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Moving Clay

 繰り返される悪夢。

 それは覚悟の上だとしても、徐々に精神を蝕んでゆく。

 だが、その前に。

 崩壊は、肉体の方が先だろう――

「ッ!!」

 背筋に冷たい物を覚えて、急激に身を起こした。

 眩暈。胃を鷲掴みにされているような、吐き気。

 ふらつく体を御しながら、寝台から降りる。

 扉を開けて、更に廊下ごしにある扉を開く。

 見慣れた洗面台。視界が歪んでいても、どこに何があるかは見当が付く。

 水を勢い良く流す。

 乾いた咳と共に、食道からせり上がってくる物を吐いた。

 吐けるものが無い。胃液ばかりが出てくる。

 それでも多少落ち着いて、口を濯ぎ、ついでに顔に水を掛けた。

 己の呼吸音だけがやたら響く。

「ほらよ」

 突如差し出された言葉と、白いタオル。

 潤也はそれを受け取って顔を拭った。

「目ェ覚めたか?」

 佑尭が壁に身を寄りかけながら問う。

「…何日経った?」

 まだはっきりと覚醒せぬ頭で言葉を紡ぐ。

「まだ、二日目だ。まぁた随分暴れてたし魘されてたから体力持たなかったんだろ」

「そうか…」

 モルヒネによる作用の一つとして、眠気がある。

 それは徐々に回復される物で、健康上は問題の無いものだ。

 ただし、彼の場合は精神的症候が不快睡眠を生み、安息にはならない。

「なんか腹に入れるか?顔色真っ青だ」

「まだ無理だ…」

 嘔吐感も副作用の一つ。

 タオルを横の洗濯機に投げる。

 ついでに汗で不快以外の何物でもないシャツも脱いで、投げ入れた。

 ちらりと佑尭を見る。

「シャワー、浴びてぇんだけど?」

 佑尭は「こりゃ失敬」と笑って、壁から身を浮かせた。

「着替え、持ってきておいてやるよ」

「ん」

 扉の外で「俺は母親じゃないんだけどなぁ」と笑う声が聞こえる。

 下半身の衣服も同じ様に洗濯機に投げ入れ、風呂場のドアを押し開けた。

 蛇口を捻れば、冷たい水が意識を少しづつ回復させる。

 それでも体力を消耗した体を二本の足で支えるのは難しく、壁に右手をついて支えにする。

 水の温度が温くなってくる。それは、人肌程度に。

 否応無く、それは先程見た映像を思い出させる。

 悪夢という、ノイズだらけの悪趣味な映像。

 左手を持ち上げて視界に入れる。

 まだ、引き金の感触が。

 それを、唯一の仲間に向けて。

 現実に体験した、血の温度。

「…夢だ」

 言い聞かせる。

――どうして俺がお前に引き金を引ける?

 だが、実際に死の原因になったのは、自分だ。

 直接手を下した訳ではなくとも。

 左手で顔を撫でた。

 乱暴に縫われた右目の感触。眼球の代わりに防腐剤が詰め込まれている。

「くだらねぇ…」

 もう、過去の事だ。振り返る必要など無い。

――まだ、俺には

 やらなければならない事がある。

 それさえ終われば。






 佑尭の用意した白いロングTシャツと、だぼついたジーンズを着て、リビングへ足を進めた。

 ただでさえ余裕のあるデザインが、痩身のお陰でサイズを違えているようだ。

 一ヶ月に十日程は、飲まず食わずで眠り続ける。窶れる筈だ。

「お前、女物の方が似合うんじゃねぇの?」

 その姿を見て佑尭は、案外真面目な顔で言った。

 顔だって分類すれば女顔になるだろう。身長もそこまで高くはない。

 潤也は答える事は無いと言わんばかりに、乱暴に椅子へ身を預けた。

 向かいに、不思議そうにこちらを見てくる子供が居る。

 数日前に自ら連れ帰った、クローンの子供。

「尭冶、水出してやれ」

 佑尭が言うと、子供は素直に動いた。

「いいよなぁ。従順って。お前より全然使える」

 その動きに感動した風を見せながら、わざとらしく佑尭が言った。

 差し出されたコップを煩わしそうに横目で見やり、炊事場に居る男を睨む。

「生憎、俺は『使われる』事に飽き飽きしてんだよ」

「憎まれ口叩く元気は出たか。良かった良かった」

 ああ言えばこう言う、癪に障るから口を閉じる。

 軽く溜息を吐いて、コップに手を伸ばした。

「…“尭冶”って?」

 空っぽだった体に水分が行き渡る感触を味わいながら、潤也は素朴な疑問を口にした。

「決まってんだろ、そいつの名前」

「ふーん」

「…それだけかい!」

 だから何だとばかりに流される。

「どうせ殺す奴に名前なんざ…」

 怠い体を机の上に倒して、突っ立っている子供を見上げる体制。

 資料によれば歳は十三歳。それよりも幼く見えるのは、生育環境のせいか。

 自身にも覚えはある。

 酷い環境、特に栄養不足のお陰で、背などあまり伸びなかった。

 今も一六〇そこそこしか無いが、その三十センチ程は檻から出た後に伸びたものだ。

 特に真人と出会った後に。

「…目障りだ。座れ」

 尭冶に向かって命じる。

 そんな物言いにも関わらず、素直に従う。

 何故だかそれが、潤也の神経を逆撫でする。

――人形みたいだ。

 考えてから、封じていた自身の願望を思い出す。

 人形に、なれれば、と。

 苦しいだけの世界の中で、何も感じる事が無ければ、どんなに楽だろうかと。

 本気でそう望んでいた。

 今は馬鹿馬鹿しいだけだが。

「何か食うか?」

「…ああ」

 答えながら、視線は一点に。

 自ら目障りだと言っておきながら、尭冶を凝視している。

 そんな潤也に尭冶は小首を傾げる。

 そして少し微笑んだ。子供らしく。

 不意に、ぞっとする。

「…お前」

 驚愕を顔に張り付けて、身を起こして『それ』を見つめる。

「どうした?」

 トーストしたパンを皿に入れて持ってきた佑尭が、そんな潤也に声を掛ける。

 と、彼は立ち上がり、尭冶に歩み寄った。

 純粋な見上げる目。

 次の瞬間、パンッと音を発てて、平手であどけない顔を殴った。

「何やってんだよ!?」

 当然、驚き制止に入ろうとする佑尭。

 だが、それ以上に驚きを隠せないのは。

「…コイツ…」

 見上げてくる視線は、先程と変わらずきょとんとしている。まるで愛玩として飼われる小動物の様に。

「潤也…?」

 ただ何か気に喰わなくて殴った様子ではない。

 佑尭が訝しげに真意を問う。

「…多分」

 子供の顔から視線を逸らさず、潤也は言った。

 その顔は、まるで殴られた痛みなど感じていないように――否。

「コイツの脳は人工的に改編されている」

「何だって…?」

 細い腕を持って、捻る形で持ち上げた。

 大の男でも、痛みを訴えるであろう体制。

 だが、尭冶の顔は、不思議そうな表情を崩さない。

 潤也は怪我にならぬよう手加減しているとは言え、この状況は異常だ。

 強張った顔で潤也は手を離した。

「…痛覚が殺ぎ落とされている。恐らく、感情も」

「そんな事が…!?」

 潤也は元居た椅子に戻った。

「奴ら…本当に“人形”を作りやがった」

 忌々しそうに言って、パンを齧った。

「お前この状況でよく飯食えるな」

「関係無ぇだろ、それ」

「いやだって…想像してみ?エグくね?」

「もっと酷いモノ見てるんでな」

 恐らく佑尭の感覚が普通なのだろうが、潤也は実際に取り出された臓器を前に飯―とは言えない代物だったが―を食わされた事もある。

 『抉さ』など日常茶飯事なのだ。

「…じゃあ、喋らないのもそのせいか?」

「言語中枢まで弄ったようには見えないが…」

 実際、佑尭の言葉を理解し、潤也に水を出しているのだ。

 言葉が操れぬようには見えない。言語障害でも無い限り。

 その時、鈴の鳴るような声が、二人に向けられた。

「それ…ボクも、貰っていい?」

 視線でパンを指す。

「お?…おお。いいぜ」

 戸惑いながらも笑みを溢しながら、佑尭が動いた。

 嬉しそうに笑う。

「…都合の悪い感情だけ、取り除いたか…」

 その様子を見ていた潤也が、呟く。

 思っている以上に、敵の技術は進行している。

 敵――自身を『作った』、親でもある。

「解せんな…。心臓を移植して殺す為だけに作った奴に、何故ここまでする必要がある…?」

「何か言ったか?」

 奥から間の抜けた声。

「何でも無ぇよ。お前には分からない話だ」

「独り言?」

「…それでいい」

 諦めを込めて奥の人物に言う。

「まぁ、喋れるなら都合は良い。訊きたい事もあるしな」

 尭冶に向かって言ったが、理解されなかった様だ。再び小首を傾ける。

「…使えねぇ」

 その反応に、前言撤回を余儀なくされる潤也。

「まぁまぁ、まだお子ちゃまなんだからさぁ。オトナの事情に巻き込まなくてもいいんじゃねぇの?」

「巻き込まれてなかったら存在すらしねぇよ馬鹿」

 自分もこの子供も、言うなれば『大人の事情』で作られた代物だ。

 佑尭はパンを尭冶の前に出してやる。

 喜面を佑尭に向けてから、尭冶はそれを頬張りだした。

「可愛げの塊じゃねぇか。誰かさんと正反対」

「ほぉー?誰だろうな?」

 無駄な会話は受け流す。

 パンを片し、潤也は席を立った。

「今日の予定は?」

 佑尭が訊く。自覚はあるが、これではまるで反抗期の息子を抱える母親だ。

「寝る」

「まだ?」

「二日目だろ?まだ眠ぃんだよ」

「せっかく調子良さそうなのに。勿体無い」

「起きててガキ眺めるよかマシ」

 佑尭は何を思ったか携帯を取り出す。

 どこかに電話しているようだ。

 潤也は嫌な予感を覚えながら、佑尭の挙動を見る。

「別に尭冶に構ってなくていいからさ」

 呼び出し音を鳴らしている間に、潤也に向かって告げる。

 相手が電話に出たようだ。

「あ?ヒトミ?俺だけど」

 その名前に嫌な予感が的中しそうな、実に有難くない悟りを開く。

「悪い、潤也の買い物付き合ってやってよ。金はやるからさぁ。お前も好きなモノ買っていいし」

「ちょ…お前」

「頼むなぁ?ああ、待ってるよ。それじゃ」

 ぱたん、と携帯が閉じる。

「いいだろ?たまには」

「全ッ然よくない!!」

 因みに『ヒトミ』とは、佑尭の長年の彼女である。

 付き合いが長すぎて、彼女というより“姉さん”的存在だ。

 潤也が付き合える部類の人間…である筈が無い。

「だって体に合わない服だと動き辛いだろ?これから…まだまだ“仕事”するんだろうしさ」

「それは…」

 珍しい正論にたじろぐ。

「世の中のセブンティーンはどれだけファッションに金掛けてると思ってんだ!!お前もたまには歳相応の事して来い!!」

「何偉そうに言ってんだよボケ!!」

 思い切り逸れた論点に、怒号が響いた。




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あきゅろす。
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