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RAPTORS


 茘枝に案内され、逃げてきた丘の麓にある林にやって来た。
 既に辺りは暗い。
 奇襲に備え、篝火も少なく、茘枝の手燭だけが頼りだった。
 道中、鶸は口数が少なかった。
 敵に追われる立場故に意識的にそうしていた訳ではない。
 様々な考えが胸を去来し、そちらに集中していた。
 黒鷹と隼、二人の親友を敵中に置いて来てしまった事。
 後悔すべきか分からない。
 全てはこの先、誰が助かり誰が犠牲となるか――それ次第で。
 それを、自分の力で変える事が出来るだろうかと、そこにも不安を感じている。
 もう一つ。
 彼らに託された言葉、志を、忘れないように。
 何度も胸中で繰り返す。二人の想いを。
 皆に、伝えなければならない。
「鶸」
 茘枝が呼んだ。
「もうすぐ董凱達の居る陣に着くわ」
 木立の向こうに、薄い明かりが見えた。
「分かった」
 鶸は頷いて、真直ぐ前を向いて歩く。
 悩んでも仕方ない。
 当たって砕けてまた起き上がるのが、自分のやり方だ。
 腹を括って、味方の待つ陣へ入った。
「おう、鶸!」
 気安く呼んでくれる数少ない仲間。
 旦毘だ。
「流石だな。敵に捕らえられながら無傷の御生還か」
 その彼は、片足を引きずり、杖無しには歩けない状態になっている。
「どうしたんだ、それ!?」
 旦毘は曇りの無い笑いを浮かべる。
「ちょっと、殿りでドジっただけだ。お前の協力を素直に受け取れば良かったのかもな?」
 鶸はうーん、と考え、
「でもアイツらと行動してないと、いろいろマズかったからさ。俺、重大な役目をおおせ付かって来たんだよ」
「そう…だろうな」
 彼らの状況から、鶸が手ぶらで逃げてきたとは考えていない。
 旦毘は杖の向きを変えた。
「行こう。董凱はこっちだ」
 地と根の連合軍は、丘を包囲する様に四方に陣を組んでいるらしい。
 少人数の地はこの一陣のみで、あとは根の軍に任せている。
 だから普段は指揮官としてそれぞれ散っている董凱と朋蔓の両名がこの場に居た。
「叔父さん、師匠、鶸が帰ってきたぜ」
 旦毘の声に二人が振り向く。
 おお、と感嘆の声が上がった。
「無事で良かった!よく逃れてきたな」
 うん、と鶸は頷く。
「縷紅が手伝ってくれたから」
「…アイツが…」
 意外を物語る表情の董凱。
 その肩を朋蔓が叩いた。
「お前の育てた子に違いないだろう?あの子は信じるに足る」
「何だよ師匠、縷紅の事疑ってたのか?要らない心配だよ。なあ茘枝」
「ええ。縷紅は言ってましたよ、今でも私達の味方のつもりで居るって」
「…何だよお前ら…」
 三人からの責めるつもりは無い責めに、董凱は苦笑した。
「俺を誰だと思ってんだ。アイツの事なら俺が一番知ってるに決まってるだろう?」
「異論は無い」
 朋蔓が含み笑いする。
 本当は心配なだけの親心だ。いつもの事である。
「それで、鶸…お前が一人で逃げて来たって事は、余程の訳が有るんだろう?」
 董凱が水を向け、漸く鶸は言うべき事を言える時が来た。
「戦は止めて欲しいんだ。民を死なせるような事は、もう」
 彼を取り囲む面々は、口を噤み、じっと鶸を見詰める。
「皆がここまで来た理由はよーく分かるよ?本当は俺だって皆に賛成だ。でもさ、アイツら…クロも隼も、もう戦はするなって…俺、丸め込まれちまった。多分、アイツらの方が正しいからだろうな。だから…頼む、この戦はもう止めてやってくれ…。苦しむのは、アイツらなんだ」
 暗い森に、長い沈黙が下りた。
 董凱は目を閉じ、眉間に皺を寄せ、誰の目にも葛藤しているのは明らかだった。
 鶸は駄目押しとばかりに続ける。
「俺の役目は戦がもう二度と起こらないようにする事って言われて来たんだよ。ここで失敗したら、二人から締め上げられるのは俺だからさぁ…。人助けだと思って…頼むっ!」
 ぱんっと両手を合わせて懇願する鶸。
 一番怖いのは二人の怒りを買う事らしい。
 全員が訝しげな顔をする中、茘枝が口の中で笑いながら訊いた。
「二人から締め上げられる予定があるのね?」
 鶸は当然のように頷く。
「隼に脱出する手があるって言われたもん。そしたら真っ先に締め上げられる…って、あれ?どうかした?」
 流石に周りの空気のおかしさに気付いた鶸。
 言うなれば『それを先に言えそれを!!』というげんなりした空気である。
 何とか気を取り直して董凱は言った。
「それなら…我々は夜明けまで待ってみよう。二人が帰れば戦をする意味も無いからな」
「本当!?待ってくれる!?」
「ああ。で、その手は具体的にどんなものか…聞いてきたか?」
 鶸は首を横に振る。
 董凱の顔色が、また僅かに険しくなった。
 しかしそれを気取られぬ様、鶸に言った。
「…腹が減ったろう?少しだが用意してあるから、ゆっくり休んで来いよ」
 ほんと!?と喜色満面に跳び上がる鶸。
 早速、案内された方に走り去って行った。
「…どう思う?」
 低く、董凱は問う。
「隼に脱出の手段は無いと…俺は思う。あれは嘘だ」
 朋蔓と旦毘は同意する。しかし茘枝のみが反論した。
「彼らは嘘は付きませんよ。三人の中ではね。そういう約束になってるから」
「…だが、鶸を助けたい余りに、って事は有るだろう?非常事態なんだ」
 茘枝はゆっくり首を振った。
「私には隼が黒ちゃんをみすみす殺させるとは思えません。手はやはり、有ると思います。ただ、それが二人で帰って来られる手かどうかは分かりませんが」
 董凱は項垂れる。
「…そうだな」
「それでも夜明けまで待つ気か?夜が明ければこの奇襲は失敗したも同然だぞ」
 朋蔓の言葉にやや黙って、董凱は答えた。
「…夜が明けたら、奇襲はしない」
「何だと…!?」
「夜が明けちまったら、あの子の言う通り無駄な犠牲を払うだけになるだろう。父の失策であの子を絶望させたくない…」
「ではどうするつもりだ!?」
 珍しく声を荒げた朋蔓。
 その横で待ってましたとばかりに旦毘が提案した。
「少数精鋭で助けに行けば良いだろ?」
 しかし董凱は相手にしない。
「お前の足が動けばな」
 あ、と小さく呟いて包帯の巻かれた自身の足を見下ろす。
 董凱は溜息を長く吐き出した。
「…まあ、俺一人で良いよな。最後は一人で突出させてくれ」
「そんな…。お前が行くのなら私も行くぞ…!?」
 朋輩の申し出を、やんわり断る。
「いや。俺は死に場所が欲しいだけだ。そんな馬鹿な事にお前は付き合うな」
「死に場所だと…!?」
「我が子を見殺しにして生き永らえるのは…辛いだろうからな」
「…董凱!」
「済まん、朋蔓」
 やる瀬ない眼で見てくる朋蔓に、董凱は淡々と言った。
「お前は…俺の身勝手を民に説明して欲しい。そして撤退を頼む。その後の事も、お前が率いなければならないだろう?」
「…本当に勝手だな」
 呆れる朋蔓。董凱は自嘲している。
 董凱は背を向け、闇に向かって歩んだ。
 ふと、足を止める。
「だが…折角ここまで皆来てくれたんだ。一つ試してみよう」
「…試す?」
「茘枝よ、頼まれてくれるか?縷紅から緇宗に伝わる様にして欲しい。我々がこうして取り囲んでいる事」
 茘枝は頷きかけて、その内容に戸惑った。
 すかさず旦毘が声を上げる。
「そんなの、攻めてくれって言ってる様なモンじゃねぇか!?自殺行為だろ!」
「…そうだ。だが縷紅なら或いは上手く緇宗を説得するやも知れん。ここで向こうが手を出せば、この戦は泥沼化するからな。それは向こうも避けたいだろう」
「…そんなモンなのか?」
 董凱は頷いた。
「我々からは手を出さない。ただしここを離れはしない。退却も、補給も許さない。この状況を打開する手は一つ、黒鷹と隼の解放だ。条件を呑めば我々は降伏し、戦の早期決着に協力する…そう、伝えてくれ」
「もし敵が打って出たら…」
「耐久戦にする。なるべく戦を長引かせ、民の不満を招き、緇宗の体制を内側から崩壊させる」
「…そうならない様に、縷紅に説得させるか…」
「ああ。アイツならやってくれるだろう」
 言い切った董凱。
 他の三人も頷いた。
 もしも縷紅がこの情報を元に、包囲網を撃ち破るべきだと緇宗に進言すれば、この軍は壊滅状態になるだろう。
 だが、そうはならないと、この場に居る誰もが信じている。
 立場は別れても、絆は変わらない。
「例え血を流し合う事になろうと…俺はアイツを…縷紅を信じる…」
 呟き、振り向いて茘枝に頷く。
 彼女も頷いて、闇に消えた。



 隼の症状は時間を追うごとに悪化していた。
 熱は下がらず、喀血も数時間おきに続いている。
 意識を保ち続けるのも困難な状況で、それでもいつもと変わらぬ様に努めた。
 最期まで、自分で居ること。
 それが、何よりの願いであり、黒鷹の為に出来る事だと考えている。
 しかし、息が切れ、頭は霞み、喋り続ける事は無理だった。
「薬…飲んだのに、効かなかったのかな」
 黒鷹が枕元で呟く。
 銘丁の薬は症状を抑えるが、その分毒を多く吸い、死期を早める。
 つまり、効かなくなったという事は、その時が近いと。
 隼は説明しようか迷って、やめた。
 見なくても来ると判っている死だ。今は目を背けていても良いだろう。
「鶸は…上手くやった様だな」
 気を逸らせば、黒鷹は笑って頷いた。
「まだ油断出来ないけど…このまま何も無ければ良いな」
 今度は隼が頷く。
 黒鷹は立ち上がって、入口を開けた。
「…静かな夜だな」
 満天の星とくっきり浮かぶ月。
 これが、最後の夜空。
 見上げていた視軸を下ろすと、こちらに向かう縷紅と目が合った。
 黒鷹は笑んで手を振る。
 縷紅も穏やかな笑顔を浮かべ、手を挙げた。
 入口を潜り戸口を閉めると、縷紅は開口一番、二人に告げた。
「お二人の期待に添えそうです」
 黒鷹が目を輝かせる。
「王になるのか!?」
 しかし縷紅は緩く首を振った。
「王冠は、戴きません」
「…え?」
 落胆が見え隠れする黒鷹を執り成すように、縷紅は口を添えた。
「私は王に代わる地位を作り、自ら就こうと…考えています」
「王に代わる?根の総帥みたいな?」
「何でそんなまどろっこしい事するんだ」
 理解に苦しむ二人に、縷紅は説いた。
「王は王として君臨して頂いて、その下か…出来れば全く別に、政を掌握する組織を作りたいのです。そうすれば、緇宗が王である間に、平等で平和な世が早期に作れる」
「…地や…根の為か」
 隼の言葉に頷き、更に付け足した。
「天の為でも有るんです。この世界、全ての為ですから」
「お前らしいな」
 素直に隼はそう思う。今まで見てきた縷紅という人物が、この案に集約されている、と。
 彼ははにかむように笑った。
「貴方にそう言って貰えるとは、光栄です」
「なんかそれ馬鹿にしてるようにも聞こえるぞ…。それにしても、そこまで自信持って言えるって事は、緇宗に公認された、って事か?」
「えっ!?許して貰えたの!?」
 黒鷹も嬉色を浮かべて問う。
 縷紅は頷いた。
「死ぬ気になれば存外何でも出来るものですね」
 あっさり言ってのける口調は、今し方命懸けの闘いをしてきた事を伺わせない。
 お陰で黒鷹は何も気付かず喜んでいるが、流石に隼は引っ掛かった様だ。
 何か言いたげな視線を見返せば、一言、
「無茶すんなよ」
 釘を刺されてしまった。
「おや、心配して下さるんですか?」
 少しからかうつもりで逆手に取ってみると。
「てめぇの心配じゃねぇ。アイツを落胆させたら許さねぇからな」
「解ってますよ」
 予想通りの反応に笑いを堪えながら、縷紅は頷いた。
 “アイツ”の当人である黒鷹は、キョトンと二人を見る。
「…何のこと?」
「いいえ、気にしないで下さい。素晴らしい主従関係をちょっと見てみたくなっただけです」
「意味分かんねぇよ」
 すかさず隼が突っ込むが、もっと意味が分からないのは黒鷹の方だ。
「それはそうと…黒鷹、条約を結ぶ為に緇宗が向こうの天幕で話がしたいとの事です。一対一で、腹を割って話そう、と」
「…本当…!?」
「ええ。そのうち来ると思いますから、ちょっと待ってて貰えますか?」
 黒鷹は頷いて入口に走り寄ったが、突然その足を止めた。
「…俺一人で大丈夫かな」
 不安げに振り向く顔に、二人の兄貴分はそれぞれに声を掛けた。
「何の心配だよソレ。今まで一人で国王やってきただろうが。お前はいつも通り言いたい事言えば良いんだよ」
「そうですよ。貴方らしく振る舞えば良いんです。緇宗は取って食ったりしませんから、心配要りませんよ」
「…え、あ、うん。…がんばる」
 既にしどろもどろ。二人は苦笑するが、心配はしていない。
 ここぞという時の黒鷹の力ならよく知っている。
 黒鷹は離れ難そうにしながら、捨て台詞を探した。
「その…縷紅、俺の居ない間、隼のことよろしくな」
「勿論です。ちゃんと看てます」
「って…どんだけ時間かける気だよ!?っつか病人扱いやめろ!!」
「だって思いっ切り病人だろー!?今日付きっ切りで面倒見てやったの俺なんだからな!」
「面倒って程面倒かけてねえだろ!?」
 隼が僅かに気後れしたのを悟って、黒鷹はきししと笑いながら出口の向こうに消えた。
 なんだか負けた気分の隼。
「…何だよ、ったく…」
「いやぁ、こんな時でも貴方達を見てると和みますね」
 縷紅のほのぼの発言に隼はどっと疲れを感じ、ぼふっと勢い良く枕に頭を落とした。
「…うぜぇ」
 吐き出す言葉からは刺が抜けている。
 縷紅はふっと笑った。
「たまには素直に喋れば良いのに」
 返る言葉は無く、隼の気力が尽きてしまったのかと心配になった時。
「もう一度…緇宗に掛け合ってくれないか…?俺が、アイツの身代わりになる事…」
 細いが、はっきりした声だった。
 縷紅は目を見張る。
 しかし彼が何か言うより先に、隼は精一杯にまくし立てた。
「根の証が邪魔だって言うなら、髪なんて丸めちまえば良い。肌は汚せば良いし、目なら潰してやる…!首を曝したって、民は拷問の跡だと思う筈だ…。それなら…良いだろ…?」
「そんな…そこまでして…」
「お前の家族を救う為だろうが!!何を躊躇うんだよ!?」
 振り向いた目は血走り、叫ぶ声は潰れていた。
 痛々しい程必死な様に、縷紅は気圧されていた。
 切れる息で、隼は言った。
「俺は…両の眼が無くなっても…アイツが生きていれば光を見続けられる。最後の望みだ…だから、頼む…」
 縷紅は頷いた。頷かされたのだ。
「…掛け合うだけ…掛け合ってみましょう。しかし返事があるまで無謀な真似はしない事は約束して下さいよ?」
 隼は少し笑って、頷いた。
「それにしても…貴方の忠義には感服ですね」
 縷紅の言葉に照れたのか、寝返りを打ってそっぽを向かれた。
「忠義じゃねぇし。…恩義だ」
「恩義…ですか。何のでしょう?」
 隼は今度こそ何も答えなかった。
 だが、その一言に収まり切らない理由が有る事は、二人共解っている。
 理由。
 この世界で生かされた、生きる居場所をくれた恩――
 隼は、黒鷹と出会ってからずっと言葉にならなかった何かに、今漸く近付いた、そんな気がした。





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