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Moving Clay

「…だからさ」

 明らかに苛ついた声。

 手には袋が数え切れぬほど。

「何で俺が荷物持ちしてやってんだ?」

「いいじゃん。こちとら付き合ってあげてんだからさ」

「俺は頼んでねぇよ!」

 苛立ち最高潮。それでも本気で殴れないのは相手が女だから。

「どうして貴様なんかとこんな…」

「アタシだってタカと買い物したかったっての!」

 『タカ』とは佑尭の事。

「でも潤也の着せ替え面白いから許してあげる。感謝しな」

「しねぇよ。何があってもそれだけは絶対しねぇ」

 潤也とヒトミ…この異色カップルで店を回る間、いつ暴力沙汰になってもおかしくない会話が続いている。

 因みに買い物の内容は、ヒトミの方が七割。

「あ、このスカートとか可愛くない?」

「勝手にしろ…ってか貴様の買い物に俺を巻き込むな」

「違う、あんたに」

「………殺されたいか?」

 この状況を作った佑尭を心底から呪いたい気分だ。

 今日、一日で何度試着室に閉じ込められた事か。


「潤也は可愛いけど背低いから無いなぁ。あと、性格が生意気だし」

 ようやく帰途に着いた頃は、苛立ち混じりの反論も返せない程ぐったりしていた。

「アタシの方が高かったりするもんね?うん、見上げられるのは嫌かも」

「悪かったな…。分かったから寝させろ…」

 ヒトミの運転する車内。

 助手席に座って、眠気とヒトミの言葉という雑音に挟まれている潤也。

 幾つもの店で交際しているカップルだと間違われた。それについてヒトミは否定している。

「それクスリのせい?」

「あのなぁ、麻薬と一緒にするな。俺は鎮痛剤として打ってるんだ」

「でもモノは一緒でしょ?」

「孟が運ぶからこんな事になるんだ…」

 孟は密売人。当然、麻薬も扱う。

 モルヒネは阿片の成分の一つである。阿片の入手は孟にとって容易い。

 それを彼ならではの人脈を使い、独自の技術で精製して取り引きされる麻薬よりも危険性の少ない物にし、潤也に渡しているらしい。

 彼にとって痛みを和らげる方法はそれしかない。

 だが医療的に使われるモルヒネとは訳が違う。

 大体、癌患者に使われる管理された成分・量ならば耐性が付き、ここまで副作用は長引かない。

「病院に行けたらいいのにねぇ」

「せめてマトモな薬だけでも手に入ったらな…」

 珍しく意見が同調する。

 窓ガラスに額を当てて、外を眺める。

 夕方。人々が忙しなく動く。

「ちょ…止めろ!!」

 突如、潤也が叫んだ。

 最寄のパーキングスペースに車は止まる。

「どうしたの!?」

 ヒトミが問いかけるが、潤也は既にシートベルトを外し、外に出ようとしていた。

「先に帰っておけ。嵯横には連絡する」

 言い残して、人々の行きかう街中に消えた。

「あぁゆうトコも付き合えないなぁ…」

 ハンドルに身を寄りかけて、ヒトミはぼやいた。





 見かけた背は、雑踏に紛れた。

「畜生…何処だ…!?」

 見間違いだったかもしれない。だとしても、探してみる価値はある。

 目の端で、探す顔を捉えた。

 表通りから脇道に入ろうとしている。

 考えるより先に足は走り出していた。

 距離がある。このまま見失ってはあまりに惜しい。

 己を生み出した者の一人。

 檻の中で気の向くままに甚振っていた――許せぬ人間。

 追う背は、卑猥な匂いのする裏通りに吸い込まれた。

「――どこ行った…!?」

 日が暮れようとしている。視界が狭まる。

「なぁに?道に迷ったの?ボク」

 着飾った女達が色目で話し掛けてくる。

「白衣の男を見なかったか?」

「遊んでくれたら教えてあげる」

「…悪ィけど」

 銃口を、女の腹に向ける。

「今日は苛立ちが限界なんだ。さっさと吐け」

 甲高い女の悲鳴は、人を集めるのに十分な効果を持った。

 するりと野次馬の中に紛れ、目的の人物を探す。

 ちらと見えた、白衣の端。

「――!」

 更に人通りの無い路地裏に消えようとしている。

 ドラム缶やダンボールの積み重なる狭い通り。それをすり抜けながら進む。

「待て!!」

 叫ぶ。見失わぬよう相手の足を止めさせるのが先決だ。

 相手が振り返った。

 間違いない。憎い顔。

 その時、銃声が響き渡った。

 弾は目前のドラム缶に当たる。

 潤也はドラム缶と木箱の山の間に身を潜めた。

 一本道。条件が悪い。

 一方、追う相手はその道を抜けようとしている。

 ドラム缶から半身を乗り出して発砲した。

 その手の数センチ先に、敵の撃った弾が着弾する。

 再び身を潜める。

 恐らく相手は複数、援護射撃をする者がこの先に居る。

 不用意に追えば待ち伏せされているだろう。

 これ以上の追跡は諦め、相手の出方を窺う。

 仲間が待ち構えている事は迂闊だった。

 相手が始末に動くかと待っていたが、それ以上のアクションを起こす様子は無い。

 逃げられたようだ。

「護衛だった…って訳か」

 呟いて、警戒を解く。

 確かに以前から、研究の中心に居る化学者には数人の護衛が付いていた。

 それは暗殺者やスナイパーとしてその名を売っていた者たち。

 目的が護衛である以上、向こうもこれ以上深入りをする可能性は低い。

 潤也は携帯電話を取り出した。

 潜伏時間が長かった。もう夜はとっぷり暮れている。

 時計は二十時前を指していた。

 立ち上がる。辺りはひっそりとしている。

 来た道を戻りながら、潤也はリダイヤルを押した。

『何してんだよ!?早く帰って来いっ!!』

 佑尭の怒号を、耳から電話を離してやり過ごす。

「帰るから迎えを寄こせ」

『何だよ!!えっらそーに!!貴田さんの頼みじゃなきゃ家にも入れてやらねぇよ!』

 皆まで聞かず電話を切る。

 今度はその孟に電話を掛ける。

 呼び出し音が何度か繰り返されたが、繋がる事は無かった。




 そいつは下っ端研究員だった。

 他の奴らから怒鳴り散らされるのを何度か聞いた事がある。

 そのストレスは、全て俺に向いた。

 抵抗もせぬ人形を、奴は弄り続けた。

 動けなくなるまで腹に足をめり込ませ。

 内出血を起こし色が変わるまで、顔を拳で殴った。

 その頃から痛みなど麻痺していたのだろう。

 感じる痛みは俺の中に上手く届かなくなった。

 その頃は怒りすら知らず、憎しみすら沸かなかった。

 殴る人間を可哀想だと思ったりもした。こんな事しか出来ないのか、と。

 それよりも怖かったのは。

 己の中に燻る黒い炎が、湿った紙を燃やすかのように、身の内を焦がしていった事――

 それは今も俺を蝕み続ける。

 全てを、灰に化すまで。





 意識の浮遊感を味わう間も無く、潤也は飛び起きた。

 苦しい呼吸を繰り返す。

 ソファの上。毛布が一枚掛けられている。

 横を見れば、尭冶の視線とぶつかる。

 その彼が、ふっと立ち上がり、奥に姿を消した。

「…っ」

 気分が悪い。また魘されていたのだろう。

 殴られる夢を見ていた。当然かも知れない。

 現実の記憶を辿る。

 佑尭が迎えに来て、車に乗り込んでから記憶が飛んでいる。

 乗車した途端眠ってしまったらしい。

 佑尭の姿は無い。ヒトミと外出したのだろう。

 時計に目を遣る。深夜一時。

 深く息を吐くと、目の前にコップを差し出された。

 尭冶が水を汲んできたのだ。

 気怠い手でそれを受け取る。

「…嵯横に命令されたか?」

 訊くと、少し考えるように首を横に向ける。

 そして微笑んで首を横に振った。

 自主的に判断して、水を持ってきたという事だ。

 前例があるせいで覚えたのだろう。学習能力という奴だ。

 半分ほど嵩を減らして、ソファの前にある低いテーブルにコップを置いた。

 鏡の様な澄んだ瞳が、いちいちその行動を追う。

 冷えたガラス玉の瞳がそれを捉える。

 同じ様で、決定的に違う。

 違うようで、根本は同じかもしれない。

「…お前は痛みを感じないのか?」

 朝試した事を直接疑問にして向ける。

 『分からない』とその首が傾げられる。

「怒りも憎しみも無いのか?」

 同様の反応が返ってくる。

 潤也はそれを見て、しばらく考えた後、呟いた。

「…いいな、お前」

 それらから開放された存在。

 望んできた。過去の自分なら羨ましいと思うだろう。

 殴られてきた、痛み。縛られた鎖のきつさ。

 自分で自分を傷付けた事もあった。

 痛みを確かめたくて。

 生きていると、確かめたくて。

 再びソファに身を沈める。悪夢に苛まれると分かっていても、悪魔が意識を引きずり寄せる。

「…寒」

 毛布一枚では、温度を保つのに心許ない。

 外気より身の方が熱を持っているのかもしれない。

 尭冶が立ち上がる。再び奥に姿を消す。

 『寝に行ったか』と、付き纏う視線が無くなる事に安堵した。

 寒気は続く。己に腕を回して温度が逃げるのを防ぐ。

 身の中で炎が燃える。

 生を蝕む、黒い炎が。

 ずるり、と。

 何か重い物を引きずる音。

「…!」

 思わず目を見張る。

 尭冶が、己より大きいであろう布団を、床に引きずって運んできた。

 それを、不器用に、時間をかけて、潤也の上に掛ける。

「…何でだよ」

 クッションに顔面を埋めているから様子は見えない。

 それでも重さが伝わる。温もりが増してくる。

 作業を終えて、尭冶はぽんぽんと布団を叩いた。

 満足そうに笑った。

「どうして、こんな事…」

 顔を横に向けて、その笑みを目に入れる。

「俺はお前を殺そうとしてるんだ!!分かってんのか!?」

 理解する筈が無い。微笑が消える事は無い。

「…お前のせいで、俺は…」

 声が掠れる。激情に耐えられない。

 試作品として作られた。

 目の前のモノを作る為に。

 その結果、己が味わってきた苦痛を、彼は知らない。

 似たような経験を身に覚える事も無い。

 嫉妬だろうか。気が狂いそうになる。

 憎い。何よりも。

 それなのに。

 それなのに――


 黒い炎は、昏い感情を吸って、更に燃え上がる。

 腐った腑を、焼き焦がして。







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あきゅろす。
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