RAPTORS
1
王宮から帰る足で、軍本部へ寄った。
兵たちが忙しく動き回るのを横目に、最深部へと向かう。
返事は無いと分かっているものの、一応扉を叩き、開く。
「どこまでが嘘だ?」
“失礼致します”と言おうとした矢先、挨拶もなしに訊いてくる。
「殆ど全部です」
「王に嘘をつくとは悪い癖だな」
「あなたの癖が染ったんですよ」
「ふふん」と鼻で笑い、顎で席を促す。
天の軍部、最高司令官――緇宗。
「では反乱軍の潰滅はまだかかるな」
「我らへの攻撃もまだかかりましょう」
「それで?問題児二人は?」
尤もかも知れないが、未だに子供扱いかと姶良は苦笑した。
「脱走囚の方は姿を見せませんでした。恐らくどこかに隠れているかと」
「奴のガラじゃないな」
「会われた事が?」
「牢の中でな。何度か話した。噛み付きそうな子犬みてぇなガキだ」
「それで、裏切者は…」
「――縷紅でいい。会ったのか?」
「はい。対峙しました」
「負けたのだろう?」
「…生かされました。人を殺すのを、避けたいと言って」
緇宗はくっくと笑う。
「やっぱ甘ちゃんだなぁ。やっと自覚持ったか」
「私だって、あの子が相手なら躊躇います」
言い切った姶良を、緇宗は興味深そうに見る。
「この任は私以外の人間にして下さい。剣の腕でも私は彼を斬れないけど。そもそも忍の仕事じゃありません」
「いや――。忍のお前だから、この任を与えた」
「それは…」
「私情を消せるのが忍だからな」
「しかし、縷紅を確実に殺す者は軍に腐る程居りましょう。出世を狙う者は、皆妬んでいた」
「殺されちゃ意味が無いんでな」
「ええ?」
驚く姶良を、再びくつくつと笑う。
「生かせ。殺すな。俺が撒いた種だ。まだ花も咲いてなけりゃ、実も戴いてねぇ。収穫はもぎ取らなきゃ意味が無いだろ」
「―――収穫、とは…」
緇宗は意味深に笑う。そして低く言った。
「奴はまだこの手の内に居る」
「……」
「転がすも捻り潰すも、この手次第だ」
右手を目前に浮かせ、握る。
姶良は息を呑んだ。
「御自身で、仕留めると…そういう事ですか」
せせら笑う眼に、血や涙は無縁なのだろう。
冷徹に、獲物を、仕留める。
例えどんなに親しい相手でも。
「次の任務だ」
机の上に散らばっている紙を探ると、一枚の紙を手に取り、口に不敵な笑みを浮かべる。
「これが何の資料か判るか?」
言いながら姶良の方へ投げる。
空気に乗って、紙は姶良の足元に落ちた。
彼女は拾いながら呟く。
「これは…私が作った…」
「お前が報告してくれた、地の王宮の内情だ」
「ずいぶん前の資料ですね。これが何か…?」
「王子の周りの人間を利用しろ。おびき出せ。二人共必ず来る。向こうからな」
「利用とは、つまり…」
「決まっている。連れて来て餌にするんだ。二人が釣れたら処分して構わん」
「…必ず釣れると…自信がおありなのですね…?」
「ああ」と、不敵な笑みのまま頷く。
「甘い所を利用してやれ。地の奴らも思い知るだろ」
姶良はじっと資料に目を注ぐ。
「何か…問題あるか?」
自ら了解の意を告げない彼女に、煙管を弄ぶ手が焦れている。
姶良は重く口を開いた。
「私は貴方様の命により縷紅を殺せない立場に居る。しかし向こうはその覚悟次第です…」
「だから?」
「私に死ねと仰せですか?」
単刀直入に姶良は訊いた。
見詰め返す瞳には、迷いは無かった。
ここで頷けば、彼女は、命令通りに果てるだろう。
強固な覚悟を孕んだ瞳だった。
「…お前は、俺の手も同然だ。お前が奴に留めを刺すなら、それも有りだ。その方が奴も浮かばれるだろう」
いくらか優しく言って、改めて命じた。
「縷紅と対峙する事があれば、その時は、本気で闘え。殺しても構わん」
それでも彼女はたっぷりの間を置いて。
やっと、返答した。
「承りました」
緇宗が頷く間も無く、しかしと続ける。
「一つだけ言わせて下さい」
「…何だ」
姶良は背を向け、扉の前に立つと、小さく呟いた。
「私達が命懸けと知って、任務を御自身の道楽として下すのは…悪い御趣味ですよ」
早口に言って、扉を開ける。
差し込んだ光の眩しさに、緇宗は目を細めた。
扉が支えを無くして閉まる。
再び光を無くした部屋。
「道楽ねぇ…」
椅子の軋む音と相俟って落ちた低い呟き。
「俺とて必死なんだよ」
吐き捨てて、我ながら似合わぬ言葉に、自嘲が洩れた。
一方で、外に出、回廊を歩みながら彼女は。
深く、深く溜息を吐き出した。
――己の感情を消すのが、忍。
そう、そうしてきた。今までは。
しかし、今は。
それが、憎い。
「姉貴」
呼ぶ声がした。
回廊の向こう、草花で整えられた美しい庭から、一人の少年が近付いてきた。
「緑葉(リョクヨウ)?どうしたの」
姶良は弟の名を呼んだ。
彼は庭に流れる小川越しに応じた。
「今から総司令官に稽古をつけて頂くんだ」
「緇宗様自ら?」
緑葉は嬉しそうに、無邪気に頷く。
姶良は――緇宗の意図を知って。
愕然とし、また同時に、覚悟を決めた。
「…姉貴?」
怪訝に緑葉が呼ぶ。
涙が出そうで、しかし出してはならぬと踏み止まる事に必死で。
「…ごめん、緑葉…」
実弟が不思議そうにこちらを伺っている。
どうして良いか、動き兼ねて。
「ごめんね…」
緑葉の顔が滲んだ。
それを自覚したと同時に、彼女は走った。
零れるものが、風に流されてゆく。
――あの方は、私が死ぬ事を知って、緑葉を戦力として使える様にしている。
否、己の運命すら、彼の手の内に。
縷紅と同じ立場なのだ。
そして、私は。
私の手の中に、一つの命を握る事になってしまった――
潰したくはない、命を。
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