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RAPTORS
10

 本営の天幕の前には、兵に限らず、これまで城跡に潜んでいた女や子供達も集まっていた。
「黒鷹様が天に囚われたというのは…本当でしょうか…!?」
 先頭に立つ初老の男が問う。
 董凱は、唖然としたまま朋蔓に目配せした。
 朋蔓は、頷いた。
「ああ…本当だ」
 董凱が答えると、民は一斉に声を上げた。
 それは全て、悲嘆に暮れる声だった。
 やがてそれは、嘆願へと変わってゆく。
「黒鷹様をお救いして下さい!」
「王を見殺しにしないで!」
「私達に出来る事は何でもやりますから!」
 董凱は民の前に進み、問うた。
「どうして…そこまで…」
「私達の希望だからです」
「希望?」
「一生奴隷として絶望の中生きてゆく筈だった私達に、自由と、勇気と、希望を与えてくれました」
「それだけじゃねえ、あのお方は戦う力をくれた」
「優しさを分けて下さいました。病弱なこの子に付き添ってくれて」
「お菓子もくれたよ!!」
「どんな民でも別け隔て無く接して下さった。誰とでも笑って話しておられた」
 するりと、子供が董凱の前に出た。
「私に刀の稽古をして下さいました。それ以上に――生きる目標を下さったんです」
「生きる目標?」
 慂兎は頷いた。
「将来、近衛兵になって黒鷹様をお守りするんです。隼様と約束したんです」
「隼が…」
 己の代わりに。
 黒鷹を、大切な人を守って欲しい、と。
「だから、黒鷹様や鶸様、隼様を助ける為なら私は何でもします!!今、死んじゃったら…」
 慂兎は言葉を途切れさせて、俯いた。
 その後ろから、声が、沸き立った。
「皆で王をお助けしよう!!」
 声は合唱となり、大きなうねりとなって人々の決意を示していた。
 董凱は――頷いた。
「皆の気持ちはよく…よく解った…」
 声が、震えた。
「ありがとう…本当に、ありがとう…」
 筋違いの謝意かも知れない。
 だが、親としての言葉であり、黒鷹の代弁でもあった。
 きっと、本人が聞いていたら。
 今頃、照れ笑いを浮かべているだろう。
「必ず、三人は助ける」
 董凱は宣言した。
「皆の気持ちと、力を借りるが――良いだろうか?」
 歓声が沸き起こった。
 これが、答えだ。
「幸せな子達だ」
 いつの間にか光爛が隣に来て、言った。
「根も勿論、力を貸そう。私の為ではなく、あの子達と、根と地の民の為に」
 董凱は頷き、詫びた。
「先刻は済まなかった」
「何、済んだ事だ」
 互いに微笑む。
 そして董凱は、集まった人々に告げた。
「二日後の夜、天の陣営に奇襲をかける!!各々準備を頼む!!」
 民は歓声の中でそれぞれ散った。
 慂兎がぴょこっとお辞儀をした。
「お前はまだここで待ってろよ。将来の大役が有るからな」
 董凱の言葉に、少し照れた様な、しかし嬉しそうな笑みを浮かべて、もう一度頭を下げて走り去った。
 その小さな背を見送って。
 黒くわだかまる細い人影に、目が留まった。
 人々の去った場所に、一つだけ留まる影。
 光爛が、一歩、歩み出た。
「銘丁…」
 彼は、光爛に向けて、深々と辞儀をした。
「何をしに来た…!?」
 刃が、日差しを受けて鋭く煌めいた。
「今更私の前に現れて、何を!!嘲笑う為か!?どうせ私にあの子は守れぬと…!」
「私めに使いをお申しつけ頂くべく、参上仕りました」
 頭を下げたまま、銘丁は言った。
「何をいけしゃあしゃあと!!あの子達を騙せても、この私はそうは行かぬぞ」
 刀を振り上げようとした光爛の腕を、董凱が掴んだ。
 振り向けば、無言で首を横に振られる。
「隼様に薬を届けねばなりませぬ」
 銘丁は言った。
「お届けしようと思えばこの騒ぎ――次第は解り申した。ならば私は隼様の元に参るまで」
「天の陣中に行くと言うのか」
 董凱の問いに頷く。
「私はかつて天と手を結んでいた身。入り込む手立てはございます」
「光爛」
 手を掴んだまま、低く呼び掛ける。
 光爛は、硬直し銘丁を睨み据えたまま、しばらく逡巡しているようだった。
 そして、掠れた声で言った。
「お前があの子にした事…私の憎しみは、消えぬぞ」
 銘丁は頭垂れたまま、承知しております、と言った。
「手を…離してくれ」
 すぐには従わず訝しげに問う目に、光爛は小さく頷いた。
 その瞳に、揺れは無かった。
 董凱は手を離した。
 刃を手にしたまま、光爛は銘丁の前まで進んだ。
 銘丁の頼りない肩が、緊張する。
 光爛は刀を持ち替えて。
 その場に、刺した。
 突き立った刀を、初老の男は呆然と見遣る。
「…あの子に伝えてくれ」
 遠い目で、彼女は言った。
「必ず、救う――その暁には」
 人の親としての眼差しを、銘丁に向ける。
「母と子として、再会しよう、と」
「……承知、致しました」
「私達の命、そなたに預ける。私はその再会に命を懸けるつもりだ」
 光爛は青く抜ける空を仰いだ。
「失ってきたものを取り戻すのに、最早手遅れではないと――信じたい」
 失ってから、多くの時間が流れた。
 長い、あまりにも長すぎた時間が。
 再びそこに手を伸ばすのは、困難窮まりないが。
 不可能では、ない。
「俺からも伝言して貰って良いか?」
 董凱が後ろから声を掛ける。
 は、と銘丁は畏まった。
「助けに行くが、自力で脱出出来るならそうしてくれ」
 奇襲を掛けて陣中を混乱させる事は出来るだろう。
 だが、その混乱の中で三人を探し、救う事は窮めて難しい。
 元々実力のある三人だ。救出を待つより自ら動く方が、脱出を成功させる確率は高い。
「――そう、伝えてくれ。頼む」
 銘丁は再び畏まって頭を下げた。
「…なあ」
 ずっと横でやり取りを聞いていた旦毘が、銘丁に問うた。
「さっき天と手を結んでいたと言ったが…やっぱり反総帥派は、天と?」
「左様でございます。私が一派を抜ける前には、既に計画されておりました」
「じゃあ…今も?」
 意外に銘丁は首を振って否定した。
「天も体制が変わりましたから、国そのものと共闘しておる訳ではないでしょう」
「成程…天にも旧王権を支持する反体制派が出来ているだろうからな」
 光爛が頷く。
「しかし二つの反体制派が結べば厄介だ」
「私がまだ一派に居る頃、天の方から協力を呼び掛けられました。その計画者は、天の王の臣下と名乗りました」
「王の臣…か」
「あの者ならば、更なる混乱の火種を撒く事を躊躇わないでしょう。自身がまるで炎の様な、危険な男でしたから…」
 突然。
 旦毘が立とうとして、傷の為に体勢を崩し、椅子ごと倒れて大きな音がした。
「どうした…?大丈夫か」
 朋蔓に起こされるが、旦毘の目は見開いたまま、銘丁に向けられていた。
「旦毘?」
 訝しく思った叔父に名を呼ばれても、耳に入っていない。
 震える唇で、問いを口にした。
「その、男…炎の様なと言うのはつまり…赤い髪と眼を持っていたと言う事か…!?」
 銘丁は頷いた。
「そいつはまだ生きて…?」
「死んだという報せは知りませんが…現在も反体制がキナ臭い動きをしているのは確かです」
「…根の反体制は潰滅状態だ。何か仕出かすなら天の協力無しには有り得まい」
 銘丁と光爛の言葉を聞き、旦毘は再び亡霊を見た。
 天で見た、赤い目の男――
「…生きて…いるのか…!?」
 薄ら寒い予感は、色を伴った具体的な不安へと変わっていった。
 炎の色をした、不安へ。



 突然現れた緇宗に、黒鷹は紙を渡された。
 縷紅の手を通して渡されたそれに、黒鷹は目を落とす。
「それが条約の草案だ」
 黒鷹は長い半紙を広げた。
「…そっちが示す条件って事か」
「異論が有れば縷紅に伝えろ。考え直してやる。ただし、時間は無いからな。足りねぇ頭振り絞って考えろ」
「足りるよ!失っ礼な!!」
 鼻息も荒く踏み出した鶸を、隼がひっぱたいた。
「一番足りねぇ奴が言ってんじゃねえよ」
「…う」
 まさかの味方からの攻撃にたじろぐ鶸。
「時間が足りないって?」
 黒鷹は素直に訊いた。
 緇宗はにっと笑う。
「三日だ」
「え?」
「三日以内にこの条約を完成させるぞ」
 それだけ言って、天の王は踵を返した。
 黒鷹は困ったように残った縷紅を見上げる。
 縷紅からは、いつもの微笑が消えている。
 その時、一迅の風が、黒鷹の横を駆け抜けた。
「…!隼…?」
 隼は天幕を出た緇宗に何とか追い付き、しかし急な運動に身体は耐えられなかった。
 緇宗の裾を掴んで、その場に座り込む。
「何だ」
 咳込み、肩で息をしながら、隼は言った。
「三日後に全てケリ付ける気か…!?」
「何の事だ。解らんな」
 嘲笑しながら惚ける緇宗を、睨み上げる。
「あんなガキ殺してどうなる…無駄だろう…」
 緇宗は、屈んで隼に視線を合わせた。
「ガキでも、王だからな」
 隼は呼吸もままならず言葉を発せられず、首を振る事しか出来なかった。
 咳が出、口を拭うと、手の甲に血がべっとりと付いていた。
 その様を黙って見ていた緇宗は、低い声で問うた。
「死ぬべきは自分と――思っているか」
 隼は強い眼で、頷いた。
 そして頭を垂れた。地面に付く程に。
「戦を始めたのは俺だ…!!アイツに責任は無い…。処刑は俺だけで良いだろう!?…頼む…そうしてくれ…!」
 緇宗は、地に臥して頭を下げる隼を見下ろしながら。
 立ち上がって、告げた。
「俺達の戦の相手は、あくまで地だ」
 隼は、地面を睨んだまま、その言葉を聞いた。
「地との戦で根の人間の首を取っても、民は納得しない」
 思わず、顔を上げて。
 問うた。
「…俺が、本当の地の民なら…良かったのか…?」
 去ろうとしていた緇宗は、肩越しに微笑んで言った。
「それなら、誤魔化しようもあっただろうがな」
 緇宗は竹矢来を潜り、去って行った。
 呆然と、それを見送って。
 崩れるように、地面に突っ伏した。
 後ろに、黒鷹、鶸、縷紅が立っていた。
 隼の手は、あるだけの力で拳を作り、大地を殴り付けた。
「…隼」
 黒鷹が震える肩を抱く。
「クロ」
 細い声。
「…今日ほど…自分の血が憎いと思った日は…無い」
 渇いた、微かな笑い。
「目を切られても、虐げられても、病を抱えても…こんな想いはしなかったのに…こんな…最後の最後で…!」
「隼、良いんだよ…。俺はそれで良い」
 黒鷹は手に力を込め、隼の半身を地面から引き剥がした。
 両手で肩を支えたまま、正面に回り込む。
「言っただろ!?処刑なら覚悟してる!だから、お前は…そんな事言うな…」
 何とか保っていた感情が、くしゃりと崩れて。
 それを見られまいと頂垂れた頭を、黒鷹は両手で包んだ。
「良いのか…?…俺の所為で…死ぬんだぞ…」
 腕の中の掠れた言葉に、黒鷹は笑った。
「何でそうなるんだよ?お前は考え過ぎなんだって。いっつもさ」
 隼は絶対に見せたくないのは解るが。
 泣いている事は、判ってしまった。
 悔しさと。心の痛みと。
 それら全てを包む、温かさに。
「…ごめんな?」
 黒鷹は優しく言って、抱える頭を撫でた。
 銀色の髪が、さらさらと落ちる。
「お前が俺の事何とか守ろうとしてる事はよく解ってる。…だけど、俺はもう良いんだ…。仕方ない事って有るんだよ、隼」
 もう一度、ごめんと呟いて。
「俺は、お前とここまで走って来れた。それだけで満足だよ。幸せだった。本当に…ありがとな」
 振り返れば、輝く日々がそこにある。
 それを抱えられる幸せを噛み締めながら。
 もう、これ以上何も望まない。
「ありがとう…」
 穏やかに降り注ぐ日の光。
 撫でる度に、銀糸は七色に輝いた。
 途端に黒鷹は可笑しくなる。
「なんか、でっかい犬みてぇ……いっ!?」
 瞬時に手を捕まれ、手首を捻られた。
「…ってぇな!!何すんだ…あだだだだ」
 更に捻り上げられる可哀相な左手。
 …一応、利き手は避けてる辺り小さな優しさなのだが。
「いだいいだいいだいギブ!まじ離して!!にゃぎゃあー!!オニぃー!!鬼畜ー!!」
 黒鷹の悲鳴も目茶苦茶だが、隼も殆ど八つ当たりである。
 あまりにバタバタ騒ぐので流石に続行不可能になり、漸く解放した。
「いってー…。泣きながらキレんじゃねぇよ!!ガキか!!」
 当然、怒鳴り返される事を前提とした喧嘩の口火だったのだが。
 隼は俯いたまま呟くように返しただけだった。
「泣いてねぇし」
 立ち上がり、ふらふらと天幕に戻ってゆく。
 黒鷹は拍子抜けして鶸と目を合わせた。
 …これはやばい。
 それが二人が目で会話した上での結論。
 すっかり黒鷹はうろたえてその場に立ち尽くしオロオロしていると。
 天幕を前にした隼が急に振り向いた。
「…っつか、ガキはてめぇだし犬もてめぇの方がお似合いだ!チビ黒バカ犬!!」
 またもや拍子抜けした黒鷹は即座に言い返せず。
 ぽかんと間抜けに口を開けたまま、天幕に消えてゆく喧嘩相手を見送ってしまった。
「…何だよ」
 ぽつりと言う。
「なんか…優しくして損した気分…」
 そのお後がよろしくない。
 鶸が弾かれたように笑いだす。
「いやぁ、飼い犬に手を噛まれましたなぁ黒鷹さん」
 げらっげら笑いながらおどける鶸に、黒鷹も苦笑しながら同調した。
「そうなんスよー。噛まれまくりっスよー」
 二人して笑っていたら。
 天幕の扉が開いて怒鳴り声が響いた。
「犬扱いやめやがれ小犬共がっ!!」
 小犬達、硬直。
「…縷紅」
「はい?」
 天幕の柱に掴まって何とか立っている状態の隼は、横に立って成り行きを見守る縷紅に目を向けた。
「俺は、諦めねぇからな」
 隻眼は赤く腫れて、涙をいっぱいに溜めていたが。
 いつもの鋭さを取り戻していた。
「…はい」
 縷紅もいつもの微笑みで頷いた。
「時間無ぇんだ、さっさと仕事にかかれ」
 再び黒鷹に視線を戻して呼び寄せると、隼は天幕の内に引っ込んだ。
 その直後、荒く寝台に飛び込む音がした。
「捕まってまで仕事かぁー」
 黒鷹は苦笑いだがどこか清々しい表情で、青い空に向けて伸びをする。
「仕事って言うから怠いんじゃないか?」
「そうかも。じゃ、張り切って王サマ業頑張ろー!!…うん、こっちが良いな」
 鶸の提案に乗って笑うと、入り際に縷紅を見上げてにこりと微笑んだ。
 心配しなくても、俺達は大丈夫だ――
 そう言われた気がした。





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