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RAPTORS


 天幕に入ってきた緇宗を見て、黒鷹は身を固くした。
 そうさせる空気が、この男にはある。
 それを察して、彼は鼻で笑った。
「そう怯えるな。お前を喰らおうって訳じゃねぇんだ」
 黒鷹は竦めていた首をいくらか伸ばす。
「それ、縷紅にも言われた」
「そうか」
 緇宗が快活に笑っても、天敵を警戒する様に上目遣いで捕らえている。
 ぴったりと付けられた視線を見返し、緇宗はふっと笑う。
「そうしていると小犬以外の何物でもないな。本当にお前が王たり得るのか?」
 黒鷹はすこし唇を尖らして考え、答えた。
「俺は知らない。皆が決める事だから」
「それでよく今まで務まったものだな」
「皆が王にしてくれたんだ。こんな俺でも」
 緇宗は面白そうに黒鷹を見下し、重ねて問うた。
「何の為に戦を始めた?」
 今度は即答した。
「最初は地の民を救う為だった。でも今は、これを最後の戦にする為だと思って戦ってる」
「最後の戦か…」
「もう誰も傷付き、傷付ける事の無いように。命を奪う事も、誰かを失って悲しむ事も無い世界を作りたかった…。今も、諦めた訳じゃないけど」
「お前自身で成すのは無理だと?」
 黒鷹は自嘲気味に頷いた。
「俺はやっぱり単なるガキでしか無かった。悔しいけど」
「単なるガキは俺とサシで話は出来ない」
 緇宗は向かいに座り、しかし視線はどこか遠くを見て、黒鷹は視界に入っていない様だった。
「俺は思い違いをしていた」
「…思い違い?」
「世界を治める為に必要なのは、俺自身の力だと」
 黒鷹はじっと緇宗を見詰める。
 頭一つ分は高い彼の顔を見上げる事になる。
「…それは…違ったの?」
 さてな、と緇宗は曖昧に笑った。
「お前を見ていると自信が無くなった。お前は無力だ」
「…うん。…ん?」
 話の流れが掴めず首を傾げる黒鷹。
「無力だが、それ故に民が付いて来るのだろう。否…民がお前を王たらしめている。それが本当の王だ」
「…そう、なの?」
「お前は弱い。弱いからこそ弱い者の見方が出来る。それが出来れば民の不満は無くなり、国が治まる…違うか?」
 黒鷹は首を捻りながら、頷くだけ頷いた。
「天に…俺の国にはその考えは無かった。それが悲劇の原因だ。そして俺にも」
「だから…地と根を従わそうと?」
「お前ならどうする?」
 緇宗は答える代わりに問うた。
 黒鷹は眉根を寄せる。
「…三国を一つにする。分け隔て無く、人が自由に行き来して、皆が協力して生きていける世界を作る」
 それが、目指してきた世界だ。
 多くの血を流した。多くの命を奪った。多くの友を失った。
 その果てに、あるべき世界。
「ガキの理想論だ」
「そうかも知れない。でも信じてる。作ってくれる人が居るから、絶対出来るって」
「…そうだな。縷紅ならやるだろう」
 意外にすんなりと肯定された事に、黒鷹は目を丸くした。
 緇宗は構わず紙と筆を出す。
「アイツを信じるなら…署名しろ」
 紙面に視軸を落として、更に目を見開いた。
 それはずっと問題にしてきた停戦条約だと、すぐに判った。
 だが、その内容はこれまでと全く違った。
 “以後、刃を持つ事、また互いに向け合う事を禁ず”
 その一文のみが記されていた。
「…これは…!?」
「停戦条約なんだ。それだけあれば十分だろ。あとは…俺達の決める事じゃない」
「縷紅に…任せるのか…」
 緇宗は頷いた。
 その口元に、微かに笑みを湛えて。
「王の時代は終わった。俺達で幕を引こうじゃないか」
 黒鷹は、じっと文面を見て。
 もう一人の王を見上げ、笑った。
「良いね、それ。光栄だよ」
 まず緇宗が署名し、筆を受けとった黒鷹もその横に署名した。
 地の王、と。
 安堵と、誇らしさと、ほんの少しの寂しさを込めて。
「…ずっと、こうする為に生きてきたのか?」
「と言うと?」
「王を倒して自分が権力を握り、その権力を誰かに托す為に」
「いや…俺は死者の為に生きていた。だがそれが退屈だと気付いただけだ」
 血の繋がらぬ我が子に捧げる復讐は果たした。
 だが、あの子は実の父親への復讐など望んでいただろうか。
 己のした事は、大きな間違いだったのかも知れない。
 しかしそれは、全て過去の事だ。
 未来への布石と思えば、間違いとは言い切れない。
 その未来を托す、もう一人の我が子が現れたのだ。
 退屈な権力にもう用は無い。
「これからは生きる者を見ながら、隠居生活でもしようと思ってな」
「まだ若いのに」
 素直な感想に、緇宗は笑った。
 黒鷹は署名を書き上げた条約を渡す。
「これで心残り無く死ねる」
 少し感慨に浸りながら言えば、ニヤリと緇宗が笑った。
「それはどうだろうな」
「…え?」
 まだ何か解決すべき問題があっただろうかと心を巡らせる。
 しかし、意味はそちらでは無かった。
「お前を明日死なせるとは限らないからな」
 黒鷹はぽかんと口を開けて、自分の処刑を決めた人物を見た。
「この世界の将来の為…延いては縷紅の為に、生かすのも手だからな」
「…そう…なのか?」
「お前を生かさねば地の民は我々に従うまい。そうだろう?」
 まだぽかんは続いている。
 緇宗はふっと笑って立ち上がった。
「つくづく自覚の無ぇ王さんだ」
「そりゃ、すんませんなぁ」
「責めている訳じゃない。ここが包囲されている事、その目的を俺が知らないとでも?」
 黒鷹は目を見開き、慌てて立ち上がった。
 が、慌てたものの次の動作に行き詰まる。
「…安心しろ。攻める気は無い」
「本当!?」
「これ以上の戦は無益だ。俺としては地の民のお前への忠誠心が見れただけ収穫だ」
「…本当に…世界を統一してくれる気で…?」
 緇宗は頷いた上で言った。
「やるのは俺じゃねぇ。お前の兄貴だよ。俺はアイツの為に地ならししとくだけだ」
「…そっか。縷紅か…」
「あとの事は任せようと思うが、とにかくお前の王権は頂いておくからな」
「うん。いいよ、問題無い」
 黒鷹は頷きながら、ちょっとした違和感を感じていた。
 兄貴という響きに、別の人を思い出した。それは、懐かしさと共に。
 峻鴛(しゅんえん)という、地の正当な皇子。十二年前に亡くなっていなければ、今頃王となっていたのは黒鷹ではなく彼だ。
 結局血は繋がっていなかったが、黒鷹にとって兄とは彼の事を思う。
 縷紅だって、二歳まで共に育った点では確かに兄なのだろうが。
 黒鷹は兄峻鴛が、この王権返上という決定に何を思うだろうかと、ふと考えていた。
 自分はただ王権を彼から預かっただけなのだ。それは偶然の巡り合わせによって。
 勝手な決定が許されるのか。
「…緇宗」
「何だ?」
「王権を無くすって事は…その、もっと大変な事じゃないのかな…。なんかこれじゃ呆気無いって言うか…」
「なんだ、大袈裟にして欲しいのか」
「そうじゃないけど…」
 言い表す言葉を探して視線をさ迷わせる。
「代々受け継いできたものを…こう、途切れさせるっていうのは…悪い気がして…」
 苦心して説明する黒鷹を、緇宗は鼻で笑った。
「王族様々だな。ンなもんは庶民に関係無ぇ。平民から王となった俺にもな」
「そう…なのか…な」
「死者なんか気にしてんじゃねぇよ。若いのに」
 そっくり返された言葉に黒鷹は苦笑して、天幕を出た。



 黒鷹が居なくなって気が緩んだのか、隼は眠りに墜ちたようだ。
 急に口数が減ったので何事かと覗き込むと、深緑の隻眼が閉じられていた。
 深い眠りではないのだろう。時に呼吸が乱れ、譫言のような物を発している。
 縷紅はせっかくの眠りを邪魔をしないよう立ち上がった。
 その時、天幕の布地に、月明かりによってぼんやりと人影が浮かび上がっている事に気付いた。
 入口とは反対側の裏手に誰かが居る。
 縷紅は急いで天幕を出た。
 そこに居たのは。
「…茘枝…!?」
 見張りの死角に彼女は潜んでいた。
 だがここは敵の陣の最深部だ。そう簡単に忍び込める場所ではない。
「こんな所まで…危険でしょう…!?」
 近付いて話しかければ、彼女は人差し指を立てた。
 見張りを警戒しているのかと思って辺りを見回す。
 しかし彼女が気にしているのはそこでは無かった。
「中に聞こえたら起きちゃう」
 横目に天幕を見る。中には隼が眠っていると、彼女は感付いているようだ。
「彼らを助けに来たのでは…無いのですか」
 ふっと笑って頷く。そうしたいのは山々だろう。
 ただ、隼の症状を考えると無理だ。
「董凱から貴方に、そして緇宗に伝えて欲しい、と」
「…何でしょう」
 こんな危険を冒してまで、伝えねばならない事だ。自然と身構える。
「私達はこの丘の麓を包囲してる。私達が居る限り、貴方達の撤退も補給も許さない。退いて欲しければ二人の解放を」
 縷紅は成程と口の中で呟き、考えるように口元に手を当てた。
「解る…?董凱は、貴方を信じて緇宗を説得する様にこんな伝言を…」
「しかし危険です」
 厳しい口調で縷紅は言った。
 茘枝は口を閉ざす。
「緇宗が…いえ、私が貴方達の居場所を知るという事は、貴方達を攻撃せねばならないという事です」
「貴方はそんな事しない」
 言われて、彼は意味深に微笑む。
「私は貴方の理想を知っている。貴方がどんな人かも。貴方は攻撃なんてしない。絶対に」
 縷紅は星空を仰いだ。
 澄んだ空気に届く、光。
「…緇宗には…告げません」
「縷紅!?」
「私は何も聞かなかった。何も知らない事にします」
「本気なの!?あの子達が助からなくても…!?」
 縷紅は人差し指を口元に立てた。
 知らず知らず声を上げていた茘枝は慌てて言葉を呑む。
「…隼が目覚めますよ?」
「……」
 茘枝は、くしゃりと顔を歪めて、縷紅の肩に目元を押し当てた。
「二人ともそれは望まないでしょう。それは貴方もよく解っている筈」
 縷紅は言い聞かせる様に、優しく彼女の頭を撫でながら言った。
「どうか…貴方達は撤退を。これ以上の武力行使は互いを疲弊させるだけです」
 異変に気付いたのか、見張り番の声がした。
 こちらに近付いてくる。
「縷紅…貴方は…もうこちら側には居ないのね…」
 顔を埋めたまま、細い声で茘枝は言った。
 縷紅は両手で彼女を包み、耳元に告げた。
「私達はもう会わない方が良いでしょう。この世界から国境が無くなる、その日までは」
「…そんな日が、来る?」
「ええ。私が作ります。そして貴女を迎えに行きます」
 茘枝は縷紅の顔を見上げ、口元を微笑ました。
「なら、早く作ってね?」
 縷紅は頷く。
 その瞬間、茘枝は彼の身を突き飛ばして間合いを取り、手刀を投じた。
 避けるのに精一杯だったが、長髪を掠めただけで刃が当たる事は無かった。
 その隙に彼女の姿は消え、その後ろには見張り番数人が立ちすくんでいた。
「る、縷紅様…ご無事で!?」
 まさかこんな所に曲者が現れるとは思っていなかったのだろう。目を白黒させている。
「大丈夫だ。戻って来る事もあるまい。持ち場に戻ると良い」
 縷紅が言ってやると、彼らは安堵して踵を返した。
 茘枝は彼らの目をごまかす為に、縷紅に攻撃を仕掛けたのだ。
 彼女もまた、信じてくれている。
 縷紅が、新たな世界を作る事を。
「るっこぉー!!」
 近頃聞かなかった叫び声で振り返ると、突然ぼふ、と何かが懐の中に入ってきた。
 今、緇宗と話し終えた黒鷹だ。
 これまた最近見なかった、弾けるような笑顔を浮かべている。
「縷紅聞いて!!俺達生きられるみたい!!」
「え!?」
「緇宗がそう言ってくれたー!!」
 叫びながら、縷紅を軸に腕を掴んでぐるぐると回り、そして地面に倒れた。
 大の字の上に、満足げな顔を浮かべて。
「緇宗が…本当に…!?」
 今だに信じられない縷紅。
 その点は何も聞いていない。
 否。今朝の一言はこの事だったのだろうか。
 自分の守れなかったものを、お前は守れ、と。
「条約も結んだし、緇宗は攻撃しないって言ってたし、後はお前に任せるみたいだし、なんか、上出来じゃねぇ?」
 確かに出来過ぎな程上出来だ。
 これでは裏があると勘繰りたくなるが、純粋に喜ぶ黒鷹を前にそんな事も言えない。
 だが、生かすと言ったならそれは事実だろう。それ以上の事は無い。
「良かったですね」
 咄嗟に言葉が見付からず陳腐な言葉になってしまったが、黒鷹は大きく頷いた。
 今まで気丈に振る舞ってはいたが、本心は生きていたかったのだと、その笑顔から知れた。
 だから、心底良かったと縷紅は思う。
「隼にも言ってやらなきゃ!!」
 ぱっと立ち上がって走り去る背中に、眠ってますよと声を掛けたが、耳に入っていたかどうか。
 何にせよ、この騒ぎでは目を覚ましているだろう。
 縷紅は一つ息をついて、緇宗の元に向かった。




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