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Moving Clay

 リビングに行くと、佑尭と絢歩が待ち受けていた。

 まさか潤也が孟に銃を向けていたなど知る由も無く。

「おはよう」

 絢歩が潤也に声をかけ、続いて孟を見やる。

 その目が丸くなる。

「はじめまして…?」

 一応、挨拶はしておいた。

「朔浦の嫁さんか」

 孟は口元だけで笑んで、そう訊いた。

 絢歩は頷く。

 孟はそれ以上の事など何も訊かなかった。

「場所は分かった。孟も連れて行く」

 佑尭が訊きたい事を汲んで、潤也が先に口を開く。

「貴田さんも?」

 意外な事態に、当然疑問を抱く佑尭。

 つい先程、潤也に場所を教え、二人で行くよう指示したばかりなのだ。

「たまには働かさせねぇとな」

 意味深に孟を見やってから、潤也は椅子に座る。

「…だ、そうだ」

 投げやり気味に孟は言って、同じく椅子に座った。

「何かあったんですか?」

 佑尭の当然の疑問に答えたのは、冷笑を浮かべる潤也。

「コイツの事だ、単なる気まぐれだろうよ」

「…本当に?」

「まぁ、な」

 潤也の魂胆は分かっている。

 昔の居場所に引っ張り出して、自分の正体を探ろうとしているのだ。

 己を知られるのは、あまり快いものではない。だがそれは『他人』に知られる場合だ。

――探れるものなら、探ってみるがいいさ。

 それも面白いだろうと、孟は考え始めている。

 『他人』ではない。しかし『自分』でもない。

 奇妙な距離感。

「どこか…行くの?」

 絢歩は一人、話題が見えてこない。

「ちょっとウチの子が誘拐されててな。今から助けに行こうってワケ」

 佑尭が答える。

「それ…危ないんじゃ…」

 言いながら絢歩の視線は潤也に。

 その視線に気付かない振りをして、珈琲を飲む。

「まぁ、三人居るから余裕でしょ。ですよね?貴田さん?」

 絢歩の考えに全く気付かず、楽観的に言う佑尭。

 振られた孟は低い声で肯定する。

 こちらも、視線は潤也に。

 その目は楽しむように細められている。

 気付いている。揺れる、人間としての感情に。

「三人って…。無茶じゃないですか!?だって…」

 佑尭に向けて堪らず声を荒げる絢歩。

 彼はきょとんとし、続いて納得した顔付きになる。

「潤が心配?…当たり前かぁ。病人な上に怪我人だもんな」

「やめろ」

 溜息と共に張本人が静止の言葉を掛けるが、絢歩は黙っていない。

「自分の立場分かってるの!?昨日あんなに苦しんでたのに、そんな所行かせられない!!当然でしょ!?」

「お前に邪魔立てされる立場じゃねぇのは確かだ」

「ちょっと…!」

 舌打ちして、佑尭に視線を向ける。

「コイツ一人じゃ心配だ。ヒトミでも来させろ」

「潤也!!」

 怒声に、冷たい視線で返す。

「じゃあ、今死ぬか?お前の望みはそれだろ?」

「……っ!」

「勘違いするな。アンタも俺の敵の一人なんだ」

「はいはいはいはーい!痴話喧嘩はそこまで!!」

 険悪な雰囲気を漂わせ始めた二人に、手を叩きながら佑尭が言った。

「痴話…って」

 絢歩が顔を赤らめて反論しかけ、口を閉じる。

「お嬢さん一人にするのが心配なら、ウチの若い奴らに待機させたらいいじゃん?」

 佑尭が潤也に問う。同じ組織の仲間を護衛に付けようと言うのだ。

「あんな男共をか?」

 嫌そうに潤也は見返す。

 それに、にやりと佑尭は笑う。

「お嬢さんを取られちゃマズイから嫌、なんだろ?」

 その意見に、明らかに何か気付いた顔を一瞬見せたが、すぐに平静を取り戻す。

「一般論で物言ってんだ、馬鹿」

「へいへい。両方呼んでおけば何の心配も無いだろ?」

 けらけらと潤也の反応を笑いながら、佑尭は携帯を取り出した。

 これ以上無く憮然とした顔で、珈琲に口直しを求める。

 その横には、おずおずとした絢歩の瞳。

「本当?」

「何がだ?」

「だから…その…」

 実は心配している事が。

 それを言うには、あまりに彼は天邪鬼だ。

「お前は人質。だからまだ生かす。それ以上は無い」

 言い切られてしまって、絢歩は口を閉じざるを得なくなった。

 それでも。

「…無理、しないでね?」

 自分が彼を心配しているのは事実だ。

 それは不毛でも。

 短い溜息の後、視線も合わせず潤也は言った。

「余計な情はかけるな」

「今更…」

 絢歩も絢歩でこれ以上は虚しくなって、空のカップを手に席を立つ。

 途中、佑尭と孟のカップも手にした。

「洗っておきますね」

 佑尭ににこりと笑って言い、シンクに向かう。

「あ、ありがとな」

 電話を終えた佑尭が礼を言った。

 そして、潤也ににやりと笑いかける。

「素直になればイイのに?お子様だなぁ」

「おまっ…死ぬか!?」

 今度はげらげらと容赦無く笑う彼を前に、音を発てて立ち上がった体を再び沈めた。

「うるせーんだよ。どいつもこいつも…」

 抱えた頭の前に、白い袋が投げられた。

「眼帯。買っておいてやったぞ」

 佑尭に中身を言われて、その袋を掴み、ビニールを引き千切る。

 傷を隠す。人間のように見せかける為に。

 それは、出歩く為の建前で。

「…さっさと行くぞ」

 今度こそ、椅子を引いて立ち上がる。

 孟も無言のまま立った。

「ちょ、護衛隊の到着くらい待ったらどうだよ?」

 佑尭が言ったが、潤也は顎で窓の外を示す。

 ヒトミの車がそこにあった。





「意外に遠くまで来ちゃいましたねぇ」

 運転しながら、助手席に居る孟にぼやく。

 海辺を走る車。

 遠く、タンカーや造船工場の煙突が見える。

「この辺に住んでたんですか?昔は」

 佑尭は前を見つつも、辺りを窺う。

 良い街だ。海辺特有の、ゆったりとした空気がある。

「もう少し先だ。住むと言うより…居ただけだがな」

「…違いあるんですか?それ」

 孟は鼻で笑って答えない。

 いつもの事だ。佑尭は再び運転に集中する。

 景色が街のそれになってきた。

 潮の香りが抑えられ、排気ガスの匂いが優勢になる。

 工場地帯が近いせいもあるだろう。

「そう言えば、後ろがやけに静かですけど…」

「放っておけ。薬がようやく効いてんだ」

「今頃、ですねぇ。緊張感が無いと言うか」

「少し量を増やした。副作用も強くなる…抗えんさ」

「貴田さん」

「何だ?」

「死ぬんですか?潤は」

 街の雑然とした景色の中から、再び海の青が覗いた。

 孟は方向を低く指示する。

 目的の場所に近付いてきた。

――『冥土の土産だ』

 何に対しても、大抵は冷めていた潤也が、あれ程激昂して求めたもの。

 求め続けた物ではあるだろう。それが今となって感情に出るのは。

 矢張り、焦っているのだ。

「…コイツじゃないがな」

 孟はたっぷり間を置いて、佑尭に応える。

「あまり情はかけない事だ。本質は『モノ』だからな。壊れると判っていて俺は使ってるのさ」

「…貴田さんはそうでしょうけど」

 孟が再び指示を出す。

 車は止まった。

「人にしか見えない、か?」

「世話までしちゃってますからねぇ。まぁペット以上である事は確かですよ。許して下さい」

 笑いながら頷いて、孟はドアを開けた。

 佑尭は後ろに声をかけようとしたが、孟に止められる。

「貴田さん?」

「いいだろう、たまには。休ませてやれ」

 佑尭は驚いていたが、それを嬉しそうな表情に代える。

 口では冷たい事を言っているが、彼もまんざらではないのだと思った。

 その点、矢張り潤也と同じだ。

 尤も、それは佑尭の想いで、孟自身は言った事以上の感情は無かったが。

――あれでも、俺は探られるのが嫌らしい。

 自分で自分をそう分析している。

 持つ意識が違う以上、あとが同じでも『他』は『他』だ。

 何が起こるのかという面白み以上に、探られる事が面倒になった。だから起こさない。

「ここですか」

 知らなければ造船工場の一部だと見過ごすだろう。

 倉庫が立ち並ぶ、港。

「行くぞ」

「はい。…どれですかねぇ?」

 どれも同じ様な倉庫ばかりだ。

 その中で孟は迷う事無く進んだ。

――さっさと終わらせよう。

 『目覚める』前に。






 闇から開放される様に、はっと目覚める。

 急に起き上がった事で眩みを起こして、頭を抱えた。

 車の中。停車している。

 呼気だけで畜生と罵って、顔を上げた。

 海の眩しさ。目を細める。

――否、調度いいか。

 何も孟本人の反応や説明など求めずとも良いのだ。

 脇に投げ出されていた銃を持って、扉を開けた。

 横の倉庫から混乱の音が聞こえる。厚い扉ごしでそれは潜もっていた。

 襲撃すべき場所を慎重に選ぶ。

 恐らく二人が居るであろう、騒音のする倉庫から離れ、それ以外の建物にぴたりと寄り添う形で歩を進める。

 倉庫群が途切れる間際で、声が聞こえた。

「どこの組の連中だ?」

「それが…」

 男の声が途切れる。耳を寄せ合い、報告しているのだろう。

 頭上の窓から声は漏れていた。

 その倉庫を巡り、裏手に事務所の入り口らしき扉を発見した。

 静かに、ノブを回す。

 鍵は開いている。素早く身を滑り込ませる。

 短い廊下。扉が三つ。

 聞き耳をたてる。奥から人の声がする。

 と、その一番奥の扉が開いた。

 若い男が出てきた。潤也の姿を認めて驚いた表情を見せる。

 慌てて銃を取ろうとしたが、手にする前に銃弾が彼を貫いた。

「誰だ!?何があった!?」

 室内から怒鳴り声が響く。

 人の動く気配。複数居る。

 脇にあった扉を開き、それを陰にして出てくる連中を狙った。

 銃を手に出た男を撃ち、続いて出てきた男が室内から腕を出して発砲する。

 弾は盾代わりの扉に着弾した。潤也は更に身を乗り出してその男を撃つ。

 倒れる男の居る問題の部屋に素早く接近し、室内に居たもう一人の若い男を撃った。

 あと、一人。

 室内から放たれた銃弾をかわし、そうしながら視線は肩口を狙う。

 殺してはいけない。この男は。

 狙った弾は微妙な所で逸れた。陰となる机まで走り込みながら、追ってくる銃弾から逃げる。

 銃声が一旦、終息した。

 互いに隙を窺う。相手は奥に置かれた広い机の下に潜んでいる。

「N-5番か」

 声だけが投げて寄越される。

 その主は、以前研究員を殺した後、潤也に銃を向けた男。

「S-1番を奪いに来たのか?仲間は額田だな?」

 額田――孟の事だろう。

「あんたに訊きたい事がある」

 潤也は机に背を預けながらも、背後の様子に気を配りながら口を開いた。

「その、『額田』とは何者なんだ?どうしてアンタの組に入り――抜けた?」

 ふん、と笑う鼻息。

「己の事を何も知らないのか。まぁ、無理も無いがな」

「…悪かったな、知らなくて」

「こうして探られる事も計算外だ。計画は狂った…その保証はして貰わなければな」

「だからあのガキを攫ったのか。朔浦に身代金を出させる為だな?」

「その通りだ。だが金持ちというのは往生際が悪い。約束の金は既に払ったと嘯いて出し渋りやがる」

「アンタ達のやり方が古いんだよ」

 言ってやると、笑い声が響いた。

 この男が、クローン計画――鹿持に金を提供し、その顧客である朔浦から莫大な金を取る。

 これがビジネスの概要だ。

 尭冶を作った事の謝礼金は既に支払われているのだろう。だが尭冶をこの男が持っている限り、いくらでも金は強請り取れる。

 恕と尭冶、双方が生きている限り。

 だが潤也が知りたいのは、他人の事情でもビジネスの真相でもない。

「話を戻せ。俺が訊いているのは、孟――いや、アンタが子飼いにしていた男の事だ」

「子飼いとは人聞きが悪いな」

「違うのか?良いように使って…遺伝子を抜き取り、果ては眼球まで取って、また付けたんだろう?馬鹿げた実験の為に」

「右目は落とし前という奴だ。『実験』は我々は関与していない」

「鹿持が勝手にやったってのか。あの二人はどういう関係なんだ?」

 じり、と後ろの気配が動いた。

 すかさず銃を向ける。

 こちらに飛んできた弾は手前に着弾し、それを避ける為に後ずさりながら発砲した。

 身を乗り出した男の脇にそれは命中し、続いて撃った弾は右の太股を貫いた。

 男が倒れる。

 銃口を向けながら、近付く。

「大人しく質問に答えてくれたら殺しはしない。別にあんたの命が目的じゃないからな」

 息も絶え絶えの男の右手を蹴り、銃を手放せさせる。

 一メートルほど先にそれは滑っていった。

「嘘を付け…私を殺したかったのだろう?お前を作った研究員と同様」

「だから、交換条件だろ。助けてやるから教えろ。アイツらと…アンタの関係を」

 苛立ち混じりに告げた時、銃声が響いた。

「ッ――!!」

 咄嗟に身を沈めた潤也の黒髪を、銃弾が掠める。

「孟ッ!!」

 怒気も露わに発砲した人物を呼んだ。

 銃弾は尚も撃ち込まれる。物陰に身を隠しつつ、身を屈め滑り込む手の先に、先程蹴り上げた銃を取った。

 元々持っていた左手の銃で、孟に向けて発砲する。

 孟はそれをかわしつつ、次の発砲を狙った。

 潤也も照準を外していない。

 互いに狙いを定めたまま、双方の動きは止まった。

「目的の片は付いた。油売ってねぇでさっさと帰るぞ」

 銃を向けたまま、孟が潤也に告げる。

「そんなに過去の自分を探られるのが嫌か?」

 冷笑で応じて、右手に持った銃をその持ち主に向ける。

「さっさと吐け。この男はあんたを殺す。そうなる前に俺がこの男を殺すから」

 両手に銃、言葉は倒れている男へ。視線は孟から外さない。

 男が唸り、それは言葉に変わる。

「ツトム…」

 瞬間、銃声が響いた。

 潤也も孟に向かって発砲したが、それは後ろの壁に着弾した。

 そして、静まる。

 二人の視線は、息を引き取った、男へ。

「わざと…外したな?」

 男を見ながら、孟は訊いた。

 最後に潤也が撃った弾の事だ。

「アンタまで殺しちゃ意味が無い」

 孟は『名』を呟いた男を殺した。

 それを判断し、引いてしまった引き金の銃口を僅かに逸らした。

 銃を持つ手を下ろし、右手に持った銃をその場に捨てる。

 息を吐いて、念の為訊いた。

「誰だ?ツトムって」

 孟はにやりと笑う。こちらも既に銃を納めている。

「俺だよ」

「…え?」

 素直に驚いたのは、答えるとは思っていなかった事と。

 孟は背を向ける。廊下に出る。

「一つ、いい事を教えてやろう」

 声だけが、留まる潤也に届いた。

「俺とお前の遺伝子の半分は、その男の物だ」

 目を見開き、そこにある屍を見る。

 何か問おうとした口は、言葉を見つけられず。

――実の、父親。

 潤也には遺伝子的な物だけだが、孟にとっては本物だ。

 それを、殺した。

 解らない。解らないが、それはとてつもなく非情な行いである筈だ。

「何やってんだ。さっさと行くぞ」

 孟の、普段と変わらぬ声が、己を呼ぶ。

 それに、寒気を覚える。

――でも。

 同じなのだ。その、吐き気がするような、人間と。

 屈みこみ、恐る恐る死体の顔を見た。

 言われなければ面影など見出せない。でも、確かに。

「あんたは…一体、何を…?」

 縺れてゆく、遺伝子の糸。

 居たたまれなくなって、走ってその場から逃げた。




 孟は既に車に戻っていた。

 運転席には佑尭が座り、後部座席では尭冶が眠っている。

「やっと来たか」

 佑尭が待ちくたびれたかのように言う。

 無言のまま後ろに乗り込む。

「まぁ、良かったな?資金源への復讐は出来たんだろ?」

 何気なく、佑尭は言った。

 痞える。何かが。

「ああ。早く…帰ろう」

「おう。そのつもりだ。お嬢さんが心配だろ?」

 相変わらず能天気に言って、エンジンをかける。

 隣の尭冶は疲れたように眠っているが、怪我は無いようだ。

 前に座る孟は、いつもとその気配に違いは無い。

 変わらぬ風景。

 だが、何かが。

 何かが、確実に歪んでいる――



 自分を構築する物の半分を知っても。

 そこにあるのは、まだ、虚無だった。

 何も見出せない。

 もう、残り時間は少ないのに――



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あきゅろす。
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