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Moving Clay

 尭冶は潮の匂いが充満した倉庫内にいた。

 手足が自由に動かせない。ロープで縛られているが、その理由がよく解らない。

 窓の無い暗い倉庫だ。

 ここに来て何日経ったのかも判らなかった。

 だが尭冶にとっての一番の問題は。

「おなかすいた…」

 一日に一回しか、食料が運ばれて来ない。

 それも十分な量ではない。

 何度となく、夢の中で佑尭が作ったご飯を食べようとして、目が覚める。

 余計に空腹感が増す。

「かえりたいなぁ…」

 座った自分より背の高いダンボール箱に頭を寄りかけて、尭冶は呟く。

 その時、すっと光の筋が差した。

 倉庫の扉が開いたのだ。

「たか?」

 期待を込めて、その名を呼んだ。






 絢歩が訪れて、更に三日が経過した。

 痛みはまだ癒えぬが、少し体力を回復しつつある。

 生きろと、言われた。

 いつだったか智之にも同じ事を言われた。

 生き続ける事は無理だ。それは、何年、何ヶ月単位の話で。

 だが、今ここでは勘弁願いたいところだ。

 らしくない。

 恐怖に縛られたまま死を願うなど。

 絢歩に会って完全に意識が変わった。潤也自身はそれを否定したいところだが。

 睡眠薬は無理でも、マトモそうに見える食事なら体内に入れられるようになった。

 最初は吐き気がして仕方なかったが、なんとか栄養を取る事は出来ている。

 そうすれば連鎖的に、少しは自然に睡眠も取れるようになった。

 体力を戻さねば、ここから出る事は叶わない。

 あとは――銃さえあれば。

 がらりと扉が開いた。

 潤也は振り返る。

 無意識に、上体を起こして逃げられる体制になった。

 鹿持が、壁に寄りかかって、妖しく笑んでいた。

「具合、良さそうだな」

「…何しに来た」

「何って、自分の患者の様子を見に来ない医者は居ないだろう?」

「アンタは医者なんて質の良いもんじゃないだろう」

 ふっと笑う。

「そうだな?それ以上だ」

 歩み寄ってくる。

 壁にぴったりと背を付ける。逃げ場が、無い。

「私は神と同等の人間だから」

「…随分と、堕ちた神だな」

 顔に向かって手が伸びる。

 思わず強く、目を瞑る。

 顎を持ち上げられ、眺め回す視線が顔に纏わり付いた。

――変態が…

 開いた目は挑発的だ。この前とは違う。

「…お前を拷問に掛けてでも訊かねばならない事がある」

 鹿持は真顔で口を開いた。

「お前が殺そうとした人間のクローン、どこへやった?」

「…?お前らが持ってんじゃねぇのか?」

「それは、本気で言っているのか?」

「生憎、無用な嘘は付かない性質なんだ」

 にやりと、嫌な口が歪む。

「確かめようか?」

 白衣のポケットから、小瓶を取り出す。

 その中身を見て、潤也は危うく錯乱しかけた。

 正気を保つ為に、布団の下で右腕に左手の爪を突き立てる。

 小瓶の中身は――眼球。

「君のストック…正確には『失敗作』から採取した」

 ちゃぷちゃぷと、悪戯に小瓶を揺らす度、液体の中のそれは不気味に動く。

 『失敗作』――クローンを作る過程で生まれてきた、奇形の者たち。

 同じ遺伝子を持つクローン体が、潤也を含めて五体ある。つまり、その四体が『失敗』した子供達。

 彼らの悲惨な命の上に、潤也は生きている。

「この間、移植を嫌がっていただろう?これならどうかと思ってな」

「馬鹿げてる…。自分達で奪った目を、また戻そうって言うのか!?」

「返してあげるんだよ」

「いい加減にしろ!!要らねぇよ、そんな物!!」

 顎を持ち上げていた手が、上に動き、目元に触れた。

 小刻みに体が震える。歯を食い縛り、目を瞑る。

 手は、右目を覆う眼帯を外していた。

 露わになる醜い傷跡。

 縫われた跡を、指がなぞる。

 びくりと、体が震えた。

「分からないかな。親心だよ」

 過去も、未来も、肉体も、精神も。

 全てはこの男の掌中に。

「我が子がこんな姿で、喜ぶ親は居ないだろう?」

「何を…。体の良い実験体だろうが」

「神は子である人類を愛している。人はそれに気付かないだけさ」

 壊される。

 逃げたい、だが完全に絡め取られて。

 口が、傷跡に触れ、舐めた。

 痛みすら遠くなって。

 理性が、壊される。

「…本当に、知らないんだな?」

 低い声が、耳元で囁く。

 頷く事も出来ず、酸素の足りぬ魚のように、吸えぬ呼吸を繰り返す。

 その口を、覆う唇。

 フラッシュバックで甦る過去。

 戻りたくないと、あれだけ願った過去が。

 がたん!!と。

 扉が開いた。

「――!!」

 咄嗟に潤也は鹿持を突き飛ばす。

「撃て!!絢歩!」

 銃声が、白い部屋に響いた。

 伏せた潤也の数センチ頭上の壁に着弾する。

 耳元を掠った弾は、鹿持の意識を奪っていた。

「潤也!!逃げよう!!」

 混乱する理性を振り払うように、はっきりと頷いた。




 それは、白昼夢だった。




 公園の遊具。丸い穴の開いた小さな部屋。

 それに大人二人が入るのは狭すぎた。

 追っ手を撒く為に潜んだその小さな部屋は、嫌が応にも二人の体を密着させる。

 潤也は正方形の小部屋の角に頭を持たせかけ、激痛に眉間を寄せて耐えていた。

 傷が開いたかもしれない。

「…大丈夫?」

 絢歩の言葉に何とか頷く。

 彼女は少し考えた後、そっとその頭を動かし、自らの肩に乗せた。

 腕は潤也の肩に回し、手は黒髪の頭を撫でる。

「…少し…来るのが早過ぎたかな…。傷が治ってからの方が良かった…?」

 肩の上の頭が、小さく振られた。

 あのタイミングより遅かったら、戻って来られなかった気がする。

「そう…良かった…」

 絢歩は少し微笑む。

 痛みが少し引いてきた。慣れてきたのかも知れない。

 ゆっくりと、肩から顔を起こした。

「怖く…ないのか?」

 潤也の問いに、絢歩は小首を傾げる。

「俺が」

 取られたままの眼帯。醜い傷跡は、晒されたまま。

「気味…悪いだろう?」

 絢歩は微笑んで、さらりと右目にかかる黒髪を避けた。

「平気だよ。このくらい」

 力強い微笑に、潤也は続く言葉を失った。

「醜さも、痛みも、弱さも…全て愛せる気がする。あなたなら」

「…その上、どうしょうもないくらい汚れ物だ」

「人は汚れて出来上がる物じゃない?誰だって」

「……人、か」

 拒みたい事実。だが、身に付けてしまった人間的要素は、もう落とせない。

「潤也」

 折り曲げた膝の上に乗せた顔を、巡らす。

 その顔に、絢歩の白い手が、触れる。

「あなたの事、初めて見た時から…好きみたい」

「……」

 顔に触れる手に、触れる。

 その手を引き離した。

「止めとけ」

 逆を向いて吐き捨てる。

「言ってるだろ?あんたが見てるのは幻影だ。…屍なんだ」

「それなら、その幻をっ…!」

「不毛どころか、マイナスだ。あまり俺を…無駄な事で苦しませるな」

「……」

「もう、消えるだけの存在だから」

 丸めた背中に腕が伸ばされる。

 耳元に温かな頬が触れて。

「でも、苦しんでくれるんだね?」

 それが嬉しいと、囁くように告げた。

「絢歩…」

 顔を、再び向ければ、至近距離で見つめあう形になる。

「もう我侭は止せ。俺はお前を殺す事しか叶えてやれない」

「十分だよ。それだけで」

「お前は…人間だ。幸せになりたいとか、無ぇのかよ?その資格はあるだろ。俺らとは違う」

「とっくに…奪われたもの。そんなの」

「どうにかならねぇのかよ…」

「面倒臭い?こんな女」

 真摯に見つめてくる目。

 慣れない。どうしても。

「ああ。面倒だ」

 顔を起こす。低い壁に背を預ける。

 逃げる様に上を向く。

「なら、良かった」

 絢歩の意外な言葉に思わず視線を向ける。

「面倒で嫌な女の方が、殺し易いでしょう?」

 舌打ちして、視線を彷徨わす。

「そんなに死にたいなら、今殺してやる」

 見開かれた瞳。

 何か言おうとした口は、閉じられて。

「そんな覚悟も無ぇくせに。大口叩いてんじゃねぇよ」

 呆れた顔で反応を見やって、深く溜息を吐いた。

 絢歩は激しく首を横に振る。

「そんな未練がましい事は言わない。殺してくれるならいつだって良い。ただ…今は、少し、待って…」

「だからそれが……!」

 苛付いた声音は、紅の唇に止められた。

「っ……!!いい加減に…」

 狭い空間で絢歩の体を突き放す。

 拒まれた事に、彼女は悲しそうな表情を浮べ、

 二人の中間に置かれていた銃に手を伸ばした。

「馬鹿!止めろ!!」

 咄嗟に銃を持った手を掴んで捻り、細い手先からその物騒な物を落とす。

「どうして!?死んだっていいでしょう!?」

「違うんだよ…」

 逆に痛みを隠せない色を浮かべたのは潤也。

「違うんだ…悪い…」

 喘ぎながら、壁にもたれる。

 自身で身を起こしていられない。

 左手で顔を撫で、口を押さえる。

「見ただろ…あの変態ヤロウ…」

「……だから、無理?」

 だぶってしまう。

 蝕む、闇に。

「小さい頃から…虐待を受けてたのね?」

 表情の無い顔で、虚空を眺める。

 思い出したくはない。一番暗い部分を。

 思い出してしまうには、感情を身に付け過ぎた。

「泣いたって、いいんだよ?」

「…そんな顔してるか?」

 彼女は微笑んで、そっと体を引き寄せた。

 壊れ物を扱うかのように、優しく抱き締める。

 その温もりに、頭の中で警鐘が鳴り響いたが、

 今は、無視することにした。





 あなたは粘土で出来た綺麗な人形みたいね?

 そう…紙粘土みたい。

 ずっと捏ねてないと、乾いてぱさぱさになっちゃう。

 ぽろぽろと壊れてしまって、

 そうしたらとっても悲しいんだ。せっかく綺麗に出来てたのに。

 でもずっと、こうやって触れていたら

 手の温度が人形に温度を吹き込んで

 こんなにあったかくなるの。

 それはね、私まで生きてるんだって事を教えてくれて。

 だから、居なくちゃならない存在になっちゃうんだ。




 醜さも、汚れも、痛みも、罪も。

 全て、目を閉じて。耳を塞いで。

 今だけ、忘れて――










 日が暮れた。

 ただでさえ薄暗い秘密の小部屋は、闇の溜まり場となって。

 丸い出入り口から二人は抜け出した。

 潤也はジャングルジムに背を預け、携帯を取り出す。

 その横で、絢歩は滑り台に腰を下ろした。

 佑尭に電話をかける。そう言えば怒らせて以来、話していない。

『潤也!!どこだよ今!!無事なのか!?』

 飛びつくように電話に向かって叫ぶ姿が想像され、少し笑えた。

「ああ…何とかな」

『何とかじゃねぇよ!!何日経ってると思ってんだよ!?マジ死んだかと思ったし…心臓に悪すぎるわお前』

 何度か死に掛けた。あながち嘘ではない。

 苦笑しながら、頼んでみる。

「迎え、来てくれるか?」

『当たり前だ。今何処だよ?』

「それがよく解んねぇから、なんか目印見つけてメールする。…悪かったな、本当に」

『なんだよ…。素直過ぎて気持ち悪い』

 思わず、笑う。

「違いねぇな」

 携帯を閉じると、絢歩の視線とぶつかる。

「俺は帰るけど…お前はどうする?」

「…帰る場所に帰ったら、私は…どうなるか、解らない」

「言わねぇよ。あんな所に帰れなんて」

 絢歩はじっと、潤也を見上げる。

 助けを求める目。

 もう、そこから逃げない。

「とりあえず…一緒に来いよ。若い男ばかりだが心配は無い」

「…ありがとう」

 空を仰ぐ。

 塗りつぶされた闇夜。星月は人間に隠されて。

「それ言いてぇのは、俺の方だ…」

 絢歩は笑った。

 美しい、白銀の満月のように。



 太陽を失って、何年経ったろう?

 久し振りに見た光は、影をも同時に持ち合わせていて。

 闇の中でしか生きられない俺には、調度いい灯りなのかもしれない。


 それを飲み込む黒雲は、俺かもしれないけれど――





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