Moving Clay
再開
深夜三時。
人々の寝静まる時間。
その建物の中には、数人の研究者と常駐の警備員、そして用心棒として雇われた若者が数人。
日中の人数の半分以下だ。
若者の一人が廊下を歩く。
非常扉の緑色のランプ。待機電力の蛍光灯の青色のぼんやりとした光。光源はこれだけだ。
若者はなるべく自分の行く道だけを見て、仲間の元へ戻る事にした。
横を向けば暗がりの中に、気味悪いものが並んでいる。
便所に行くのも気疲れする。この仕事に後悔を覚えた。
バイオ研究所の警備。夜中居るだけで結構な金になるから、と遊び仲間に誘われて引き受けた。
どうしてこんな錆びれた研究所に、数人もの人間――それも皆やくざ者だ――が警備していなければならないのか。
どうやらその答えは、この気味悪い横の部屋にあるようだが…
最初来た時、何気なく見て、背筋が凍りついた。
大きな水槽のようなものの中に入っている、液体とその中の――
思い出したくはない。足を速める。
その時だった。
闇の向こうにある扉が、開いた。
それは外に繋がる扉。
この時間に誰かが入ってくるなど、有り得ない。
「誰だぁ!?てめぇ」
若者が問う。だが答えは返らず。
代わりに返ってきたのは、弾丸だった。
静けさを破ってサイレンがけたたましく鳴る。
同時に人々が慌しく動き出した。
「侵入者だ!!殺せ!殺せぇ!!」
ばたばたとした足音。脅迫の声に動じる事は無く。
侵入者は淡々と、引き金を引く。
一人、また一人。魂を手放す人間達に感情移入する間も無い。
「やったなぁ!!このヤロゥ、覚悟しやがれ!!」
感情剥き出しにナイフを向けてくる若者。
「…うるせぇんだよ、人間が」
煩わしそうに言って、また一つ、命を奪った。
目的の場所に着く頃には、彼以外この建物に誰も居なくなった。
否、もう一人。
正確には、もう一つ『心臓』が。
それが目的だ。
錠を銃で破壊する。
ビクリとその体が震えるのを横目で捉えた。
檻。自身だって以前はこの中に。
昔はそれに、どうしようも無く恐怖を感じていた。
なんでだろうな、こんな物。昔の自分を嘲笑う。
キィ…と擦れた音を発てて、それは開いた。
中には、間抜けな面が恐怖を帯びた顔で、己を見上げている『モノ』がある。
クローン人間。
そう、それは。
潤也はそれに銃口を向けた。
「死にたくなかったらついて来い」
自身と、同じ、『モノ』だ。
『ゲームをしよう』男は言った。
それは三年前、砕けた心を持て余している時。
自分と同じ顔を持つ人間――孟は、わざわざグリップを差し出して、言った。
右手で受け取る。
忘れかけていた、銃の重み。
「殺されたいのか?」
「無理だろう?利き手がそれじゃ」
利き手である左手は、包帯でその肌すら見せない。
引かない痛みは、今右手に持っている物のせい。
「両手がその状態になったら、生きるのに不便極まりないだろうな」
揶揄する笑みで、孟は言った。
「…冗談だ。アンタは、最後に殺す」
「憎いか?」
「当然だ」
孟は余裕を窺わせる笑みを崩さない。
表情がこうも違うと、顔が同じに見えない。
無論、歳を取った分の違いはあるが。
「…で?何が言いたい?」
潤也が気怠そうに話を戻す。
「俺がお前の欲しい物を提供してやる」
「例えば?」
「それとか、情報とか」
孟が指したのは潤也の右手にある銃。
「だからお前はその情報に従って、憎い奴らを殺しに行けばいい。簡単だろ?」
「…魂胆は何だ?」
「難しく考えるな。俺は面白いものが見たいだけだ。…そうだな、お前が死んだらゲームオーバー、それと」
孟は一枚の写真付きの書類を投げて寄越す。
ふわりと空気に乗ってやってきたそれを、潤也は拾い上げた。
「コイツを殺しても、ゲームオーバーだ」
写真に映っているのは、五、六歳程の子供。
その日付を見ると、調度五年前。
「コイツは…」
「お前と同じモノだよ。ある人物の、クローンだ」
「…」
写真の中の、あどけない顔を見つめる。
重なって浮ぶ顔。
“智之”。潤也を救おうとして死んでいった、仲間。
「そいつは臓器提供の目的で作られた」
拒絶反応を起こさない臓器。それはクローンで確実に可能になる。
ただし、臓器だけを作る技術は現在、無い。
「リミットは三年後。それまでに檻から出す事だ。俺がお前にそうしたように」
「…気の長い話だ」
「その手じゃ今すぐ、とは言えないだろ。俺は寛大なんだ」
潤也は鼻で笑う。
「俺と正反対だ」
「三年後に移植手術が行われる。移植するのは心臓だ」
「…根っから殺す気で作られたか…」
「お前だって」
感情の無い目で、孟を見やる。
冷え冷えとした瞳。吊り気味で、睫が長い。
全て、目の前に居る男の遺伝子から成る物。
「俺は何の為に作られたんだ?」
明確な目的はまだ知らなかった。
知る暇も無く、人生は弄ばれ転がっていった。
「詳しい事はおいおい話してやる。ただ、一つ言えるのは」
孟は潤也の持つ写真を、顎で示した。
「お前はそいつの試作品だ」
空が白みかけた頃、逗留している倉庫に戻ってきた。
木箱が所狭しと積み上げられている。それを掻い潜るようにして奥へと進んだ。
扉を一つ潜ると、机やソファ、テレビなど日用品が配置された一般的なリビングの様相をした部屋に行き着く。
その中で一人の男が悠長に新聞を読みながら、珈琲を飲んでいた。
この倉庫は、この男が支配する組織のアジト。
「約束通りだな」
男――孟は、潤也の連れ帰った子供を見て満足そうに笑んだ。
「死体が帰るかと思っていたが」
「殺していいならやってた」
潤也が少年を見る眼光は、鋭い。
「それじゃ俺が面白くないんでな」
孟は新聞に目を落としながら言う。
「てめぇの遊びに付き合ってやるって誰が言った?」
「現に付き合ってるのは誰だ?」
薄ら笑いで言われて、潤也は舌打ちする。
「約束だ。薬、寄越せ」
孟に詰め寄り、片手を差し出す。
孟はあたかも思い出したような顔をし、コートのポケットからビニル袋を取り出した。
「最近増えてないか?」
「さぁな。“仕事”量が増えたせいじゃないか?」
「別にこれを報酬にしているつもりは無い。痛む時に渡してやる」
「慢性化してっから目処が立たねぇんだよ。お陰様でな」
痛烈な皮肉を残して潤也は孟の横を通り過ぎる。
更に奥にある扉に姿を消した。
「今度は何日篭るかな」
苦笑の余韻をいつもの余裕の笑みに変えて、孟は珈琲を一口、口に含んだ。
真っ黒な苦味が、体に染込む。
「こっち来て座ったらどうだ?」
新聞から目を離す事無く、孟はもう一人部屋に残された人物に言った。
少なくとも見た目は『人物』だ。
子供は怯えたような視線を部屋中に投げかけている。
動こうとしない。
「…そうしてると、あれのガキの頃思い出すな…」
その様子を、頬杖をついてしばらく観察していた孟が呟く。
同じ様な境遇で、同じモノとして育ったせいだろうか。
孟は立ち上がって、簡易的な炊事場に向かい、コーヒーカップを取った。
しばらくして、元の位置に戻った彼は、自分と向かいの席にそのカップを置く。
「飲めよ」
子供に言った。
中には甘い香りを漂わす、ホットミルクが入っていた。
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