RAPTORS
2
最初に目覚めたのは鶸だった。
外からの話し声が耳に入り、寝呆けた頭でここはどこだったかと考える。
ぐるりと辺りを見回すと、同じように目覚めたばかりらしい隼と目が合った。
卓上に顎をつけて、酷く険しい顔をしている。
「おはよ」
鶸の挨拶に唸り声しか返って来なかった。
変な姿勢で寝て、体中凝りに凝っているのだ。
痺れた右手を振りながら、左手で額を押さえる。
「お前ずっとそうやって寝てたの?」
普段並には頭の冴えてきた鶸が、先に起き上がって半笑いで訊いた。
今度は返事の代わりに舌打ち。そしてまた声にならぬ声。
鶸は寝台を降りて隼に近寄った。
様子がおかしい。呼吸が荒く、目の焦点が合わない。
「…もしかして」
言いながら、頬に手を伸ばし、反対の手で自身の額を触る。
「熱い…ような…いや、分かんねぇけど。風邪引いた?変なとこで寝るから」
睨む気力も無いらしく、辛うじて起きていた頭はぱたりと臥せられた。
鶸はとにかく布団に入れるのが良いだろうと思い立ち、そこに転がる障害物に目を向けた。
障害物…他でもない、ぐっすり眠る黒鷹である。
「これ、俺が起こせって事?」
誰に訊いたつもりでも無かったが、意外に下から呻くような返答があった。
「寒いから早くしろ…」
自業自得なのに、これだ。
今度は鶸が唸る。
どうすれば無事に黒鷹を目覚めさせる事が出来るか。
確かに今は幸か不幸か武器は全て没収されてはいる。刃を振り回される事は無い、が。
代わりに何が飛んでくるか判ったものではない。
鶸は悩んで悩んで、苦しむ友の姿を見て、意を決した。
「クロ、ちょっと…」
恐る恐る声を掛けたくらいでは起きない。
「悪ぃけど、起きてくれよぉ」
軽く肩を叩いたくらいでは起きない。
「起きてってば」
肩を掴んで揺すったくらいでは起きない。
「くろたかぁー起きてー」
頬を叩いたくらいでは起きない。
「起ーきーろーって!!隼が寝れな…」
耳元で叫んだ時。
顔面に拳があった。
「っ……」
鶸、ノックアウト。
「え?隼?あっ悪ぃ!!俺占領しちゃってた!!」
倒れている鶸には気付かずそそくさと寝台から逃げる黒鷹。
盛大な溜息と共に隼はやっと横になる…体中ゴキゴキと音を鳴らしながら。
「え!?て言うかもう朝なの!?て言うか隼大丈夫!?て言うか鶸が居ねぇ!?」
おたおたする黒鷹。次の瞬間、派手に転んだ。
足首を引っ掻けられた所為だ。珍しい鶸の逆襲である。
「…俺を殴ってテンション上げてんじゃねぇよてめぇ…!!」
お陰で黒鷹も落ち着いた。
「うぅ…ごめんなさい…」
こちらも珍しく素直。
そして双方ぴょこりと起き上がり、その場に座る。
「…朝だな」
「…明けちまったな」
「どうしよう」
「どうしようもないけど」
「最後の一日だよな」
「うん…」
感慨深いのか悲観しているのか悩んでいるのか、それぞれ黙って。
上を向いたり下を向いたり、視線をさ迷わせてから。
「…とにかく、誰かに隼看て貰おっか」
まず黒鷹が立ち上がった。
立ち上がったついでに隼に毛布を掛け、出口に向かう。
鶸もついて来る。
天幕を出て。
そこに、意外な人物を見た。
「…あ」
「…オッサン」
詮議していた縷紅が二人に気付く。
「お早うございます。お騒がせして起こしてしまいましたか?」
「ううん、縷紅…その人…」
「…?」
小首を傾げ、二人の様子を見る縷紅の後ろで、銘丁が頭を下げた。
「顔上げろよオッサン。こんな所までよく来てくれたな。薬、持って来てくれたんだろ?」
黒鷹の言葉に、銘丁は頭を下げたまま頷く。
縷紅はそれを見て一人頷き、取り巻く部下達に向き直って告げた。
「ここは私が責任を持つ。各自持ち場に戻ってくれ」
言われた方は戸惑ったように互いを窺っていたが、一人また一人と散っていった。
最低限の見張りだけが残ると、縷紅は黒鷹と鶸に微笑み、言った。
「入りましょうか」
隼は、意識こそ熱で多少混濁しているが、眠ってはいなかった。
誰が来ているかも薄々判っていたらしい。
三人に誘われて入ってきた銘丁に、驚く素振りは無かった。
「…本当に…見計らった様に来るな、あんた」
苦しげながらも微笑んで、彼を迎えた。
「薬を…」
差し出された瓶。
しかし、隼に届く前に縷紅が止めた。
「待って下さい。それは本当に薬なのですか?」
銘丁は頭を垂れた。
隼は煩わしそうに縷紅を見遣る。
「疑うなら…毒味しろ。お前達にはただの水だ」
縷紅は迷わず瓶を受け取った。
開封し、指先に付け、舐める。
少し苦かった。
「…俺にとっては…全てを賭ける水だ…」
隼が手を伸ばす。
そこに渡すべきか迷って。
「疑う必要無いよ、縷紅」
黒鷹の言葉に、手を動かされた。
受け取った隼は、時間をかけて飲み干した。
それを見ながら、銘丁は縷紅に微笑みかけた。
「貴方様もこの方々に感化されたのでしょう?」
縷紅は見開いた目を銘丁に向けた。
「疑っているのに毒味されるとは…なかなか出来る事ではありません」
「あ、いや…」
縷紅は顔を赤らめて言い訳の言葉を探す。
が、別の方向からも叩かれてしまった。
「っとに最近お前、無鉄砲だな。本当にやるか?普通」
「そんな、貴方が言うからでしょう!?」
隼は鼻で笑って、銘丁に言った。
「こんな奴だが一応味方と考えて良い。あんたと同じだ」
敵でありながら、味方でもある。
立場を越えた仲間。
「そうですか…安心致しました。敵の前では喋れぬ伝言を預かっているもので」
「伝言?」
「貴方様の母君と…董凱殿より」
「父上が!?」
黒鷹がその名に反応する。
銘丁は頷いて、面々にもっと寄るように言った。
外に洩れぬよう小声で、本陣の決断を告げる。
「地と根の両軍は今晩、ここに奇襲を掛けるおつもりです」
「…!」
「董凱様は、あなた方に自力で脱出出来るならそうして欲しいと仰せでした」
黒鷹は険しい顔で首を振った。
「何の為の奇襲だよ…戦はもう…」
「お前を助ける為に決まってんだろ」
冷たく言ってのけたのは、隼。
双方の気持ちは痛い程解る。だからこそ。
「それが…お前の民の気持ちなんだ」
「俺のじゃない。皆は皆だ。確かに俺は王かも知れないけど、だからって俺の為に皆が犠牲になる事無ぇだろ…!」
「…そうかもな」
隼はそれ以上言葉を返さず、横たわって目を閉じた。
「光爛はなんて?」
鶸が問う。
「隼様に、必ず救う、と。そしてその暁には、母と子として再会しよう、と――」
隼は何も反応を返さなかった。
ただ、目を閉じたまま、少し楽になった呼吸を繰り返している。
「…皆を止めなきゃ」
固く拳を握り締めて、黒鷹は言った。
「止めるって――でも皆は俺達を助けようとしてくれてるんだろ?」
鶸が瞠目する。
「そんなのに甘えられないよ。俺達三人の為に、何人犠牲になるか――俺達より多くなるのは確かだろ!?そんなの駄目だ。絶対」
「数の問題かよ!?皆の想いはどうなるんだよ!?」
「その想いに俺は応えられない!」
黒鷹は叫んで、唇を噛んだ。
「…それ程の、人間じゃない」
重い沈黙が降りた。
鶸はやり切れない顔で黒鷹を見詰めている。
その黒鷹は、何かを吹っ切るように頭を振ると、卓に着いて墨を擦りだした。
「銘丁、悪いけど父上に書状を届けて欲しい。良いか?」
は、と銘丁は頭を下げた。
「…クロ」
「奇襲なんて無駄な事は止めさせなきゃいけない」
強く言って、まだ納得できない鶸の言葉を飲み込ませる。
しかし、鶸も大人しく下がりはしなかった。
「無駄って何だよ!?皆はお前に生きて欲しくて命も懸けるんだろ!?」
「だから俺は皆に命懸けさせる様な人間じゃない…懸けるだけ無駄だって言ってんだ」
「そう思ってんのはお前だけだよ!!逃げでしかねぇよそんなの!!」
「逃げでも何でも良い。俺は戦を終わらせて、もう誰も犠牲にしない為にここに居るんだ」
言いながら短い書状を書き終えて、折り畳んで銘丁に差し出した。
しかし、その前に鶸が立ちはだかる。
「…退けよ」
「やだね。俺には皆の気持ちが解るから。お前を生かしたい、皆の気持ちが!」
「そんなに助かりてぇなら…お前が逃げれば良いだろ」
「…あ?」
「皆を犠牲にしてまで俺は生きたくなんかない。でもお前は生きたいって言うなら、一人でここから出て行けよ」
鶸は黒鷹の胸倉を掴んだ。
だがすぐに縷紅に止められ、突き返す様に手を離した。
「誰も…そんな事言ってねぇよ…!」
少しよろけた黒鷹の横を足音も荒く通り越し、自分の寝台に飛び込む。
ふて寝の構えだ。
「…頼む」
構わず黒鷹は銘丁に書状を渡した。
そして隼に向く。
「お前は光爛に何か返事しなくて良いのか?」
期待を込めた問いは、期待通りの答えを得られなかった。
「何も言う事なんざ無い」
「…隼ぁ」
少し非難を込めて名を呼べば、ちらっと緑の瞳が覗いた。
「…お前も解ってるだろ。もう、会う事は無い」
決して黒鷹を責める言葉ではない。
だが、改めてその事実を突き付けられた気がした。
「だったら尚更…」
それでも諦められず呟く。少なからず責任を感じるから、何か少しでも良い変化が欲しかった。
そう簡単に変わってくれる相方ではないのだが。
「…下手な事言ったって…未練残すだけだろ」
隼は低く言って、また目を閉じてしまった。
それなりの想いは有る。
だがそれを言葉にして伝えたところで、虚しいだけだろう。
情だけ思い起こさせて死ぬなど、遺された方は哀しみを背負うだけだ。
「母君は…再会に命を懸けると言っておりました」
「成程、あんたの立場が危うい訳だな」
「そういう意味では…」
どこまでも渇いた解釈に、銘丁は困り果てる。
だが隼は態度を変えない。
「それなら言ってやってくれ。あんたが命を懸けるべきなのは、あんたの民に対してだと。それで頭冷えるだろ」
言い方は乱暴だが、これが彼なりの優しさでもあるのだ。
本心は計り知れない。
思わず黒鷹は問うた。
「…良いのか」
隼は、小さく頷いた。
これが、自分と母親がそれぞれ選び取った道だと誇れるから。
「じゃあ銘丁、悪いけど…」
黒鷹が彼を送り出すべく言いかけると、いつも以上に深く深く頭を下げられた。
「何もお力になれず…申し訳ございません」
黒鷹は慌てた。
「何言ってんだよ!?こんなに力貸してくれてんのに。頭上げろって!」
しかし老いた臣は頭を上げなかった。
「この老体より先にあなた方の様な若い方を亡くさねばならぬ事が…無念で…」
「…銘丁…」
肩に両手を置き、顔を起こさせる。
「ありがとう」
薄く、微笑を浮かべて。
だが素直には笑えなかった。どうしても眉間の力が抜けない。
痛みを我慢するように。
「くれぐれも…よろしく」
書状を持つ手を包んで、今度は黒鷹が頭を下げた。
すぐに頭を上げて微笑むと、出口へと促し、二人で出た。
出る間際、後ろから声がした。
「あんたには感謝してるよ。あの時…生かしてくれた事」
「隼様…」
「あんたの生き方…悔いないでくれ」
あの時から一つ減った瞳を振り返り、感謝の言葉を返すと、銘丁は光の中を歩み去った。
黒鷹が、小さな背が見えなくなるまで見送る。
その背中は、これまで出会ってきた様々な人に重なった。
もう、会う事は無い。
改めてそれを知った。実感が込み上げてきた。
視界から消えた背中。
「…さよなら」
誰かに向けて呟いて、黒鷹は踵を返した。
鶸がまだふて腐れている。
「いつまでそうしてんだよ」
呆れて言ってやれば、何とも言えぬ動物の鳴き声のような声が返ってきた。
子供の癇癪と変わり無い。
「最後の一日くらいさ、仲良くやろうぜ?」
また何かの鳴き声。
黒鷹は唇を尖らせて、人差し指で頬を掻いた。
「…俺が言い過ぎた。悪かった」
喧嘩の最終手段。自分から謝る。
しかし、効果は無かった。変な鳴き声が返らなかっただけ。
見兼ねたのか、縷紅が割って入った。
「とりあえず、朝食はいかがですか?ご馳走があるんですよ」
“ご馳走”の『ち』と『そ』の間辺りでがばりと起き上がった動物一匹。
目を爛々と輝かせて。
「マジで!?食う食う!!」
敢えて緇宗の残り物とは言わず、縷紅はちょっと待ってて下さいねと天幕から出て行った。
「ほらクロ、ぼーっとしてないで机の上片付けようよ!!」
勿論ぼーっとなどしているつもりは無い。
げんなりしているのである。
「ちょっとさ」
「何?」
目をくりくりさせて、キョトンと問い返す鶸。
それがまた腹立たしい。
「殴って良い?」
鶸の悲鳴を脇で隼が迷惑そうに聞き流していた。
止める気は勿論、皆無である。
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