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Moving Clay

 それは、質の悪いモノクロ映画のように。

 赤だけが、いやに冴えて。

 ゆっくりと扉が開く。

 焦る気持ち。裏腹に粘ついた動作。

 ようやく完全に開かれた扉の向こうは。

 一点から拡がり続ける赤。

 それは全てを飲み込んで。

 それを流す智之が、倒れた体で嘲笑う。

『タスケラレナイカラ』


 否定したくて、首を横に振った。

 その首に食い込む、十字架の鎖。

 苦しい。呼吸が出来ない。

 十字架を引きちぎろうと、掴む。

 それは益々己の首を絞めて。

 贖罪。それは。

 繰り返される後悔、それだけ。




「――っはぁッ―!」

 大量の空気を吸い込んで潤也は目覚める。

 途端に息をしたせいで酷く咳き込んだ。

 口を抑え、違和感を感じてその手を見る。

 赤く、染まっている。

 喀血は久し振りだ。荒い呼吸をしながら手を見つめる。

 汚れた手。これでは。

 誰かに差し伸ばす事も出来ないのか。

 増してや、握り合い引き上げる事など。

 血を握るように、拳を作った。

――もう、誰も

 助けようなどとは思わない。

 壊す事しか出来ないのだから。

 その対象すら、今は――

「はは…」

 不意に笑いがこぼれる。

――同情なんかするからだ

 助けようなどとおこがましい――

 自嘲は深い息に打ち消される。

 もう、誰にも。

 踏み込む事も、踏み込まれる事も――


 扉を叩く音が、意識を現実に引き寄せた。

 自室。また佑尭の手によって帰されたのだろう。

「潤也、起きたか?」

「…ああ」

 扉の向こうからの問い掛けに力の無い声で応じる。

「入るぞ」

 向こうから扉が開かれる事など滅多に無い。

 “踏み込まれる”事に悪寒を感じたが、緊急事態なのだと理解した。

 意識を失う前と同じ顔ぶれが入ってくる。

「…アイツの事か」

 尭冶。確認せずとも分かる。

「帰ったら既に消えていた。…一人で出て行く訳が無いよな、お前じゃあるまいし」

 佑尭が顔を曇らせている。

 何だかんだで情の厚い人間なのだ。

「危惧した通りだな」

 そんな佑尭を冷ややかに一瞥して言う。

「誰だと思う?」

 一方で孟は余裕の表情を崩さない。

 心底、楽しんでいるのだ。この男は。

「さぁな。関係無ぇよ」

 吐き捨てて、ごろりと転がった。

 まだ動ける程回復していない。平衡感覚がぐらつく。

「お前…本気か?それ」

 佑尭の声が妙に強張っている。

「お前なら解るんじゃねぇのかよ!?あんな子供が、馬鹿なオトナ達に振り回されて殺されようとしてるんだぞ!?お前、それが許せるのかよ!?」

 怒鳴る内容は、いちいち人間らしい正論。

 それが、煩わしい。

「…許せるかどうかは別問題だ。それに、解らねぇのは俺じゃない」

 味わってきた、そして抱え続ける、痛みが。

「アイツの方だ。何も解らず、感じずに済むのは」

「……お前…」

 怒りを抑えた声。

 理解は出来る。だが同情はしない。

 佑尭は背を向ける。

「お前に期待した俺が馬鹿だった」

 扉に向かう。

 無意識だろう、手が銃を握っている。

「お前が行くのか?一体、何処へ何をしに」

「決まってんだろ。居場所割って…助ける」

 小馬鹿にしたような潤也の問いに、声だけが真っ直ぐ返ってきた。

 音を発てて扉が閉まる。

「…怒らせたな?」

 孟が口を吊り上げたまま言った。

「知るかよ。馬鹿だ」

 同情など、愚か者のする事だ。

 嫌と言う程知っている。

 そう、嫌と言う程。

「だが、移植がすんなりと実行されるのは、お前も面白くないんじゃないのか?」

「…てめぇと一緒にするな」

「奴らの思い通りにさせていいのか?」

「……」

「助けないのか?」

 沈黙の後、ゆっくりと気怠そうに上体が起き上がる。

「…勘違いするな」

 冷ややかな目。揺るがないその中に、過去の苦味がある。

「俺は、他の者を助けてやる程、甘くはない」

 銃に手を伸ばす。

「じゃあ、どうする?」

 弾数を確認し、かちりと弾倉を納めた。

「殺しに行く。それが俺のやり方だ」

 生き方と言ってもいい。罪すら感じぬ連中に、死を与える。

 それが、使命。

「誰を?」

「要は移植させなきゃ良いんだろ」

 寝台から立ち上がる。まだ足元がふらつくが、歩けぬ事はない。

「移植先だよ。俺にとってのアンタだ」

「成程な」

 尭冶の心臓を受け取る核提供者。彼を先に殺してしまえば、移植など不可能だ。

「知ってんだろ?居場所、教えろ」

「…そうだな」

 携帯を取り出し、既に用意されていたのであろう文面を送信した。

「データを送った。そろそろ必要かと思って準備はしておいたが」

 潤也の枕元に投げてあった携帯がバイブする。

 それを開き、目を通す。

「敢えて言っておく。これはスタートかゴールになる一歩だ」

「…何だよそれ」

 画面から視線を上げれば、そこには増して楽しそうな顔がある。

「生半可じゃないって事さ」








 朔浦恕(さくうら ひろし)、十九歳。

 先天性の心臓疾患で、医者にも見離される難病を抱えている。

 長く生きたとしても二十歳までという宣告がなされ、その時まであと数ヶ月と迫っている。

 延命装置のお陰で存命しているものの、意識不明の状態が続いている。

 クローン人間――尭冶は、その“命のストック”として、病が確認された後から計画され準備されてきた。

 家庭は投資で成功を収めた富豪。裏との繋がりは濃い。

 金に物を言わせて命を操作する。一番最悪な種類の人間だと、潤也は思う。

 予想通り、自宅は広大だ。

 恕は自宅で移植手術を待っているらしい。住み込みで医者が付いているようだ――恐らくは無免だろうが。

 夜中。自動警備装置の死角を潜って侵入する。

 これは予め孟が調べ上げていた。どんな手を使ったのかは予測し兼ねる。

 簡単に敷地内へと侵入し、恕の寝かされている部屋に一番近い場所のガラス戸を探した。

 屋敷の北側。裏庭に接し、縁側形式の廊下の窓。

 ナイフでガラスに円形の傷を付け、肘で割った。

 綺麗に、静かに砕けるガラス。

 警報を鳴らさずに済んだようだ。それに越した事は無い。

 尤も、警報が鳴り混乱を招いたとしても、それは望む所である。

 淡々とやるべき事をやるだけでは、充足感が得られない事がある。

 意識の下で、同化してゆく嗜好趣味。

 組み込まれた遺伝子というプログラムからは、抗う術が無い。

 屋内に入る。

 暗闇の中での行動は慣れている。目が慣れれば自在に動ける。

 だが、図面と実際の建築は多少ズレがあった。不用意に違う部屋は開けたくない。

 予想外に手間取る事に苛立ちを覚え始めた。

 その時、カチャリ、と。

 目の前のドアノブが回った。

 身を隠す間も無かった。

 闇の中で銃を突きつけられ、驚きを露わにしてこちらを見ている女。

 二十代始めくらいだろうか。緩く波打つ髪は胸元まであり、目鼻立ちは整っていて美しい。

 華美ではない上品な美しさは、育ちの良さを感じさせるのに十分だ。

 その彼女が、潤也に銃を突きつけられ、身を固くしていた。

 尤も、潤也こそ少し戸惑っている。

 咄嗟に構えた相手が、女だった事に。

「…朔浦恕の居場所を探している。教えれば見逃してやる」

 思わず口をついた言葉。

 甘い、自身で解っている。

「恕…ですか?彼に何を…!?」

「騒ぐな。黙って案内しろ」

「それは…出来ません」

「死にたいのか?別にアンタを殺そうってんじゃないんだ」

「あなたは彼を殺す気ですか?」

「ああ」

「できません、自分の命に引き換えても…」

「何故?」

「彼は…私の婚約者なんです」


 凛と見上げられた大きな瞳。

 意思は強く、少し潤んでいて。


 一瞬。

 一瞬、意識を奪われた。


 高鳴った心臓を否定するように。


 銃弾が、その身を貫いていた。




「きゃあぁぁぁ!!」

 悲鳴。足音。床に体がぶつかる衝撃。

 温い血液が体を伝わる。

――ああ、この感覚。

 あの時と、同じ…

 智之の屍に並んで倒れた時。彼の血液の中で、感じた感触。

 あの時は冷えていた液体が、今は温度を持っている。

 その代わり、己の中の温度が流出してゆく。

「義姉さん、大丈夫か!?」

 若い男の声が頭上で聞こえる。

「亘(わたる)…あなたが撃ったの!?」

「怪我は?」

「無いわ…私は。でも、この人は…」

「こんなヤツ気に掛けなくていいから。どこか安全な所に…兄貴の部屋にでも行ってて。片付けは俺がやる」

「でも、亘っ」

「いいから、早く」

 女のものだろう、足音が遠のく。

 頭上では携帯を開く音がした。

「もしもし…鹿持(かもち)さん?お話に聞いた鼠だと思うんですけどね。捕まえましたよ。……ええ。どうしましょうか?」

 これが孟の言った“ゴール”だろうか。

 呆気ないな、自嘲したい気分で。

 それは叶わず、体の感覚が遠のいてゆく。



 こんなものか。

 死なんて。








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