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Moving Clay

 結局、傷と病の痛みでその公園から動く事は出来なかったが、散々迷った後に佑尭はやってきた。

 もう真夜中に近い。

 公園の門に停められたシルバーの車。

「…あれ、かな?」

 ベンチに腰掛けるのも難しいらしく、それに寄りかかる形で地べたに座り込んでいる潤也に寄り添う絢歩。

 その彼女が車に気付いて指差した。

 ゆるゆると顔を上げる。

 ばたん、と車のドアを閉める音が遠く響いた。

 潤也は先程の絢歩の問いに頷く。

 声を発する力も無い。

 車から降りてきた人物――佑尭が、頭を廻らせながらこちらに近付いてくる。

 絢歩は頭上で大きく手を振った。

 闇の中、それに気付いた佑尭は、一瞬目を見張ったようだ。見覚えのない娘が自分を呼んでいる。

 その横に居る人物を確認して、佑尭は走ってきた。

「潤!!無事か…って、全然そうじゃないな…」

 様子を確認して前言撤回。

「腹部を撃たれてるんです!まだ傷が塞がってないから…!!」

 絢歩は必死に説明する。だがその前に。

「ちょっと待て。お嬢さん何者?通りすがりの善人じゃあないよな?」

 絢歩ははっと気付いた顔になり、暫く逡巡した後。

「潤也の恋人です」

 …佑尭が思い切り噴き出した事は言うまでも無い。

 ついでに隣からも声にならぬ唸り声が聞こえたが、この際絢歩は無視した。

「どうにかしてあげられないんですか!?もう三時間ほどこの様子なんです」

「痛むのは撃たれた方ばかりじゃないだろう?」

 僅かに首が上下する。

 佑尭はシリンジを取り出した。

「貴田さんから預かってきた」

 言いながら、右腕を持ち上げ、それを絢歩に持たせる。

 慣れぬ手つきで皮下注射した。

「おっし、さっさと帰るぞ。お嬢さんも来いよ、尋問しなきゃな?」

 言って、佑尭は潤也を背負い、車に運ぶ。

 絢歩も付いてゆく。

「尭冶は…見つかったか?」

 耳元にある口から、殆ど呼気だけの言葉が紡がれる。

「いいや。悔しいが俺だけじゃ居場所の見当が付かねぇ」

「孟の…昔居た…場所…」

「あ?」

「そこだと思う…」

「それってどういう…」

 耳元から引っかかるような呼吸音が聞こえてきて、佑尭は口を閉じた。

 絢歩が先回りして、後部座席の扉を開ける。

 潤也を座席に寝かせ、佑尭は絢歩の為に助手席に手をかけたが、その前に絢歩は潤也の頭がある方に乗り込んでいた。

 こりこりと後頭部を掻き、車の前を回って運転席に座る。

 急く気持ちから、思い切りアクセルを踏みそうになったが、ギリギリでその足を浮かせた。

 そう言えば撃たれてるんだっけなと思い直し、真夜中の対向車も少ない道を、彼には珍しい安全運転で帰っていった。


 街灯が規則的に車内の面々を照らす。

 苦痛に歪んでいた膝の上の顔は、徐々に力が抜けていった。

 それでも焦点の合わぬ目は閉じず。

 代わりに左手が、右手首を強く握り締めている。

 それは、眠りを遠ざけようとする行動。

「潤也…?もう大丈夫だよ?どうしたの?」

 絢歩が顔を覗き込むように屈む。

 長い髪が潤也の鼻先で遊ぶ。

「少しは寝なきゃ…ずっと眠れてないでしょう?」

 朦朧とした瞳は、絢歩を見上げているようで。

 違う。別の物を見ている。

――虐待。

 絢歩が問いかけた、その言葉を聞いた時と、同じ目。

「潤也」

 絢歩は体制を直して、力の込められた手を自身の左手で包み、右手は頬を包んで、言い聞かせるように囁いた。

「過去に起きたことは、今は忘れて?私が居るから。ずっと、傍に居るから。大丈夫だよ。信じて――」


 悪夢が、襲う。

 襲われるがまま。成されるがまま。

 それから逃れる手段を、知らなかったから。

 逃れてもいいものだと、思わなかったから。

 盾となるのは、ぼろぼろの肉体だけで。

 壊れる精神を包むものなど、無かった。


 信じても、いいだろうか?



 人間を、信じても、壊されることは無いだろうか――?




 ココロが叫ぶ。

 もう、独りでは、限界だと。










 弛緩した体、閉じられた瞼に、絢歩は微笑んだ。

「お嬢さん、野暮な男のぼやきとして聞いてくれや」

 運転席で、状況を察した佑尭が口を開く。

「あんた一体、どんな魔法使ったんだよ?」

 くすりと、絢歩は笑う。

「私は、何も?」

「アナタ小悪魔系ですか」

 冗談交じりの佑尭の言葉に、笑いながら首を振って、絢歩は考える。

「…命の取引で、通じ合える事ってあるんです」


 運命という重い言葉で纏めてしまうには、不謹慎かもしれない。

 似ていたのだ。どこかが。

 孤独の冷たさに麻痺した心が重なって。

 それは、陽だまりのように。









 夜が明けた。

 まだ朝早い。絢歩は佑尭の部屋で眠っている。

 佑尭は一人、ダイニングで煙草を灰皿に押し付けている。

 ある人を、待っている。

 隠すべきヴェールを覗いてもいいものか、自分にその資格はあるのか。

 孤独に自問自答する時は流れ。

 扉は開いた。

「おはようございます、貴田さん」

「昨夜はご苦労だったな」

「いえ…俺が撒いた種ですから」

 孟はいつもの様に遠慮なく上がってきて、椅子に腰掛けた。

 佑尭はいつもの様に珈琲を出す。

 真っ黒な液体。底を可視させず、静かに波打つ。

「訊きたい事って?」

 いつもはふらりとここに現れる孟だが、今日は話が違った。

 佑尭が呼んだのだ。本当に来るとは半分も思ってなかった。

「…潤が言うには」

 腹を括って、佑尭が口を開く。

「尭冶は、あなたが昔居た場所に居る、と――。…教えてくれませんか?その、場所を」

 静かに、珈琲を啜る。

 その一挙一動を、凝視する。

 カップを離した口が、微かに笑んでいた。

「…消去法か」

「え?」

 途端に、椅子を引いて立ち上がる。

「あれは居るか?」

「あ、はい。部屋で寝てる筈です」

「あれに教えておく。一緒に行くといい」

「……は、はい、分かりました!」

 遠ざかる背。

 結局自分は知り得ないのだと落胆すると同時に。

 少しほっとした。




 扉の前に立つと、叫び声と暴れ回る音が聞こえた。

 やってるなと呟いて、ノブを回す。

「やめっ…!!触るな!!」

 床に転がり、手はしきりに宙を切って。

 目は開いている。だが、見る先は虚無だ。

「俺はてめぇの玩具じゃねぇんだよ!!消えろっ――頼むから…消えてくれ…!」

 孟は横たわる腹を思い切り蹴った。

「っ――!!」

 ごほごほと咳き込む。

「起きたか?」

「……」

 孟をようやく捉えた目が何か言いたげに細められたが、咳込んでそれどころではない。

 ずるずると体を這わせて、寝台に凭れる。

 荒い呼吸が整うまで、孟も黙っていた。

「…撃たれてんだよ、加減しろ」

 脇腹を押さえながら、やっとそれだけ言う。

「そりゃ、悪かったな」

 全く悪びれずに言う。

「孟」

「何だ?」

「ヤツの…目的は、何だ…?」

 孟は寝台に腰を下ろす。

 縦幅に凭れる潤也と直角になる形で。互いに顔は見えない。

「鹿持か」

「何の為に俺を作った…?試作品ならもう用済みの筈だろう」

 付き纏う幻覚。目を離したくとも甦る過去。

「何故、殺さない…。生かしたまま手元に置こうとする…?」

「それは、その身が一番知ってる事じゃないのか?」

「っ――!!」

「遊んで…壊したいだけだよ。あの男は。餓鬼みたくな」

 震える体が孟を見る。

 依然、背を向けたまま、表情を窺わせない。

「もう…嫌だ…」

 体を反転させ、布団に顔を埋める。

 目を逸らすように。

「奴を壊したいのは俺の方だ…。殺したって、きっと飽き足らない…。なのに…」

「お前はアイツを殺さないな?殺そうと思えばいつでも行ける筈なのに」

 応えず、顔を埋めたまま。

 手が、布を握り締め、小刻みに震える。

 再確認させられた。

 あの男の前だと、理性が保てない。

 憎しみ。そして恐怖。

 殺せないのではない。

 近付けないのだ。

「どうして…俺なんだ…?」

 埋もれた声は、既に感情を失って。

「智之も尭冶も、こんな事は無かった…。いや…どうして、アンタなんだ…?何故、アンタのクローンを作った…?」

 浮かせ、見上げる顔は、固く覚悟を決めている。

 闇を受け入れる、覚悟を。

「試作品なら、恕のクローンを最初から作った方が効率が良い筈だ。それをわざわざ、ただのチンピラであるアンタのクローンを作った。何故だ?」

 失敗したとしても、それは『廃棄』すれば済む。見せられた眼球の持ち主たちの様に。

 失敗を恐れて『試作』する筈が無い。

「遺伝子の縺れ…とでも言っておこうか」

 孟は天井を眺めながら呟く。

「お前は俺の代用品だ。だからこそ、奴はクローンに手を出した」

「…代用品…」

 生命の複製。それがクローン。

 何故、あの男が複製を欲したのか。

「アンタは…何者だ…?」

 同じ顔。同じ遺伝子。

 それがふっと、笑った。

「ただの…チンピラだった訳じゃないん…だろう?」

 そうでなければ。

 ここまであの男が執着する理由など。

「記憶まで共有する必要は無い」

「ふざけんな!!お前じゃない、俺に関わる事なんだよ!!」

 飛び掛って、胸倉を掴む。

「何の為に…何の為に、俺は生み出され、生かされ、殺される…!?お前達の馬鹿げた運命の為か!?答えろ!!お前は、何者なんだ!?」

 孟は表情を消したまま、怒鳴る潤也を見つめる。

 手応えの無さに、力無く手は離された。

「…俺は…何者なんだ…?」

 その場に蹲る。体を丸めて。

 こうして、生まれる前に戻れたら。

「お前は『物』だ」

 孟は目前に落ちているモノに言い捨てる。

「俺に使われ、俺の代わりに憎い奴らを消す、物だ」

 項垂れた首が、横に振られる。

「分かっている…。余計な事は考えない方がいいんだろう?…だが」

 起こした顔は、痛々しく笑う。

「冥土の土産だ。それくらい、知ってから死にたい」

 孟は潤也の目の前に、紙の束を落とした。

「嵯横に教えたそうだな。あの子供の居場所」

「…推測だが、そこしか考えられない」

「それが場所だ。資金提供者…お前の復讐にもなる」

 言って、孟は立ち上がった。

「待てよ」

 扉に向かう孟を、呼び止める。

「たまには、てめぇのツケを自分で払ったらどうだ?」

 孟は振り返る。

 嘲り笑う潤也の顔がある。

「自分で働くのも悪かねぇぜ…人間さんよ?」

 撃鉄を起こした銃口が、孟に突き付けられていた。






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あきゅろす。
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