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RAPTORS


 うとうとしていた所、大きくはない物音ではっと目覚めた。
 夜目にも鮮やかな紅が、細くなった蝋燭の灯に浮かび上がる。
「起こしてしまいましたか?」
 縷紅の問いに、隼は身を起こして首を振った。
 横で黒鷹が眠っている。
「寝入ってる暇は無ぇからな…調度良かった」
 小声で答えると、縷紅は少し顔を曇らせた。
「…今は…ゆっくり休んで下さい」
「俺達には今しか無いだろうが」
 誰の所為だと言わんばかりに返せば、首を横に振られた。
「貴方に渡すものが」
 縷紅は辺りの気配を伺い、誰の気配も無い事を察知すると、懐から鈍く光るものを取り出した。
 懐剣と、腕輪に見せかけた隼の鋼糸。
 身を守る為の武具。
「…いいのか」
 縷紅が頷くと、隼は躊躇なくそれを取った。
「長剣は目立つので持って来ませんでしたが…“その時”が来たら私の物をお持ち下さい。それは保険と言う事で」
 隼は二つを見えぬ様に装着しながら縷紅の言葉を聞いた。
 しかし何も返さず、装着し終わっても口は固く閉じたまま。
「…お前はもう剣は持たないつもりか」
 それだけ、訊いた。
「この間負った傷が癒えていなくて。剣を振り回せる身では無いのですよ。…もしかしたら、もう二度と、無理かも知れない…」
 痛みは勿論、時に左半身が痺れて力が入らなくなる。
 単純に剣を持つならともかく、実戦は不可能だと感じている。
 剣だけで身を立ててきた。それは己のほぼ全てを奪われるようなものだ。
 しかし縷紅はさほど落胆していなかった。
 棄てるべき時に、棄てるべき機会を得たと、不思議と納得出来るのだ。
 これ以上、彼らの血を吸った刃を手に出来なかった――それ故の、仄かな安堵。
「…一人だけスッキリしたツラしやがって」
 隼に恨み言を言われてしまった。
「そんな事ありませんよ。まだ事は始まってすらいない」
「…考えている事は同じか」
「恐らく」
 隼は少しの間目を伏せると、己自身へ頷き、立ち上がった。
「気晴らしに風にでも当たって来る。…監視が要るだろう?」
 二人は天幕から出、囲いの中の狭い敷地の真ん中に座った。
 出た瞬間から隼の咳が止まらず、やっと治まる頃には血が混じっていた。
「気の晴れる風とは思えませんがねぇ…」
 惚けているのか天然なのか分からない一言に、隼は縷紅を睨んだ。
「どこの国の所為だ…ったく」
 当然、目的は気晴らしなどではない。
 強いて言えば、眠気覚ましもあるが。
「責任は取るべきですよねぇ…」
「他人事かよ」
「とんでもない。…ただ、私だけの意思で成せない事の方が多くて」
 隼は少し唇を尖らせて頷き、大仰な溜息と共に仰向けになった。
 ついでに多くの空気を吸った事で噎せている。
「もー、何やってるんですか。分かるでしょー、そうなるって。大丈夫ですかー?」
「おま…前に増して…ムカつく…」
 何とか咳を抑えて、息を整えてから隼は言った。
「お前の目的は何なんだ?」
 縷紅は即答せず、遠い空を眺めていた。
 薄く刷毛で掃いたような雲の向こうから、星が零れる。
「アイツを救う事だと思って良いのか?」
 懐にある硬い感触。その真意は。
「だけど…こんな状況に追い詰めたのもお前自身だろう?何がしたいんだ、一体」
「戦を止める」
 きっぱりと、彼は言い切った。
「それだけですよ」
 隼の不審を知って、縷紅は微笑んだ。
「ほんと、今回ばかりは考え無しなんです。すみません」
「…すみませんで済むか馬鹿…」
 そうですよねぇと呟いて、また顔を前に向けた。隼から見れば背けた形になる。
「まだ…混乱してるんです。どうしてまたこの場に居るのか。貴方達を敵に回して。…本当なら、とっくにこの命は無かった」
「…緇宗に助けられたのか」
「そうかも知れない。或いは彼は単に私をまだ道具としたいだけかも知れない。…ただ、それでも、私はあの時死を選べなかった…」
 顔も知らぬ実の親の墓を前にして。
 何かを変える為生きていたかった、しかしそれが叶わなかった人々が居ると。
 思い出した。彼らの顔を。
「無駄に死を選ぶより、やれるだけはやってみようと思ったんです。…しかし、展開は逆方向ですね、これでは」
「ああ。てめぇが生き延びたお陰でとんだ迷惑だ」
 歯に衣着せぬ物言いには、苦笑するしかない。
 しかし、却って落胆しなくて済む。
「戦を止め、貴方達を解放する…出来ると思っていましたが…」
「無理だったな」
 隼があっさりと言ってのけたので、縷紅は思わず振り返った。
「諦めたのですか!?」
「てめぇこそ、だろうが」
 隼は、昼にその口で諦めないと言ったのに。
 縷紅は縷紅でこの状況を作り出しておきながら、途中放棄である。
「…しかし、それなら話が早い」
 縷紅は声を低くして言った。
「条約は囮です。適当に済ませて、緇宗を油断させて下さい。その分、体力は温存を。ここから逃げる為に」
「…あくまで、アイツを救うつもりか」
「勿論です」
 言って、え、と小さく声を上げた。
「まさか…隼、貴方は…」
「分かんねぇよ、まだ」
 煩わしそうに乱暴に言って、前髪を掻き上げる。
「でも…なんかもういい…そんな気がする…」
「投げやりにして良い話では無いでしょう?」
「投げてねぇよ。ただ…これで条約がマトモになって、戦が終わって、民が助かるなら…」
 目の上で、髪を握ったまま、拳を作る。
「それで、良い気がする…」
 呟きは、酷く揺らぎ、弱々しくて。
 丘に吹く穏やかな風に、消えていった。
「その場合、貴方達は死んでも構わないと…!?」
 隼は目を閉じる。
「黒鷹を死に追いやっても良いとおっしゃるのですか…!?貴方の言葉とは思えない…」
「俺だって救えるなら救いてぇよ!!」
 叫んだ。
 紛れも無い、本音だ。
「当たり前だろ…。クソ、解れよ馬鹿…。死なせたくない、でもだからって…民の為の条約に手抜きは出来ない…」
「……」
 大き過ぎる矛盾を抱えながら。
 どちらかを失うと解っていながら。
 ずっとそれと向き合っていた。
 己の一筆、一筆が、大切な人を死に向かわせると。
「こっちの要求を丸々緇宗が蹴っちまえば楽だけどな…だけど、そんな事は期待してない。そうはさせない。文字通りあの条文に命懸けてんだ、俺達は」
「…逃げる気は、無いと…」
「俺達の命以上の条約が出来なかった場合は、逃げる…いや、逃げさせる」
 翡翠の瞳は、月を吸い込んで。
「逃げさせるって…」
「…どの道、俺にはもう無理だ」
 隼は起き上がって、元通り縷紅の横に座った。
「無責任でも、あとはアイツらに任せるしかない…」
「またそんな…弱気な事を…」
「煩ぇな。俺の事は俺のがよく判ってんだ」
 言いながら立ち上がって、背を向けたまま、少し咳をした。
「入っても良いか?」
 いつもの悪態の勢いも、大きな決断をしてきた力強さも、そこには無かった。
「…もう無理なんだ」
 苦しげな呼吸音を残して。
 隼の背は、闇に溶けた。



 夜が明けた。
 少し肌寒いが昨日に続きよく晴れた朝だ。
 縷紅は夜明けから仕事をし、時間を見て三人の天幕へと向かった。
 早く行きたい気持ちはあったが、流石に夜が明けて早々に行くのも気が引けた。
 しかしひょっとして隼はあのまま徹夜して、自分が緇宗にあの書状を渡すのをじりじりしながら待っているかも知れない。
 そう思うと早く行かなければと焦らされる。
 しかしまだ彼が悩んでいるとしたら、逆に焦らせる事にもなるかも知れない。
 遅いどれだけ待たせるんだ、或いは、邪魔だ出て行け――どちらの罵倒が飛んで来るかと思いながら、縷紅は天幕を潜った。
 その一瞬。
 何も無くて拍子抜けした。
 睨む目も無かった。
 静かなものだ。鶸の寝息がちょっと大きいだけ。
 黒鷹も昨日見たままの格好で寝ている。
 その上には外套が掛かっていた。隼が掛けたのだろう。
 その彼は、卓上に臥せていた。
 伸ばされた右手は卓からはみ出し、落とした筆が床に黒い跡を残している。
 人の世話はしておいて、病気を持つ自分がこれでは世話は無い。
 縷紅はひとまず自分の上着を脱いで、その背中に掛けてやった。
 敏感な彼が、ぴくりとも動かない。
「…生きてますよね?」
 昨夜の様子と言い、冗談にならない心配を抱いて、一応脈を見てみる。
 白い首筋に手を当て、探し当てるのに苦労する程弱々しいが、何とかまだ生気を保っている。
 安心した様なしない様な、複雑な気分で横を見れば、それはどうやら書き切ったようだ。
 書状を手に取る。
 目を通して。
 最後――あれだけ悩んでいた最後の項には、こう書いてあった。
『正しく責任を追及し、民の目を欺くような処刑をしなければ、そちらの裁決に従う』
 民を満足させる為だけに血を流すな、と。
 やはり、隼は、まだ諦めた訳ではない。
 黒鷹を、鶸を、親友――かけがえの無い二人を、生かしたいのだ。
 縷紅はそれを思い知った。そして安心した。
 だが同時に、最後は従わざるを得ないと考えているのだ。
 それが重い責任の結末だと知っているから。
 一瞬だけ逡巡して、縷紅はそれを懐に仕舞い、持ち出す事にした。
 時間が無い。早く緇宗に見せた方が良いだろう。
 眠るそれぞれの顔をもう一度見て、踵を返した。
 すっかり昇った朝日が迎える。
 光に目を細めて、そして――ちょっとした異変に気付いた。
 見張りの兵達が、一人の男を囲んでいる。
 手を挙げるような事態ではないが、どうも話がこじれているようだ。
 男は知らない顔だ。初老の、穏やかな顔付きの男である。
「どうした?」
 男を取り囲む見張りの者達に声を掛ける。
 彼らは縷紅に気付くなり畏まって答えた。
「この男が地の王に会いたいと申して聞かないのです。敵の隠密やも知れません。斬りますか?」
「いや、待て」
 血気逸る若者を制して、縷紅は改めてその男に声を掛けた。
「根の者と見受けるが、地の王に何の用だ?」
 男――銘丁は、一礼して答えた。
「私めは王の側近である隼様の治療をしている者でございます。こ度はこの薬をお届けに参ったのですが、ご本人とお会いする事は出来ましょうか?」
 縷紅が返事をしようと口を開きかけた所へ。
 彼をここまで連れて来たらしい別の兵が、皮肉な笑いを浮かべて言った。
「本当に薬か?毒薬ではないのか?」
「…どういう事だ」
 官位のやや高いその兵は、銘丁の素性を知っているようだった。
「この者は元々、根の王の臣下だった男です。旧王朝の頃は我々とも結託していたので知っているのですが…」
「素性を偽って、どうして隼に会おうとする?」
 縷紅も大体の事情を察して、恨み故に隼を暗殺に来たと踏んだ。
 声は厳しいものとなる。
「さて…偽っておるつもりはございませんが…」
 銘丁は心底困ったように眉を下げた。
「しかし縷紅様、捕虜に毒薬を渡して何か問題が?」
 不思議そうに問う若い兵を、縷紅は苛立だしげに睨んだ。
「処刑台に屍が上がっては格好が付かぬだろう。考えろ、馬鹿者」
 縷紅が呆れていると思ったのか、上官の男が若い兵を叱ってくれたお陰で助かった。
 もちろん、縷紅自身にそんな考えは微塵も無い。彼らを助ける事しか考えてないから、嘘が苦手な彼は咄嗟に何も言えなかっただけだ。
「…少しこの男を押さえておいてくれ。陛下への謁見の後、私が処遇を決める。余計な事はするな」
 縷紅は部下達にそう言い付け、その場を後にした。
 気にはなったが、懐の中にあるものが先だ。
 緇宗を訪ねれば、遠征先だと言うのに豪勢な朝食の最中だった。
「少しは寝たか?」
 いきなり投げられた問いに縷紅は苦笑して首を振る。
「判りますか?」
「顔にべったり書いてあるぞ」
 緇宗は小者を下がらせた。
 二人きりとなった空間。そこに居るのは、必ずしも王という側面だけの緇宗ではない。
「これを」
 縷紅は早々と書状を緇宗に渡す。
 それを広げる事もせず、彼は訊いた。
「心配か?」
 虚を突かれて、縷紅は何も答えられなかった。
「まあ、食え。飯もまだだろ」
 押し付けられた料理を思わず受け取って、そしてはっとした。
「何を…仰せなのか、理解し兼ねます」
「食えって、他にどう言えば解るんだよ?」
「そうじゃなくて…」
「だからほら食いながら話せよ。馬鹿は休み休み言えって言うだろ?」
 今度は匙を押し付けられ、向かいの椅子を顎で指し、座れと言う。
 仕方ないから従った。
「俺一人じゃこんなに食えねぇんだよ。どうも王は肥満傾向になる筈だ」
 冗談なのか本気なのか分からないぼやきを聞かされながら、縷紅は進まない食を無理矢理口に入れた。
「そうだ、これ全部食べ盛りのガキ共に運んでやってくれるか?」
 確かに彼ら…と言うかその中の約一名なら、この量をもペろりと平らげるだろう。
 承知しました、と低く頷き誰かに運ばせようと立ち上がる。
 だが、緇宗の一言に、足は止まった。
「助けてぇだろ、お兄ちゃん?」
 驚きと、激情で、視界が揺れた。
 口の端が、皮肉な形に吊り上がる。
「…よく、ご存知で」
「健気に隠そうとしなくとも大丈夫だ…俺にはな」
「知っていて何故…。私の裏切りも座興という事ですか」
「まあ、な」
 あっさりと緇宗は答えた。
 怒りを通り越し、呆れて縷紅は止めていた足を動かし背を向けた。
「この世は全て座興だよ」
 似つかわしくない声だった。
 思わず足を止める。
「生きている限りくだらねぇ茶番さ。面白いものが見たい、だが所詮――」
 緇宗はそこで言葉を切らせた。
「…所詮、何だと言うのですか…?」
 縷紅は、声を震わせた。
「貴方の座興で、どれだけの血が流れ、命が奪われたと…!?それで、まだ飽き足らず…!?それでは前王と何一つ変わらない…!!」
 怒りに任せて振り向いた、その先にあった顔は。
 意外な程、疲労の色が濃かった。
「…長いこと、道化を演じるとな」
 痛々しい程の、自嘲を浮かべて。
「必死に現を生きてるお前達が…羨ましくもある」
 緇宗は、何も返せない縷紅に、優しくも寂しい笑みを向けた。
 ある日から彼の世界は、現実の色を失った。
 それからずっと、灰色の度合いを増す世界で。
「…本当に必要なモノは…例え王とて、手に入らない…。…いや」
 復讐の代わりに、望まぬ王冠を手に入れて。
「返っては来ないんだ…」
 だから、お前は守れるモン守れよ、と。
 王は、矛盾した言葉を、呟く様に告げた。





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