RAPTORS
1
「縷紅」
屍の片付けも一段落して、暖炉の周りで休息している時、黒鷹が尋ねてきた。
「捕われている民を、開放してもいいかなぁ?」
「今――ですか?」
「なるべく早く。ここから近いんだ。少なくとも城跡よりは」
「明日にでも、と思っているでしょう?」
黒鷹は素直に頷く。
それに少し微笑み、しかし縷紅は言った。
「開放すれば天は黙っていない。大事な奴隷を失いますからね。すぐにでも戦になるでしょう」
「でも、このまま素通りして帰れない」
「気持ちは解ります…しかしまだ何一つ準備が整っていないんですよ。食料も足りないし、天に攻められた時に対抗は出来ない」
黒い瞳が、真っ直ぐに向けられる。
「俺が皆を守る。――出したいんだ」
縷紅は再びやんわりと微笑した。
「私は開放していいかと問われ、その危険要因を言ったまで――。反対はしませんよ。ただ、一つ尋ねても?」
「ん?」
「そのような重大事を、何故門外漢の私に相談するのですか?確かに天の情勢は握っていますが」
鶸や司祭、目覚めれば隼も、十分相談役になりえるだろう。
敢えて天の人間に、地の民の、それも命運を左右するような事を尋ねなくても良いと、縷紅は常識的に考えたのだ。
が、生憎黒鷹は、そんなものを持ち合わせていなかった。
「なんで?仲間だろ、俺達」
「……」
当然の様に言い切られてしまって、言葉など出ない。
「お前が一番、頼りになるしさ。俺達の事引っ張ってくれるのは、縷紅、お前だと思ってる」
純粋に、自分を信頼する瞳。
咄嗟に何も言えず。
「…分かりました。私も貴方の仲間として、期待に応じましょう。今回の決断には従いますよ、仲間として」
「従うなんて…」
照れた様に笑って、言った。
「ありがと」
翌日の昼前。
心地良く眠りから覚めた黒鷹は、ふと隣の寝台に目を移した。
隼が寝転がっている。目は開いていた。
「起きたんだ」
「ああ」
不機嫌とも、無感情ともつかぬ返事。
「傷、痛くない?」
「痛くねぇワケ無いだろ、バーカ」
「心配してやってんじゃねぇかよ、ボケ!」
「…ガキ」
「どっちがだ」
どっちもだ。
しかし、本当のガキはそれに気付こう筈が無い。
やがて隼が溜息をつき、
「睡眠薬を塗った苦無だ。油断して、つい腕で受けちまった」
訊いてくるであろう事を、自ら先に説明した。
「よくここまで歩いて来れたな」
「雨の中で寝る程、ボケてない」
「何で油断したの?」
一瞬、言葉に詰まる。
「…相手が、知り合いに似てた」
「それだけ!? らしくねぇなぁ」
「放っとけ」
本当に放っといて貰いたいと、ごろりと横を向く。
「着替えさせたの、司祭だからな。念の為」
「あっそ」
「その眼帯ってさ、意味あんの?」
右目を隠しているのは、頭巾ではなく眼帯だ。
だが、傷は隠しきれない。開く事の無い目だけを覆っている。
「どうせ見えねぇんなら邪魔なだけじゃねぇ?」
「知るか。司祭が付けたんだろ」
「それもそうだ。でも何で眼帯が出て来るんだろ」
「…ガキの頃、付けてたから」
ふと、昨日の司祭の話が頭を過ぎる。
急に黙り込み、真顔になった黒鷹を訝しんで、隼は漸く顔を向けた。
「お前、ガキの頃、大変だったんだな」
考え考え、言葉を選びながら黒鷹は言った。
地の人間として申し訳ないと思うのだ。いかに自分がやった事では無いとは言え。
「何だよ、急に」
多少の嫌な予感を覚えながら、隼は顔を顰て訊いた。
黒鷹はそんな隼を見遣る。
「…痛かった?」
「何が」
「目の、傷…」
それを聞いて隼は諦めた。
隠したい過去は、どうやら全て司祭の口から語られたようだ。
「これが痛くなかった訳ねぇだろ。ぶわぁか」
先程より悪化している。
だがこれ以上、ガキの会話に付き合う程、黒鷹も子供では無かったらしい。
「ゼンッゼン、覚えてないんだ」
「……」
最低限、黒鷹が見れる角度に体を傾ける。
彼は、案外マジメな表情で何か考えていた。
――隠したいのではない。
俺が、忘れたいだけだ。
「――時々、思い出さされる。忘れさせてくれねぇんだよ、コイツは」
「え?どういう事…?」
「よく分かんねぇけど。唐突に疼きだすんだよな。半端なく痛ぇの、コレが」
「そんな事が…」
「なんかさ、それが“どうせ俺は根の人間なんだ”って思い知らされてる様で…。でもそうなんだよな、俺は本来、ここに居るべき存在じゃない」
「隼――」
「正直、地で生き永らえている自分に疑問を感じる。俺はお前の側近なんかそぐわない。どうせ守りきれない――役立たずだ」
「お前ッ――!」
淡々と喋る隼にたまり兼ねて、黒鷹は彼の頭の横へ手を付いた。
強制的に上から覗き込む体制になって、一言怒鳴った。
「馬鹿はてめぇだよ!」
「――」
「俺がお前に守って貰う筋合いは無い!俺が民を守る――お前も含めて!」
「カッコ付けてんじゃねぇの」
下から頭をこずかれて、やっと隼から離れた。
「地の民も悲劇だな。こんな、なよっちいヤロウに守られるなんて」
「なよっちいって、羅沙と同じ事言う」
「事実だからだ」
ぶぅ、と黒鷹は膨れる。
軽く笑って、やれやれと隼は体を起こした。
「お前に守られるなんて言われちゃ、俺も終わりだな」
「もぉ知らないっ!」
完全に拗ねて、くるりと回り扉に向かう。
二、三歩進んで、立ち止まった。
「…今日、民を開放する。来るよな?」
「当然だ」
「――ん」
「しっかし、お前じゃねぇけど流石にハラが減ったな…」
「え?隼でも腹減るんだ?」
「…一応、ヒト科なんですけど、俺」
と、その時、扉が開いた。
鶸だった。
「隼、お前メシ抜き過ぎ」
指差してそう言い、
「お前らの朝メシ、俺らの昼メシが出来たぞ」
二人を食堂に向かわせた。
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