RAPTORS
4
赤い髪の子供。
凶事の兆候。始末せねば不幸を呼ぶもの。
知る筈もない母親に抱かれている。
嗚咽が聞こえた――否、そう感じた。
夢だ。
泣いているのは誰なのか。
全てが霞んでいる。
ふいに、抱かれていた手から別の手に奪われ、そして――
一瞬、泣いていた人の顔が見えた。
その顔は、何故か姶良だった。
その場所に、
温かかった腕に戻ろうとして、
縷紅は目を覚ました。
すでに光が射している。早朝だろう。
ゆるゆると現実に戻る頭で、先刻の夢を思い出す。
あの後、本当なら殺されていた。
隼の事が気になって、身支度をして天幕を出た。
自分の実の母親は本当に泣いていたのだろうか。
だとしたら、少しは救われる気がする。
隼の場合、光欄はどうだったのだろう。
今でこそ、冷めた態度でお互い接してはいるが。
光欄とて好きで隼を地に置いたのではない。別れたくはなかった筈だ。
何だろう、胸騒ぎがする。
胸の辺りを手で押さえる――こんな事で落ち着きはしないのだが。
隼の居る天幕の前に立つ。
息を一つ。
開けようとして、手を止めた。
「冗談じゃねぇよ!!」
怒鳴り声――隼のものだ。
目覚めている事には安堵したが、本気で声を荒立てている事には驚いた。
思わず、そのまま聞き耳を立てる。
「根の撤退だけでも悪い冗談なのに、俺まで連れて行くだと!?寝言もいい加減にしろ…そこまで墜ちた人間だったとは…」
「まだ裏切った訳ではない。それにお前はここに居ても命を削るだけ。連れ帰るのは親として当然の選択だ」
もう一方の声は、光欄。
どうやら嫌な予感は的中したらしく、話は全く穏便に進んではいない。
「はっ…どうせ今から裏切るんだろう?都合のいい事ばかり抜かしやがって…。そんな奴の元に居る気は無い。例え苦しむ事になろうと」
「…自ら命を捨てる気か」
「アンタ自身が捨てたじゃねぇか?一度は見捨て、二度目は殺そうとした」
光欄が言葉を失う。
たまらなくなって、縷紅は中に入ろうとした――が。
強く腕を掴まれる。
見ると、旦毘がそこに居て、首を横に降った。
静観しろと言うのだ。
「そこまで…地にこだわるか。否、私の元に居れぬという事だな…確かに私は酷い親だ…」
「勘違いするな。俺はあんたを親と思ってない。残るのは、この戦を見届ける為…それだけの理由だ」
「私の事など、元より無関係…か」
寂しそうに、光燗は言った。
隼は何も答えなかった。
ややあって、きっぱりとした声で隼が言った。
「…今度こそ、絶縁だ。次会う事があるなら…敵同士かも知れない」
長い沈黙。
光欄の心情を思うと、縷紅は居たたまれない。
そして、母親として、最後に、彼女は口を開いた。
「お前が無事で居られるよう…根から努力する。…どうか、生きていてくれ…」
「……」
ばさりと、内から天幕の扉が開いた。
そこに立っていた二人は、慌てて後ずさる。
光欄は縷紅の姿を認めると、背を向けたまま言った。
「あの子を…頼む」
しっかりとした声に変わりはなかった。しかし表情をついぞ見せる事なく、行ってしまった。
当然追える筈も無く、立ち尽くして見送る二人。
――泣いていたのか。
自分を捨てた時、未だ見た事の無い母は…。
それで救われる者など、居ない。
きっぱりと忘れてくれた方が、良かったのかも知れない――
「…何故、止めたんですか?」
腕を掴んだままの旦毘に問う。
「あっ…悪い、つい…」
掴んでいだ自覚が無かったのだろう。慌てて手を放した。
「…いいんです」
慌てぶりに微笑を向けて、もう一度目で問う。
「変わらねぇよ。俺らがしゃしゃり出ても。…何も」
解っている。解ってはいた…が。
「残酷…ですね…」
もう一度、光欄が去った方を見て呟いた。
「それだけ志が高いと言うか、石頭と言うか…。…よォ隼。気分はどうだ?」
言いながら扉を開け、何事も無かったかの様に入っていく旦毘に、内心で縷紅は舌を巻いた。
ちょっと自分には真似できない。
だからこそ慕える兄貴分なのだが。
自分も後に付いて入っていくと、予想通りにそっぽを向いた隼が居た。
「結構、顔色良いんじゃねぇの?ま、俺には見分けがつかねぇけど」
旦毘一人で笑っている。
…訂正、真似したくない。
「…この盗み聞き野郎が」
ぼそりと隼が言った。予期できた言葉ではある。
「気付かれてたか」
「馬鹿にするな」
これ以上なく、低い押さえた声。
「…気付いていても、あれ程激昂していたんですね?」
隼は自分の本心を人に見せる事を嫌う。だから本気で怒鳴りつける事などあまり無い。第三者が居れば、尚更。
「言うべき事を言ったまでだ」
「にしてはえらく感情的だったな」
「うるせぇ。消えろ」
今、蜂の巣をつついてもどうにもならない。
旦毘を目で制して、縷紅は問う。
「本当に良いんですか?」
「……」
「言ってしまえば、貴方の命の保証は出来ない…。それでも、残りますか?」
「今更…無駄な事を」
「無駄?」
「死ぬ事は俺が一番よく解っている。だからアンタ達にどうこう言われる筋合いは無い」
「…そう、でしょうね…」
それでも言わずには居られないのだ。
「…それとも…俺が邪魔か?」
「そんな事は…!」
「病人一人抱えても邪魔なだけだよな…」
「隼!」
「自分だけだと思ってんじゃねぇよ!!」
突如、旦毘が怒鳴った。
縷紅は勿論、それまでそっぽを向いていた隼も、驚いて旦毘を見る。
「この戦に出てる奴は、皆命懸けてんだよ!いつ死ぬか分からねぇ恐怖と皆戦ってんだ!お前だけじゃねぇ…病だろうが何だろうが関係無い!!」
一気にまくし立ててから、旦毘ははっと我に返って、縷紅に目で詫びた。
思わず縷紅は微笑んでしまう。
「…分かってるよ」
ぽつりと、隼はそれだけ言って、再び目を逸らした。
「黒鷹を待っているんですか?」
穏やかに縷紅は訊いた。
「隼は地の国は勿論…一番は黒鷹の為に動いているのでしょう?」
いつか雨の中で言った事を思い出す。
「…約束、だからな…」
小さく隼は言った。
「約束?」
「今度はちゃんと待ってなきゃいけねぇんだ。地で…アイツが帰るのを」
二人で勝利を分かち合える様に。
出立前夜に交わした約束。
「それも…生きてこそ、でしょう?」
「……」
「黒鷹に書簡を出しました。帰るのを早めましたが…それでもどのくらいかかるか分かりませんよ?」
「作戦変更か…」
「普通の戦い方に戻すだけです」
隼は軽く溜息を吐く。
歯車が狂い始めた――そんな気がして。
「…栄魅は根の“反総帥派”を名乗る連中に連れ去られた。前々から俺の事をツけていたが…始末しておくべきだった」
「悔いる事はありませんよ。光欄に伝えておきます。彼女が何とかしてくれるでしょう」
「奴が…か?」
「“反総帥派”ならば総帥自ら始末して頂かなくては」
「奴らの狙いは俺だ…!責任は俺にある!だから…」
“俺が助けに行く”と、言えなかった。
不可能だ――少なくとも、今の体では。
――無力だな…。
自嘲する。
「大丈夫ですよ。何とかなります」
「…気休めか」
言われて、縷紅は微苦笑する他は無い。
無責任な言葉は、通じない。
「少し…休んだらどうです?」
光欄の事もあり、あまり長く話しても疲れさせるだけだろう。
「…ああ…」
吐く息と共に隼は頷いた。
「気にかかる事が多すぎますね」
朝日の降り注ぐ中を歩きながら、旦毘に言った。
「追い詰められてんなぁ、アイツも。…ま、無理も無いけど」
「歯痒いでしょうね…。それにしても、気になるのは反総帥派です」
「ああ?」
「隼を狙う理由が解せません…。本当の狙いは栄魅ではなかったという事でしょうか…?」
「どうして?王家の娘なのに?」
「栄魅を奉じて反乱を起こすとは考えにくい…。それならば隼を付け狙う必要も無いし、“王制派”ではなく“反総帥派”を名乗っている、何より彼女にその気が無いでしょう」
「やっぱり隼目当てか…?総帥がそれで動揺するとでも?」
「そうでしょうか…。同じ手に二度掛かるとは思えませんが」
「焦ってんだろ、奴らも」
ふと、縷紅は足を止めた。
「狙いは…総帥は元より、地にあったら?」
「…俺達に?」
「隼が、今の根と地に無くてはならない存在…もしそれを知っていたなら、狙わない手は無いでしょう。両国の鍵を握る事になる」
「…確かに…。でもどうして…」
「考えられる事は一つ。天との協力です」
「まさか…!?」
「天と反総帥派が結ばない可能性は低い…。むしろ協力した方が双方にとって利益になる」
「光燗はまだ発ってないよな?」
「ええ。行きましょう」
天と根の挟撃――これだけは避けたい。
総帥の軍が撤退する事で、これを防げるのなら、不幸中の幸いだろう。
二人は撤退直前の光欄に、自国の完全統治を願い出た。
その日のうちに、根の軍は祖国へと戻った。
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