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RAPTORS

 夕食を済ませ、今夜はさっさと寝ようと、隼は一人寝室に入った。
 他の面々は、テーブルを囲み和やかに談笑している。その声が、薄い木の壁を通して聞こえる。
 ふと、幼い頃に戻ったような錯覚を覚えた。
 デジャブのような、記憶に無い記憶。
 でも確かにこのような状況はあった筈だ。覚えていないだけで。
 忘れようと努めていたのかも知れない。
 ここの記憶は、思い出す限り、楽しいものは無い。
 この家に来てからの数年間、皆が談話する横で一人寝かされていた。
 体が弱かったのは、この国の空気汚染のせいだ。
 その原因すら知らなかった。己の出自など、何も。
 常に孤独だったのは病のせいだけではない。この容姿。
 同じ屋根の下で育つ子供達の想像は、彼を魔物扱いした。
 無視、中傷、暴力。それでも耐えてきた。諦めと共に。
 その均衡が崩されるまでは。
 己が何者であったかを知るまでは。
「根…か」
 認めたくはないが、認めざるを得ないだろう。
 忘れた方が楽だと解っている、そんな記憶。
 今は何もかも消えた。
 この部屋で共に寝起きしていた子供達は、戦火の中に。
 報いだとは思わない。ただ、救えたのではないか、と。
 自問して、諦める。
 全て、宿命だ。
 己の運命も、また。
「俺は、地の人間だ」
 自分に言い聞かせ、隼は瞼を閉じた。


 夜の、ひんやりとした空気が、薄い衣を通して黒鷹を包む。
 寒い訳ではなく、心地良い外気だ。
 月明かりが、黒鷹に、そして彼の立つ野原に降り注いでいる。
 寺院の裏庭。
 正確には墓地。
 磨かれた石が、生い茂る草の中に数十基ほど立っている。
 黒鷹は草を踏みながら、一つの墓に歩み寄った。
 墓を目の前にして、小刀を取り出す。
「何する気?」
 ふいに声がかかった。
 茘枝の声。全く気配に気付かなかった。
「…やっぱ、忍だな。」
「職業病ね。驚かせた?」
「不意討ちには慣れてる」
 改めて茘枝を見る。
 裏庭へ通じる寺院の扉に背を預けている。
「何する気なの?」
 同じ質問を繰り返した。
「…草刈り」
「…なんだ」
 黒鷹は、墓の前に伸びた草を、小刀で切った。
「何考えてるんだよ」
「だぁって突然刃物とか出したらコワイでしょうが」
「何も危ない事しねぇよ。要らん心配するなって」
 言いながら草を切り続け、墓の前が大体開けると、今度はその隣の墓へ移る。
「どうしたのよ、唐突に。清掃ボランティア?」
「司祭が出来ないから、代わりにやってんじゃねぇかよ」
「ボランティアじゃない。明日雨降らせないでよ」
「だって…」
 言葉と共に、口も止まる。墓石を、じっと見つめている。
「…これが誰の墓か、知ってんだろ」
「想像はつくけどね。ここに来るの初めてだから」
 建物の裏手にある、木と柵で囲まれた、この場所。
 ここにある墓は全部、王家の人々が眠っている。
 黒鷹が見つめる墓は――
「皇子と皇后陛下ね」
「そ、兄上と母上の…」
 最後の草一房を切って、黒鷹は立ち上がった。
「他は綺麗にしないの?」
「知らない人だから」
「あ、そぅ…」
 バチ当たりな奴、とぼやく。
「…父上の墓、立ってないんだ」
 横のぽっかりと開いた空間を見て、黒鷹は言った。
「そりゃそうだよな。戦争終わって占領されたら、墓も建てられねぇよな」
 黒鷹は、一人、誰に言うでもなく言葉を続けた。
「でも、いつかは建てなきゃね」
 茘枝は言ってみたが、ゆるく、首を横に振られる。
「立派な物は出来ない。父上に見合うくらいの…。それに――」
 一度、言葉を切って。
「父上は、ここに眠れなかった。天の奴らの手中にあるんだ……いや、もう何処にも無い。ここに葬るべきものが」
「……」
 黒鷹は天を仰ぐ。
 星空が、雲に遮られようとしていた。


 隼、黒鷹、茘枝と、それぞれ夕食を済ませて消えてしまい、手持ち無沙汰になる縷紅は、司祭と後片付けをしていた。
 司祭が皿を洗い、縷紅がそれを拭く。
 偉いと言えばそうなのだが、奇妙な光景である。
「すみませんね、手伝わせてしまって」
「いえ…自分が好きでやっているので、どうぞお気になさらずに」
「安心しました」
「何がです?」
 会話として不自然な言葉に、縷紅は目を丸くした。
「天の人にも、良い人がいるものですね」
「――」
 縷紅は更に驚いていた。
 まだ、自分が天の人間だとは一言も言っていない。
「何故知っているのですか?」
「…判るのですよ。目が見えなければ、代わりの感覚が鋭くなるのです」
 第六感…と言った所だろうか。
「その通り、私は天の出身者です。数日前まで将軍をしていた者です。…そんな人間を、貴方はこの建物に泊めるのですか?」
 司祭は、表情を変える事無く、優しい笑顔で答えた。
「あの三人が連れて来た方ですから。それに、我々は元は同じ種族。天も地も根も、ただ住む場所が違っただけです」
「…結果的には、こうなってしまった訳ですが」
「国家単位の事でしょう。まず個人から元に戻せば、いつか和平が来ると信じております」
「…そう、ですね…」
 短い沈黙が流れたが、ふと、縷紅が口を開いた。
「つかぬ事をお訊きしますが…」
「何でしょう?」
「貴方と隼さんは、どのような関係で?」
「まあ、義理の親子でしょうかねぇ。ここは、孤児院のような役割も担っていましたから、私の子供は多いのですよ」
「隼さんは、何故貴方の元へ…?」
「……お気付きですか」
「え?」
「あの子が、異国の者と…」
「――ええ。根の国かと」
 縷紅は正直に述べた。
「正直、私もそれ以上の事は解りません。何故地に入る事のない根の人が、それも子供が、私の元に居るのか…。私の元に来た時、まだ二歳ほどの子供でした。心ある方が保護して連れて来て下さったのですが、体中傷だらけの酷い状態で…。それ以前に何があったか、彼は語りません。覚えていないのかも知れませんが、無理に聞きたくなくて」
「…そうでしたか」
「縷紅殿、黒鷹様は勿論ですが、どうか隼も、よろしくお願い致します」
「分かりました。心配しないで下さい」
 口ではそう言ったが、頭は昼の事が渦巻いていた。
 根の間者でないなら、彼は一体何者――?
 二歳の子供が、大人に使われてスパイなどしているとは思えない。
 また、この世界に一つしかない根と地を結ぶ道から、自ら出て来るとも考えにくい。
 “誰が、何の為に…?”
 結論は必然的にそうなってくるが、それ以上は予測すらつかない。
「どうも有難うございました」
 片付けが終わり、司祭は縷紅に礼を言った。
「いえ――こちらこそご馳走様でした」
 司祭はにっこりと笑って言った。
「この若さで、こうも礼儀正しく親切とは、うちの子供達にも見習わせたいですね。特に隼は…。きっと貴方もご苦労なされたのでしょう」
 言われて縷紅は、応える代わりに微笑を返した。
「お休みなさい」
「お休みなさい…ごゆっくりと」
 台所を出て、寝室に向かう。
 扉を開けると、一瞬人気が無いと感じたが、一人寝台の上へ横になっている者がいる。
 隼だった。
 静かな寝息を聞いて、本当に眠っている事が判る。
 疲れていたのだろうと、縷紅は目を細めて、自分も眠る事にした。
 まだ時間的には早いが、特にする事も無いし、これからに備えて眠れる時に眠っておこうと思ったのだ。
 数刻前に黒鷹が決めた寝台に腰かけ、もう一度隼の方を見る。
 そして、ふと、ある事に気付いた。
 いつも隼が被っている頭巾が無く、隠されている右目が露わになっている。
 だがはっきりとは見えない。右目の上に長く白い髪がかかっている。
 思わず縷紅は腰を浮かせた。
 隼に近付き、右目にかかっている髪を払い除けた。
 髪を払ったその手に、つと、冷たいものが触れた。
 小刀の刃だ。
「…起こしてしまいましたね」
 落ち着きを払って縷紅が言う。
 隼は何も答えなかった。
 左の冷たい緑の瞳が、真っ直ぐに睨めつけている。
「ごめんなさい、ただの好奇心です」
 縷紅は続けたが、やはり何の反応も無い。
 硬直状態がしばらく続いた。
「天の奴らには関係無ぇだろうけど――」
 やっと、隼が重い口を開いた。
「これが地の、根に対する怨みだ」
 小刀を下ろす。縷紅は息を積めたまま手を引いた。
 右目の上から頬にかけて、左の刺青と対称の傷痕が、生々しく残っている。




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あきゅろす。
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