RAPTORS
3
気付くと、布団の中で手首に紐が巻き付けてあった。
部屋は見覚えがある。まだ東軍に居た頃に使っていた自室だ。
「お望み通りだ」
脇に朋蔓が座っていた。
「本当は峰打ちなんかしなくても倒れそうだったけどな、お前」
「…そうでしょうか」
「どうせ休まずに歩き続けたんだろう?寝もせず食いもせず」
「――ええ。分かりましたか」
「だから嘘はついてないだろうと思ったんだよ」
縷紅は気まずそうに微笑して、目を閉じた。
「…本当はずっと帰りたかったんですよ…」
「そうか」
「辛かった…」
「……」
「すみませんでした。謝って済む事じゃないとは解っているけど」
「謝る相手が違うだろう?」
朋蔓が言った時、何者かが部屋に入ってきた音がした。
それが誰であるかは、気配で分かった。
「董凱――」
思わず上体だけで起き上がる。
だが激しい眩暈に襲われて、それも長くは持たなかった。
背を支えたのは、董凱の手。
「――らしくねぇじゃねぇか、将軍サマよ?」
皮肉な笑みで、淡々と言う。
この人はいつもそうだったと、縷紅は思い返す。
東軍の頭――そして縷紅を育てた張本人が、この董凱だ。
「許しては、もらえませんね…」
「よく解ってるじゃねぇか」
「――別に許しを乞いに来たのではありません」
「地の使者だってな?」
「はい。民を解放し、我々は天に戦を仕掛けようと思っています」
「無茶だ…」
「それは十分承知の上。しかしあなた方東軍が加わって下されば、あるいは…」
「我々が加わっても同じ。無駄死にともなりかねん」
「ではこのまま見捨てると!?」
「王の書はあるのか?御璽は?」
「五年前の戦を御存知でしょう!?その時御璽は紛失しました…国と共に…」
「滅ぼしたのは、お前だろう?」
「――」
「まぁ、書が無い事には我々は動けぬがな」
縷紅は唇を噛んで俯く。
「…だが董凱、五年前のあの戦の時もそうだったではないか」
朋蔓が見兼ねて口を開いた。
「地は我々に使者を送る余裕も無く滅んだ。東軍が駆けつける暇も無く」
「使者も無くどうやって我々が動けたと言うんだ?」
「では悔いては無いのか?あの時の事を。みすみす地を滅ぼした事を」
「…それは…」
「あの時潰えたと思われた希望がまだ残っていたんだ。やり直す好機だと私は思うが。よもや東軍だけで天は倒れまい」
「お願いします。黒鷹の為に」
縷紅も口を添える。
「…朋蔓は縷紅を信じるのか?」
「少なくとも、彼の言葉は信じ得る」
今度は、縷紅に向いて言う。
「良いのか?信じても」
「地の王に誓って。神に見放されても、黒鷹は私を見放しません」
「――黒鷹、か」
遠くを思うように、董凱は宙を仰いだ。
「幾つになったんだっけな」
「十五です」
微笑して縷紅が答えた。
「最後に見たのは十三年前だ…早いものだな」
「会ってみませんか?」
「黒鷹に?」
「私は最後に貴方に会いに来たんですよ?戦が始まれば二度と会えないだろうと思って。…貴方も会えなくなる前に、あの子に会うべきです」
「決め付けられてもな」
珍しく、小さく苦笑する。
「…俺に会いに来たか…」
「はい」
「軍はどうだった?」
その短い問いかけが、まるで遊びに行って帰ってきた子供に訊くような口調だったから、縷紅は少々面喰った。
「どうしたんですか、突然」
「いや…なんでもない」
照れたのか、董凱は背を向けて扉に向かった。
「ちょいと他の奴らと話してくる…地に行くかどうかを決めるのはその後だ」
「董凱」
扉に手をかけた彼は、半分振り返った。
「なかなか好い所でしたよ、軍は。少しここに似ていて」
「似てんのか…」
「ええ。家族のように接してくれた人と、異分子扱いで妬む人が居たところなんか特に。でも貴方程の存在は居なかった…」
ふん、と董凱は笑う。
「俺程の人間がそうそう居ると思ったか」
「私は井の中の蛙でしたからね。…空の高さが余りに身近だったんですよ」
董凱は扉を開けた。そして出ざまに朋蔓へ言い残した。
「手、解いてやれ」
董凱が去り、扉が閉まるのを見計らってから朋蔓が言った。
「何だかんだ言って、心配していたんだ、あの人は。それだけは分かってやって欲しい」
縷紅は首を振る。
「悪いのは私の方です。口も利いて貰えないかと思っていた…」
朋蔓は微笑して応え、縷紅の手首を縛っていた紐を解いた。
「…朋蔓、一つ聞いて欲しい事があります」
「何でも聞こう」
「私は急ぎ帰らなければならない。後の判断は董凱に任せて、明日にでも地に帰ろうと思うんです。…彼ならきっと来てくれると信じていますから」
「私も他の連中を納得させる為に努力しよう」
“ありがとうございます”と礼を言って、縷紅は続けた。
「だから董凱に直接話せないので、彼に伝えて頂きたいんです。…私が東軍を抜けた経緯を」
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