Moving Clay 二択 携帯の着信音。 書類の置かれている仕事机に投げ出されていたそれは、栞を潤也の隣から立たせた。 「あれ。兄貴じゃん」 画面に表示された文字を見て、彼女は目を丸くする。 「孟から?」 潤也の問いに頷いて、電話に出る。 「何年振りの電話だよ?こんな時に」 不機嫌を装って、その表情は楽しげだ。 『それ、いつこっちに返す?』 孟は何の挨拶も前置きも無しに訊いてくる。 「どれ?」 『だから、お前が拉致った物だよ。俺は別に構わないんだが、世話人がやきもきしてんだ』 「なんか上手く言っといてよ。可愛い妹の頼みだ」 『ったく、お前は都合の良い時だけ妹になるな…。何してんだ?今』 「何って。オハナシ」 『まぁ…どの道会わせる気だったから都合がいいと思って放っておいたが…。あまり余計な事は喋るなよ』 「どこからが“余計な事”なんだよ?ああ、俺達の事ならあらかた喋った。兄貴に関わる事じゃなきゃいいのか?」 『そうだな。そういう線引きにしておこう。そのうち迎えに行く』 「マジで?兄貴自ら?だったら嬉しいなぁ、そろそろ顔見てぇよ、ほんと」 『それは期待しない方がいい。ウチの若いのに行かせるかもしれない』 「そんな事したらボコって返す。…マジな話、代替わりもあるし、そろそろ戻ってくれてもいいんじゃねぇの?」 『ああ?お前に代行就任おめでとうって頭下げろってのか?』 「そんな事言ってねぇよ。とにかく俺の組織には兄貴が必要だ。代表だってまだ待ってんだぜ?暗殺されねぇだけでも有難いと思わなきゃ」 『悪いが戻る気は無い。代表にもそう伝えてくれ。俺は無関係だ。丈潟の人間でもない。暗殺したいなら好きにしろ』 「ああもう、兄貴の分からず屋!殺したくっても兄貴は無理だからこうやって頼んでるんだろ!?あと、俺達は兄弟だ。クローンも妾腹も関係無ぇ」 『どうだかな。ああ、俺の代わりにそこに居る物を使うって手もあるぜ?』 「潤也を?確かに銃技は兄貴譲りらしいな。でも俺は数ヶ月単位の話をしてるんじゃない」 『なら、寿命を延ばしてやればいい。そうすればお前の好きな様に使える』 「はあ?どうやって」 『お前と同じだ。首の据え置き』 「って、マジで言ってんのかよ!?俺はクローン体だったからそれが可能だったのであって、もう代わりになる体は無いだろう!?」 『知った事か。鹿持に相談してみろ。何か案はあるさ』 「……そこまでして、戻るのは嫌なのか?」 『そこまで?俺は俺にとって楽な案を出しただけだよ。ま、とにかく戻る気は無い。あと、それはとりあえず迎えに行かせる。それをどうするかはお前次第だ』 「しゃあねぇなぁ、そういう交換条件って訳か」 舌打ち雑じりに言う。 「考えとくよ、兄貴。また電話くれな。…愛してっから」 返る言葉は無く、一方的に電話は切られた。 ぱん、と音を発てて携帯を閉じる。 その顔に、微かな苦笑を交えて。 「…どういう話だったんだ?」 不穏な物を感じ取ったのだろう、眉を潜めて潤也は訊く。 「お前を帰せって話」 「それだけじゃなかったろう?」 「笑えるぞ。兄貴はお前が拉致されるのを判ってて、ウチの人間を放っておいたんだ。大胆と言うか情が無いと言うか…まあ、互いに面倒は省けて良かったけど」 家の周囲に怪しい人間が居る事くらい、孟は気付いていただろう。 それが誰の差し金で、何の目的かも判っていた。 潤也にとっては腹立だしいが、どの道栞の元に行く事にはなっていただろうから、確かに面倒が省けたと言えばそうなのだ。 無抵抗だったのは、不幸中の幸いだった。 「…それはいい。交換条件って何だ?俺に関係無い事じゃないんだろ?」 「あー…それね。いや、無関係だ。こっちの話」 「本当に?」 「関係してきたら教えてやるよ。何、信じろって。余命僅かな弟分を騙す程、俺は非情じゃないぞ」 「非情さの程度なら、よく知ってる」 「…そうだな。余計な説明は要らねぇか。便利なもんだ」 全くの不信の目で見られながら、栞は時計に目をやる。 「もう遅い。疲れただろ?休んだらどうだ?」 「何を隠そうとしている?」 鋭い目。栞は溜息を落とす。 「俺のブラコン具合」 「…惚けてられるのも今のうちだ」 乾いた笑いで鼻の頭を掻いて、栞は潤也に向き直る。 「なぁ」 改まって話しかけられる事に、少なからず警戒する。 「正直言って、お前は」 気持ちは解る――つもりだ。 同じ物だから。 「生きてたい?死にたい?」 答えようとした口は、はっきりした形を作る事無く。 即答出来ない自分に驚いて、もう一つの自分を凝視した。 「こればっかりは戯れで訊いてんじゃない。ちゃんとした答えを聞くまで、開放は無いと思っておけ」 「…何で、そんな事を」 「知ってんだろ?」 にやりと笑う顔。 それは、孟に被る。 「俺達の非情さを」 「…」 「まぁ、時間はやるよ。大問題だろ?簡単に出るような答えなら、俺も要らねぇ」 「答えなら…判りきってる」 そうでなければ。 これまで歩んできた道が。 「まだ言葉にするな。よく考えろ。…それ次第で、お前の残りの人生が決まるかもしれない」 「それは語弊だ。人じゃない」 しばし考え、ふっと笑う。 「悪かった。俺も昔したな、そういう主張」 人間には理解できぬ物の共有。 解っている。物である限り死を願う。 そして、人でありたいと思ったその時から――生を願うのだ。 栞にとって、孟と兄弟になる事。それが生への扉だった。 潤也は今、その狭間で揺れていると栞は見ている。 「あ、そうだ。せっかくだから、お布団一つで寝てみるか?」 「……は?」 当然、しかめっ面で訊き返す潤也。その視線の先。 明るい笑顔に騙されそうだ。 「体は女だぜ?」 「大却下だ」 どうも、また熱が上がりそうな気がして、深く溜息を吐く。 「一人でゆっくり寝かせてくれ」 『一人』をやや強調。 「仕方ない。じゃあ和室に布団引かせるから、先に風呂使っていいぞ」 「…そう言えば、ここってお前の家?」 「ん?そうだけど。正確には今は亡き親父の家」 「…そうか…」 「あ、本家は別だけどな。ここは別荘と言うか。ほら、代表とずっと一緒ってのもねぇ」 見たところここは高級マンションだ。 代表は恐らく栞にとっての祖父にあたる人物なのだろう。一つの組織を束ねる人間だ。 彼女が代行を継いでいる事から解るように、彼女の産みの母が本妻だという事になる。 だとすると孟の母は、妾だ。 「…孟があんた達の父親を殺したのは知っているのか?」 「一部の人間はな。代表には隠している…ってか、お前が殺した事になってる」 「大丈夫なのか?それ」 「だから俺ん家直行便だったんだよ。事務所に置けねぇ」 「…まあ、いいけど。あの事務所嫌いだ」 目の前で“父親”の死と、孟の人間離れした非情さを見せ付けられた場所だ。ぞっとしない。 「そう言えばお前、あれ以前に事務所に入った事無かったのか?居たんだろ、ガキの頃」 警察から丈潟に買われた時のことだ。 「あの時は…よく覚えていない。あの頃の記憶が曖昧なんだ」 先程、唐突に記憶が甦った様に。 檻に居た頃から真人の下に行くまでの記憶は、時に抜け落ちたり、急に甦ったりしている。 いずれも、思い出さない方が良い物ばかりなのは確かだ。 「ふーん、そっか…。まぁ結局ウチの一派に飛ばされたみたいだし?だけど伝説になってるよ、お前の腕は」 「嬉しくない。で、風呂何処だ?」 「ああ、出て左の突き当たり…と、そうだ着替え…」 言いながら、横のクローゼットを開けて服を探る。 「お前の?」 「身長もそう変わらないし。調度いいだろ。明日新調してやるから」 言いながら投げられた服。 眠る為の、ジャージの様な緩い洋服だ。 「…女物」 「顔同じなんだから似合うだろ、きっと」 「……」 渋々潤也はそれを抱えて部屋を後にした。 赤い照明が枕元を照らす。 落ち着きのある和室だ。 床の間もあり軸も掛かっているようだが、入った時から電気が消されていてその様は見れない。 疲れと倦怠感、そして軽い吐き気を感じながら、潤也は部屋の様子もよく探らず布団に潜り込む。 羽毛の高級布団。掛けている重みすら感じさせない。 普通ならあっと言う間に眠りに落ちるだろうが、普段が普段なので逆に落ち着かない。 街の片隅で、コンクリートの上で寝る方が自分にはよっぽど似合うのだと苦笑した。 手には着替えた服に入っていた、千円札と携帯。 しばらく考えて、携帯を開く。 取り上げられなかったのは通信の自由はあると言う事だ。つまり、栞は自分をある程度『客人』として考えている。 「…嵯横?起きてたか?」 電話の先には佑尭。 何故だろう、声を聞けば落ち着く気がした。 『潤也!?無事か!?』 「ああ、何とかな」 布団の中、横になったまま携帯を耳に当てる。 『貴田さんも居場所をはっきり教えてくれねぇし…。今どこなんだよ?』 「さあ?俺もよく判らねぇ。まぁ、他人の家である事は確かだ」 『何だよそれ…。まあ、貴田さんも言えないくらいだから無理には聞かねぇけどよ。…無事なんだな?』 「今の所はな。体力的にはかなり参ってるけど」 『そりゃ高熱の最中で拉致なんか合ったらな…。助けに行きたいが…どうも動けねぇ。貴田さんにストップかけられてる』 「“助ける”程の状況でもない。心配し過ぎだ。寧ろ、待遇はこっちのが良いぞ」 『はぁ!?こんな状況でそんな憎まれ口叩くか普通!?』 素っ頓狂な声を上げる佑尭。軽く潤也は笑う。 「嵯横、本当にお前は心配し過ぎだ」 『何だよ、貴田さんと同じ事言いてぇのかよ、お前』 「そうだ。“ペット以上”なんて言ってんじゃねぇぞ。それが迷惑だ」 『友達以上とか言えってのかよ?』 「だから…“ペット以下”で良いって言ってんだよ。俺の事、忘れろ」 『…は?』 「馬鹿みてぇだろ、そんな存在の為に動揺しやがって…。無いも同然の存在と考えてくれれば良いんだ。俺は憎まれるくらいの方がいい」 『何言ってんだよ、突然。お前みたいな俺様ヤロウが』 「…何の役にも立たないガラクタなんだ」 『…?』 「失敗作…いやそれ以下なんだ。俺は。だから…」 『潤也、落ち着けよ、何があった!?』 「何も無ぇよ。これ以上無く落ち着いてる。…だから、こんな物の為に助けに来ようなんて考えるな。忘れてくれ」 『潤…』 「一人で死なせてくれ」 まだ何か言う電話越しの声を遮って、ボタンを押した。 携帯を握り締めて目を閉じる。 ――これで、いい。 栞は今後の状況次第で、自分を殺す気だろう。 少なくとも今の体で抵抗は出来ない。 だが、ここまで知ったのなら―― 生きる意味は無いだろう。 本来組み込まれる筈だった『自分』に殺されるなら。 それも有りかも知れない。 『生きてたい?死にたい?』 その問いに、死にたいと言えなかった自分。 何が、引き止めるのだろう。 今更、何が。 ――生きて。 頭の中に木霊する声。 はっと目を開く。 ――死んじゃ駄目。 「智之…」 絶対唯一の仲間であった彼の名を呼ぶ。 視界の隅で、何かが動いた。 視線を起こす。 床の間の方向、暗闇の中に、その笑顔を見た。 『死んじゃ駄目』 彼の死地となった、自衛軍基地の中で言った言葉を繰り返している。 潤也は幻覚に笑んだ。 「それは…俺がお前に言いたかった」 暗闇の中に光を残して、それは消えた。 それでもじっと、そこを凝視する。 そのまま、何十分経ったかも分からない。 左目から涙が流れている事も気付かないまま。 ずっと、そこを見つめていた。 (back)(next) [戻る] |