君の瞳に恋してる
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 空座第1高等学校、1年3組。
 荷物を纏め終わり、一段落着いた所で、朽木ルキアは背後から鼻を啜る音を聞いた。
 後ろの席を見やると、案の定、雛森桃が机に顔を伏せていた。
「桃。大丈夫だ」
 微かに震えている背中を見て居たたまれない気持ちになり、ルキアは優しく声を掛けた。
「誰かが拾ってくれたと思うぞ」
「……」
 桃の返事は無いが、それでも言葉を続ける。
「必ず見つかる。元気を出せ」
「……」
「な?」
「うん……有難う」
 やっと返事をした桃の声は、やはりくぐもっていた。
 桃がこんな風になってしまったのは、昨日まで彼女の鞄にぶら下がっていた小さな翡翠が、無くなってしまったからである。凡そ10分前――丁度校門を通ったとき――ルキアが、それに気付いた。
「桃、翡翠は外したのか?」
 隣を歩くルキアに突然尋ねられ、桃は言葉の意味が分からなかったとでも言うように、目をぱちくりさせた。
 しかし、自身の鞄を見た途端、顔を青ざめさせたのだ。
 桃の様子から、ルキアははっきりと理解した。「外した」のではなく「外れた」のだと。
 そのとき既に、門限までの時間は僅かしか残っていなかった。元来た道へ戻って探しに行くなど到底無理で、仕方無くそのまま歩みを進めた。
 教室へ着くまでの間、桃は声を殺して泣いた。行き交う生徒達に訝しげに見られることは無かったけれど、涙はとめどなく溢れた。
 今はそのときに比べて大分落ち着いているが、涙は未だ止まっていない。
 ルキアは、初めて見る桃の泣き顔に動揺を隠せないでいた。
 桃とはもう9年の付き合いだ。それなりに桃の喜怒哀楽を見てきたが、泣く姿は1度も目にしたことが無かった。桃が泣きそうになった時は“彼”が隣にいてくれたからだ。“彼”の何気ない言葉で、桃は笑顔を取り戻せていたのだ。
 “彼”が桃とルキアの住む町を引っ越すときも、そうだった。行かないで、一緒にいたいよ、と涙声で言う桃に、“彼”はビー玉位の大きさの翡翠を渡した。
 “彼”の目の色とそっくりなそれには、翠色の紐が通されていた。
「俺だと思って持ってろ」
 その言葉を最後に、“彼”はトラックへ乗り込んだ。
「絶対、絶対戻ってきてよ!」
 桃は今までの涙声が嘘の様な綺麗な笑顔を浮かべて、走り出すトラックに叫んだのだ。
 “彼”がいなくなってから、時が経つのは早いもので、もう6年。
 一体、何時まで待たせる気だ。はやく帰って来い、貴様がいない所為で、桃が泣いているのだぞ。ルキアは心の中でそう呟き、俯いた。

 不意に、教室のドアが開いた。そのガラガラという煩い音に反応した生徒達は、途端に静かになった。
「お、今日はちゃんと揃ってるな!」
 担任の越智美諭が、軽やかな足取りで教室に入ってきた。
「宜しい宜しい! 今日は転入生が来てるから、そのままちゃんとしてるんだぞ!」
 教卓を前にして立った越智の言葉で、教室は再び騒がしくなった。
「嘘ぉ!」
「こんな時期に?」
「先生、女子ですか? 男子ですか?」
「男子だよ。それもかなり美形」
 越智は有沢たつきからの問い掛けに、ニヤリと笑って答えた。女子達から、黄色い声が上がる。
 しかし桃は顔を伏せたまま、ルキアは俯いたまま。先程と変わらない状態だった。その状態が一変するまで、あと数10秒。
「んじゃ、入ってきて良いよ!」
 越智がドアの隙間に向かって、声を掛けた。生徒達の視線は、その小さな隙間に集まった。
「失礼します」
 廊下からテノールの声がして、ガラガラとドアが開いていく。
 再び上がった、女子達の喚声。そのあまりの大きさに驚いたルキアは、思わず顔を上げた。
「と、とう、し……ろう?」
「……どうしたの? ルキアちゃん……」
 桃は、漸く顔を上げた。まるで言葉を覚えたばかりの赤ん坊の様に、途切れ途切れに声を発したルキアを不思議に思ったのだ。
「……――」
 何時の間にか越智の隣に立っていた長身の男子を目にして、桃は硬直した。泣き過ぎて赤くなってしまった目が、みるみる大きくなっていく。
 窓から差し込む光で、銀色に輝いている髪。日本人のものではないとはっきり分かる、雪の如く真っ白な肌。
 深い色の、吸い込まれそうな目。その目はまるで、自分が大事にしてきた、今日無くなってしまった、翡翠の様だ。
「……シロちゃん」
 転入生は、か細い呟きを耳にした。それを頼りに目だけを動かすと、前方の席に、驚愕している生徒2人を見つけた。セミロングの女子と、シニヨンの女子。
「ただいま」
 転入生は2人に微笑んで、そう言った。

 休み時間になって間も無い頃。
「朽木さん、あの転入生と知り合いなの?」
 頭上から聞こえた声に、ルキアは顔を上げた。井上織姫が、目の前に立っていた。
「桃ちゃんも知ってる風だったけど」
「ああ。冬獅郎は小5のときまでこの町に住んでいて、私達と同じ小学校に通っていた。両親の仕事の都合で引っ越したのだが、今こうして戻ってきた訳だ」
 ルキアは淡々と語りながら、後方に固まっている女子達を見た。
 固まりの中心にいるのは転入生、日番谷冬獅郎。
「日番谷君、その髪染めてるの?」
「地毛だ。お袋がロシア人だから」
「へーえ! 凄い」
「じゃあ、その目と肌の色もお母さん譲り?」
「ああ」
 自己紹介が終わり、休み時間が始まってやっと落ち着いたというのに、女子達に囲まれてしまったのだ。
「折角久し振りに会えたから、ゆっくり話がしたかったのに……。なあ、桃」
 ルキアは後ろを振り返り、同意を求めた。
「……うん」
 桃は頷いたが、苦しそうな顔をしていた。涙が止まり、何より冬獅郎に再会出来て、嬉しい筈なのに。
 実際桃は嬉しい“筈”ではなく、喜んでいる。しかし同時に、冬獅郎がくれた翡翠を無くしてしまった自分が、再会して良いものか。そう思ってしまっているのだ。
 ルキアには、それが良く分かっていた。だからこそ、背を押してやりたいと思った。
「桃。何も、迷うことは無いだろう?」
 その一言で、桃は、自分の気持ちを理解してもらっていると分かった。
 そして、首を横に振った。
「駄目よ、私は」
「桃……」
「あんなに大切だったものを、簡単に無くしちゃって。最低だ」
 自嘲気味に言って、女子達の中に埋もれている冬獅郎を見つめた。

 不意に、冬獅郎がガタンと音を立てて、立ち上がった。
「え、日番谷君? 何処に行くの?」
 女子達の問い掛けには答えず、前方の桃を見つめ返す。
 桃は慌てて正面を向くが、それを許さないとでも言う様に、冬獅郎は小さな背中へと歩みを進め、細い腕を掴む。
 驚きで固まった身体を無理矢理に立たせ、ルキアに笑い掛けた。
「……!」
 昔、桃を慰めるときに見せていた笑顔と、同じだった。
 遠ざかっていく2つの背中を、ルキアは微笑んで見送った。
 その他の生徒達は、冬獅郎と桃が通り抜けていったドアの隙間を、ぽかんと見つめ続けた。

「は、離して……離して」
 桃の声を聞き流し、手の力を緩めること無く、廊下の真ん中を突き進んでいく冬獅郎。
「離してってば」
「……」
 冬獅郎が無言で立ち止まったのは、他に誰もいない階段の踊り場。
「……桃。お前、泣いてたんだろ?」
 冬獅郎の問い掛けに、桃の肩がびくりと震えた。
「真っ赤じゃねえか。その目」
「……」
「まさか、これを落としたからか?」
「え? ……!」
 冬獅郎の右手につままれた翠色の紐の下で、小さな翡翠が揺れている。桃は訳が分からず、それをまじまじと見た。
「どうして……」
「学校へ来る途中、拾ったんだ。……これは、俺が昔、渡したやつだよな?」
「……ごめんなさい!」
 射ぬく様な目に耐え切れず、桃は深々と頭を下げた。
「持ってろって言われたのに、無くさないように気を付けてたのに、今まで大事にしてきたのに……」
「ちょっと待て。……今まで?」
「え?」
 何故口を挟まれたのか分からず顔を上げると、冬獅郎は酷く驚いた顔をしていた。
「持ち歩いてたのは、今日だけじゃないのか? 偶々持ってた訳じゃないのか? 渡してから今日まで、ずっと持ってたのか?」
 冬獅郎は、桃に、そして自分自身に問い掛けた。
 信じられないのだ。桃が、6年もの間、翡翠を手元に置いてくれていたなんて。自分は、長い年月の中で、桃の頭から消えてしまった。そう思っていた。
 しかし、桃の反応は予想に反するものだった。必死な顔で、何度も、首を縦に振ったのだ。
「そうだよ、小学校のときも、中学生のときも、高校生になってからも……、ちゃんと持ってたよ!」
「本当、か?」
「ずっと鞄に付けてたんだよ。たとえ忘れられても、私は忘れないように……」
「……馬鹿だな。忘れる訳、無いだろうが」
 冬獅郎は呟く様に言うと、桃の背後に回り込み、細い首に翡翠をつけてやる。
「これなら、落としたときに気付くだろ」
 声を甘く響かせて、そっと抱き締めた。
 桃は、今までの悲しみが、消え失せた気がした。翡翠も、冬獅郎も、戻ってきた。これ以上の喜びが有るだろうか。
 口元が緩み、自分は彼がいるからこそ、笑えるのだと思った。

「……ねえ」
「何だ?」
「私達って、凄いよね。こうして再会できたし……同じクラスになれたし。偶然とは思えないよね」
「……ああ」
 こういうのを、運命って言うんじゃねえか。冬獅郎の言葉に、桃は一層綻んで、振り返った。
 映っている。翡翠に劣らない美しさを持つ目に、己の濃色の目が。
「……お帰りなさいのキス、して良い?」
 もっと近くで映したいと思ったのは、紛れも無く、恋の所為だ。




End


あきゅろす。
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