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RAPTORS


 門の脇に立つ番人達の影も随分長くなった。
 もうすぐ日が暮れる。
 外の様子をこっそり窺っていた鶸が、二人の元に戻ってきた。
 その懐には、二振の短剣が入っている。
「もうすぐかな」
 いかにも落ち着かない風に、先刻から行き来している。
 その一方に居る黒鷹と隼の二人は、対照的に全くその場を動かず、その時を待っていた。
「座れよ鶸。騒ぎになるから覗かなくても気付くって」
 黒鷹が隣の椅子を叩きながら促す。
 そこまで来るのは来たが、鶸は背もたれに手を掛けてそのまま座る事は忘れてしまっている。
「こういうの緊張するんだよぉ。待ってる間がさぁ…」
 もぞもぞと全身を動かしながら、鶸の視線は出口の方を見たり黒鷹を見たり定まらない。
「お前意外と肝っ玉小せぇんだなぁ」
 呆れて黒鷹は言ってやる。
 鶸は違う、違うよぉと何度も否定するが何が違うのかよく判らない。
 縷紅は鶸を逃がす為の手段としてこう提案した。
『私が私の仕業と分からないように騒ぎを起こしますから、それに陣中が気を取られている隙に逃げて下さい。何なら多少番人を殴っても構いません』
 それをあの笑顔でにこやかに言ってのけるから怖い。
 今後、縷紅が天を裏切ったと疑われない手を考えるのは易しい事ではなかったが、『鶸が勝手に逃げた』と言い訳すればこれで十分通ると思われる。
 実力行使が重要なのだ。
 だがこうも緊張していては、殴り損ねるのではないかと心配になってくる。
「馬鹿騒ぎは得意分野だろ?」
「これは俺が騒げねぇからダメだよぉ」
「そーゆー問題か」
 隼は二人に突っ込んで、首を横に向けた。
 騒ぎ――縷紅はこう提案した。
『私達二人の戦の始まりを覚えていますか』
 戦の始め、隼と縷紅で敵を挑発しに行った。
 民を解放した無人の監視施設に火を放ち、宣戦布告としたあの夜。
 もう随分と昔の事に思える。
 あの時、こんな結末が予想出来ただろうか。
 否。
 勝つ事しか考えて無かった。勝てると信じていた。
 それが、このザマだ。
 しかし、全てを失ったとしても、一つだけ確かな事を掴んだ。
 最も重要な事は、勝ち負けではなかったという事。
 今はっきりと見える。大事なものが。
 それは黒鷹や鶸、民、仲間、そして己の信念であり、皆の自由であり。
 あの時、それらを取り戻すべく起った。
 そして今は、それらを。
 ただ――守り抜きたい。
「まだかな」
 また鶸は隙間を作って外を覗いている。
「あんまりゴソゴソしてると怪しまれるぞ」
「うーん、そうだけどさぁ」
 言いながら目線を下げたり上げたり、横を見ようとしたりして何とか変化を見つけようとしている鶸を、黒鷹は呆れの混じった笑みで見、呼んだ。
「鶸」
「なに?」
「皆にも伝えて欲しい。この後どんな世界になったとしても、俺の仇を取ろうと思うなよ」
 ぎくりと、鶸は黒鷹を振り返って見た。
「…何だよそれ」
「お前なら考えるかと思ってさ。そんな無駄な事は止めろって、生きてるうちに言っておく」
 鶸は黒鷹の横に走り寄り、その前に立ち尽くした。
「地と根の皆の為にやれる事はやっておく。多少不自由はあるかも知れないけど、皆が平和に暮らせる世界に変えるまでは死なないつもりだ。命に代えて約束する。だから、もう無益な争いは止めて欲しい。鶸、お前は皆の為とお前自身の為に生きてくれ。生きている人の為に…」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!!それじゃまるでお前、死ぬみたいじゃん!!」
 鶸の叫びは、黒鷹に怪訝な顔をさせた。
「死ぬみたいって、俺は死ぬんだぞ?今まで何聞いてたんだよ?」
「いやだって隼が…あ」
 思い切り睨まれて、それは禁句だったと気付いた。
 鋭い視線が隼に向けられる。
「あの内緒話はそういう事だったのか!?」
 隼は大仰に溜息をついて、ああと低く言った。
 そして鶸に視軸を向ける。
「最善は尽くす…が、絶対じゃないからな。そう思って聞いて欲しい。俺もクロと同じ思いだ」
「またそんな…弱気でどうするんだよ」
「鶸」
 諌める声音で呼ばれて、口をつぐまざるを得ない。
「お前の役目は、もう二度とこんな愚かな戦なんてものが起きないようにする事だ。俺の…俺達の志、お前に託す」
 戦も、敵も、理不尽な死も、大切な人を奪われる哀しみも。
 それらが全て無い、新しい世界。
 夢はまだ、終わってはいない。
 自分達の夢を、未来を生きる誰かに繋げる。そして生きる、望み。
「俺は…やっぱり後悔している。戦を始めなければ生きる事が出来た…そんな友が居るから。そんな人々が、余りにも沢山居るから。この事を、俺一人が墓場に持って行く訳にはいかない。戦の哀しみを、残酷さを、愚かさを…もう繰り返さない為に…」
「隼…」
 緑葉や姶良、実の父親、育ての親である司祭。その他、戦場で見送った数多くの命。
 散らさずとも良かったかも知れない。自分が戦をしようなどと思わなければ。
 そして誰より、今隣に居てくれる、黒鷹。
「後は頼んだぞ、鶸」
 守り切ると――まだ、諦めてはいない。
 だから、黒鷹の事も含めて。
 鶸に託した。
 一番信頼出来る、親友だから。
「分かったよ、クロ、隼。俺に何が出来るか分からないけど…お前達に言われた事は、絶対忘れないから」
 黒鷹は微笑んで頷いた。
 そしていつもの様に茶化してやろうと口を開きかけた時。
「火だ!!武器庫が燃えているぞ!!」
 外からの叫び声。
「――来た!!」
 いち早く黒鷹が気付いて出口に駆け寄った。
 あれだけ待っていた癖に一歩出遅れた鶸も続く。
「縷紅の言った騒ぎはこれだな!?」
「ああ。早く行け。人の目が向こう見てるうちに!!」
 鶸は頷いて、黒鷹そして隼を改めて見た。
「絶対…また、会おうな」
 黒鷹は強く頷く。隼は微かに笑った。
 鶸はもう一度二人の姿を目に焼き付けて、さっと天幕を出た。
 心配していたが、難無く見張り番達を殴り倒して竹矢来の外へ飛び出して行く。
 何度か爆発音がした。火薬に引火したのだろう。
 大きくなる騒ぎを余所に、鶸の姿はあっという間に小さくなり、見えなくなった。
「…上手く行ったな…」
 まだ外を見詰めながら、黒鷹が呟く。
「ああ」
 隼は応じ、起こしていた身を横たえた。
「本当はお前、アイツに何て言ったんだ?」
 やっと踵を返して隼の枕元に戻りながら訊く。
「“クロを助ける手が有るから心配するな”」
 鶸に耳打ちしたそのままの言葉を繰り返す。
 黒鷹は訝しむ。
「アイツを行かせる為の嘘か?」
 隼はふっと笑った。
「…そうかもな」
「そうかも…って、最後の最後に嘘付くかよ!?俺はちゃんと納得させて行かせたかったのに…アイツ、恨むぞ…」
 隼は感情を窺わせない無表情のまま、呟いた。
「恨まれるくらい、何て事無い。ただ、ああ言わなきゃアイツは動かなかった。俺がアイツでもそうする。お前の事、見殺しにしたくは無いから」
 じっと見詰める、揺るがない翡翠の眼。
 黒鷹は俯いた。
「…ごめん。お前に辛い役回りさせた」
「気にするな。それにもう謝るな」
 驚いた様に上を向いた顔に、いつもの辛辣な言葉を投げた。
「聞き飽きたって、何回言わせりゃ気が済むんだ。単細胞だからすぐ忘れちまうのか?」
「誰が単細胞だよ!?こっちは誠心誠意謝ってんのに!!もうお前なんかに頭下げねぇからな!!」
「だから最初からそうしろって言ってんだよ馬鹿」
「馬鹿はお前だ馬鹿ぁー!!」
 言い返そうとしたが喉に血が絡んで、それ以上は無理だった。
 咳をしながら、あと何回こんな喧嘩が出来るだろうかと、ふと思った。
 二人とも、寂しさを隠して。
 旧友との別れがついに来た――自分達で仕向けた事とは言え、受け入れ難かった。
 鶸は同じだけ、或はその倍以上の感情を抱いて去った事だろう。
 それを思い知って、黒鷹はそっと、彼の走り去った方をもう一度見た。
「…また、会えないのにな」
 最後の言葉を思い出して、黒鷹は呟く。
 思わず頷いてしまった。
 二度と会えないのに、そんな気がしない。
 一緒に過ごしてきた時間が長過ぎて。
「会えないのか…」
 自分自身、確認するように口に出して言葉にする。
 そうしなければ、実感が湧かない。
 そんな黒鷹の様子を見て、隼は内心で告げた。
 ――また、会わせてやるからな。
 己の決意でもあった。
 これ以上、大切な人を失う訳にはいかない。
「隼」
「何だ?」
「お前は…」
 言いかけて、はたと何かに気付いたように口をつぐんだ。
「何でも無い」
「何だよ」
 お前は最後まで側に居てくれ、と。
 言いそうになった。それは死を意味する事を忘れていて。
「お前は逃げ…てはくれない…か」
 改めて言い直したが、言っているうちから隼の視線が厳しくなり、語尾では既に諦めた。
 離れないのは分かっている。自分が何と言って振り切ろうと。
 生きて欲しい。が、離れたくはない。
 二つの矛盾した本音。
「…お前は迷うな、クロ」
 隼が言った。
 意味を問おうとした時、誰かが天幕へ入ってきた。
 縷紅だった。
「成功しましたね」
 まず鶸の件について、安堵の笑みで述べた。
「おう。協力ありがとな」
「いえ、当然の事をしたまでです。陣の外で茘枝と合流出来ましたから、もう安心ですよ」
「そっか。茘枝に繋ぎまでしてくれたんだな」
 縷紅は微笑みながら、彼女から繋ぎに来てくれた事を告げた。
 これで鶸は真っ直ぐ董凱の元に向かえるし、銘丁の様に襲われても戦力では問題無いだろう。
 後は上手く董凱を説得出来るかどうかだが、その点は心配していない。
 鶸は勿論、董凱や朋蔓、幹部の面々、何より民を信じている。
 必ず解ってくれると。
 縷紅は続けた。
「門番も見事に伸びてましたし。これなら表面上私が疑われる事も無いでしょう。ま、ここの監視責任は私にあるので、多少の責任問題にはなるかも知れませんが」
「責任問題…って、大丈夫なの?」
 黒鷹が心配そうに訊く。
 縷紅は何でも無さそうな口調で答えた。
「ちょっと地位は下げられるかも知れませんが、大した事は無いですよ」
「そっか…なら良いけど」
「良くない」
 意外な方向から、意外な物言いがあった。
 目を丸くして二人は隼を見る。
「お前が今の立場から下ろされるのは避けてくれ。その辺何とかなるだろう?」
「ええ、まあ…私が放火した事が知られない限りは…」
 今の立場――緇宗の右腕であり、執政では実質二番手という事になる。
 縷紅の来歴や年齢などを考えればそれは不自然な程に破格の待遇だが、彼自身この立場を信用していない。
 緇宗の座興としか思えないからだ。
 それ故、彼の気まぐれで失い兼ねない危うさを感じている。
 そんな幻の様な地位を、隼は守れと言う。
「何故ですか?」
 隼は真っ直ぐ天井を見詰めて言った。
「あんたが王になるんだ」
「え…?」
 全く思いも寄らぬ事だった。
 自分が王になるなど。
 思わず黒鷹を振り返った。
 地の王は、静かな微笑を湛えて頷いた。
「何故、そうなるのでしょう…?」
「何故?惚けんなよ。何の為に寝返ったんだお前は。戦を終わらせて…世界、変えるんだろ?」
「…そうですが…」
 隼は飲み込みの悪い縷紅に苛立った様に口を閉じた。
 代わりに黒鷹が彼に言った。
「俺達の夢、叶えられるのはもう縷紅、お前だけなんだ。だから俺達はお前に賭ける。皆が生きていける世を、作ってくれ。王になって」
「私が…王に…!?本気で…!?」
「緇宗は条約に、後継者を指名すると書いていた。それは恐らくお前の事だ。でなくてどうして一度裏切ったお前をまた右腕として扱うんだよ?」
 隼の言う事は確かに一理ある。
 だが緇宗は世界を従え、天のもの、ひいては己のものにしようとしている。
 縷紅にそんな気は勿論無い。それで指名などされるだろうか。
「…私にはそうは思えません…。緇宗にとって私は座興でしかない。己の手の中で、どう足掻くかを見ている…その為の駒でしか…」
「奴に他人を見て愉しむ余裕なんか無い」
 言い切った隼を、縷紅は訝しげに見た。
「迷っている。自分が王であるべきか、何をするべきか…緇宗は解っていない」
「そう…でしょうか…」
「緇宗は自分の進むべき道を誤らない様にお前を側に置いていると…俺は思う」
 黒鷹が言って、微笑んだ。
「俺にとって隼であり鶸だ。そういう存在が側に居ないとさ、怖くて進めないから。王なんて、そんなモンだよ」
「ま、お前はガキだからかも知れないが」
 隼が照れ隠しにさらっと黒鷹の言を流して、もう一度縷紅に言った。
「いずれにせよ、お前は上り詰めなきゃいけない。世界を、お前の理想とする世界に変える為に」
「…それは…」
 縷紅は弱々しく笑った。
「恐ろしい事、ですね。私の考え一つで世界が変われば…私に間違いは許されない」
「お前なら出来るよ、縷紅」
 黒鷹が肩を叩く。
 その手にそっと触れて、思い出した。
 十五年前に触れた、小さな手。
 その手が、確かに世界を変えた。
 ならば自分がここで尻込みをする訳にはいかないのだろう。
 だが、揺れている。
「…少し、考えさせて下さい…」
 呟いて、席を立った。
 黒鷹と隼は、天幕を出て行く縷紅を黙って見送った。
 その背中が消えて、隼は問うた。
「…良いか?これで」
 世界を変える為の答え。
 自分達の命と引き換えにする、夢への希望の種。
 黒鷹は頷いた。
「縷紅に一人で重荷を背負わせる事になるけど…俺は大丈夫だと信じてる。良いよ、これで」
 黒鷹の確信に満ちた笑顔を見て。
 隼は、安堵して目を閉じた。
 既に外は夕闇が迫っていた。




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