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Moving Clay

 結局道中で支給されたのは、ペットボトル入りの水とゼリー状の栄養食。

 一番重要だった解熱剤は聞き入れられなかった。

 水によって酷い渇きは和らいだものの、ゼリーを口に入れる事は出来なかった。吐き気がしてきたのだ。

 車内で男達に囲まれて揺られている間、どうも熱が再び上昇してきた感がある。

 ここまで無理をすれば必然なのかもしれない。

 自分は何処に向かわされているのか、今から何が起きようとしているのか。

 それすら考えるのも面倒になって、終始目を閉じて体内の悲鳴に耳を傾けていた。

 頭の中で、何故か昨日交わされた絢歩との会話を繰り返している。

 車が止まる。

 うっすらと目を開く。

 信号ではない。地下駐車場のようだ。

 目的の場所に着いのだ。

 車内から出る事を考えると倦怠感が増した。

 両脇の男が立ち上がる。

 構わず潤也は動かなかった。

「おい、降りろ」

 男の苛付いた声が向けられる。

 ちらりと薄目をやって、それでも尚動かない。

 体の怠さに増して、今から起こるであろう面倒な事を思うと、動く気にはなれない。

「…引っ張り出せ」

 男が他の三人に目配せして言った。

 男達が動き出す。ドアから半身を突っ込んで、潤也の体に手をかけた。

 引っ張られるに任せる。無理に抵抗する力も惜しい。

 衝撃と共に、駐車場のアスファルトの上に引き摺り下ろされた。

 体中を外的な痛みが襲う。特に頭を強く打った事によって、意識がぶれる様な錯覚を起こす。

 口の中を切ったらしく、血の味が広がった。

「誰がそんな扱いしろと言った?」

 突如響く、第三者の足音と声。

 不思議な声だ。それだけでは、その持ち主を一切窺わせない。

「代行…!」

 男達の焦った声。

 近付いてきた足音は、潤也の頭上で止まった。

「俺の部屋に運べ。くれぐれも丁重にな」

 せめて、その代行とやらの顔を拝んでやろうと思い、目を開く。

 霞む視界。その向こうに。

 信じられない顔を見た。





 一定間隔で落ちる水滴。

 有無を言わさず体内に入ってゆく液体。

 一滴ずつ、じわじわと。

 バックの中の液体は――赤い。

 チューブの中の液体も、針から体内に入っているであろうそれも。

『これが、例の子供ですよ』

 遠く響く声。

『まだ上には知らせていません。どうも、上の連中も捜しているようで――。命令も下っていますよ?そこをあなたにこうしてお報せしたんじゃないですか』

 真っ白の空間。

 壁も、幾重にも重ねられたカーテンも、蛍光灯の光も。

『それに見合った物を頂く為ですよ。ええ、これからも仲良くしましょう?互いの利益の為に』

 絶対的な白の中で、赤だけがくっきりと。

――ここは、行きたかった場所じゃない。

 彼女を追いやった場所ではない。

 まだ、地獄の続きなのか。

『ええ、その数字で。取引はまた後日連絡しましょう。何せ、まだ輸血中なんですよ』

 カーテンの向こうから聞こえる声。

『死ななくて良かった…。これも、貴方のご子息が早期に通報してくれたお陰でしょう。ええ、彼は元気そうでしたよ』

 女の声だ。

 目が光に慣れると、カーテンは透明で、その向こうに受話器を持つ白衣姿の女が見えた。

『では、またご連絡致します――丈潟代行』

「――孟ッ!!」

 憎しみに任せて飛び起きる。

 チューブが引き千切られ、針が抜ける痛みで我に返った。

 バックの中の液体は、透明だ。

「兄貴がどうかしたか?」

 冷めた声。

 振り向くと、机に向かう“代行”の姿がある。

 腰上まである長い金髪を頭の上で結って、書類を気怠く眺めている。

 その顔は、やや丸みを帯びているものの、同じ顔だ。

 『自分達』に。

 冷え冷えとした双眸が、荒い呼吸をする潤也に向けられて、細められた。

「はじめまして、だな?」

 冷たい微笑。女とも男とも付かぬ、中性の顔立ち、声。

 混乱していた頭が徐々に理解を始める。

 丈潟の子供、孟の兄弟、次期代行――己と同じ、クローン。

 全て、同一人物。目の前に居る、モノ。

「医者の見解ではウィルスによる高熱と栄養失調だとよ。まったく、兄貴はどんな生活させてんだか」

 黒い高級ソファーの上で点滴を打たれていたらしい。起きる際に乱れた毛布が、床にずり落ちていた。

 あの、警察病院での輸血は幻覚なのだ。

 急に甦った記憶に頭痛を覚える。

 あの時の自殺を拒んだのは、孟だった。

「…あんたが、孟の兄弟ってヤツか?」

 目の前の現実に帰る。確認の為訊いた。

「いろいろ語弊はあるが、便宜上はそうだ」

 書類を投げながら『彼女』は肯定した。

「そうそう、『タケル』は偽名だって知ってるだろ?本当の読み方は『ツトム』だ。俺にはそっちのが判りやすい」

「読み方?」

「漢字は同じなんだよ、変えるの面倒だったんだろうな」

「…偽名の意味あんのかソレ」

「さあ?そもそも偽名を作る必要すら無かったし」

「訳わかんね…」

 孟の行動が腑に落ちないのは今に始まった事ではない。

 それよりも、追究したいのは目の前の『自分』だ。

 それは向こうも同じだろう。

「名前、あるか?」

 椅子から立ちながら問う。

「潤也」

 素直に答える。別に騙す必要も無い。

「俺は丈潟栞(たけがたしおり)だ。…この名は面倒だから代行と呼べ」

「戸籍上は女か」

「まぁな、仕方なく奴の人形を生きてやってる訳だ」

 栞は潤也の向かいに座る。

 全身を見ると、間違い無く体付きは女の物である。

「“奴の人形”?」

 不可解な言葉を繰り返す。

 栞はにやりと笑う。

「そのうちゆっくり教えてやるさ。ただ、ここは」

 頭を人差し指で指す。

「お前と同じだ。その事をよく覚えておけ。奴らはここまで弄れなかった」

「哀れだな。俺はそんなの耐えられねぇ」

「ああ、そうだろうよ。俺も気が狂いそうだ」

 だがな、と立ち上がりながら続ける。

「表に生きる以上、お前の様に簡単に死は選べない。逃げれるお前が羨ましくて仕方ないのさ」

「…まだ、逃げた訳じゃない」

「被害者面か?俺はこんなに苦労して生きてますって?」

 見下す目線。挑発的な笑み。

「甘えてんじゃねぇぞ、餓鬼が」

「八つ当たりなら他でやってくれ。俺はまだアンタを殴ってやれる程気分が良くない」

 淡々と、潤也はかわす。

「病み上がりか。つまんねぇな。…いや、進行形で病んでるのか」

 いくらか醒めた顔で栞は吐き捨てる。

「良かったな?その役立たずの臓器のお陰だぜ?」

「何が」

「俺に喰われずに済んだのが」

 潤也は己と同じ顔を睨みつける。

「…どういう意味だ」

「まぁ、そんな剣呑になるなって」

 栞は部屋に備え付けてある小さな冷蔵庫から、缶を取り出す。

 タブを引くと、カシュッと炭酸の抜ける音がした。

「兄弟が出会えた祝いだ。飲め」

 突き出されたのは、ビール。

「…殺す気か」

 迷惑そうに潤也は断る。

「そうかもな?」

 笑いながら栞は口を付けた。

「…アンタの言う事は訳が分からない。孟以上に厄介だ。…一つハッキリさせてくれ。どうして俺をここに?」

 膝の上に肘をついた左手で額を押さえ、潤也は問う。

「決まってんじゃん、そんなの」

 疲れた顔を素っ気無く見やって、彼女は言った。

「顔が見たかったんだよ。どれだけ似てんのか」

 缶ビール片手に、ソファの周りを回って近付く。

「俺はお前が羨ましくて仕方ない。その存在を知った時から。どれだけこの顔を拝みたかったと思う?」

「…自分の顔見りゃ済む話だろ」

「結果論だろ、それは。お前も少なからず興味はあった筈だ、俺に」

「昨日今日で知ったからな、何とも」

 まじまじと見つめる顔は、触れそうな程近くに。

「…離れろ。酒臭ぇ」

 真っ直ぐ見据えて対抗する。

 見つめ合う、瞳。

 にこりと、上機嫌に笑う。

「美人だろ?俺」

「阿呆か…」

 ようやく離された口から紡がれた自画自賛に、本気で呆れ返る潤也。

「いや、こうやって見ると俺も捨てたもんじゃねぇなと思う訳さ。面白いな、クローンって」

「おもっ……馬鹿だろ!?お前!!」

 立ち上がって胸倉も掴まん勢いで反論する。

「どれだけその事実に苦しんできたと思ってんだよ!?お前もじゃねぇのかよ!?それを面白いなんざ…」

 叫びながら、立ち眩みがしてきて再びその場に身を沈めざるを得なくなる。

「あ、点滴途中で抜けたから、無理しない方が身の為だぞ。自業自得」

 頭上でせせら笑いながら栞が言う。

「…解ってるよ」

 仰向けの状態で頭を抑えながら、潤也は呟く。

「ま、お前の言い分は解るけどな。俺はこのちぐはぐな体を、お前は戸籍が無い事でいろいろ苦労してきたのは確かだ。…だけど、それはいずれもクローンが直接齎した事じゃない」

「……それは」

「楽しめよ。どうせなら。それが大人ってもんだ」

 言って、ビールを煽る。

「一人でいじけた所で虚しいだけだ。そうだろ?」

「…お気楽だな。俺はお前が羨ましくなる」

「お互い様だ」

 微笑んで、潤也に向けた缶を少し持ち上げる。

「仲間だ」

『仲間だね、僕達』

――智之。

「それは違うな。俺はアンタなんか理解できない」

「へえ?同一人物でも理解できない事ってあるのか」

「孟がいい例だ。…俺は憎しみを忘れない。忘れて楽に死に行く事なんか、出来ない」

「あと数年の命だってな…あ、あれは数年前に聞いたから、もういい加減寿命なのか」

「ご明察だよ、俺」

「そりゃどーも。俺」

 ふふ、と軽く笑ってから栞は再び口を開く。

「同情はするけどな。可哀想だとは思う。…だが、運が悪かったんだよ。いや、俺がとびきり幸運で不運なのかな」

「お前がこうなっていてもおかしくなかった…そういう事か?」

「俺の意識が、な。そうそう、さっきの話。お前が俺に喰われずに済んだってヤツ」

「…なんなんだ?それは」

 栞は缶を口の上で逆さに向ける。

 もう数滴しか甘露は落ちて来ない。

「っあー。今日は早ぇな…二本目突入、と」

 缶を机の上に置いて、再び冷蔵庫を漁る。

「おい…喋る気あんのか?」

 重要な所をはぐらかされて、眉を顰める潤也。

 同じ缶を手にして、栞は言った。

「ちぐはぐなんだよ、だから。俺は四人分の体背負ってるんだ」

「…は?」

「死なない様に作ってあるんだ。お前と違ってな」

 ぱたん、と足で押された冷蔵庫の扉が閉まる。

 栞は座り直した潤也の隣に飛び込んだ。

 肩に腕を回す。

「俺は三番目のクローンだ。だがそれは、殆どこの脳味噌だけだと言っていい」

 未開封の缶を持った手で、頭を指差す。

「ま、あとこの素晴らしい顔も自前だがな。つまり、純粋に俺の物なのはこの頭部だけだ」

「…あとは…他のクローンの物って事か…?」

「そーゆー事。ご明察、さ」

 潤也の言葉を真似て微笑むと、二本目の缶ビールを開封した。

「皆それぞれにエラーは出ていた。それ以外のパーツを組み合わせて出来たのが俺。…だがしかし、お前には根本的な部分でエラーが出ていた。だから俺の一部にならずに済んだ…ってワケ」

「移植手術は出生後だったんだな?」

「ああ。最後に作られたお前の誕生を待たれて行われたが、待ち損だったんだな。…それでも何とかパーツは揃ったようだが」

 潤也は口を閉じて視線を落とす。

「…失敗作は、俺の方か」

 嘲笑すら浮ばない。

 世界と自分が、思わぬ所で逆転した。

「ショックだろうが、言ってるだろ?俺はお前が羨ましいんだって」

 俯く潤也の頭を撫で回しながら、栞は言う。

「お前には終わりが来るからな」

「…ああ」

 死という、救い。それを望み続けて生きてきた。

「俺は人並みに生き地獄だ」

 顔を覗き込んで、微笑する。

 僅かに顔を上げる。

 その頬を、ぱんぱんと軽く叩く。

「物は考えようだ。俺の一部として生きていたかったか、地獄の中で生きて死ぬか。どっちもどっちだろ?」

「…アンタの一部は死んでも御免だな」

「はっ、言ってくれるな」

 もう一度黒髪を掻き乱して、逆の手でビールを喉に流し込んだ。

「…何で、女なんかに?」

 潤也はふと、忘れかけていた疑問を甦らせる。

「だから、鹿持の人形なんだってば…いや、鹿持だけじゃないな。丈潟にとってもそうだ」

「…くだらねぇ遊びの為か」

「そうとも限らないぜ?だから俺は人形のままで居てやってるんだが」

「解んねぇよ。どういう事だ?」

 栞はいくらか優しい笑みを湛えて潤也を見る。

 こんな表情をされると、女にしか見えない。

「大事な人の面影なんだ」

 もう一つの『面影』をそっと撫でて、栞は言った。



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