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RAPTORS



 最初に目覚めたのは鶸だった。
 外からの話し声が耳に入り、寝呆けた頭でここはどこだったかと考える。
 ぐるりと辺りを見回すと、同じように目覚めたばかりらしい隼と目が合った。
 卓上に顎をつけて、酷く険しい顔をしている。
「おはよ」
 鶸の挨拶に唸り声しか返って来なかった。
 変な姿勢で寝て、体中凝りに凝っているのだ。
 痺れた右手を振りながら、左手で額を押さえる。
「お前ずっとそうやって寝てたの?」
 普段並には頭の冴えてきた鶸が、先に起き上がって半笑いで訊いた。
 今度は返事の代わりに舌打ち。そしてまた声にならぬ声。
 鶸は寝台を降りて隼に近寄った。
 様子がおかしい。呼吸が荒く、目の焦点が合わない。
「…もしかして」
 言いながら、頬に手を伸ばし、反対の手で自身の額を触る。
「熱い…ような…いや、分かんねぇけど。風邪引いた?変なとこで寝るから」
 睨む気力も無いらしく、辛うじて起きていた頭はぱたりと臥せられた。
 鶸はとにかく布団に入れるのが良いだろうと思い立ち、そこに転がる障害物に目を向けた。
 障害物…他でもない、ぐっすり眠る黒鷹である。
「これ、俺が起こせって事?」
 誰に訊いたつもりでも無かったが、意外に下から呻くような返答があった。
「寒いから早くしろ…」
 自業自得なのに、これだ。
 今度は鶸が唸る。
 どうすれば無事に黒鷹を目覚めさせる事が出来るか。
 確かに今は幸か不幸か武器は全て没収されてはいる。刃を振り回される事は無い、が。
 代わりに何が飛んでくるか判ったものではない。
 鶸は悩んで悩んで、苦しむ友の姿を見て、意を決した。
「クロ、ちょっと…」
 恐る恐る声を掛けたくらいでは起きない。
「悪ぃけど、起きてくれよぉ」
 軽く肩を叩いたくらいでは起きない。
「起きてってば」
 肩を掴んで揺すったくらいでは起きない。
「くろたかぁー起きてー」
 頬を叩いたくらいでは起きない。
「起ーきーろーって!!隼が寝れな…」
 耳元で叫んだ時。
 顔面に拳があった。
「っ……」
 鶸、ノックアウト。
「え?隼?あっ悪ぃ!!俺占領しちゃってた!!」
 倒れている鶸には気付かずそそくさと寝台から逃げる黒鷹。
 盛大な溜息と共に隼はやっと横になる…体中ゴキゴキと音を鳴らしながら。
「え!?て言うかもう朝なの!?て言うか隼大丈夫!?て言うか鶸が居ねぇ!?」
 おたおたする黒鷹。次の瞬間、派手に転んだ。
 足首を引っ掻けられた所為だ。珍しい鶸の逆襲である。
「…俺を殴ってテンション上げてんじゃねぇよてめぇ…!!」
 お陰で黒鷹も落ち着いた。
「うぅ…ごめんなさい…」
 こちらも珍しく素直。
 そして双方ぴょこりと起き上がり、その場に座る。
「…朝だな」
「…明けちまったな」
「どうしよう」
「どうしようもないけど」
「最後の一日だよな」
「うん…」
 感慨深いのか悲観しているのか悩んでいるのか、それぞれ黙って。
 上を向いたり下を向いたり、視線をさ迷わせてから。
「…とにかく、誰かに隼看て貰おっか」
 まず黒鷹が立ち上がった。
 立ち上がったついでに隼に毛布を掛け、出口に向かう。
 鶸もついて来る。
 天幕を出て。
 そこに、意外な人物を見た。
「…あ」
「…オッサン」
 詮議していた縷紅が二人に気付く。
「お早うございます。お騒がせして起こしてしまいましたか?」
「ううん、縷紅…その人…」
「…?」
 小首を傾げ、二人の様子を見る縷紅の後ろで、銘丁が頭を下げた。
「顔上げろよオッサン。こんな所までよく来てくれたな。薬、持って来てくれたんだろ?」
 黒鷹の言葉に、銘丁は頭を下げたまま頷く。
 縷紅はそれを見て一人頷き、取り巻く部下達に向き直って告げた。
「ここは私が責任を持つ。各自持ち場に戻ってくれ」
 言われた方は戸惑ったように互いを窺っていたが、一人また一人と散っていった。
 最低限の見張りだけが残ると、縷紅は黒鷹と鶸に微笑み、言った。
「入りましょうか」
 隼は、意識こそ熱で多少混濁しているが、眠ってはいなかった。
 誰が来ているかも薄々判っていたらしい。
 三人に誘われて入ってきた銘丁に、驚く素振りは無かった。
「…本当に…見計らった様に来るな、あんた」
 苦しげながらも微笑んで、彼を迎えた。
「薬を…」
 差し出された瓶。
 しかし、隼に届く前に縷紅が止めた。
「待って下さい。それは本当に薬なのですか?」
 銘丁は頭を垂れた。
 隼は煩わしそうに縷紅を見遣る。
「疑うなら…毒味しろ。お前達にはただの水だ」
 縷紅は迷わず瓶を受け取った。
 開封し、指先に付け、舐める。
 少し苦かった。
「…俺にとっては…全てを賭ける水だ…」
 隼が手を伸ばす。
 そこに渡すべきか迷って。
「疑う必要無いよ、縷紅」
 黒鷹の言葉に、手を動かされた。
 受け取った隼は、時間をかけて飲み干した。
 それを見ながら、銘丁は縷紅に微笑みかけた。
「貴方様もこの方々に感化されたのでしょう?」
 縷紅は見開いた目を銘丁に向けた。
「疑っているのに毒味されるとは…なかなか出来る事ではありません」
「あ、いや…」
 縷紅は顔を赤らめて言い訳の言葉を探す。
 が、別の方向からも叩かれてしまった。
「っとに最近お前、無鉄砲だな。本当にやるか?普通」
「そんな、貴方が言うからでしょう!?」
 隼は鼻で笑って、銘丁に言った。
「こんな奴だが一応味方と考えて良い。あんたと同じだ」
 敵でありながら、味方でもある。
 立場を越えた仲間。
「そうですか…安心致しました。敵の前では喋れぬ伝言を預かっているもので」
「伝言?」
「貴方様の母君と…董凱殿より」
「父上が!?」
 黒鷹がその名に反応する。
 銘丁は頷いて、面々にもっと寄るように言った。
 外に洩れぬよう小声で、本陣の決断を告げる。
「地と根の両軍は今晩、ここに奇襲を掛けるおつもりです」
「…!」
「董凱様は、あなた方に自力で脱出出来るならそうして欲しいと仰せでした」
 黒鷹は険しい顔で首を振った。
「何の為の奇襲だよ…戦はもう…」
「お前を助ける為に決まってんだろ」
 冷たく言ってのけたのは、隼。
 双方の気持ちは痛い程解る。だからこそ。
「それが…お前の民の気持ちなんだ」
「俺のじゃない。皆は皆だ。確かに俺は王かも知れないけど、だからって俺の為に皆が犠牲になる事無ぇだろ…!」
「…そうかもな」
 隼はそれ以上言葉を返さず、横たわって目を閉じた。
「光爛はなんて?」
 鶸が問う。
「隼様に、必ず救う、と。そしてその暁には、母と子として再会しよう、と――」
 隼は何も反応を返さなかった。
 ただ、目を閉じたまま、少し楽になった呼吸を繰り返している。
「…皆を止めなきゃ」
 固く拳を握り締めて、黒鷹は言った。
「止めるって――でも皆は俺達を助けようとしてくれてるんだろ?」
 鶸が瞠目する。
「そんなのに甘えられないよ。俺達三人の為に、何人犠牲になるか――俺達より多くなるのは確かだろ!?そんなの駄目だ。絶対」
「数の問題かよ!?皆の想いはどうなるんだよ!?」
「その想いに俺は応えられない!」
 黒鷹は叫んで、唇を噛んだ。
「…それ程の、人間じゃない」
 重い沈黙が降りた。
 鶸はやり切れない顔で黒鷹を見詰めている。
 その黒鷹は、何かを吹っ切るように頭を振ると、卓に着いて墨を擦りだした。
「銘丁、悪いけど父上に書状を届けて欲しい。良いか?」
 は、と銘丁は頭を下げた。
「…クロ」
「奇襲なんて無駄な事は止めさせなきゃいけない」
 強く言って、まだ納得できない鶸の言葉を飲み込ませる。
 しかし、鶸も大人しく下がりはしなかった。
「無駄って何だよ!?皆はお前に生きて欲しくて命も懸けるんだろ!?」
「だから俺は皆に命懸けさせる様な人間じゃない…懸けるだけ無駄だって言ってんだ」
「そう思ってんのはお前だけだよ!!逃げでしかねぇよそんなの!!」
「逃げでも何でも良い。俺は戦を終わらせて、もう誰も犠牲にしない為にここに居るんだ」
 言いながら短い書状を書き終えて、折り畳んで銘丁に差し出した。
 しかし、その前に鶸が立ちはだかる。
「…退けよ」
「やだね。俺には皆の気持ちが解るから。お前を生かしたい、皆の気持ちが!」
「そんなに助かりてぇなら…お前が逃げれば良いだろ」
「…あ?」
「皆を犠牲にしてまで俺は生きたくなんかない。でもお前は生きたいって言うなら、一人でここから出て行けよ」
 鶸は黒鷹の胸倉を掴んだ。
 だがすぐに縷紅に止められ、突き返す様に手を離した。
「誰も…そんな事言ってねぇよ…!」
 少しよろけた黒鷹の横を足音も荒く通り越し、自分の寝台に飛び込む。
 ふて寝の構えだ。
「…頼む」
 構わず黒鷹は銘丁に書状を渡した。
 そして隼に向く。
「お前は光爛に何か返事しなくて良いのか?」
 期待を込めた問いは、期待通りの答えを得られなかった。
「何も言う事なんざ無い」
「…隼ぁ」
 少し非難を込めて名を呼べば、ちらっと緑の瞳が覗いた。
「…お前も解ってるだろ。もう、会う事は無い」
 決して黒鷹を責める言葉ではない。
 だが、改めてその事実を突き付けられた気がした。
「だったら尚更…」
 それでも諦められず呟く。少なからず責任を感じるから、何か少しでも良い変化が欲しかった。
 そう簡単に変わってくれる相方ではないのだが。
「…下手な事言ったって…未練残すだけだろ」
 隼は低く言って、また目を閉じてしまった。
 それなりの想いは有る。
 だがそれを言葉にして伝えたところで、虚しいだけだろう。
 情だけ思い起こさせて死ぬなど、遺された方は哀しみを背負うだけだ。
「母君は…再会に命を懸けると言っておりました」
「成程、あんたの立場が危うい訳だな」
「そういう意味では…」
 どこまでも渇いた解釈に、銘丁は困り果てる。
 だが隼は態度を変えない。
「それなら言ってやってくれ。あんたが命を懸けるべきなのは、あんたの民に対してだと。それで頭冷えるだろ」
 言い方は乱暴だが、これが彼なりの優しさでもあるのだ。
 本心は計り知れない。
 思わず黒鷹は問うた。
「…良いのか」
 隼は、小さく頷いた。
 これが、自分と母親がそれぞれ選び取った道だと誇れるから。
「じゃあ銘丁、悪いけど…」
 黒鷹が彼を送り出すべく言いかけると、いつも以上に深く深く頭を下げられた。
「何もお力になれず…申し訳ございません」
 黒鷹は慌てた。
「何言ってんだよ!?こんなに力貸してくれてんのに。頭上げろって!」
 しかし老いた臣は頭を上げなかった。
「この老体より先にあなた方の様な若い方を亡くさねばならぬ事が…無念で…」
「…銘丁…」
 肩に両手を置き、顔を起こさせる。
「ありがとう」
 薄く、微笑を浮かべて。
 だが素直には笑えなかった。どうしても眉間の力が抜けない。
 痛みを我慢するように。
「くれぐれも…よろしく」
 書状を持つ手を包んで、今度は黒鷹が頭を下げた。
 すぐに頭を上げて微笑むと、出口へと促し、二人で出た。
 出る間際、後ろから声がした。
「あんたには感謝してるよ。あの時…生かしてくれた事」
「隼様…」
「あんたの生き方…悔いないでくれ」
 あの時から一つ減った瞳を振り返り、感謝の言葉を返すと、銘丁は光の中を歩み去った。
 黒鷹が、小さな背が見えなくなるまで見送る。
 その背中は、これまで出会ってきた様々な人に重なった。
 もう、会う事は無い。
 改めてそれを知った。実感が込み上げてきた。
 視界から消えた背中。
「…さよなら」
 誰かに向けて呟いて、黒鷹は踵を返した。
 鶸がまだふて腐れている。
「いつまでそうしてんだよ」
 呆れて言ってやれば、何とも言えぬ動物の鳴き声のような声が返ってきた。
 子供の癇癪と変わり無い。
「最後の一日くらいさ、仲良くやろうぜ?」
 また何かの鳴き声。
 黒鷹は唇を尖らせて、人差し指で頬を掻いた。
「…俺が言い過ぎた。悪かった」
 喧嘩の最終手段。自分から謝る。
 しかし、効果は無かった。変な鳴き声が返らなかっただけ。
 見兼ねたのか、縷紅が割って入った。
「とりあえず、朝食はいかがですか?ご馳走があるんですよ」
 “ご馳走”の『ち』と『そ』の間辺りでがばりと起き上がった動物一匹。
 目を爛々と輝かせて。
「マジで!?食う食う!!」
 敢えて緇宗の残り物とは言わず、縷紅はちょっと待ってて下さいねと天幕から出て行った。
「ほらクロ、ぼーっとしてないで机の上片付けようよ!!」
 勿論ぼーっとなどしているつもりは無い。
 げんなりしているのである。
「ちょっとさ」
「何?」
 目をくりくりさせて、キョトンと問い返す鶸。
 それがまた腹立たしい。
「殴って良い?」
 鶸の悲鳴を脇で隼が迷惑そうに聞き流していた。
 止める気は勿論、皆無である。





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