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Moving Clay

 ふっと目覚めると、向かいのソファに孟が居た。

 部屋は明るい。昼間だろう。

 意識がはっきりするまで、そう時間はかからなかった。

 起き上がる。

「よく寝れたようだな」

「…ああ」

 夢も見なかった。いつもの、浅い眠りによる不快感が無い。

「気持ち良さそうだったぜぇ?車から運び出すこっちの気にもなれってんだ」

 佑尭が孟ごしのダイニングから言った。

 そのダイニングの椅子に、尭冶が大人しく座っている。

「車から?そんなに起きなかったのか?」

 確かに車から降りた記憶が無い。

 無いだけで、自分の足で降りたものと思っていた。

「面白いくらい何しても起きなかったぞ。ま、疲れてたんだろ?って俺、やっさしぃ」

 佑尭の自画自賛はともかく、そこまで眠れるのも気味が悪い。

 ソファの上に片足を上げ、その膝に左手と顎を乗せる格好で、潤也は残りの眠気を取り払っている。

 そうしながら、鈍い痛みを覚えた。

 前回の投与から三日目。効き目が薄れている。

 以前より痛みの強さも間隔も悪化しているのは明らかだ。

 無意識に胸に当てられた右手。

「痛むか?」

 孟がその行動を見逃さず訊いた。

「…別に」

 右手をソファの上に戻す。

「それより…この近くに奴らがたむろしている場所でもあるのか?組の営業している店とか…」

 昨晩の事を思い出しながら潤也が訊く。

 携帯が繋がらなかったお陰で報告も質問も出来なかった。

「ああ、在るには在るが…」

 言いよどむ孟。

「何出し惜しみしてんだよ。さっさと教えろ」

 それさえ分かれば、望みは早く叶う事になるだろう。

「それが分かればお前はすぐにでも行くだろう?」

「当たり前だ」

「それじゃ俺がつまらん」

 不正等な理由に『はぁ!?』と潤也が声をあげる。

「核心に迫るのは簡単になるだろう。そうなるとジ・エンドも早まるからな」

「前から言ってるが、俺はお前の遊びに付き合ってるんじゃない!さっさと教えろ!!」

 銃を出し孟に突き付ける潤也。

 その向こうで、佑尭が潤也に銃口を向ける。

 静かな緊張感が部屋を包む。

 孟が冷えた目で潤也を捉える。

「焦ってるな?」

 潤也は答えない。

 無言のまま撃鉄を起こす。

「潤!!」

 警告の意味で佑尭が名を呼ぶ。

 時計の針音がやけに響く。

 その時。

 ぐう、と。

 不可解な音。

 尭冶の体内から。

「…アキ?」

 佑尭が思わず振り返る。

「もしかして腹減った?」

 こくりと頷く。

 銃を持つ手と逆の手で、こりこりと頭を掻く。

「…らしいですから、とりあえず飯にしません?お二人さん」

 孟が心底、可笑しそうに笑う。

 潤也は溜息混じりに銃を下ろす。

 それを受けて佑尭も銃を下ろし、ベルトの間に捩じ込んで仕舞い、炊事場に向かった。

「…殺さねぇよ。まだ」

「だろうな」

 片目に掛かる前髪を掻き揚げる。

 この男を今殺しては、損の方が多い。

「だがアンタの言う通り、もう時間はあまり無い」

「残念だな」

「さっさと終わらしたいんだ。ここまで耐えてきた…もう限界だ、この身も――俺も」

 思い通りにならぬ我が身。

 そうでなくても自分の物だという感覚は無い。

 作った人間の為の、身体だ。

「明日の午後には連絡する。それまでに十分休んでおけ」

 言って、孟は手の平大の袋を投げる。

 それは机の上を舞い、潤也の許に来た。

 左手でそれを受け取る。

 袋の中に、薬品の入ったシリンジ。

「…まだ痛む訳じゃ…」

「持っとけ。痛みで意識を失ってからじゃ、遅い」

 言いかけた潤也の言葉に被せ、孟が命じる。

 不服そうにだが、潤也はそれをボトムのポケットに押し込む。

 その間に孟は立ち上がっていた。

 ダイニングに向かい、椅子に腰掛けながら尭冶の頭をくしゃりと撫でる。

 尭冶はきゃっきゃと楽しそうに笑った。

 佑尭が皿をテーブルに運ぶ。中にはカレー。

「こっち来いよ、潤」

 佑尭が呼びかける。

 空腹感は無いが、応じて席に着く。

「家族みたいだな。こうやって食卓囲むなんざ」

 ほのぼのと佑尭が言う。

 孟が微笑して応える。その横で口いっぱいに頬張る尭冶。

「おま、肘付くなって」

 左手でスプーンを弄び、右手で頬杖を付く潤也。

「子供の前で教育上良くないだろ」

 呆れた顔で佑尭の顔を見上げる。

 カラン、とスプーンが皿に落ちた。

「…やってらんねぇ」

 椅子を引いて立ち上がる。

「おい」

 皿の中身は半分も減ってない。

「食欲無いし」

 引きとめようとした佑尭に言って、自室に向かおうとする。

 孟の横を通りかかって、ふと気になった。

「アンタは…コイツをどうするつもりだ?」

 隣に座る尭冶を指す。

「なるようになるだろう」

 孟は視線を上げる事なく手を動かしながら答える。

「なんだそれ…」

「生命の導線を持ち去られたら」

 ようやく視線を潤也に向ける。

「奴らはどうするだろうな?」

「…!」

「生きていたい人間ばかりだ。お前や俺と違ってな」

 潤也の視線は尭冶に。

 この子供が持っているのは、誰かの命。

「…知っている」

 それは、繰り返し見せられ、言い聞かせられてきた、人間達の真実。

 己の中には届かない、理屈。

 止めていた歩みを進める。

 乾いた音を発てて、扉が閉まった。

「…すみませんね、反抗期で」

 苦笑いしながら佑尭が言う。

「いや…世話をかけさせるな」

 孟が頼んだ事だ。家賃は要らないから、世話してやって欲しい、と。

「しっかし、俺そこまで癪に障る事言いました?あのくらいで腹立てるような奴じゃないと思うんですがねぇ」

「あれは怒ってるんじゃない」

 にやりと口を歪ませる。

「怯えてんだ」

 『へぇ?』と佑尭が素頓狂な声を出す。

「それこそキャラに無ぇ気がするんですけど。大体、何に?」

 今までの会話の中に、怒らせる要因は少なくともあったが、怯えさせるものなど無かった。

 死をも恐れぬ彼が、何に。

「お前言っただろう、『家族みたいだ』って」

「え…あ、はい。言いました。言いましたけど、それが何か…」

「それなんだよ、あれが怖いのは」

「え?『家族』が、ですか?」

 孟は頷く。顔から笑みが消えている。

「それって、どういう…?」

「『冷凍庫』の中で育ったからな。温いと火傷するんだ」

「…え?」

「それに慣れると本来居るべき場所に戻れなくなるって事を、あれは知っている」

 真人や凛の許で体験した事がそうであったように。

 温もりと同時に恐怖を知った。

 孟の許、それを取り払っていった。冷たい、元の世界に戻る為に。

「貴田さん、一つ素朴な疑問いいですか?」

 小さく手を挙げて佑尭が訊く。

「何だ?」

「貴田さんの十年前って、あんなカンジだったんですか?」

 真顔で上目遣いに見つめられる。

 佑尭はその視線にたじろぐ。

「いや、そういえばクローンだからやっぱ似てんのかなー、って…」

 だんだん語尾が弱くなり、果てに。

「すみません!要らん好奇心でした!!」

 何故か頭を下げる。

 孟は口の端を吊り上げて笑った。

「似てたかもな?」

水を一口、口に流す。

「ごちそうさま」

 佑尭に言って、席を立った。

 扉に向かう。

「貴田さん」

「ん?」

「その逆、ってあると思います?」

「逆?」

「潤が、十年後は貴田さんみたいになってるって事。…あ、これも好奇心です」

 孟は微笑して応える。

「生きてたとしても…無いだろうな」

 軽く手を挙げて別れを告げ、外に出た。

 倉庫を抜ける。

「有る訳がない」

 クローンとは言え、全てが似る訳ではない。

 殊に、自分達は。

 使役する方とされる方、という決定的な立場の違いがある限り。

 それでも、始まりは。

 互いに被害者だった。




 ただでさえ暗い店内が、色眼鏡のせいで上手く視界が効かない。

 出る直前、佑尭が投げ渡したのだ。

 『そのままで行ったら、未成年にしか見えねぇ』と。

 それは紛れも無く事実であり、店に入る事自体叶わなかったら無意味だ。

 正解ではあった。あったが。

「邪魔くせぇ…」

 そもそも、その言い分にカチンと来ないことも無かったが。

 酒の匂い。馬鹿騒ぎ。

 決して心地良いとは言えない、香水の入り混じった匂い。

 しな垂れる女達。騙される男達。

 酒の入ったコップを弄ぶ。

 氷がカラカラと音を発てる。

「飲まないんですか?」

 突如、上から言葉が振ってきた。

 見上げると、派手な化粧を施した、金髪の巻き髪の女。

「お待たせしました。サエです」

 いかにも可愛い子ぶってると言った感じの口調。

 頭痛がしそうだ。

「お隣失礼しまぁす」

 言って、座ってくる。

「ご指名ありがとうございます。和田さんのご紹介なんですよね?お友達?」

 “和田”は孟の偽名らしい。

 潤也がこの店に入れるよう、この数日で工作していた。

「…親戚だ」

「ああ!似てる〜」

 はしゃぐ女。どうもこの手の人間は扱えない。

 もっとマトモな場所は無かったんだろうか、と今更じんわり後悔する。

 尤も、このくらいで我侭を言っていられる状況でもないが。

「従兄弟とか?顔可愛いよねぇ!幾つなの?」

「ハタチ…」

 気が滅入る。さっさと目的の人物を見つけねば。

「お酒、キライ?」

 やはり気になっていたのだろう。こんな店で酒を飲まない人間など、そうは居ない。

「…今から仕事あるから」

 適当にかわす。事実でもある。

 実際は、この体にアルコールを入れるのは危険だからだ。

「何のお仕事?」

「人に言えねぇ仕事」

 ああ、と納得した声をあげる。

「そっちの人なんだぁ」

「まぁな」

 にこりとサエは笑う。

「ジュースにしよっか?」

「別に…」

「いいよぉ遠慮しなくて。何がいい?コーラ?」

「ああ。それでいい」

 サエが席を立った。

 これで落ち着いて探せる。

 色眼鏡を少しずらして、上目遣いに窺う。

 そう狭くない店内。ソファを順に見回す。

 カラン、と手元のコップから氷が鳴った。

「――!」

 居た。

 一番奥のテーブル。

 眼鏡を外し、すっと立ち上がる。

 手元で静かに、カチリと撃鉄を起こした。

 障害物の無い所まで移動し、銃を構えようとした時―

 自分ではない、別の位置から銃声が響いた。

 悲鳴があがり、店内は一瞬で混乱に包まれる。

 その間に、潤也はテーブルとソファの間に逃げ込む。

――気付かれていたか…

 面倒だが、店内に余計な人間が居なくなるのは都合がいい。

 人の間を縫うように、目的の人物に発砲する。

 研究員は周囲の人物によって動かされた。元居た場所に着弾する。

 護衛達が発砲してくる。

 ソファからカウンターへ発砲しながら逃げ込み、相手の弾を逃れた。

 店内には潤也と目的の研究員、そしてその関係者のみが残された。

 敵は三人。移動しながら撃った弾は、既に一人を再起不能にしている。

 カウンターから身を乗り出し、避難する研究者の援護をしている者を撃った。

 それは相手の腹に当たり、更に続けて残る二人に発砲する。

 研究員は店から出ようとしている。

 撃たれる弾をやり過ごし、研究員を狙った。

 もう扉を開けようとしていた彼は、ノブを持つ寸前でそこに倒れる。続けて、付き添っていた護衛も。

 残る一人の男が舌打ちした。

 カウンターに向けて銃を乱射し始める。

 裏側を這うように、凶弾から逃げる。

 反撃できない。嵐のように弾は浴びせられ、頭上にあったボトルが割れ、破片が周りに散らばる。

 相手の弾が尽きるのを待った。

「――ッ」

 その時、突然襲われた激しい痛みに、潤也は唸り声を喉で抑えた。

 薬が切れた。こんな時に限って。

「出て来いおらぁぁ!!」

 男が怒鳴る。弾を残した状態でこちらが反撃するところを狙っている。

 尤も、潤也は痛みで反撃どころではない。

 出来るだけの動作で、昨日孟に渡された薬を取り出す。

 男がこちらに近付いてくる。

 あと三歩。

 投与し終わったシリンジを、目の前のテーブルに向かって投げた。

 こつん、と音をたてる。

 男がそちらを振り返る。その一瞬に、銃声が鳴り響いた。

 どさりと、男が倒れる。

 同時に潤也もその場に体を折り曲げて倒れた。

「いっ――クソ…」

 痛みが己を支配する。薬が体に巡るのを待つ。

 割れたガラスの上に横たえた事で、腕や顔に切り傷が出来、血が滲んだ。

 だがその外傷の痛みで、体内の激しい痛みが少し紛らわされる。

 徐々に、痛みが遠くなってきた。

 立ち上がろうと、腕をつき力を込めた時。

 パリ、と。

 ガラスを踏み潰す音。

 頭上からだ。

 視線を上に向ける。

 銃口がそこにある。

「その顔――N-5番だな?」

 銃を向ける人物は、確信的に訊いてきた。

「…さぁな。誰だ?それは」

 嫌な響きを持つ“名前”。

「惚けるな。その顔に眼帯をしたモノは、お前しかない」

 見下げる顔。

 クローンビジネスの、首謀者。

「半田を殺しに来たか」

 先程殺した研究員の名を口にする。

「まぁ、奴くらいならこちらも痛手にはならん。それよりも、お前達が手元に無い方が問題でな」

「戻るくらいなら、殺されてやる」

「その前にお前が攫ったクローンを返して貰いたい」

「別に要らねぇけど、お前達に渡すのは嫌だ」

「強情になってしまったものだ」

 狙いをつける。

 それは、銃を握る左手に。

「昔は人形でしか無かったのに」

 弾が、左手を掠った。

 その瞬間、その男も消えた。

「――潤!!」

 入り口から足音がする。

 佑尭と、孟だろう。

 もう一度、今度は右手に体重をかけて立ち上がる。

 お陰でガラスによる切り傷を増やしてしまった。

 カウンターに寄りかかる形で立つ。薬のせいで上手く力が入らない。

「殺ったようだな」

 入り口付近で、孟が研究員の体を蹴り、仰向けにしながら言った。

 佑尭は逃げた男を追ったようだが、すぐに引き返してきた。

「裏口から逃げやがった。どこのおエライさんだよ、アレは。リムジンが迎えに来てたぞ」

「…嵯横」

「ああ?」

 潤也の声に佑尭は振り向く。

「家は…アイツ一人か?」

「尭冶か?ああ、寝させてきたぜ?」

「孟、奴らの狙いは――」

 がくりと、支えていた体が崩れる。もう立っているのも限界だ。

「ああ、アイツだろうな」

 どことなく楽しそうに、潤也の言葉を繋いで孟が言った。

 再びガラスの破片の上に体が叩きつけられる。

 その外部的痛みを味わう前に、意識は途切れた。




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