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RAPTORS
11

 天幕に入った黒鷹は早速、先程緇宗に渡された草稿を手に取った。
 それを寝台の端に拡げる。奥には隼が座っている。
「俺の最後の仕事だな」
 黒鷹が言うと、どこかで聞いたような言葉が返ってきた。
「最後とか言うな」
「…自分は言ってた癖に…」
 光爛への書状を預かった時に言われた。
 どれだけ隼の『最後』という言葉に打ち沈められた事か。
「お前と俺を一緒にすんな」
 黒鷹の複雑な感情も、隼は一言で一蹴する。
「時間無ぇんだ。さっさと読むぞ」
「ああ、うん…」
 二人は文章に目を落とす。
「……」
「……」
 何故か沈黙。
 鶸も寄って来た。
「なになに?」
 好奇心いっぱいに紙面を覗き込んだ鶸も。
「……」
 やはり沈黙。
「考え込んでも仕方ありませんよ皆さん?思うところは遠慮無く言って下さい」
 それだけ重要な仕事だと理解されているから、流石のこの三人も沈黙して読み込んでいる。
 縷紅はそう受け取って、言葉を掛けた。
 …のだが。
「じゃ、遠慮無く言います」
 今まで遠慮のえの字も持った事があるかどうか怪しい鶸が、わざわざ手を挙げて意見した。
「どうぞ」
 先生に指されて、ハイっと立ち上がって。
「達筆過ぎて俺には読めません!」
「さすが王様の字だよな…」
 黒鷹も圧倒されている。…こんな事に。
「お前も王様だよ?こんな字書けるか?」
「いや俺には無理だ鶸…!とても俺にこんな字は…!!」
「諦めるな!お前はやれば出来る!!」
「は…はい!先生!!俺やってみますっ!!」
「よし!それでこそ我が国の王だ!!」
 すぱーん、と小気味良い音が響き渡った。
「学園青春モノでコントしてるつもりかてめーら!!ただ単に字が汚過ぎて読めねぇだけだよ!!」
「……おま、殴るモン考えろよ……」
 すぱーん、の正体はいつの間にか隼によってハリセン状にされた草稿だったりする。
「ミミズ這ってる落書きしか無いこんな紙に価値無ぇだろうが」
「いやでもそれ…」
「仕方ありませんねぇ」
 縷紅が極めつけの苦笑を浮かべながら、ハリセンもとい草稿を隼の手から取った。
「あの人の直筆ですからねぇ…いやはや」
「書き直させるのか?」
 隼の当然の問いは、やんわり首を振られた。
「これはあの人にとって最高レベルの字なので、私が翻訳しますね」
 三人が三様に口をぽかんと開けて。
「…言語違うレベル?」
「…これ以上綺麗な字は書けないって事?」
「…て言うかお前はこれが読めるのか?」
 多少の事では怯まない彼らが、汚過ぎる字にドン引きしている。
 縷紅は実ににこやかに笑っている。
「長年の経験のお陰で、読めちゃうんですよコレが」
「あ…ああ…」
 とにかく縷紅に托す事にした。
「読み上げますね」
 三人に言って、その内容をすらすらと読み上げだした。
「一、天地根の三国則ち世界を統べる王は緇宗及びその指名した者とする。
一、敗戦国である地及び根の国土は天の所有するものとする。
一、地及び根の人民は天に従うものとし、天、根、地の順に序列を付けるものとする。
一、地及び根の民は原則として農耕に従事し、その作物の五割以上を天に献上する。
一、地及び根の民は一切の武具を持ってはならぬものとする。
一、地及び根の責任者には相応の処罰を下し、今後一切の政に関わらぬものとする」
 縷紅は紙面から視軸を三人に戻した。
「今のところ、この六ヵ条です」
「今のところ?」
 問い返した黒鷹に頷く。
「緇宗の気まぐれで変わるかも知れないし、今から貴方がこれを変えねばならない。その必要性は…解るでしょう?」
 黒鷹は頷く。
「こんなモン認めちまったら…皆に申し訳ない」
 ああ、と隼も頷いた。
「これじゃ戦をした意味が無ぇ。前と同じ…いや、根を巻き込むだけタチが悪い」
 鶸は頭を抱えていた。
「うーん…俺にゃよく解んねえ」
「だから頭足りねぇんだよ。よく判っただろ」
 先刻、緇宗に言い返していた勢いはどこへやら。
 隼の言葉に口を尖らせつつ、でもと彼は言った。
「食い物取られるって事だろ?それはダメだ。絶っ対、ダメ」
「…ま、そうだな」
 鶸らしい意見に含み笑いして、黒鷹は縷紅に言った。
「墨と筆、貸して貰えるかな?」
 縷紅は頷いて、外に居る見張りの兵に言い付けた。
 その間に黒鷹は卓を隼の寝台に引き寄せている。
 続いて椅子も。
「さあ大会議だ」
 寝台にぽんと飛び込んで黒鷹は言った。
 横に居座られた隼は慌てて引き下がる。
「おま…」
「だって椅子足りないもん」
 椅子は二脚。鶸と縷紅の分、という事だろう。
「持って来させれば良いだろ!」
 言えば、明らかに拗ねたような悲しそうな顔でじっと見詰められる。
「…何だよ…ったく」
 お前の隣が良い、とか何とか言ってきそうな雰囲気なので、これ以上は追及しない。
 別に力ずくで追い落としてやっても良いが、隼にはその体力が勿体無かった。
 そうこうしているうちに墨や筆など必要な物が揃った。
「まずは、鶸の食料確保だな」
 黒鷹は言いながら、草稿の『五割以上を天に献上』と思われる部分に線を引いて打ち消した。
「何割なら許せるかなぁ?」
「何割もやれねぇよ。俺が全部食う!!」
「…馬鹿は放っとけ。まぁ、天にタダでやる義理は無ぇが…」
「そうだよぉ。なんで地の民が作った食い物やらなきゃいけねぇんだよぉ」
「負けたから」
 黒鷹は言った。
「戦で負けたから、だろ?」
 溜息を漏らしたのは、隼だった。
「…だからって、勝者に遠慮する必要は無い」
「でも」
「いいか、クロ。ここで引いたら泣きを見るのは民だ。お前は王として、彼らの暮らしを守らなきゃならない」
「…うん」
「これが俺達にとっての本当の戦だ」
 戦う事は必ずしも刀を握る事ではない。
 本当に大事な戦いは、言葉を武器とする。
「向こうも言いたい事言ってるからさ、こっちも好きな事言ってみようぜ?」
 鶸が楽しげに提案すれば、珍しく隼も頷いた。
「遠慮した方が負けだ。思い付く事全部書いちまえ」
「解った。よーし!」
 気合十分で筆を進めだした黒鷹。
「天の“所有”じゃマズイよな」
「序列も駄目だ」
「…それって何?」
「地や根の民より天の民の方が優遇されるって事だ、鶸」
「…ゆーぐー?ゆうぐ?遊具?」
「……」
「だから、天の民の方がエライって事!」
「なんで?」
「そうするって書いてあんだよココに!!理由は無い」
「要するに地や根を差別したいだけだ」
「あー…」
「…お分かり頂けたか?つか、本当に頭悪いなお前」
「……!」
 そうして時々脱線しつつも議論は続いた。
 気付けば日も暮れている。
「おい」
 そろそろ議事も尽きてきた頃、隼が低い声で黒鷹を止めた。
「ん?」
「読めんのか、ソレ」
「緇宗の字は流石の俺も読めないよー」
「違う、お前の字」
「何だよ俺の素晴らしい字になんか文句…」
 自信満々だった黒鷹の声が萎んだ。
 草稿は書き込みだらけになり、矢印が乱れ飛ぶわ字が踊っているわ一部暗号化しているわで訳の分からない事になっている。
 必死に書いているうちに書いている本人も固まる事態となってしまった。
「縷紅、紙」
 隼は二言で苦笑を禁じ得ない縷紅を動かし、黒鷹から筆をひったくった。
「ああっ」
 突然、得物を取られた黒鷹は狼狽えた声を上げるが、一瞥で済まされてしまう。
「そもそもここに書き出したのが間違いなんだ」
「最初に言えよぅ!そんな事はぁ」
 またまた睨まれる。だがもっと早くに指摘しない方も確かに悪い。
 縷紅が真っさらな紙を手に戻ってきた。
 ふと、隼は上目遣いに彼を見る。
「何か?」
 縷紅が尋ねると、彼は筆先を硯の上で整えながら訊いてきた。
「お前、口出ししなくて良いのか?」
 黒鷹もはたと気付く。
 縷紅は先程までの議論に、卓に着きながら一切発言していない。
 緇宗にこの場を任されたにも係わらず。
「そりゃ最終決定は緇宗が下すんだろうが…俺達をここまで野放しにしてて良いのか?好き勝手に書くぞ?」
 縷紅は微笑して頷いた。
「どうぞ、書いて下さい」
 隼は眉根を上げる。
「貴方達が真に民を想っている事は、よく知っていますから」
 三人の意外を語る視線に、彼は手を振った。
「職務放棄ではありませんからね?」
 黒鷹は――笑った。
「お前が仕事サボるような事はしないって、俺もよく知ってるよ」
 鶸も笑う。
「そんな事あったら槍が降るな!」
 隼も筆を滑らせながら、鼻で笑った。
「そんな簡単に槍降らせるな」
「簡単な事じゃねぇから槍が降るんだろ?」
「大丈夫ですよ、そんな物騒なものは降らせません」
 同じ卓に着いて、そこには敵も味方も無い。
 理想を同じくした仲間が、そこに居た。


 作業は夜半まで続いていた。
 蝋燭の明かりを頼りに隼は黙々と書き進める。
 時に筆を止め思案する。そうやって言葉を選ぶ時間の方が多い。
「もう、明日にしたら?」
 ずっと隣で見守る黒鷹が、堪らず口を出した。
 隼は見向きもしない。
「先に休めば?」
「俺じゃなくて、お前の事!身体持たねえぞ、昼に血ぃ吐いてるのに」
「持たせる必要も無い」
 素っ気なく言って、また筆を走らせる。
「…無い事…ねぇだろ…」
 いくらも書けず、隼は筆を浮かせた。
 見なくても、隣で黒鷹が唇を噛んで俯くのが分かった。
 互いに、三日後には命は無い。
 隼はやっと視線を上げて、口元を緩ませた。
 視線の先は、もう一台の寝台の上。
「アイツは良いよな。見ろよあの図太さ」
 黒鷹も顔を上げる。
 大の字で爆睡している鶸が居る。
 命の期限が迫っている事など関係無いとばかりに。
「アイツは明日世界が滅ぶって言われてもあんな調子なんだろうな」
「ある意味羨ましいな。ある意味で」
「ホント」
 黒鷹もふふっと笑って、思い切り伸びをし、そのまま仰向けに倒れた。
 ぼふ、と布団に迎えられる。
「あんな風に何も考えずに居られたら最高だな」
 天井を見つめながら黒鷹は言った。
「お前も鶸もそう変わらねぇだろ」
「違うよぉ。失礼な」
「鶸に失礼だろうがそれは」
 アイツは良いんだとか何とかむにゃむにゃ言っていたが、はっきりとした反論にはならなかった。
 短い沈黙。
 鶸の寝息だけが聞こえる。縷紅は少し前にここを出て行ったきりだ。
「隼」
「ん?」
「ごめん」
「…それはもう聞き飽きた」
「じゃあ他に何て言えば良いんだよ」
「何も言わなくていい」
 えー、と黒鷹は苦い声を漏らす。
 隼は煩そうに聞き流して、思案を続けた。
 書ける事は書いた。あとは最後の項だけ。
 考えを巡らせようとして。
 何も浮かばなかった。筆が硯の上でかたんと音を発てる。
「だから、疲れただろ?」
 後ろから黒鷹が声を掛けてきた。
「まだ二日あるし、明日にしちゃえよ」
 隼は両手を背後について、頭をのけ反らせ、背中を伸ばした。
 ずっと俯いて作業していたお陰で、身体中が凝っている。
 それでも頭はまだ、思考の空回りを続けていた。
 ――『関係者には相応の処罰』を下す事。
「もう一日終わっちまうんだな」
 黒鷹が言った。
「心残りか?」
「うーん…全然無いかと言われたらそうでもないけど…」
 終わりの見える、一日、そしてまた一日。
 悔いの無い過ごし方など、突然突き付けられても出来るものではない。
「でもお前らと一緒に居られるからさ。それで良いや」
「そんなので良いのかよ…」
 軽く笑って、天井を仰いで。
 書面に目を落として、すぐに避けるように横を見て。
 隣で笑う無邪気な顔だけは見れずに。
「…本当に良いのか?」
「え?」
 きょとんと、黒鷹は訊き返す。
「今ならまだ間に合う事もある…だから、クロ」
「いいよ、隼」
 肩越しに振り向いた顔は、落胆を隠し切れずに。
 それでも黒鷹は言った。
「良いんだ。俺、本当に満足してるから。昼に言った事、嘘じゃないよ」
 お前と走って来れて良かった、と。
 それは本心から出た言葉だ。
 隼は何も応じず、支えにしていた手を浮かせた。
 黒鷹の隣に倒れ込む。
 寝台の横幅に半身を預ける形で、足は半端に浮かせて。
 二人、黙ったまま、天井を見詰めていた。
 月明かりが、天幕の厚い布地を微かに透かす。
 満ち足りた時間。
 ここに今、二人で居ること。
 永遠とも思えるほど、何も変わらない。
 月明かりだけが、傾く。
 だが、永遠であって欲しいとどれだけ願っても、そうでは有り得ないと解っている。
 いつか、終わる。
 それは時に残酷であり、救いにもなる。
 留まる事無く流れる時間。
「…それと、不謹慎かも知れねえけど」
 黒鷹が変わらず仰向けのまま言った。
「今、俺幸せかも」
「…はぁ?」
 隼の訝しげな顔を予想しながら、黒鷹は笑った。
「これで死ぬなら、まいっかーって感じ」
「いくねぇ。全然まぁ良くねえ」
 黒鷹はあははと声を出して笑い、続けた。
「あと、不謹慎ついでにな、俺ちょっと安心してるんだ」
「安心?」
「お前に置いて行かれる事、無くなったから」
 流石に隼は言葉を返せなかった。
 行く場所は確かに遠い。置いて行かれる辛さも分かる。
 だが、一緒に行く筈では無かった。
 そうであってはならないと、今でも思っている。
 なのに。
 なのに、何も出来ない自分が居る――
「ほんっとに、不謹慎だなお前。人の気も知らねえで、何が安心した、だ…」
 それとも、そう思ってくれるのなら。
 少しは救いなのだろうか。
「楽天主義も程々にしろ…。…死ぬんだぞ、お前…」
 隣から、静かな寝息が聞こえた。
 ぎこちなく横を向いて、寝顔を確認する。
 明日も幸せである事を疑わない、子供のような寝顔。
 守りたかった。
「馬鹿…」
 守ると誓った。それなのに。
「生きろっつっただろ…」
 光は、もどかしい程に手が届かなくて。
 また指の間をすり抜けた定めに、胸を掻き乱されていた。




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