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RAPTORS



 敵軍は既に殿(しんがり)に追い付いていた。
 旦毘も混乱する戦場で刀を振るっている。
 自分達も撤退しながら戦に身を投じる。
 しかし相手との戦力の差は歴然。
 撤退がままならない場合は、前を行く味方を逃す為に盾となり、時間稼ぎをする。
 それが殿の役割だと、旦毘は知っていて買って出た。
 生き延びられる保証は無い。
 寧ろ無事で済む可能性の低い戦い。
 それでも、黒鷹達には宣言した。
 生き延びると。
 月明かりさえ吸い込む霧は、希望すらぼかしてしまい絶望的に広がる。
 それでも、旦毘に死という選択肢は無い。
 必ず、生きて戻る。
 その為に、戦う。
 単純故に強固な信念。
「うわあぁぁ!!」
 大声と共に振り下ろされた剣を易々と躱し、刀を打ち付ける。
 いとも簡単に剣は地面に落ちた。
「ああ…あ…」
 襲ってきた敵兵はぺたりと座り込み、後ずさりする。
 殺される恐怖に戦く。
 見ればまだ若い兵だ。縷紅よりも年下だろう。
 少年らしい澄んだ目が、刀を構える旦毘を映す。
「…死にたかねぇか」
 かくかくと首を縦に振る。
 旦毘は少し思案し、次の瞬間、襲ってきた別の兵を一瞬の躊躇いも無く斬った。
 ひっ、と少年兵が細い悲鳴を上げる。
「戦場に居れば普通はこうなるんだぜ?」
 刀を振って血糊を落とす。
 その行動にすら、兵士は身を震わせた。
「その覚悟が無いなら、今すぐ立ち去れ。お前みたいな奴が居ると戦りにくくて迷惑だ」
「……!」
 少年はこれ以上無く見開いた目で旦毘を見詰め、ぱっと立ち上がって走り去った。
 その背中を一瞥だけして、再び戦いに転じる。
 ――甘いと言うならそうだろう。
 また、矛盾していると言うのなら、それも認めざるを得ない。
 彼は助け、他の者は容赦無く命を奪う。それは筋が通らない。
 同じ命である事に違いは無いのだから。
 だが戦とは、筋など元より無い物だ。
 非道も矛盾も理不尽も、そんな理屈をこねている間に自分が命を失っている。
 死なない為に殺すしかない――
 馬鹿で愚かな世界だ。獣よりも質が悪い。
 がつん、と重い斬撃が全身の骨髄に響く。
 両手で刀を握って受け、次の瞬間には相手の大男の懐へ飛び込み、斬り払った。
 愚かだと解っていても。
 他に方法が無いのだ。
 自分は刀を握る事しか出来ない。
 世界はあらゆる問題の解決を武力に頼るより無い。
 ――他に。
「縷紅…っ!!」
 天を仰ぐ。
 霧が、炎の色を充満させて。
 世界中が燃える。戦火に焼き尽くされる。
「他の方法見つけたんじゃ無かったのか!?結局これしか無えのかよっ!?」
 霧に、炎に、争乱に、叫びは掻き消される。
 ――他力本願も良いとこだ。
 自嘲が漏れる。
 俺は。俺達は。
 無力だ。
「っ――!?」
 突然、足首を掴まれた。
 咄嗟に振り払おうとして、その手が誰のものなのか気付いて止めると、体の均衡を崩して後ろに倒れた。
 思い切り尻餅をついた形だが、痛みどころでは無い。
「た…んび…」
 切れ切れの息で名を呼ばれる。
 東軍の仲間だ。
 ただ、見るも無惨な姿に変わり果てていた。
「…何が…あった…!?」
 旦毘も息を呑む姿。
 額は割れ顔面を血が染め、片足は千切れかけ、背中からは折れた肋骨が肉を貫いて出ている。
 瀕死の状態で彼は旦毘に縋った。
「これを…妻に…」
 差し出された手紙。
 もしもの時――今の様な――の為に、あらかじめ用意していたのだろう。
 全てを托す、遺書。
「頼む…」
 旦毘は手紙を受け取り、その手ごと握り返した。
「解った」
 しっかりと頷く。
 見届けて、ぐたりと地面に落ちる頭。
 手を離すと、もう二度と動く事の無い手が滑り落ちた。
 最愛の人に触れる事さえ、出来ないまま。
「……」
 一瞬だけの黙祷を捧げ、再び襲ってきた凶刃を避ける。
 立ち上がりざま刀を横に薙ぎ払って敵を斬る。
「いつまで…」
 屍が、折り重なる。
 敵も味方も無い。
「いつまでこんな事続けりゃいいんだよ!?一体――いつまで…」
 光は差さない。
 終わりが、見えない。
 斬って、斬って、斬って。
 一人、また一人と絶望を増やして。
 その後、何が残る?
 異常な気配を察して前方に視界を移した。
 そこら中に溢れる殺気ではない。しかし味方でもない。
 ただ、戦中の中に在りながらじっとこちらに視線を注ぐ――
「…オッサン」
 驚きも忘れて旦毘は呟いた。
 ついこの前まで、敵国で共に過ごしていた男。
「もう名前忘れてんのか」
「いや、そもそも覚えてねぇんだ」
 楜梛は呆れた笑いを見せ、旦毘に斬りかかってきた。
 交差する刃を間に向かい合う二人。
「初めて正々堂々と現れたな」
 旦毘が揶揄する。
「人聞き悪いな」
「安心しろ。誰にも聞こえてねぇ」
 楜梛がにやりと笑う。
 がん、と刀は弾かれ、一旦離れて再び切り結ぶ。
「誰にも聞こえてないから言うがな」
 楜梛は旦毘の耳元で囁く。
「この戦、既に勝敗は付いている。無駄な抵抗は止めて撤退させろ」
「…何だと?」
 旦毘が力任せに楜梛の剣を押し戻した。
 楜梛はよろけて数歩下がる。
「これ以上の戦いは無駄だ」
 今度は正面から楜梛は言った。
「何を根拠に…」
「お前達の王は今頃亡き者になっている」
 僅かに目を見開いて。
 耳を、疑った。
「…何だって…!?」
「少なくともこちらの手中だ。だからもう無駄な事はやめて撤退しろ。そんな兵を増やしたくなければな」
 楜梛は顎でしゃくって先程絶命した兵を示す。
 旦毘は屍に視線を落とし、一歩引いて――しかし尚も呟いた。
「嘘だ」
 黒鷹が。あの王が。
「信じないのは結構だがな、この間にもそこら中で死人が出てんだぞ。…それとも負けを認めるのが嫌か。餓鬼の様に無意味な勝利が欲しいと駄々こねるのか」
「……」
 仲間の屍から目を離し、楜梛を睨みつける。
 この男は――敵だ。
 旦毘は、道化の様に掴めない男に切先を向けた。
「いずれにせよ――撤退はアンタを倒してからだ」
 追い詰めて、真相を吐かさねば。
「やってみな」
 飄々とした笑みを崩さず、楜梛は応じた。



 三つの刃を前に鶸は息を呑んだ。
 最早勝てるか否かではない。
 守らねばならない。
 何より大事な、仲間を。
 黒鷹の前に立ちはだかって。
 鶸は踏み出した。
 左の影と刃を交え、弾くと同時に右からの攻撃を躱す。
 間髪入れずに再び左からの斬撃。
 左右交互に切り結ぶ。防戦一方だ。
「――ヤバっ…!!」
 残りの一人が後ろへと歩を進めるのを横目で確認する。
 だが絶え間無い二人からの攻撃から逃れられない。
 影は気を失っている黒鷹の前まで進み、鎌を持ち上げ――
「――!!」
 初めて敵の動揺が見えた。
 振り下ろす筈の鎌が、途端にばらばらに崩れたのだ。
 銀の糸――隼の鋼糸によって。
「…やらせるかよ…!」
 隼は臥せたまま再び鋼糸を操って、敵を捕らえにかかる。
 しかし影は全く焦る事無く、剣を抜き一閃させた。
「――!」
 ぱらぱらと、雨のように。
 いとも簡単に斬り刻まれ、落ちる糸。
 そう簡単に斬れる筈は無い。驚愕を隠せない隼に、敵は歩み寄った。
 はっと身構えるが、遅い。
 鳩尾を身体が浮く程蹴り上げられる。
「隼っ!!」
 鶸が叫ぶ。
 仰向けで血を吐き、喘ぐ。
 意識がすっと遠退いてくる。
 一方、鶸も隼の方に気を取られた事で隙が生まれていた。
 反応が遅れた一瞬、下から刀を掬われ手元から離れた。
 無情な音を発てて地面に落ちる刀。
 ぴたりと目の前に止められた敵の刃。
 成す術も無く、固まる。
「…嘘だろ…」
 悪夢のようだ。
 まさか、こんな事になるとは。
 ――俺達
…死ぬ?
 実感は湧かないがこの状況でそれ以外の選択肢など無いだろう。
 鶸は巡らせようとした色々な考えを早々に諦めた。
 にぱっと敵に向けて笑う。
「こういう事、有るんだな」
 刃を向ける者の目元が訝しんでいるが、鶸はそんな事知った事ではない。
「天国行ったら何食おっかなー。肉いっぱい有るんだろうな。ほんっと、肉とかいつから食ってねぇんだろ俺…あ、こないだ食ったっけか…でもあれ固い肉だったなぁ、ちょこっとしか食うとこ無ぇし…」
 完全夢想独り言モード。
「そう言やアレ何の肉食わされたんだろ…訊く暇も無く食っちまったけど…。クロも隼もなんかニヤニヤしてたよな…。あれ?なんか嫌な予感する。でももう食っちまったし…」
 はたと、敵と見合って。
「俺、なんか重要な事考えて無かったっけ?」
 ちーん、とか何とか効果音が欲しい所だが戦場なので生憎ちょうど良い物は無い。
 とにかく完全に鶸の独り言に呑まれていた三人が我に返った時には。
 ニヤリと笑った鶸が腰の短刀を引き抜いていた。
 小柄な鶸にとっては長刀より小回りが利き、本来の力が発揮できる。
 向かってくる刃を今度は受ける事はせず、全て避けながら相手の懐に入る。
 一人の胸倉に刃を突き付けるまで、そう時間はかからなかった。
「動くなよ!!」
 左手で心臓を狙いながら、右手は他の二人を牽制する。
「俺達ゃまだ死ねねぇんだ。ここは見逃してくれよな」
 暗殺者達はじりじりと隙を窺う。
 鶸はぐっと左手に力を入れた。
「…あんたら、仲間の命、助けたくねぇのか?」
 鶸が問うた時。
 答え代わりと言わんばかりに、彼らは踏み出した。
「――!!」
 咄嗟に人質の懐から離れ、応戦に移ろうと構え直した時。
「やめなさい」
 静かだが、底冷えのする声。
 そう、前にも聞いた事がある。
 恐怖を、喉元に突き付けられる様な――
「誰が殺すよう命じた?私は居場所を突き止めるよう言っただけだ」
 暗殺者達が畏縮しているのが、鶸の目にも判った。
「功を焦って余計な行動はしない事だ。戻れ」
 影は、瞬く間に闇に消えた。
 残されたのは。
「…縷紅…?」
 霧の中霞んでいても、一目でそれと判る紅の髪を持つ男は、鶸に向けてにこりと笑った。
 微笑まれても鶸は――彼には珍しく――戸惑うばかりだが。
「本当に本当の縷紅?」
「困りました」
 全く困った顔ではないが。
「何をどう証明すれば、縷紅と信じて頂けますかねえ?」
 鶸は真顔で首を振った。
「大丈夫、もう信じた。俺助けてくれたんだから、やっぱり縷紅だよな。…でも…」
 口ごもる鶸。
 次に何を言われるかは予測がつく。それでも縷紅は鶸の言葉を待った。
 上目遣いに、自信が無さそうに、鶸は訊いた。
「お前、敵になっちまったのか?」
 縷紅は――頷いた。
 それ以上は何も訊かず、鶸はじっと縷紅に視線を注ぐ。
 曇りの無い、澄んだ目。
 己に邪心が無いか、見極められているようだと、縷紅は思った。
 誰を騙せても、鶸は騙せない気がする。
「…敵、とか」
 長い審査が終わって、鶸がやっと口を開いた。
「関係無いよな。悪い、疑って」
 鶸が笑顔を作る。
 その懐かしい笑顔に、縷紅は安心した。
 理屈を超えて、解り合える人がいる。
「二人は無事ですか?」
 視線を鶸の背後に移して、縷紅は訊いた。
 あっ、と小さく声を上げる鶸。
 忘れていたらしい。
「クロは馬から落ちて気ぃ失ってるっぽい。隼は…」
 言いながら駆け寄る。
 血と湿った土で汚れた胸が、微かに上下している。
「…まだ生きてるっぽい」
 “ぽい”ではなく、まだ生きている。
 本人にすれば、その辺ハッキリしとけと言いたいだろう。
「鶸」
 後ろを振り返りながら、何?と応える。
「手伝って頂けますか?」
「お手伝い?何を?」
「私は隼を運びますから、黒鷹をお願いします」
 納得顔の鶸。
「分かった。でもどこに?」
 鶸にしては鋭い問いだが、縷紅はにこりと笑ってはぐらかした。
「ついて来て下さい」
「分かった。お前について行けば良いんだな?」
 それで納得させられてしまった鶸は、方向転換して黒鷹の元へ向かう。
 縷紅は自分の馬と鶸の馬を連れ、一方の手綱を鶸に渡した。
 それから隼の元に向かう。
 馬に乗せようと、手を延ばした時。
 逆に二の腕をきつく掴む手。
 睨みつける隻眼。
 血の絡む喉からは荒い呼吸ばかりで、言葉は発せられない。
 それでも、言いたい事は、縷紅には解った。
「…誓って危害は加えません。私の家族でもあるのですから」
 ずる、と手が滑り落ちた。
 その手を逆に握り返す。
 冷たい手。急がなければ危ない。
 意識を失った身体を馬上に押し上げ、自らも騎乗した。
「行きましょう」
 同じように黒鷹を支える形で馬に乗った鶸に声をかける。
 おう、と応えて鶸は馬首を回した。
 夜明けが近付いていた。




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