Moving Clay 裏 弾の込められた銃。 次に向けるのは、誰か。 考えながらリビングに向かう。 和やかな朝の空気がそこにある。 「お?今日は意外に早起きだな」 佑尭がにやりと笑いながら言葉を投げた。 「…何だよ」 にやにやしながら意味深な視線を向けられ、眉を顰めながら訊く。 座った席の向かいでは、尭冶が朝食を食べている。 「子供の前じゃ言えねぇなぁ」 「…バッカじゃねぇ?」 彼の頭の中を察して、辟易して潤也は言う。 「あれ?何事も無く?お前の所に居たんだろ、絢歩ちゃん」 「だから何だよ?こっちは副作用で一刻でも寝てたいんだっつの」 「うわぁ。かわいそー」 「ほざけ」 剣呑な空気を醸し出しながら頬杖をつくと、尭冶と目が合った。 じっと見てくる。 舌打ちして頬杖を崩し、背凭れに寄りかかる。 「じゅん、だよね?」 尭冶が彼なりに真剣な顔で訊く。 「おお!良かったな、初めて名前呼ばれただろ」 佑尭が過剰反応して喜ぶが、潤也は顔を顰めたまま。 「何だよ?今頃」 剣呑なまま少年に言葉を向ける。 「ほんものだぁ」 嬉しそうに言って、食事を再開させる。 不可解な言葉に、思わず二人は目を見合わせた。 「…本物?」 「孟の事じゃねぇのか?」 「それこそ、今頃だろ」 この家に来た最初に、潤也と孟を同時に見ているのだ。 それを今頃口に出すなど不自然極まりない。 「…おい」 いくらか嫌な予感を抱きながら潤也は尭冶に向かって屈み込む。 「お前、何を見た?」 きょとんとした目。 「答えろ。何故、俺を“本物”だと言った?」 「そっくりな人がいたから」 はっと、背後で佑尭が息を呑む音がした。 潤也は尭冶を睨んだまま、離さない。 「あの倉庫で見たのか?どんな奴だ?」 最初の問いに尭冶は頷いてから、『ええと』と考える。 「髪がながくて黄色かった」 「歳は!?」 「じゅんと同じくらい」 「……!」 ようやく、視線を離して身を起こす。 「そっくりさん?どういう事だ?」 「さあな…」 返答は素っ気無いが、目は懸命に考えを巡らせている。 「…孟に訊いた方が早い」 言いながら、携帯を取り出す。 「貴田さんに関係あるのか?」 佑尭はあの場に居た男が孟の実父である事を知らない。 「そう考えるのが普通だろう。…アイツの縁者で、俺に関係無ければ別にいいんだがな」 着信音。繋がらない。 孟の携帯は、彼の忙しさを象徴するかのように、繋がる事の方が少ない。 予測済みではあったが、舌打ちして潤也は携帯を閉じた。 「…そのひと」 尭冶が不意に口を開く。 「じゅんのこと、言ってたよ」 「…!何て…!?」 「“見てみたい”って」 「俺の存在を知っているのか…何者だ…?」 どうやら自分に関係無いという事は無くなった。 だとすると。 「“本当の自分が彼なんだ”…って」 似合わぬ言葉を紡いだ尭冶を、潤也は見開いた目で見つめる。 「言ってたよ?その人」 あどけない微笑を浮べて、尭冶は告げた。 「…“本当の自分”…どういう事だ?」 斜め前の椅子に座った佑尭が首を捻る。 「俺が訊きてぇよ…」 孟について言うならばともかく。 何故、自分にそんな単語が使われるのか。 「…確かめる必要があるな。恐らく…」 潤也は推理しながら呟く。 「尭冶の見た奴は…クローンだ…」 「お前の他にまだ居るのか!?」 「ああ。俺は五人目らしいからな」 その言葉を想像し、考えた佑尭は、唸る。 「同じ顔がそんなに沢山あるのか…」 「ばーか、俺より前に作られたクローンはこの世に出てきてねぇよ。顔以前の問題だ」 「…っつーと…?」 「あんまり言いたくないが…“失敗作”ってヤツだ。ま、俺も“成功”なのかは怪しいけど」 外見は人並みでも、中身まではそうはいかなかった。 結果、それに苦しめられている。 「じゃあ、お前より前に四人、クローンが作られたって事だな?」 「それで、そいつは俺の後に作られた奴だと考える方が自然だろう…」 だが、そんな存在など全く知らない。 そもそも、鹿持は自分を成功と見做しているのだ。それで同じ物をまだ作るだろうか。 「クローンなんて、考え過ぎなのかも知れない」 自らの考えを否定して、潤也は椅子から立った。 「そうか?なんか信憑性あるけど」 「単に孟の兄弟とか…“似てる”だけならいくらでも可能性あるだろ」 「そうかぁ?でもあの言葉は説明付かないだろ」 “本当の自分”という言葉。 「どっち道つかねぇよ。…孟に直接訊いてくる」 「え?居場所知ってるのか?」 「まぁな。居るか知らねぇけど」 軽い上着を着込んでいると、興味津々の目が否応無く気にかかる。 「…お前には口止めされてんだ」 好奇心を撃ち殺す一言。 「うわぁ、やっぱ貴田さんってお前には甘いんだな」 「違うだろ、それは」 冗談半分、しかしかなり本気だった佑尭を冷静に諌める。 「お前に会うまで、左手を治しながらアイツの棲家に居させられたんだ。他にやる所が無かったんだろ、都合良く使うのにさ」 「でも、意外と貴田さんはお前の事、気にかけてるみたいだけど。口じゃ『物』って言ってるけどさ、やっぱ家族みたいなもんなんじゃねぇの?」 昨日の孟の行動を思い出しながら佑尭はそう考える。 「…めでてぇ奴な。お前」 呆れた顔で言われる。 「お前が分かってないだけだよ、きっと」 「いいや。奴は『物』としか思ってない」 出口に向かう。そのうち起きてくるであろう絢歩を避ける為でもある。 「俺も、お前もだ。アイツにとっては他人は物と一緒だよ。使役する為の存在…例え、家族とやらでもな」 そうでなければ。 あれほど、冷静に撃ち殺す事など。 「そう…なのか?」 「ああ。夜までには帰る。…尾けんなよ?」 「しねぇよ、そんな事」 佑尭の返答を聞いて、潤也は扉を閉めた。 残された佑尭は背伸びをして、その手を頭の後ろで組む。 「…そんなもんかなぁ…?」 一人ごちて煙草を取り出す。 横のソファでは、本を読んでいた尭冶が眠気に負けて、ページを開いたままうとうとしている。 その様子にいくらか和んで、紫煙を吐き出す。 潤也の知らない孟の一面を見ている。彼の人間性を信じている。 だが、あそこまで言い切られると、少し揺らいでくる。 何せ、同じものを持つ、他人には入り込めない関係の彼の言葉なのだ。 非情さは、確かに似ている。 「べっつにいいもんね…俺はパンピーだもん」 開き直って、煙草を灰皿に押し付けた。 その時、そろりと絢歩が姿を現した。 「あ?おはよう」 「おはようございます…あの、潤也は出て行きました?」 「あ、今さっき…って、アイツ」 何故孟の元に行くなどと面倒なことを選んだか、ようやく気付く。 「喧嘩でもしてたのか?一晩中」 「いえ、そんな事は…」 よく見ると彼女の目は赤く腫れている。 泣いていた事が容易に察しがつく。 「あの…私…」 「あ、顔合わせるのがツライなら、どっか居場所紹介してやるよ。悪いな、ウチの反抗期息子が」 いくらか笑って、絢歩は礼を言った。 元の場所には帰れない。ならばここは佑尭の言葉に甘えたい。 少しでも間を置けば、彼の気持ちも変わってくれるかもしれない。 「で、本当は寝たの?」 携帯を耳にあてながら、さらっと下世話な問いかけ。 彼女は笑みを消してぶるぶると首を横に振る。 顔を赤らめる様子に、佑尭は笑いながら『悪い悪い』と謝った。 きっと、今のままでは。 身も心も捧げたとしても、受け取っては貰えないだろう。 それ程までに、深い孤独に触れてしまった。 癒したくとも、見抜かれてしまうのだ。 入り込む、覚悟が足りない事が。 「…佑尭さん」 電話を終えた彼に、呟く。 「潤也はどうしたら…人を受け入れてくれるんですか?」 ぱたんと、携帯を閉じる音を響かせる。 肘を付いた手を額に当てて、考える。 「…例えばさ」 考え考え、口を開く。 「自分と同じ立場の人間だったら、アイツも聞く耳持つんじゃねぇのかな。自分以外のクローンとか…」 「でも、この子を受け入れてるようには見えないんですけど…」 絢歩はいよいよ眠ってしまった尭冶を指す。 「あ、それはコイツがいろいろ特別だからだろ。痛覚が無いみたいだからな、それが羨ましいんじゃねぇの?…あ、そうか」 自分で言った言葉に自分で気付かされる。 「痛みを分かち合える人間ならいいのか」 「…痛み…」 脳裏に浮ぶ、右手首の傷跡。 深い、痛みの痕跡。 「だから…私には無理なんですね…」 『無理だろ?あんたには』その言葉を反芻する。 落胆の表情を隠せない。 「大丈夫だって。そんなに思いやれるんなら、いつかは伝わるだろ」 励ます言葉に泣きそうながらも微笑して頷く。 「いつか…その時まで、彼は側に居てくれるのかな…」 思わず口をついた疑問。 佑尭が見返す。 「その時まで、アイツが生きてねぇって?」 「…ごめんなさい、そんな事言っちゃいけませんよね…。居なくなるなんて、そんな事…」 「…いや」 驚いて顔を起こし、佑尭を見つめる。 難しい顔で、彼は新たな煙草に手を伸ばす。 「俺達も受け入れてやらなきゃ、既に死を受け入れてるアイツには辛いんじゃねぇの?これ以上独りにさせたくないんだったらさ」 ライターの火が燃え立つ。 煙草を銜えながら彼は続ける。 「俺もまぁ、目を背けたいのは山々だがな。だがこの世界に生きてる以上、いつ誰が死んだっておかしくないし」 「……」 ふうっと、紫煙を横に吐き出して、佑尭は言った。 「一緒に受け止めてやれよ、死を。でなきゃ、アイツはこの世で独りのまんまだ」 煙の様な、実体の無い恐怖を感じながらも。 絢歩は、頷いた。 現実に疲れ、逃げたくて、死を願い、その結果として彼に付いて来た。 しかし、それ以上に心から死を望み――それが本意ではなくとも――待ち受けているのは、彼の方で。 目を背けてばかりはいられない。 『生きて』などといい加減な甘言を言っては、その覚悟を逆撫でするだけだ。 そして、気付かされる。 彼の側に居る事で、生きる事に安心感を抱いてしまっていた、自分に。 『殺してやるよ』 死の覚悟があったからこそ、最初は少しでも心を開いてくれたのだ。 それが、共に受け止める――覚悟を共有する事なのだとしたら。 「佑尭さん」 「ん?」 「一つ、試してみたい事があるんです。潤也の為に」 震える身を、抑える。 覚悟、それが実は無かったとしても。 示さなければならない。孤独を救う為に。 風の強さに押されそうになりながらも、その『場所』に着く。 何の変哲も無い、一件の安アパートだ。 呼び鈴を鳴らす。 静まり返って、何の反応も無い。 居留守では無さそうだ。 携帯も繋がらないくらいだ。仕事中だと思って間違いないだろう。 念の為、ノブを捻る。 鍵は開いていた。 ここまで来て、手ぶらで帰る気などさらさら無い。 数年ぶりに、その部屋に足を踏み入れる。 微かに物の焦げた匂いがする。 ダイニングの机の上。 新聞、小銭、煙草の空き箱、灰皿。 その灰皿の中。 明らかに用途外の物が入っている。 燃やされた、紙。 何かの証拠隠滅だろうか。 燃え残った破片から、それが写真である事が解る。 何気なく手に取る。 裏返すと、焦げ付きの合間から褪せた色が見えた。 写っているのは人のようだ。だが腕が少し判別出来る程度で、それ以上は判らない。 そんな燃え滓が、数枚あった。 恐らく家を出る前に燃やしたのだろう。 ふっと前を見る。 窓辺に置かれた手帳。 挟まれた写真がはみ出ている。 窓辺に行き、ページを開く。 乗りかかる重みを無くした事で、はらりと落ちる写真。 屈んで拾い上げる。 楽しそうな笑顔で、女が写っている。 少し褪せた色。恐らく燃やされた写真と同時期のものだろう。 何故、燃やされたのか。 表紙のみが捲れた手帳に目を戻す。 そして眉を潜めた。 十年前の手帳。 好奇心と衝動のまま、そのページをはぐる。 淡々と、予定だけが書き込まれた過去の日々。 これがもし本当に孟の物なら、そこには潤也と同じ十七歳の彼が居る。 日々の予定には、『事務所』の文字が多い。 昨日踏み込んだ場所の事だと思って間違いないだろう。 この歳なら高校生であろうが、学校には通っている痕跡が無い。 そう言えば戸籍もあるかどうか怪しい。 父親は知っていたが、親子としての関係はあったとは思えない。だが身近には居た。 ――使役するもの。 はっと、気付く。 それは今の、孟と潤也の関係そのもの。 ページを更に捲る。 二月二十七日。手書きで『二十一時・ホテルにて取引』という文字。 そこで何が行われていたのか。 『取引』の予定は月に二・三箇所書かれている。 多い時には週に二度。 つまり、当時の孟に課せられた主な『仕事』だったのだろう。 恐らく今の仕事から考えて、代理人として取引をする為に動いていたようだ。 代表の事実上の子供という事が役に立ったのかもしれない。 そんな裏社会の事情を考えさせられる中で、ふと異質な文字が現れた。 『墓参り』。 日付は十一月十五日。他は何も記されていない。 時間の記載が無いという事は、落ち合うべき相手も居なかったという事だ。 一人で向かった、場所。 孟が一人で墓参りに行く姿など、想像しただけで笑える。何か異常なのだ。 ガラに無い、と言えばそれまでなのだが。 では、誰の墓なのか。 先程の写真に目を落とす。 他人の人間関係。知らぬ繋がり。 父親がそうであったように。 更にページを捲る。十二月。 事務所と取引へ淡々と通う孟の姿が記されている。そしてその最後に。 二十四日。クリスマスイヴ。 『美希を殺す』 「…!?」 その穏やかではない予定に、潤也は息を呑んだ。 明らかに女の名だ。そしてこの日。 『十五時・カフェへ』 その時間以降、何があったのか。 写真。この笑顔の持ち主。 まさか。 カレンダー形式の最後のページ、一月。 五日に、『十時〜葬儀』の文字があった。 (back)(next) [戻る] |