ただそれだけで、流魂街の頃に戻った様な気がした。
「……ははは……全然変わってないよね。私達」
「ああ。……身長を除いてな」
「……そうだね。私、見上げる側になっちゃったもんね……」
 桃は嬉しそうに、それでいて悲しそうに笑った。
「……もう、シロちゃんに勝てること、無くなっちゃったね」
「……桃……」
「あはは……ちょっと、悔しい」
――ううん。悔しいんじゃなくて、寂しいの。
 突然、冬獅郎はわざとらしく咳をした。
「……どうしたの?」
「1つ聞きたいんだが、俺に勝てることが無いってことは、愛情の大きさも俺の方が勝るって訳だな?」
「え……ち、ちが……っ! それは私の方が上よ!」
「ふーん、それって、どんくらいだ? 表してみろよ」
 冬獅郎は口端を吊り上げ、意地悪く笑った。
「な、何それ!」
「ん? 何だ、出来ないか? なら、俺の方が上だな」
「分かったわよ!」
 桃は冬獅郎の顔を思い切り引っ張り、乱暴に口付けた。
「……」
「……」
 行動に移ったのは良いが、これからどうすれば良いか分からない。
 冬獅郎は痺れを切らしたのか、桃の口内に舌を侵入させた。
「んっ!? ふあっ……や、ストップ!」
 桃は慌てて身を退いた。
「な、なん、で……ききき急に、ししししし舌、入れたのよ!」
「あ? 何吃ってんだよ、別にどうってこと無いだろうが」
「……」
 真顔でそんなことを言う冬獅郎に、桃は驚くというより、唖然とした。
 ……やはり、冬獅郎の方が、1枚上手らしい。
 だが、桃は食い下がった。
「……でも、私の方がシロちゃんのこと考えてるもん。わざわざ、お婆ちゃんに卵焼きを教えてもらいに行ったんだから」
「……は? それで、今日居なかったのか?」
「そうよ! 頑張ったんだから!」
 得意げにそう言ってから、桃は恥ずかしそうに笑った。
「……でも、本当に大事なのは、心を込めることなんだよね。私は、ただ上手く作りたいって思ってて……お婆ちゃんに教えてもらえるまで、気付かなかった」
「……そうか……」
「……あーあ、本当は、今日の夕飯で食べさせてあげたかったのになあ」
「仕方ないだろ、悪阻が酷かったんだから。今日はゆっくり寝ろ。……明日、楽しみにしてる」
「……うん!」
 桃は満面の笑みを浮かべた。

「……あ、それとね、お婆ちゃんからお願いされたの」
「お願い?」
「うん。お婆ちゃん、名付け親になりたいんだって!」
 桃は腹を指差した。
「へえ。どんな名前になるんだろうな」
「楽しみだね!」
「ああ」
 冬獅郎は微笑み、桃の腹を優しく撫でた。
「……すっかり、『お父さん』の顔だね」
「お前だって、もう立派な母親だろ」
 2人は顔を見合わせ、声を立てて笑った。

 明日もきっと、この笑い声を聴くことが出来るだろう。
 とある、幸福に満ちた食卓で。




End


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