RAPTORS
13
光欄と彼女の率いている部隊は丘の頂にある天の陣に向かった。
砲撃による死傷者が多く、実際動けたのは部隊の半分余りの兵だけだった。
遺体はおろか、重傷者も運ぶ事は出来なかった。
移動を始めた後、砲撃は再開した。
助かるか否かは最早運任せ。部隊は命懸けの移動を始めた。
縷紅、そして隼も光欄達と行動を共にしていた。
そもそも、天の陣に向かう事は縷紅の提案だ。
恐らくそこまで行けば、射程圏外となり砲撃から逃れる事は出来る。
これ以上被害を拡大させない為の移動だ。
もう一つ、狙いはある。
「まさか、我々が天と合力する日が来るとはな」
移動前、光欄が皮肉の混じる笑みで言った。
「そちらの陛下のお考えか?」
「いいえ。私の独断です」
緇宗には一言も告げていない。が、権力を譲るとまで言った縷紅の判断ならば、否は言わぬだろう。
「今は――いえ、もう今後一切、国同士で争っている場合では無いでしょう。故に、天は根の犠牲を抑える為に出来る限りの協力をします。それが敵に一泡吹かせる事になる」
光欄は、ふっと笑った。
「面白い。勿論我々も天に協力しよう」
ならばともかく危険なこの場所を逃れ、天の陣で態勢を立て直そう、という事になった。
しかし退避は予想以上に困難だった。
道は木が倒れ通行不可となっており、山道を駆け上がる。
時に木々が燃え上がっており、迂回をせねばならない。
そこへ新たな砲撃が襲う。
直撃は免れても、爆風に木々が薙ぎ倒され、巻き込まれる兵が出た。
倒れてきた木の下敷きになった仲間を救おうと、足を止める。
そこへまた砲撃が襲う。
負傷者が、増える。
地獄だった。
「動けぬ者は捨て置け!!前に進む事だけを考えよ!!」
光欄が非情の檄を飛ばす。
非情にならざるを得ないのだ。留まれば犠牲は増える一方。
助けを求める声を振り切り、軍勢は後ろ髪引かれる思いで進む。
「…俺も置いて行くべきだろ」
縷紅と共に馬に乗る隼が呟く。
「それは出来ません」
何故、と問う。
見殺しにされる兵達と何が違うのか、と。
目が責めていた。
縷紅は答えず馬を走らせる。
また、砲撃が大地を震わせた。
また、誰かの命が消えた。
「……」
隼は身をよじらせて後ろを見る。
煙が濛々と立っている。
隼の目を、縷紅は手で塞いだ。
「何する…」
「余計な考えは止して下さい」
縷紅は強く言った。
「理屈じゃない。…貴方だけは、死なせる訳にはいかないんです」
――“無二の友”だから。
救えるのなら、周りの犠牲に目を瞑ってでも救う。
己が黒鷹にそうしてきた様に。
隼は諦めて体勢を直し、身を預けて目を閉じた。
自分一人助けられる事の罪悪感。
残酷な現実を受け止める力は、もう無い。
同時に縷紅へ少しだけ、悪いと思った。
頂が近付く。
「もう少しです!」
縷紅は光欄と、続く百騎余りに減った兵に叫んだ。
坂を駆け上がる。
後方で爆発音がした。爆風を背中で受ける。
隼を守ろうと、背中を丸めて風を遮った。
爆風で飛ばされた石が、治癒していない傷痕に当たった。
呻き声を噛み締めて殺す。
闇に目を塞がれ、爆音に耳を塞がれ、自分達以外に何が起きているか分からないまま、夢中で駆け抜けた。
「――縷紅」
隼の細い声で我に返る。
月明かりが、目的の場所に着いた事を知らせてくれた。
耳鳴りは残っているが、人々の声が聞こえる。
「…抜けた」
背後は地獄の様相だ。だがここまで来ればもう届かない。
切り抜けた。漸くそう思った。
「大丈夫ですか?」
ああ、と隼は殆ど口の動きだけで応えた。
そして同じように、お前は?と問う。
「何とか…。生きた心地はしませんでしたが」
笑って見せると、隼も笑い返そうとした。
だが、それすら酷く難しそうだった。
今こうしている間も、刻々と生命が削り取られているのが、痛い程分かった。
「二人とも無事か?」
光欄の声。振り向くと、出発時より随分減った部隊が目に入った。
「ええ。何とか生きてますよ」
縷紅が答えると、彼女は心底安堵した表情を見せた。
一行は進み、陣へと入る。
縷紅は部隊を案内し休ませると、救護用の天幕へと向かった。
その途中で、隼が突然馬から降りた。
殆ど落ちる様な格好だった。
そして膝を着いたまま、山腹を見下ろしている。
その場所からは確かに周囲が見渡せる。
麓から山腹にかけて、所々で炎が上がっていた。
縷紅も下馬して、隼の隣に並んだ。
「ここは身体に障ります。行きましょう」
促しても、座り込んで緩く首を振られた。
翡翠の瞳は紅蓮の炎に吸い寄せられている。
クロが、と呟く口元。
あの中の何処かに、黒鷹が居る。
「大丈夫ですよ。貴方もそう確信したから送り出したのでしょう?」
気休めにもならないが、縷紅はそう声をかけた。
それでも動く気配が無いので、近くに居た兵に毛布を持って来るよう頼む。
体温が下がっている。身体を震えが襲っていた。
「…縷紅」
「はい」
「お前にも、言うべき事…沢山あるのに…」
「いつでも聞きますから…!」
毛布を受け取り、手早く身体に巻き付ける。
震えすら止まっていた。
「俺に…もう少し…時間があれば…な」
焦点の合わなくなった隻眼から、涙が一筋、零れた。
もっと見ていたいものがあった。
この戦火が消える様を、夜明けを迎える世界を、大切な人の無事な姿を。
ありがとうもさよならも、まだ伝えていない。
言いたい事はまだまだ残っているのに。
「らしくないこと言ってないで…!待ってて下さい!必ず黒鷹は戻って来ますから…それまでに死ぬなんて、許しません!」
隼は笑った。そして言った。
「後は…頼む」
閉じた瞼から、涙が最後の一筋を作った。
まだ細い息はある。
縷紅は立ち上がった。
ケリを付けねばならない。託されたものがある。
振り返れば、少し離れて光欄がこちらを見ていた。
近付く気は無いようだ。縷紅は彼女の元へ足を進めた。
「…すべき事を迅速にせねば」
光欄は呟く様に言った。
視線はじっと毛布にくるまって座る隼に注がれている。
縷紅は頷いた。
隼の事は軍医に任せ、二人は緇宗の元に向かった。
緇宗は既に兵を戻し、参謀を集め策を練っていた。
「おう、縷紅」
煙幕の中、卓を囲む一座の奥で、緇宗は軽く手を挙げた。
「そちらは根の女丈夫な総帥殿か。ようこそ我が陣へ」
初見の光欄を物珍しげに見て言った。
対して固い表情で彼女は応じた。
「縷紅殿の好意で参った。邪魔をする」
緇宗は二人を招き、己の両隣へ座らせた。
縷紅が早速口火を切ろうと、陛下と呼び掛ける。
しかし緇宗は手を翳してそれを止めた。
「俺は王を辞める。お前がそんな呼び方じゃ示しが付かねぇ」
訝しげに見返す縷紅。
「大体、お前の王は一人じゃないだろう。名前で呼べ、名前で。皆もだ。陛下なんて虫酸の走る呼び方は止めて、緇宗と呼べ」
周囲の臣下は困惑した表情を浮かべている。
一方で縷紅は頷き、口を開いた。
「では…緇宗様。今、私達が闘うべき敵の正体は、何者とお考えでしょうか」
「そう言うお前は見当付けてんだな?」
にやりと笑って横目に見る緇宗に、縷紅は頷いた。
「旧王制支持者と根の反総帥派が結び付いた、反体制勢力かと」
「だろうな。率いているのは?」
「分かりません…。赤斗亡き今、彼らを束ねるような人物が居たとは…」
「赤斗か…」
親王派の将の中で、赤斗は抜きん出て位が高く、王に一番近い存在だった事は間違いない。
逆に言えば、赤斗以外の将で国を跨ぐ様な大きな勢力を纏める事が出来る者は居ないのだ。
離散していてもおかしくない軍勢が、今、世界をも束ねようとしている緇宗の軍勢に牙を立てている。
偶然では有り得ない。
「その赤斗と言う者…もしや赤眼紅毛の者ではないか?」
割って入った光欄の言葉に、縷紅は不思議に思いながらも頷いた。
「何故ご存知なのです?」
「いや、推測のまぐれ当たりに過ぎんが…。そなたの義兄殿が言われていた事を思い出したのだ」
「旦毘が、ですか?」
彼とて、赤斗を知っている筈は無いのだが。
「何と?」
「詳しくは聞いておらぬが、反体制勢力を率いる王の臣が赤眼紅毛であると聞いた瞬間、顔色を変えてな。生きているのか、と」
「…生きて…!?」
何故、旦毘が赤斗の生存を気にしているのか。
彼は何かを知っている。
だが、その前に、旦毘に赤斗の存在を教えているであろう人物――
そう、楜梛だ。彼ならば全ての事情を知っているに違いない。
そもそも赤斗が命を落とした場所に居たのは、意識を失っていた縷紅を除いて、彼だけなのだ。
「楜梛は、今何処に…?」
この場に居るべき立場である彼の姿が無い。
いくら神出鬼没の人物とは言え、以前の言動も有る。嫌な予感がする。
「さあな。近頃あまり姿を見せねぇから、また何か目論んでいるのかも知れないが…」
ヤツがどうした?と緇宗は目で問う。
「確かではありませんが…離反の疑いが有ります」
「…ほお」
緇宗の顔を窺い見る。信じていない。
信じたくは無いのは縷紅も同じなのだが。
「とにかく、赤斗について知っている可能性が有るのは楜梛だけでしょう。彼の話を聞く必要が有ります」
「赤斗のヤツが本当に死んだかどうかを、だな?」
念押しする裏には、縷紅の楜梛に対する疑惑を否定し牽制している。
「…ええ。そうです」
縷紅は溜息混じりに答えた。
緇宗の楜梛に対する信頼を、少し甘く見ていた。
勿論、軍幹部である楜梛が離反したとなれば、軍全体の士気に関わる。この場でその話は控えろという意向も有るのだろう。
不確かな情報なら尚更口を噤むべきだ。
縷紅もそれは解っているのだが。
「…少なくとも、この状況で彼の個人行動は諌めるべきです。私は楜梛を探します」
「お前の言う事は聞くまい。俺も行こう」
「え…」
異を唱える前に、緇宗はその場に居る者にてきぱきと指示を出した。
それを遮って縷紅は言う。
「そんな、勝手な…!」
「てめぇが言うな。お前は次代を担う身なんだ。立場は俺以上に重い。それに、俺の不在くらいで負ける様な軍じゃねぇ。ナメるな」
「…そこまで仰せなら、まあ…」
渋々口を閉ざす。
縷紅は捩じ伏せたと見て緇宗は部下に指示を続けた。
「砲は厄介だが死ぬ気で突っ込め。全滅する程の規模じゃない。敵は必ず怯む。だが逃がすな。完膚無きまでに叩きのめせ。今、甘い事をしていては後々の世に響くからな」
「お言葉ですが」
「まだ何か有るのか縷紅!」
物怖じせず口を挟んでくる縷紅に、流石に苛立ちを覚えて語気を荒げる緇宗。
慣れているのか全く動じず縷紅は言った。
「私は己に逆らう者を皆殺しにする様な世は作りませんよ」
じっと、大きな紅色の瞳が、緇宗を捕える。
「…甘さで世は治まらんぞ」
脅しに似た緇宗の言葉を聞いても、目が離される事は無かった。
己の立場も命も、侵されるのは覚悟の上だ、と。
それでも、理想を貫いた上に新たな世界を築き上げたいのだと。
数々の惨劇を見、その色を映してきた瞳が語っていた。
緇宗は――目を逸らして舌打ちしていた。
「好きにしろ」
縷紅は目礼し、諸将に向けて言った。
「逃げる者は深追いせぬ事。ただし、指示を出す者、統率者はなるべく生きたまま捕らえる様に。とにかく無闇に人死にを出すのは止めて下さい」
全く逆の指示に、緇宗に戸惑いと気遣いの視線が集まる。
が、緇宗は腕を組み目を閉じて、低い声で言った。
「縷紅に従え」
「しかし、我らの主は陛下…いえ緇宗様、貴方です!」
一人の言葉に、その場に居る者が賛同の声を上げだした。
それらの声を聞き、緇宗は口の端を吊り上げる。
「…そりゃ、そうだよな」
緇宗が口を開いた事で、口々に縷紅を否定していた者達が口を閉じた。
「当たり前だな。こんな若造が、訳の分からねぇ方法で出世して、気付けば自分達に偉そうに口出しする立場になっている。実は敵国の間者である事が解って、これで堂々と面潰せると思っていたら、何故かまた重用されてる始末だ。文句の無ぇ筈は無いな。縷紅、これはてめぇのツケの結果だ。お前が招き、背負うか始末せねばならない業だ」
縷紅は黙して頭を下げた。
自業自得、それは解っている。そんなつもりは無かったなど、言い訳は通じない。
それでも、己の意志を曲げる気は無い。
緇宗は臣下に向けて続けた。
「だがな、残念な事に…王となった俺はこの坊やに、世を託してみたくなった。この戦で古く悪しき世を洗い流し、夢か理想かと笑える様な世界を現実とする、新しい世を作る――それに相応しい男と思う。諸将よ、これは俺の命令であり、頼みだ。俺に対する忠節を、そっくりこの男に移してやって欲しい。次代を率いる者として」
場がどよめく。異論を出したいのは山々だが、命令とあらば堂々と唱える事は出来ない。そんなどよめきだ。
緇宗はちょっと笑って付け足した。
「そうしてくれねぇとな、俺が困るんだよ。おちおち隠居が出来ねぇ」
縷紅は薄く笑って訊き返した。
「隠居…ですか」
「言ったろ。俺は権力の表舞台に立ちたかった訳じゃねぇ。さっさと引っ込ませろってんだ」
「その割には効き過ぎな程に素晴らしい根回しをされましたね」
「るせぇ。それ全部お前にやるんだ、文句無ぇだろ」
縷紅は意味深にふふっと笑い、呟いた。
「簡単には引っ込ませませんよ」
緇宗が閉口してしまったのは言う間でもない。
「それで、もう一つ皆さんにお願いします」
流石にこれ以上心象を下げる訳にはいかず、少々下手に出る縷紅。
「根の部隊が孤立しています。急ぎ救出し、ここに居る光欄殿の元へ帰還出来る様、援助をお願いしたいのです」
「縷紅殿…」
光欄はまさか自軍が天に助けられるとは思いもしなかったのだろう。
縷紅は彼女に笑って頷いて見せ、諸将への頼みを続けた。
「この戦、他国との連携が勝利への…いえ、後の世を作る為の礎となります。その為に皆さんの力をお貸し願いたい。宜しいでしょうか」
皆、嫌とは言えず、まだ渋々といった様子ではあるが、それぞれ頷いた。
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